Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
あなたの中のリーダーへ
「国をつくるという仕事」は本当に好きな一冊。あまりにも好きだったので、音読して録音してずっと聞いていた。著者である西水美恵子さんの真似をして、マイクロファイナンス機関の調査にいくときは、いつもマイクロファイナンスの借手のお宅にホームステイさせて頂くようになった。

あなたの中のリーダーへ」は、西水さんの新刊。『電気新聞』のコラム欄「時評ウエーブ」での連載をまとめたもの。献本頂いて、読んで1ページでその世界に入り込むことができる、不思議な力のある一冊。

「国をつくるという仕事」では、書いている内容の多くは西水さんが仕事を通じて知ることになったリーダーたちに割かれていた。西水さん自身が当時取り組んでいた世銀改革の話は、雷龍王四世との会話の中でほんの少しとりあげられただけだった。本書は一転して、主に西水さん自身が取り組んできたことに焦点があてられている。

いくつか特に興味深いエピソードがあるので紹介したい。一つは世銀の人員削減における議論に関するものだった。「これから人の一生を変える決断に入る。その前に、案じることを率直に話しあおう」といって、3ヶ月以内に人員の2割を削減するためにどのような原則を作ったのか、というくだりは、自分の本業と関連してもたくさん考えさせられるものだった(創業者ほどでなくても、人員削減関連の話はかなり胃が痛くなるものだ)。

もう一つは、現在お住まいの英国領バージン諸島でのお話。本書では、この小さな島国の数字以上の豊かさとたくましさ、美しさが豊かな筆致で鮮やかに描かれている。前に一週間ほど滞在した壱岐島を思い出した。う

最後の一つは、アイデンティティに関するもの。言葉と国籍に関する思いが綴られている。スーパーシチズンと本書で呼ばれている、様々な生活上の便宜から住まう場所を変える人々の話があった。日本国籍を持っていないにもかかわらず、育った土地を離れることに強い抵抗を感じる僕からすると、何かしっくりしないところが胸に残った。僕はまだアースノイドで、スペースノイド
になるのは大変そうだ。


一つだけ贅沢を言うと、次の本は、書き下ろしで書いていただけたらと思う。本書は連載をまとめたもので、いくらテーマごとにうまくまとめたとしても、どうしても内容に重複があり、ところどころ既視感が出てきてしまう。一日一テーマずつ読むのなら良いが、多くの人は通しで本を読むのであり、読み進めているうちに「あれ、これ30ページくらい前に書いてなかったっけ」といったことが多くあると、本書の素晴らしい世界に入り込みにくくなる。

とはいえ、本書は前作と変わらず素晴らしい一冊。特に女性のリーダーたちには一読してほしい。
正しい文章の書き方
正しい文章について考えていることを書いてみたので、こちらにも転載。
とはいえ、大した新規性はない。

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I.なぜ正しい文章を書く必要があるのか
これにはいくつかの理由があります。
 第一に、正しく物事を伝えるためです。特に、仕事上の重要な文章では、正しく物事を伝えることの重要性は高いです。ラブレターとかでも多分同様です。
 第二に、自分の思考能力を高めるためです。人間は言語化できる程度においてしか物事を理解することができないといいます。また、人間の言語能力と思考能力の相関は多くの人が説くところです。
 第三に、第二点とも関係しますが文章能力を磨くことによって、人は、世界と自分自身をよりよく理解できるようになります。そして、人間の精神も成長します。


II.どうやったら正しい文章を書けるようになるのか
僕もまだ完全に正しい文章を書ける人間ではないですが、少なくとも文章を書くのが得意な部類に属していると思います。その立場から、経験上感じているいくつかのTipsをお伝えします。

・記者ハンドブックを熟読する
読んだことがない人は、この本のP503〜P521を5回読んでください。普段から手元において、自信がないときはこれを見てください。

・てにをは
基本ではありますが、「てにをは」は何度も見なおして直すようにしましょう。

・単語選びは慎重に
単語は世の中のモノや現象・概念と一対になっています。何かを説明する際に、どのような単語をあてるのかによって、文章の意味は大きく異なってきます。ひとつひとつの単語を用心深く選択しましょう。

・可能な限り短く、かつ曖昧さを避ける
曖昧さが無いのであれば、字数が短いことを優先させます(例外もありますが、これを基本とします)。能動態で動詞が多い文章ほど短く明確になります。また、指示語全般は曖昧さを避けるために必要である場合が多いです。

・主語と述語は一致させる
主語と述語は一致させましょう。分からないときには、全ての修飾語を取っ払い一番短い文にして、その意味が通じるかを見てください。
 悪い例:「A社は1.44%と競合他社の中で最も高い水準となっており」→全ての修飾語を外すと、「A社は高い水準となっており」で意味が通じません。

・接続表現を大切にする
接続表現を丁寧にしましょう。文章のひとつひとつはレゴのブロックのようなもの。それぞれのブロックを、接続表現を通じて論理的につなげることで、初めて文章は意味のあるものになります。文の論理的なつなげ方を読者に任せるのは、そのつなげ方に疑いがない場合に限られるべきです。特に文章の流れを転換する場合には接続表現を外してはならない。また、よく見かけるのが「しかし」と「ただし」の誤用です。接続表現がよく分からない人には「論理トレーニング101題」を強く推薦します。

・So whatに答える
文を書くときには、「だから何?」という質問に答えられるようにしてください。良い文章には読者との対話の精神があります。常に「だから何?」に明示的に答える必要があるとは思いませんが、読者が「だから何?」と思いやすそうな文については、予め答えを書いておきましょう。

・Why soに答える
いわゆる「ロジカルに書く」というものです。いくつかの文章の組み合わせによってもたらされる結論に説得性を持たせて、「なんでそうなの?」という問への答えを見出してください。
 なお、完全にロジカルな文章であっても、場合によっては「Why so?」の疑問は出てきます。それも踏まえて、もし結論が少々難しいものであれば、いくつか補足的な説明を加えてあげたほうが親切です。
「So what?」と「Why so?」に答えられる文章を書きたい人には、バーバラ・ミント「考える技術・書く技術」、照屋華子の「ロジカル・シンキング」をオススメします。

・複雑な文を避ける
よい文章においては、一文が長すぎず、その一文の主張が明確です。複文で分かりにくい場合には、文章を二つ以上に分解しましょう。

・知識をつける
場合によっては、背景知識が希薄だと、良い文章を書けないことがあります。必要に応じて学ぶことにしましょう。
 また、良い文章を書く人は、ほとんどが読書家です。本をたくさん読んで、それらの文章を盗むようにしましょう。

・誰でもできる、日々の練習のみ
結局のところ、これを読んでも、私たちの文章能力は向上しないでしょう。というのも、文章を書くのはトレーニングで、日々の研鑽の賜物だからです。
 ブログを書いたり、仕事で文章を書いたり、私たちは常にモノを書く機会に恵まれています。これら機会を活かし、いつも幾つかのポイントに気をつけながら文章を書くことで、誰でもいつか良い書き手になれる日が来るのだと思います。
 殆ど全てのものについて共通ですが、通常、上達に平坦な大道はありません。そして、その険しい小道をよじ登る労苦を恐れない人々だけが、その輝く頂上にたどりつく幸運にめぐまれるのです。(カール・マルクスのもじり)


以上です。
起業します
今回カンボジアに行ってきて、啓示らしきものを感じていて、「起業をしない理由」とかブログで書いた舌の根の乾かぬうちに、投資ファンドの起業のアイディアを考え中。

3つほど投資テーマがあるのだけれど、そのうちの一つは、村ごと会社化してバリューアップするというもの。新興国の大企業が途上国に入ってきて、現地の人々の生活を激変させているなか、成長の果実がその村人に残るような仕組みがあれば良いと思う。1000人の労働力がいる村であれば、例えば農業なら最新の設備と技法があれば、一人あたり300万円分の価値創造ができるはず。だったら、1000人の労働力がいる村なら、売上30億円の企業になるんじゃないかと考えている。最新鋭の設備は、全てこちらで調達。株主総会は村人総出のお祭り。

これができたら、今度は国内の村でも同じ事ができたらいい。元々の構想にあったNBF(日本買収ファンド)の地に足ついたバージョンになりそうだ。





(時間の都合がつかず、毎年の4月1日ブログのようなものを書けずに非常に残念だ)
4月以降の読書リスト
言及を忘れていた4月以降の読書リスト。毎週日曜日10時から読書会(といっても、内容について英語で議論するだけのゆるいもの。時間は1時間)をしているので、興味のある方はどうぞ。一回だけの参加でもOKです。

登録はこちらから。FB上にページがアップされるので、エントリーしてください。
http://www.facebook.com/groups/236714033071380/

(第1四半期にサボった人たちからどうやって罰金徴収しようか考え中)


2012/Apr 01: M. Olson, ''The Logic of Collective Action"
2012/Apr 08: P. Grice, ''Studies in the Way of Words"
2012/Apr 15: J. Austin, ''How to Do Things with Words"
2012/Apr 22: B. Anderson, ''Imagined Communities"
2012/Apr 29: M. Foucault, ''Discipline & Punish: The Birth of the Prison"
2012/May 06: J. A. Schumpeter, ''Capitalism, Socialism, and Democracy: Third Edition"
2012/May 13: H. Simon, ''The Sciences of the Artificial"
2012/May 20: M. Castelles, ''The Rise of the Network Society"
2012/May 27: M. Rosenberg, ''Society and the Adolescent Self-Image"
2012/Jun 03: N. Chomsky, ''The Minimalist Program "
2012/Jun 10: L. S. Vygotsky, ''Thought and Language "
2012/Jun 17: M. Polanyi, ''The Tacit Dimension "
2012/Jun 24: A. Giddens, ''The Consequences of Modernity "
2012/Jul 01: E. H. Erickson, ''Childhood and Society "
2012/Jul 08: H. Simon, J. March, ''Organizations"
2012/Jul 15: J. A. Schumpeter, ''Theory of Economic Development"
2012/Jul 22: D. Harvey, ''The Condition of Postmodernity"
2012/Jul 29: G. S. Becker, ''A Treatise on the Family"
2012/Aug 05: K. Popper, ''The Logic of Scientific Discovery "
2012/Aug 12: P. Bourdieu, ''Distinction: A Social Critique of the Judgement of Taste"
2012/Aug 19: N. Chomsky, ''Aspects of the Theory of Syntax"
2012/Aug 26: P. Bourdieu, ''Outline of a Theory of Practice "
2012/Sep 02: U. Beck, ''Risk Society: Towards a New Modernity "
2012/Sep 09: P. L.. Berger, ''The Social Construction of Reality: A Treatise in the Sociology of Knowledge "
2012/Sep 16: N. Chomsky, ''Some Concepts and Consequences of the Theory of Government and Binding "
2012/Sep 23: K. Arrow, ''Social Choice and Individual Values, Second edition "
2012/Sep 30: E. Said, ''Orientalism"
2012/Oct 07: G. H. Mead, ''Mind, Self and Society from the Standpoint of a Social Behaviorist"
2012/Oct 14: D. Kahneman, P. Slovic, A. Tversky, ''Judgment under Uncertainty"
2012/Oct 21: J. Butler, ''Gender Trouble: Feminism and the Subversion of Identity "
2012/Oct 28: A. Giddens, ''The Constitution of Society: Outline of the Theory of Structuration "
2012/Nov 04: H. Simon, ''Administrative Behavior, 4th Edition "
2012/Nov 11: E. Goffman, ''Stigma: Notes on the Management of Spoiled Identity "
2012/Nov 18: J. Bowlby, ''Attachment: Second Edition (Attachment and Loss Series, Vol 1)"
2012/Nov 25: G. Bateson, ''Steps to an Ecology of Mind "
2012/Dec 02: J. Fodor, ''The Modularity of Mind "
2012/Dec 09: D. O. Hebb, ''The Organization of Behavior: A Neuropsychological Theory "
2012/Dec 16: J. R. Anderson, ''The Architecture of Cognition"
2012/Dec 23: R. K. Merton, ''On Social Structure and Science "
2012/Dec 30: J. Dewey, ''Experience and Education"
マイクロファイナンスのカラクリ
今は、マイクロファイナンス機関のDue Diligence(DD、投資実行前に行う諸々の精査のこと)をしにカンボジアにきている。もともとカンボジアとベトナムの両方に行く予定だったのに、ベトナムに行けなくなり、カンボジアだけをみることに。

IMGP8211.jpg(泊めて頂いた借手のお宅にて撮影)

今朝まではカンボジアの農村で寝泊まりしながら、現地の人々と一緒に過ごす。どのマイクロファイナンス投資ファンドの人々もこういうことはしないらしいが、現場感を補うためにはこういうことはとても大切だと思って最近はずっとこのスタイル。日中は、マイクロファイナンスの支店でオペレーションを精査。


そして、今日からは本部でマネージャーらを対象としたQAセッション。

オペレーション関連のセッションでのこと。
「このマイクロファイナンス機関では、借手たちによるミーティングを行わないのか?借手ミーティングは、借手のソーシャルキャピタルの強化、効率的なオペレーション、顧客の成長を共に実現できる素晴らしい仕組みなのに行なっていないのは勿体ないのではないか。」

と聞いたところ、バングラデシュでマイクロファイナンスに20年の経験があり、現在この調査対象のマイクロファイナンス機関に技術指導で来ている人がこう答えてくれた。
「それは非常に良い質問だ。私もここに来て半年、全く同じことを考えていた。このマイクロファイナンス機関はぜひ借手ミーティングを導入するべきだ。」

マイクロファイナンスが非常に高い返済率を実現し、マイクロファイナンス機関がとても効率的なオペレーションを行なうにおいて、最も重要なファクターの一つが、この借手ミーティングだ。日本では、顧客ミーティングの存在とそのビジネス上の役割はあまり知られていないのかもしれないので、少し書いておこう。


マイクロクレジットにおいてグループ連帯保証でお金を借りるのは、もうかなり古い話で、世界的にグループローンは減少の流れにある。諸々の理由があるが、グループローンを行うと、元々グループと強い関係の無い人や、経済的に苦しい状況にある人がローンを受けられないことになり、それは適切ではないということが主な理由だ。

しかし、グループローンの建付を放棄すると、二つの課題が生じる。

第一に、ローンの実施前において、借手とマイクロファイナンス機関との間に存在する情報の非対称性を何らかのカタチで克服する必要があるという点だ。この点については、ローンの審査担当者であるローンオフィサーらの訓練によってカバーされることが多い。

第二の課題は、ローンの実施後において、どのようにグループローンを行うのと同じようなグループの規律・協力を顧客の間で創出するかという点だ。そのための道具立てとしてもう20年以上行われているのが、借手ミーティングだ。

色々な形態があるが、この顧客のミーティングは次のような性質を持っている。
・毎週や隔週くらいで開催され、その場で返済が行われる
・借手らは自分たちの仕事や返済の状況についてディスカッションを行う
・場合によっては、マイクロファイナンス機関の職員がファシリテーションをして、ビジネスのディスカッションや社会教育を行う

IMGP6522.jpg(センターミーティングの様子)

イメージは、借手達が集まって行われる自治会のようなものだ。この、一見すると何の変哲もない借手ミーティングに、マイクロファイナンスのオペレーションの鍵がある。

第一に、借手ミーティングの場で返済が行われるため、マイクロファイナンス機関の職員たちは、一人ひとりの借手を訪問せずに一箇所で返済金を回収することができる。これだけで、マイクロファイナンス機関の職員の必要とする時間を大きくセーブしてくれる。

第二に、借手らは自分たちの仕事や返済の状況についてディスカッションを行うが、この毎週のディスカッションが行われることにより、借手の間のソーシャルキャピタルが強くなり、ある借手のビジネスがうまくいかなかった時に、他の借手がこの借手を助けようとするようになる。実際、成功しているマイクロファイナンス機関では、ある借手に問題が生じても、(連帯保証すら負っていない)他の借手らがその借手を助けようとする。

第三に、このミーティングの場所において、ある借手のビジネスにおける成功経験がシェアされることにより、借手たちの間で小さなレベルではあるがビジネスイノベーションが生じる場になっている。同時に、借手に対して社会教育を行うことにより、この場が借手自身の本当の意味の自立を支援する場所としても成立している。


この借手ミーティングの仕組みは、グループローンを放棄したマイクロファイナンス機関が諸々と考えた末に考案したソーシャルイノベーションで、先進国の資金調達の仕組みにおいても(とくにP2Pファイナンスやクラウドファンディング等)、多くのインプリケーションを与えてくれる。
イノベーションにおける教養について
イノベーションはもともと集団的な行為だ。イノベーションは個人の発想のように見えるかもしれないが、大抵の場合それは純粋な個人の発想の産物ではなく、彼・彼女が色々な分野にいる人々の知見に触れることによって生じるものだ。特に、全ての分野において専門分化が進んだ現代においては、共同体に根付いた集合的な実践知が求められている。

このようなCollectiveなイノベーションを起こす人に求められるのは、プロデューサーとしての資質だ。技術者、職人、専門家らをまとめて一つの成果物を創りだすプロジェクトリーダー的な能力が必要とされている。

異なる分野にいる人々の知見をまとめて新しいものを作り出すためには、当然ながら、各分野の専門家の言うことを理解できるだけの知見を持つ必要がある。しかし、各分野の専門分化がかように甚だしい現状において、どのようにしたらそのような「どんな分野の人のいうことであっても、その本質を理解できる能力」を身につけられるだろう。

イノベーション研究の泰斗である野中郁次郎先生は、このような能力を身につけるためにこそ教養が必要であると説く。具体的には、古典、歴史、芸術などに関する知見が必要となる。教養とは多様な知の共通項であり、言うなれば、すべての学問分野の根っこのようなものだ。それがあってこそ、様々な専門家らの言うことを理解できるようになる。

野中先生のこの一言を聞いた時に、我が意を得たりと思った。18歳の頃から何となく直感的に続けてきたことに、今になって意味を見出すことはうれしいことだ。これからも、黙々と古典を読み、色々な芸術に触れ、人の歴史を読み沈思黙考していこうと思う。
コーディネート力
事の始まりは、今の勤め先の面接に遡る。

僕:「モデル作りなら誰にも負けないと思います。」
相手:(ため息をついて)「そういう、エクセル早いですとかって、この仕事じゃあまり重要じゃないんだよね。全体のコーディネートをどうやってするかが大切なの。」

仕事を始めるようになって、この言葉を思い知るようになる。


今の仕事を通じて知った、実務上の一番大切な能力の一つは、全体のコーディネート力、とでもいうようなもの。PE(Private Equity)以外のプロフェッショナルファームでは、こういった能力を使う機会は意外と少ないかもしれないので、いまいち伝わりにくい気もするが、ちょっと書いてみる。この能力は、パートタイムでNPOをする上でも、本当に大切な能力だと思う。

PEの投資プロフェッショナル達が一つの案件をするとき、自社チームの人数は5人くらい(会社によっては大量に人を貼り付けるが)。このチームだけで投資先のデューディリジェンス、株主や経営陣とのやりとり・交渉、株式取得に関する諸々の手続き、ファイナンスづけなど大量の作業をすることはリソース的にも、知見的にも不可能だ。

だから、大勢の人々と一緒に仕事をすることになる。具体的には、弁護士、会計士、税理士、戦略コンサル、投資銀行の人々と仕事をすることになる。案件の大きさにもよるけれど、この協働する人々の人数は30人にはなる。しかも、皆それぞれの分野の専門家で、「自分よりはるかに物事をよく知っている人」との仕事になる。

こういった仕事をするためには、自分たちよりもはるかに大勢で、かつ専門性を有している人々と働く能力を身につける必要がある。それがコーディネート力で、必要なタイミングで必要な外部リソースの助けを借りつつ、その支援者がもたらしてくれる知見をしっかりと理解して次に進める能力とでもいえるだろう。コーディネート力を身につけるためには、相手の言うことを理解できるに必要な知識と、全体感を持つことが重要になる。

こういった能力は、自分の本業でもすごく大切な能力なのだけれど、自分がパートタイムで行っているNPOでも必要な能力だとつくづく思う。NPOの中にいる人々だけでできること、出せるアイディア、ソリューションには限りがある。その限界をしっかりと認識して、外部リソースとの連携をうまく活かして、所期の目的を達成するためのコーディネート力を発揮してこそ、最大の成果を出すことができる。
人間の学びに関するメモ
こういったものは、ほとんど英語ブログに寄せているのだけれど、久々に日本語でも書いてみる。人間の学びに関するいくつかのメモだ。


1.人間は追体験によって多くを学ぶ。

人間の学びは、経験と追体験から得られる。もちろん経験が重要なパートを占めるわけだが、人間の学びの多くは追体験から得られる。ここでの追体験というのは比較的広い意味で用いられていて、物語を聞かせてもらうことから始まり、自動車の運転まで様々だ。

人間の学習が経験だけに依らない一つの理由は、経験だけで学ぶことのコストが時に非常に高いからだ。例えば、飛行機の運転を経験だけで学ぼうとしたら、習熟するまでに事故死してしまう可能性が高い。

ナポレオンは歴史を非常に熱心に学んでいた。そのため、彼は指揮官として戦場に立ったとき、ほとんどの状況をパターン認識して的確な指示をだすことができたという。これも一つの追体験を通じた学びの効果を示す事例だろう。


2.人間の学習にはサイクルがあり、それは動機と認識能力(言語能力)に依存する。

学びのサイクルをモデル化すると、それは、情報を受け入れ、覚え、実施し、モチベートされるプロセスから成ると考えられている。抽象化されたモデルを通じた学びはイノベーションのドライバーでもある。

特に動機づけのパートが、このプロセスの回転率を高め、学びを早める要因 になるが、動機づけには三種類がある。経験から得られるもの、追体験から得られるもの、自分自身から得られるもの。最初の二つは外的要因によるものだが、最後の一つは個人が自分に対して設定する基準に依存している。その基準の水準は、親が高い規律を自らに課し、それを重視し、甘やかさず、他人との過度の比較を行わない場合に高くなる。すなわち、簡単に自己満足せず、前に前進し続ける人を育てたければ、親がそういう人間になるしかないというわけだ。

また、このプロセスは人間の認識能力に依存しており、その認識能力は言語に大きく依存する。言語なしには、情報を取得し、再構築し、また評価することは難しい。全ての経験や追体験から得られた情報は、認識能力が無いとすべて通り過ぎてしまう。


3.人間の成長は、本人と外的環境の相互作用によって決定される。

人間の学習は外的環境によって完全に決まるものではない。人間の行動そのものが外的環境を変えうるものであり、相互決定主義が人間の成長における外的環境の影響を記述するのに最も妥当であると考えられている。人間は環境の完全な奴隷ではなく、それそのものを能動的に変えていく可能性に対して開かれている。


Reference:
Albert Bandura,"Social Learning Theory, Prentice Hall; 1st edition (1976/11/1)
数え方
今日は泳いだのだけど、その途中でふと気付いたことがあった。往復回数の数え方だ。

例えば、片道50mのプールで3キロ泳ごうとしたら、プールを30往復することになる。ただ泳いでいると自分がどれだけ泳いだのかを忘れてしまうので、今何キロ泳いだのかを、往復回数で数えることになる。

このとき、どうやって往復回数を数えるだろうか。二つの数え方がある。一つは、1、2、3と泳いだ分を数える方法、もう一つは30、29、28と、残り泳ぐべき分を数える方法だ。

この数え方一つに、根本的なものの見方考え方の違いがあるかもしれない。泳いだ分を数える方法では、視点は過去にこれまでやってきたことにある。終わった時には、この例なら、30回という数が残って終わる。多少の達成感もあるのかもしれない。

一方で、残っている往復回数を数える方法においては、視点は未来にある。達成するべきものだけが目の前に見えていて、達成されたときに、回数はゼロになる。少し大袈裟かもしれないが、修行を終えたお坊さんが、全てを終えた後の心が空であると表現するのに似ている。

残念ながら、僕のこれまでの数え方は前者だった。そこには、もちろん未来を向いてはいるものの、若干ながら過去に達成したものに目を向けてしまう自分の傾向が見て取れた。

これは、単に泳ぎにおける回数の数え方という問題に限定することは出来ない。日頃の何気ない所作の中にこそ、その人の本質があるという考え方に立てば、これは無視できない傾向だ。似たような問題としては、無くなってしまったものを数えるのか、残っているものを数えるのか、というものもあると思う。

心のあり方と行動は相互に影響しあうので、まずは、ものの数え方から変えてみようと思う。
相互理解について
人は他人を完全に理解することはできない。それは、僕達が使っている言葉や言葉遣いがあまりに多義的だからだ。

例えば、僕達が「ほら、あれだよ」というときに、その言葉が差す対象と、「あれ」という言葉の間にはどうしようもない曖昧さが生じている。言葉遣いも多義的だ。太陽は東から昇る、というが、これは本当の意味的には正しくない使い方だ。本当は、地球が太陽の周りを回っていて、太陽が東から昇っているように見えるだけだ。ただ、便宜的な理由もあり、さまざまな言葉遣いが多義的な用いられかたをされている。

このように、人間のコミュニケーションは、不十分な言語を使って行わざるをえない。だから、人が他人を完全に理解することはできない。


ここで「他人を完全に理解できない」としたのは、他人を100%理解することはできないという意味であって、努力によって理解を例えば90%にまで出来る可能性はあるのだろう。ただし、よりよい相互理解を可能にするためには、より多くの時間を過ごし、同じ文脈を得られるような努力が必要で、それは多くの人とできるようなものではない。特に、経験が違う人々の間では、理解が深まる可能性はかなり低く、話しても理解してもらえない、ということは往々にしてある。このように、言葉の限界上、相互理解は構造的に難しい(特に経験が異なる場合には)ということは貴重なインプリケーションの一つのように思う。

もう一つ、発想の転換的なインプリケーションもある。それは、人は他人から完全に理解されなくても生きてきたし、生きていけるということだ。僕達はよく、「誰かから理解されたい」、とか「何で理解してもらえないのか」と気を揉む。もちろん、誰かからある程度理解されるのはうれしいことかもしれないけれど、それに多くを費やすには人生は短すぎるので、近くにいる大切な人とは相互理解の努力をしつつ、あとは自分の内なる声に従ってやろうと思うことを行うのが良いように思う。
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