Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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福島原発事故と日本の組織構造
薦められて、船橋洋一さんの「カウントダウン・メルトダウン」を読んだのだけれど、相当に読み応えがある一冊だった。思う所が多かったので、感想をまとめておきたい。

数百にも及ぶインタビューと膨大な資料の読み込みを経て作成された本書では、東日本大震災直後に福島原子力発電所の問題にあたった関係者らの行動と思考が重奏的に綴られている。分かりやすい結論・ストーリーにはめ込むのではなく、あったことをそのままに語りつつ、事態の全容を描き出しているその筆力には脱帽の一言(いつか、自分もこんなものを書けたらよいなと思う)。福島原発事故とは何だったのか、ということを考えてみたい人には、是非に一読をすすめたい。


本書を読みながら思い出したのは野中郁次郎教授らの「失敗の本質」だった。優秀な現場と無能な司令官、タコツボ化した組織における情報共有システムの機能不全(仕事柄、こういう組織のことを「神経系が通っていない」と表現する)という構造は、旧日本軍の時代からほとんど変わっていない。本書に登場する複数の関係者らも、同様の内容のコメントをしている。福島原発事故は、敗戦と同様に、(悪い意味での)日本的組織運営の帰結だというわけだ。

個人的な見解だが、こういった組織の仕組みは風土レベル(生活習慣や言語レベル)で根付いているもので、そう簡単には変わらない。敗戦によってでさえも日本の組織構造の本質的な問題点は変わらなかったのだから、今回の事故によってもそれは変わらないのだろう。本来であれば、株式市場による規律が組織構造変革の呼び水になるのだが、日本では株主によるガバナンスはなかなかききにくい。そういった状況下でも変革に成功している少数派の企業の特徴は、強力なリーダーシップの存在にあるが、これは再現性がない。

「こういった旧態依然とした企業が自然に淘汰されるのを待てば良いのではないか」、というのは気楽だが、そうなってからでは遅い。手術と同じで、変革は元気の残っているうちにやらないと手遅れになることが多い。どうすれば状況を打開できるのか、鬱々と考えている。
慣れと成長
やることがたくさんあって疲れることとか、嫌気が差す人は結構いると思うのだけれど、こういった「大変さ」というのは常に相対的なものだ。実のところ、絶対的に大変なことというのははそう多くはない。例えば、今の僕の生活は相応に予定が詰まっていて、ここ2ヶ月くらい一日も休日がないのだけれど(仕事と執筆とNPOを合わせたらコンスタントに週に100時間以上は働いている)、多分アメリカの大統領とかが僕の代わりをしたら退屈するくらい楽だろうと思う。

何が「大変さ」を感じさせるかというと、それは現在の経験が習慣から外れているかどうかによる。自分の習慣の外にあるものを人は辛いと思うし、その中にあるものは大してつらいとは思わない。他の見方をすると、こういった「慣れ」の範囲を拡げることが、人の成長と言えるのだろう。

慣れの幅は、意外と簡単に広がる。ドストエフスキーは、自身の収容所での体験を語った「死の家の記録」で人は何にでも慣れる存在だと喝破した。収容所の生活でも、戦場での生活でも、なんでも、個人差はあるがすぐに慣れる。

何かに慣れると、今まで大変だと思っていたことがそうでもなくなって、息継ぎができるようになる。そのタイミングでまた自分の慣れの外に身を置くように何か新しいことを始めて、またその状況にも慣れるように取り組む。

千日回峰行という、往復48kmの山を1000回連続で上り下りする修行がある。一度でも失敗したら自殺しなければいけない、大変な修行だ。これをやり遂げた塩沼亮潤大阿闍梨は、苦しい時には「これが自分にとっての日常なのだ」と自分に言い聞かせていたという。これは個人的にはとても納得のいく説明だ。辛いことを日常と思うというのは、すなわち、現在の経験を「慣れ」の枠内に入れてしまうことを意味するから。


このように書いてみても、これがどれくらい伝わるかは分からない。最近つくづく思うのだけれど、人が生きていく上で一番大切な知恵は体験を通じて身に付けるものであって、その体験は意識的に色々なものにチャレンジをしていかないとなかなか巡り合えない。このことを痛感したのは二年前に200kmを走ったときで、あの時の気分はやってみないと多分伝わらないんだと思う。アホみたいに仕事をしたり、全く走ったこともないような距離を走ってみたりしてこそ見えるもの、分かることっていうのは、確かに存在するのだろう。そうして僕達が経験したことをベースにした知恵が、世の中を大なり小なり変えていくのだと思う。




落ちこぼれの努力
IMG_0511.jpgゴールデンウィークに520km走るんだけど、諸々忙しくて全く時間がとれないので、長い距離を走る代わりに、短い距離をなるべく急いで走るようにしてトレーニング時間を圧縮している。こんなので520kmを完走できるかは全く不明。

先日30kmを走ったんだけど、タイムは2時間12分12秒。いままであまりタイムは測ってなかったけど、多分高校生の頃より早くなってる。高校サッカー部時代、補欠だった僕より足が速い人はたくさんいたし、当時はどんなに一生懸命努力しても勝てそうになかった。でも、多分今は同級生の誰よりも長距離は速いと思う。


少し話が変わるけれど、ビジネスの世界とか社会全体で有難いなあと思うのは、こういう黙々とした継続がちゃんと実を結ぶこと。差を生み出す要因において、才能より継続することが占める割合が遥かに大きいので、そもそもの能力が凡庸であっても、とにかく毎日規律をちゃんと立ててやるべきことをきっちりと続けていけば、大抵のことはうまくいし、追いつけないと思う人にも追いつくことができる(もちろんうまくいかないこともあるけれど)。

思い出すのは、ドラゴンボールで、ベジータと闘う前に悟空が言っていた「落ちこぼれだって、必死で努力すりゃエリートを超えることがあるかもよ」という言葉。スポーツとか芸術といった特殊な世界でない限り、これは事実なんだと思う。
未来が変わる働き方
537829_10151412162776382_139643969_n.jpg5年間、Living in Peaceを通じてパートタイムのメンバーだけで(まだまだだけど)事業を運営するにあたって分かったこと、やっていることについてまとめる機会に恵まれた。

「25歳以下に向けたメッセージ」がメインテーマとなっている、ディスカヴァー21のU25シリーズの5冊目。前に一緒にイベントをした家入一真さんも書いている。


未来が変わる働き方 (U25 SURVIVAL MANUAL SERIES)

書いている内容はこういうもの。
・僕自身の話。なんで片方で投資ファンドをしながらもう片方でNPOをするのか
・何かアクションを始める前に考えておかないといけないこと
・自分自身のタイムマネジメントのしかた(時間が無かったら何もできない)
・仲間のつくりかた(報酬なしでもモチベーション高いチームを作るにはどうするか)
・パートタイムならではの組織の仕組み

こういう「自分語り」の本って、「イタい本」になりがちだし、しかも最近は自分語りをすることそのものが嫌いでもあり、色々と書き方は苦労したんだけれど、LIPのメンバーからは「なんか自慢話に聞こえて嫌だ」という声もたくさん。やったことや思っていることを淡々と書いているだけなのにそう言われるので、「だったらお前が書いてみろ」と言いたくなるが、その言葉をぐっと飲み込む(というのは嘘で一回キレました。ごめんなさい)。

いつものように可能な限り透明な文章になるように書いてみたけれど、正直なところ、この本がどう評価されるのか全く分からない。著者がそんなに弱気でどうするんだ、と言われるかもしれないけれど、僕と同じく引きこもりがちな友人経営者も同じようなことを感じているみたいで、少し安心する。

とはいえ、他に本業を持ちながら会社やNPOもしている人や、組織の運営をより効率的なものにしたいと思っている人、今すぐ(半ば現実逃避で)会社を辞めて新しいことをしようとしている人には、多少は役立つかもしれないと思い、本にしました。どんなに罵詈雑言が飛んできてAmzonのレビュー欄が荒れても、この本が誰かの新しいアクションにつながるのなら、それでいいんだと思う。
体罰の合理性について考える
体罰批判がすごいことになっている。一つの問題が起こると、至る所で問題が告発されるという構図はいつも不思議なのだけど、それはさておき、体罰について考えることを少し書いておきたい。

予め言っておくけれど、僕は決して体罰容認派ではない。けれど、無批判に体罰は絶対に悪いことであるとするのは短絡思考なので、ちょっと丁寧に考えたい。


体罰が絶対的に必要とされている組織がある。それは軍隊だ。

軍隊の組織構造は、多分とても理にかなったものになっているはずだ。というのも、命がかかっている人々は、概ね理にかなった行動様式をとると考えるのが妥当だからだ。

その軍隊で、体罰は当面のところ無くなりそうにない。それはなぜなのだろう。

一つの説明としてあげられるのが、ソマティック・マーカー仮説だ。アントニオ・ダマシオによって提起されたこの仮説においては、体験の積み重ねに基づく無意識のうちの自動選別機能(ソマティック・マーカー)が、人間の判断の精度を上げていると主張する。判断力が体験(インプット)の多さに根付くというのは多くの人が共通して指摘していることだが、ダマシオは脳科学の分野からこれを主張した。


ソマティック・マーカー仮説に基づけば、軍隊で体罰があるのは、集団が命を落とす可能性のある行為を行わないことを身体に叩きこむためだ、といえる。

例えば、個人が命令違反をすることで周りの人々の命が危険にさらされることは避ける必要がある。だからこそ、普段から規律を絶対視して、それに対する違反には苛烈な罰を与える。結果として、兵士たちは戦場でも、ほぼ条件反射的に様々な意思決定を規律通りに行えるようになり、それは集団の生存確率を高めるようになる。

確かめた訳でもないけれど、軍隊では、体罰による暴力と部隊の生存確率の上昇分を秤にかけ、結果として体罰が採用されているのだろう。少なくとも、個人的には理にかなった意志決定であるように見える。


さて、話をそれ以外の組織に移してみよう。

仮に生徒への体罰が生徒の将来における意思決定の精度を上げる可能性があるとして、それは許容されるのだろうか。これは疑わしい。大抵の体罰は何らかの規律に基づいてなされるが(僕は子どものころ、忘れ物をしたのでよく先生に殴られた)、その規律を無批判に守ることが本当に生徒のより良い未来につながるか、分からないからだ。

では、事前に体罰の存在を予め掲げている組織(例えば厳しいことで知られているボクシングジム)に、自らの意思で入った場合にはどうか。ここはかなり議論の余地があるだろう。本人はそれを知っていて入ったのだから。もちろん、他に選択肢がない状況、たとえば「ボクシングで強くなりたいのならこのジムに入らざるをえない」というような状況があるかもしれないが。

会社でも同様だ。本田宗一郎は鉄拳制裁で有名だった。それを知りながらホンダに入った人々が本田宗一郎に殴られることは、どう考えるべきなのだろう。


長く続いてきた習慣にはそれなりの存在意義があったはずだし、それを可能な限りきちんと理解してからものを考えないと、発想が短絡的になる。体罰=ダメ、と思考停止するんじゃなくて、ちゃんと考えてから一つ一つ判断したほうが良いのじゃないか。僕は、人の意思決定の精度を上げるためには身体性はとても大切なものだと思っているから、体罰でないにせよ、身体で覚える教育は何らかの形で維持したほうが良いのではないかと思っている。

それがどういうものになるかは分からない。ただ、人間(特に子ども)は間違いを犯す生き物で、間違った行動を正すためには、何らかの不快な思いをすることは避けられないはずだ。

2012年の振り返りと2013年の抱負
ライフネット生命の出口社長の真似で始めた今年の振り返りと来年の抱負、ちょっと早いけど今年も書きました。(去年のはこちら。達成率は6〜7割くらい。。)

来年も頑張ります!


1.本業
今年は2つの大きな案件を担当して、個人的には大きな手ごたえを感じられた1年でした。細かい知識や手続きについては弱いところも多いのですが、投資の始まりから終わりまで、だいたいの進め方は覚えられました。かねてから考えていたことですが、来年は新しいことを始めたいと思っています。またタイミングが来たら、ブログでも報告したいと思います。

今年は職場で次の4つを達成したいと考えています。
—ファンドスキームの実務についての知識をつける
—細部の詰めに妥協せずに、全てのドラフトの仕事を最終版のつもりで作る
—図解の能力を上げる


2.Living in Peaceのこと
NPO法人Living in Peace(LIP)を始めて5年になりました。今年のトピックは3つです。

・認定NPOの資格を取得し、今後LIPに寄付されるお金は全額控除ができるようになりました。

・途上国の中小のマイクロファイナンス機関に投資をするファンドは合計5件を企画し、これまでに1億円以上が投資されています。

・国内の児童養護施設向けの寄付プログラム、「チャンスメーカー」には 毎月60万円弱(去年の倍)が集まるようになりました。 お陰さまで、支援先の筑波の児童養護施設の新築が決まり、子どもたちは来年の末から新しい施設で暮らすことができるようになります。子どもたちも喜んでいます。


来年は6年目になりますが、目標は3つです。
—理事会を強化してガバナンスを強めること
—途上国での活動で今までと違う新しいことをやること
—より多くの寄付を集められるモデルをつくること


3. 学んだこと
今年は執筆と関連してイノベーション関係の文献を200以上読みました。結果として気づいたことは、デザイン思考・アブダクション・暗黙知・弁証法・ストーリーとしての思考法、など、様々な名前で呼ばれているイノベーションの手法というのは、基本的に同じことを指しているということでした。

それ以外にも、Google Scholarの引用数トップ100の本を上から片っ端に読みました。毎週1冊読むつもりでしたが、後半に執筆の締切があり失速してしまいました。読んだ本(全て英語)は34冊で、全てにつきレビューを英語ブログに書いています。http://taejunomics.blogspot.jp/

今年読んだ本で最も興味深かったものをいくつか挙げると、「沈黙(遠藤周作)」「貧乏人の経済学(バナジー&デュフロ)」「世界の経営学者はいま何を考えているのか(入山章栄)」「科学と方法(ポアンカレ)」「Tacit Dimension(ポランニー)」「Making Democracy Work(パットナム)」「Mind in Society(ヴィゴツキー)」「The Logic of Scientific Discovery(ポッパー)」でした。

今年はスイスでのSt. Gallen Symposium、中国でのサマーダボスなどにも参加できたのですが、こういった国際会議に出ている同年代の起業家たちから多くの刺激を受けました。世界中で同年代のひとたちがとても面白いことをしていて、自分には何ができるかと考えることが多かったです。英語をもっと出来るようになろうと改めて思いました。毎週日曜日の朝からEconomistを読んで英語で議論する会も続けています。


来年の目標は次の通りです。
—英語のボキャブラリーを2000増やし、英語ブログを100本以上書き、表現の幅を拡げる
—また、本業・執筆に関連して、ガバナンス・ファイナンス・経済学の本・論文を100冊以上読む


4.執筆活動
今年は7月に「ソーシャルファイナンス革命」が出版されました。人間関係と金融とのつながりについて書いた、とてもニッチな分野の本ですが、類書が無いものを書けて良かったと思っています。

今年は他にも執筆をしており、来年出版されると思います。一冊はパートタイムでのアクションに関する本で、2月頃に出版されます。もう一冊はイノベーションに関する(といっても、課題解決の延長としてのイノベーション)本です。もう一冊は暗黙知に関する本です。この二冊は、来年のGW前には出版されていると思います。

来年は、資産価格評価や企業統治の専門的な内容の本を書きたいと思っています。本を書くことで、本業・大学院でこれまで学んだ知識を改めて整理しつつ深堀りしていこうと思います。



5.スポーツ・趣味
今年のレースは、スケジュール調整その他で、佐渡の長距離トライアスロン(3.8km泳ぎ、190km自転車、42.2km走り)と、会津の100kmマラソンにのみ参加しました。トライアスロンでは自転車が故障し、会津では足を負傷するというハプニングがありましたが、どちらも無事に完走しました。

最近、通勤のほとんどはランニングです。10kgの荷物を担いで、片道10kmの道を走っています。通勤電車に乗らないで済むのでとても快適です。

来年のGWには、知り合いと一緒に川の道フットレースに参加します。東京→長野→新潟と520kmを走ります。


今年もライブは一回行いましたし、大好きなフジロックに行くこともできました。ライブでは主に東京事変の曲をやりましたが、ちょっと練習不足でした。来年はちゃんと練習して、もっと良い演奏ができるようにします。それと、フジロックには行けるように予定調整を頑張りたいと思います。


以上です。

30代は勝負しようと決めていました。いよいよこれからですが、全力で楽しもうと思います!


2012年12月23日

慎 泰俊 拝

デザインの構造化
デザインは急速に構造化されてきている。良いデザイン・悪いデザインが、色々なフレームワークにはめられ、「このデザインがなぜ良いのか」が言葉で説明されるようになってきた。こういった構造化は、異なる見解を持つ人々とのコミュニケーションを可能にするだろう。

でも、それだけでは多分終わらない。

言語の獲得によって、人は物事を説明する能力を高めただけでなく、創造力も高めたのだと思う。その理由は、言語は記憶と概念の結合を助けたからだろう。それと同じことが、デザインの構造化にも起こるのかもしれない。

(でも、なんとなく直感的にそううまくはいかない気もしている。それはなぜなんだろう)
Because I am a Girl
BecauseIamaGirl.jpgBecause I am a Girl――わたしは女の子だから

多くの途上国で、女の子たちは、様々な暴力の対象となっている。幼いうちに恋愛も知らずに結婚させられたり、知らぬ間に親に売られて売春婦にさせられたり、内戦のある国で性奴隷にさせられたり。更に、男尊女卑が強かったり、女性の社会進出が弱い国ではいいくつかの国では、女の子は生まれた時点で殺されることも少なくない。例えば中国社会科学院によると、中国で2000年から2004年の間に生まれた子どものうち、男女比率は1.24対1.00だといわれている。

こういった、女の子たちを取り巻く状況はあまり知られないことが多い。児童養護施設の状況もそうだが、その状況を知らせると大人が恥ずかしくなるような事実は、なかなか世間に知られにくい。正直、ぼく自身も、男性である自分が女性に対する暴力について書くことについて、どことなく居心地の悪さを感じているのは事実。そういった積み重ねが、声が届かない現実につながっているのではないかと思う。


この本は、そういった「知られないこと」を打破するための一つの方法を提示してくれる。それは、有名な作家らが途上国の女の子の現状を見知り、そこで感じたことをエッセイにしてアンソロジーにまとめること。現実にあることを多少フィクションにもしながら、実際の被害者らへの配慮もしつつ、筆力を通じて、届かなかった声を多くの人々に届け、現実と同じようにリアルな物語を届けることができる。僕たちは、このエッセイに登場する女の子たちの運命を感じながら、自分たちが何をするべきか深く考えさせられる。

日本での翻訳者は、同じく通奏低音に女性に対する暴力がある「八日目の蝉」の著者である角田光代さん。出版社は、人や物語や知識を「出版(=版を出す)」するのではなく、「パブリック(公)」にすることがパブリッシャーの役割であると考える英治出版。印税と売上の一部は、国際NGOプランに寄付されます。

中学生でも読める内容なので、学校に一冊ずつ置かれたらいいのになあ、と思う一冊。
養子のCEO
ヨーロッパやアジアにおいて家族経営の会社が多い。その中でも、日本の家族経営企業のパフォーマンスは他国と比べても高い。家族経営の会社は三代目でおかしくなるというのは半ば定説化しているが、いったいこの会社には何が起こっているのだろう。

今週のEconomistに面白い記事があった。その記事は、日本の家族経営企業の高パフォーマンスは、この国の「大人の養子縁組」という習慣にあると主張している。日本の養子縁組は他国よりも多く、去年なされた81,000件の養子縁組のうち、大人の養子縁組は90%にのぼる。子どもでなく、大人を養子(多くの場合婿養子)に迎え入れて、その「養子」が家族経営企業の会社の社長となっていくというわけだ。場合によっては、この養子が、血族の人々を押しのけて経営者になる場合もある。

最初は「なんだそのトンデモは」と思っていたものの、よくよく考えると、3つくらいの意味合いにおいて、確かにこの養子縁組を通じたCEO(養子CEOと呼ぼう)仕組みは機能するのかもしれない。

第一に、この仕組みは非常に強いコミットメントメカニズムとして機能している。通常であれば、CEOをはじめとした企業経営者に対して付与するインセンティブはストック・オプションなどがメインだが、養子CEOにはそれを遥かに上回るコミットメントが課される。失敗したら逃げ場がないのだ(もちろん離婚をして逃げるというのはあるのだろうけれど)。

第二に、家族経営企業の側からすれば、養子縁組という名の下に、かなりの長期間に亘って新しいCEOを探し続けられるようになる。本業でもいつも実感するけど、正しいCEOを探すことはつねに難問だ。養子縁組の仕組みは、そういった難題の解決に貢献できている可能性がある。

最後に、婿養子CEOは(これは外から迎えるCEOにおいては常にそうだが)、既存の枠組みに囚われない外部者であり、組織に新しいDNAをもたらしてくれる。研究によると、外部から迎え入れられたCEOは、企業が改革を必要としている場合には相対的に良いパフォーマンスを出すことが知られている。(記事)

マスオさんCEO、意外とイケるのかも。

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