Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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福島原発事故と日本の組織構造
薦められて、船橋洋一さんの「カウントダウン・メルトダウン」を読んだのだけれど、相当に読み応えがある一冊だった。思う所が多かったので、感想をまとめておきたい。

数百にも及ぶインタビューと膨大な資料の読み込みを経て作成された本書では、東日本大震災直後に福島原子力発電所の問題にあたった関係者らの行動と思考が重奏的に綴られている。分かりやすい結論・ストーリーにはめ込むのではなく、あったことをそのままに語りつつ、事態の全容を描き出しているその筆力には脱帽の一言(いつか、自分もこんなものを書けたらよいなと思う)。福島原発事故とは何だったのか、ということを考えてみたい人には、是非に一読をすすめたい。


本書を読みながら思い出したのは野中郁次郎教授らの「失敗の本質」だった。優秀な現場と無能な司令官、タコツボ化した組織における情報共有システムの機能不全(仕事柄、こういう組織のことを「神経系が通っていない」と表現する)という構造は、旧日本軍の時代からほとんど変わっていない。本書に登場する複数の関係者らも、同様の内容のコメントをしている。福島原発事故は、敗戦と同様に、(悪い意味での)日本的組織運営の帰結だというわけだ。

個人的な見解だが、こういった組織の仕組みは風土レベル(生活習慣や言語レベル)で根付いているもので、そう簡単には変わらない。敗戦によってでさえも日本の組織構造の本質的な問題点は変わらなかったのだから、今回の事故によってもそれは変わらないのだろう。本来であれば、株式市場による規律が組織構造変革の呼び水になるのだが、日本では株主によるガバナンスはなかなかききにくい。そういった状況下でも変革に成功している少数派の企業の特徴は、強力なリーダーシップの存在にあるが、これは再現性がない。

「こういった旧態依然とした企業が自然に淘汰されるのを待てば良いのではないか」、というのは気楽だが、そうなってからでは遅い。手術と同じで、変革は元気の残っているうちにやらないと手遅れになることが多い。どうすれば状況を打開できるのか、鬱々と考えている。
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日本人ぽくなくても
ある程度の時間を共にした人とは、よく国籍がらみの話になる。今はないけれど、少し昔だったら、在日コリアンであるだけで財閥系の会社には入ることすら出来なかったと聞く。そういうこともあってか、僕の親の世代(50~60代)で事業を興してすごい実績をあげている人は、海外に留学し、その後起業したり、現地の外資系企業に就職したりする場合がとても多い。

こういう親の世代の受けた苦労の話をしていると、よく出てくる意見に「そんな、殆ど日本人みたいなものなのに、そういう差別があるのは間違っている」というのがある。

これを言われるとなんとなく釈然としない自分がいた。ちょっと考えてみたら、その理由が少しわかるようになった。

上の言葉は、少し単純化すると、多分こうなる:

Aさんは、日本人のように見える。ならば、Aさんが差別されるのはおかしい。


これについて対偶をとっても、その文意は全く論理的に同値だ。対偶をとるとこうなる:

Aさんが差別をされるのはおかしくない。ならば、Aさんは日本人のように見えない。


国籍の違いによる合理的な区別等は別にあってしかるべきだし、それは否定しない。ただ、上で述べられている差別が、何らかの基本的人権に関わるものとして話されるのだったら、上の言説には誤りがあると僕は思う。人権の享受主体について、基本的には何らかの限定的な断りはあってはならないはずだ。外見が日本人ぽくても、マサイ人ぽくても、サイヤ人ぽくても、合理的な区別以上の差別はあるべきでない。

別に、これを書いて誰かを断罪するつもりがあるわけではない。社会の中に異質な他者が存在することをあまり意識しない状況で生活をしていたら、なかなか見えてこない問題はある。それに、フェアであるために言っておくと、コリアンは南北ともにかなり多民族に対して排他的だ。在日の人間は、北に行っても南に行っても、半日本人と言われ嫌な思いをする場合が多いと聞く。

もちろん、決してその状態がよいと思っているわけではなくて、改善されてくれたらと強く願う。自分が何を出来るかと考えたときに得られる結論は、とても月並みなのだけれど、自分が人間として立派な人間になること。差別はシステムの問題だけど、それをバックアップするのは個々人の感情や認識だ。他者に対する反感や否定的な認識は、時に既存のシステムによって捏造される場合もある。そんな状況で、個人の生涯がその人の属する集団に対する認識をどこまで変えられるのか、分からないこともある。だとしても、まずは目の前のできることから着手するというのが、人生に対する真摯な姿勢のはずだ。


高校無償化と朝鮮学校
朝鮮学校の高校無償化外しについて、個人的なまとめをかねて書いておきます。

人間にバイアスはつきものですが、可能な限りそれを廃し、ファクトだけで詰めているつもりです。朝鮮問題について、事実と普遍性を基に信じることを書くと、ある時は同じ境遇の人から裏切り者といわれ、ある時は逆の立場の人からスパイと非難されることがあります。正直言ってしんどいし、黙っていた方が楽なのですが、僕は自分の信ずることをいつも話せるようにしたいと思っています。尊敬するサイードが終生そうだったように。


経緯
新政権発足後、外国人学校も含め高校無償化する方向で調整がされ、予算の試算もされていた。その後、拉致問題担当相が朝鮮学校を外すことを文科相に要請される。そして、鳩山首相も除外する方向で考えている、と報道される。その後、各種メディア、政党の間で諸説起こる。


拉致問題との関係
拉致問題の未解決を論拠にした場合はまた違うことになりますが、関係はないと首相らが話しているので、ここでは考慮しないことにします。


教育内容を確認出来ないから助成から外すべきか
教科書や教師の授業プランを開示したり、公開授業である程度は分かるのではないかと思います。



そもそも外国人学校を入れるのは憲法違反では
国に対し、助成を受けている者としての説明責任を果たすのであれば、憲法違反とは言えないのではないかと理解しています。最近ネットで見かけた議論を踏まえて書きます。 長くなるので、順を追っていきます。


1.条約と憲法では憲法が優先する

まず、日本は民族的マイノリティが自らの文化を継承する権利が否定されないことを、自由権規約(第27条)や子どもの権利条約(第30条)を批准しています。これを根拠にしている議論が結構あるようですが、条約と憲法がある場合、日本では憲法が優先するという説が受け入れられています。(安全保障や、降伏などについてはまた別の議論あり) よって、条約の批准は努力規定にこそなれ、強制力は持っていないと理解するべきだと考えます。


2.憲法に定める権利規定の主語が「国民」であっても外国人は権利主体に含まれる、というのが通説

憲法14条は法の下の平等、26条は教育を受ける権利を説いていますが、この主語は「すべて国民は」です。国民とは何か、というと、日本人の全体として捉える全国民主体説と、有権者の総体説があります。どちらにせよ、外国人は含まれていません。

ただ、上記は単に国民とは何か、という議論で、権利主体に外国人が含まれるかという点については別の議論があります。

外国人を憲法第三章の権利主体として認めるべきか、という論点については、従来は否定説が有力だったものの、現在は判例・通説ともに肯定説となっています。これは、権利の性質上明らかに日本国民にのみ適用されるべきものを除き、外国人に対しても日本国民と同等の権利を認める、というものです。 

ちなみに、憲法制定過程で使われていたのは英語で、英語版憲法において権利の主体として使われている単語はPeopleです。


3.助成が行われた場合、政府に対し一定の義務を負う。それは企業が債権者に負うものに似ている

ネットで出回っている議論が、この助成活動は89条に違反する、というものです。

憲法89条にはこうあります。「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」 その趣旨は、政教分離、教育等の私的事業の自主性の確保、公費濫用防止などが考えられています。

僕の調べたところによると、私学への助成は憲法89条違反とはならないようです。89条にある「公の支配」についての多数説は、憲法14条、23条、25条、26条などを総合的にみて公の支配がなされているか考える必要がある、というものです。私立学校への助成については、私立学校振興助成法などの監督の程度で公の支配の要件を満たしているため合憲と解釈されています。

この私立学校振興助成法に明記されている所轄庁の権限は次のようなものです。
・会計の調査権限
・過剰入学についての是正命令
・予算が助成の目的に対して不適当な場合の是正命令
・役員が法令の規定に基づく所轄庁の処分・寄附行為に違反した場合の、役員解職勧告

これらは当然のことで、公費が投入された場合に、それがちゃんと使われているのかを監督する、というものです。なので、もし政府が外国人学校に対して助成をすると一旦決めるのであれば、それはそれでアリなのではないかと思います。

判断の是非は有権者が決めることだと思います。憲法14条や26条にあるのは、「権利を否定されない」というものであって、学ぶ権利を積極的に支援する根拠になるかどうかは、僕は分かりません。



朝鮮学校ってどんなところ?
このあたりはほとんど分からない人がいると思うので、気楽に質問ください。可能な限り答えます。



この手のことを書くといつも、匿名性ゆえの残念なコメントがくるので、自分の本名とメールアドレスを記入の上でコメント・質問してください。見落としている点についての指摘も歓迎します。


主な参考文献
・辻村みよ子、憲法、日本評論社
・野中俊彦ほか、憲法、有斐閣

Ownership
 経験は人間を進歩させうるものですが、常に偉大な経験が偉大な人間を作るわけではないのだと思います。 第二次大戦中を生き抜いた人が、皆素晴らしい人ばかりではないように。

 その一方で、普通の経験の積み重ねでものすごい境地に至る人もいます。

 最も大切なのは、経験から何をくみ取るのか、という点に尽きるのだと思います。 そのくみ取る力をつけるために重要なことの一つは、自分の周りの出来事を、自分のこととして考えることに思えてきます。 人間、自分のことととして考えると、アンテナの感度や記憶への刺さり方などが全然違うんですよね。
 自分の周りの人を見ていても、周囲の出来事を他人事で考える人と自分事で考える人とでは、その成長度合が全然違うことに驚かされます。

 川本裕子さんに教えてもらった事の一つは、経営者の立場になって考えようとすること。これは、自分事として考える最高のトレーニングの一つなのだと思います。

(英語だとOwnershipが一番適切な単語なのですが、これは日本語にするとどれが一番適切なんですかね。 やっぱり、「自分事」なのでしょうか。)


 最後に、しかし結構重要なことは、自分事にした方が、万事楽しいということです。一度きりの自分の人生なのだから、出来る限り、自分事で、楽しんでいきたいものです。


Strength Finder
鳥のひもさんのおかげで、このテストをさせていただきました。感謝。

http://sf1.strengthsfinder.com/

自分の強みがわかるものらしいのですが、眠い中いくつか解答に失敗したり、回答をすっぽかしたりしたからか、なんか変なものがありました。

収集なんて、自分の人生で一度としてやったことはないのですが・・・
まあ、合っているかどうかは、周りの人の評価を待つことにしましょう。


なんにせよ、貴重な機会をくださった鳥のひもさんに感謝です。


結果を掲載します。


着想

あなたは着想に魅力を感じます。では、着想とは何でしょうか? 着想とは、ほとんどの出来事を最もうまく説明できる考え方です。あなたは複雑に見える表面の下に、なぜ物事はそうなっているかを説明する、的確で簡潔な考え方を発見すると嬉しくなります。着想とは結びつきです。あなたのような考え方を持つ人は、いつも結びつきを探しています。見た目には共通点のない現象が、何となく繋がりがありそうだと、あなたは好奇心をかき立てられるのです。着想とは、皆がなかなか解決できずにいる日常的な問題に対して、新しい見方をすることです。あなたは誰でも知っている世の中の事柄を取り上げ、それをひっくり返すことに非常に喜びを感じます。それによって人々は、その事柄を、変わっているけれど意外な角度から眺めることができます。あなたはこのような着想すべてが大好きです。なぜなら、それらは深い意味があるからです。なぜなら、それらは目新しいからです。それらは明瞭であり、逆説的であり、奇抜だからです。これらすべての理由で、あなたは新しい着想が生まれるたびに、エネルギーが電流のように走ります。他の人たちはあなたのことを、創造的とか独創的とか、あるいは概念的とか、知的とさえ名付けるかもしれません。おそらく、どれもあてはまるかもしれません。どれもあてはまらないかもしれません。確実なのは、着想はあなたにとってスリルがあるということです。そしてほとんど毎日そうであれば、あなたは幸せなのです。

収集心

あなたは知りたがり屋です。あなたは物を収集します。あなたが収集するのは情報――言葉、事実、書籍、引用文――かもしれません。あるいは形のあるもの、例えば切手、野球カード、ぬいぐるみ、包装紙などかもしれません。集めるものが何であれ、あなたはそれに興味を引かれるから集めるのです。そしてあなたのような考え方の人は、いろいろなものに好奇心を覚えるのです。世界は限りなく変化に富んでいて複雑なので、とても刺激的です。もしあなたが読書家だとしたら、それは必ずしもあなたの理論に磨きをかけるためではなく、むしろあなたの蓄積された情報を充実させるためです。もし旅行が好きだとしたら、それは初めて訪れる場所それぞれが、独特な文明の産物や事柄を見せてくれるからです。これらは手に入れた後、保管しておくことができます。なぜそれらは保管する価値があるのでしょうか? 保管する時点では、何時または何故あなたがそれらを必要とするかを正確に言うのは難しい場合が多いでしょう。でも、それがいつか役に立つようになるかどうか誰が知っているでしょう。あらゆる利用の可能性を考えているあなたは、モノを捨てることに不安を感じます。ですから、あなたは物や情報を手に入れ、集め、整理して保管し続けます。それが面白いのです。それがあなたの心を常に生き生きとさせるのです。そしておそらくある日、その中に役に立つものが出てくることでしょう。

学習欲

あなたは学ぶことが大好きです。あなたが最も関心を持つテーマは、あなたの他の資質や経験によって決まりますが、それが何であれ、あなたはいつも学ぶ「プロセス」に心を惹かれます。内容や結果よりもプロセスこそが、あなたにとっては刺激的なのです。あなたは何も知らない状態から能力を備えた状態に、着実で計画的なプロセスを経て移行することで活気づけられます。最初にいくつかの事実に接することでぞくぞくし、早い段階で学んだことを復誦し練習する努力をし、スキルを習得するにつれ自信が強まる――これがあなたの心を惹きつける学習プロセスです。あなたの意欲の高まりは、あなたに社会人学習――外国語、ヨガ、大学院など――への参加を促すようになります。それは、短期プロジェクトへの取組みを依頼されて、短期間で沢山の新しいことを学ぶことが求められ、そしてすぐにまた次の新しいプロジェクトへに取組んでいく必要のあるような、活気に溢れた職場環境の中で力を発揮します。この「学習欲」という資質は、必ずしもあなたがその分野の専門家になろうとしているとか、専門的あるいは学術的な資格に伴う尊敬の念を求めていることを意味するわけではありません。学習の成果は、「学習のプロセス」ほど重要ではないのです。

目標志向

「私はどこに向かっているのか?」とあなたは自問します。毎日、この質問を繰り返します。目標志向という資質のために、あなたは明確な行き先を必要とします。行き先がないと、あなたの生活や仕事はたちまち苛立たしいものになる可能性があります。ですから毎年、毎月、さらに毎週でさえ、あなたは目標を設定します。この目標はあなたの羅針盤となり、優先順位を決定したり、行き先に向かうコースに戻るために必要な修正をする上で、あなたを助けてくれます。あなたの目標志向は素晴らしい力を持っています。何故ならそれはあなたの行動をふるいにかけさせるからです。――すなわち、特定の行動が目標へ近づくために役に立つかどうかを本能的に評価し、役に立たない行動を無視します。そして最終的に、あなたの目標志向はあなたを効率的にさせるのです。当然ながらこの裏返しとして、あなたは遅れや障害や、例えそれがどんなに興味深く見えようとも本筋から外れることにいらいらするようになります。このことは、あなたを集団の一員として非常に貴重な存在にしています。他の人が脇道にそれ始めると、あなたは彼らを本筋へ連れ戻します。あなたの目標志向は、目標に向かって進むために役に立っていないものは重要ではないということを、あらゆる人に気付かせます。そしてもし重要でないなら、それは時間を割く価値がないということです。あなたは、あらゆる人を進路から外れさせません。

戦略性

戦略性という資質によって、あなたはいろいろなものが乱雑にある中から、最終の目的に合った最善の道筋を発見することができます。これは学習できるスキルではありません。これは特異な考え方であり、物事に対する特殊な見方です。他の人には単に複雑さとしか見えない時でも、あなたにはこの資質によってパターンが見えます。これらを意識して、あなたはあらゆる選択肢のシナリオの最後まで想像し、常に「こうなったらどうなる? では、こうなったらどうなる?」と自問します。このような繰り返しによって、先を読むことができるのです。そして、あなたは起こる可能性のある障害の危険性を正確に予測することができます。それぞれの道筋の先にある状況が解かることで、あなたは道筋を選び始めます。行き止まりの道をあなたは切り捨てます。まともに抵抗を受ける道を排除します。混乱に巻き込まれる道を捨て去ります。そして、選ばれた道――すなわちあなたの戦略――にたどり着くまで、あなたは選択と切り捨てを繰り返します。そしてこの戦略を武器として先へ進みます。これが、あなたの戦略性という資質の役割です:問いかけ、選抜し、行動するのです。

年金制度の持続可能性―その2
(前回の続編)

3.年金制度の限界
前回のエントリーを見れば、現状の年金制度がこのままでは持続可能ではないことが見えてくると思います。

5.gif
社会が高齢化するに伴い、福祉関連の支出は高騰することになります。
高齢化に関連した支出のインパクトがどんなに凄まじいかを見せてくれるのがこのグラフです。年金制度が人々に与える負担が金融危機に比べ非常に大きいことが分かります。(もちろん、支出の性質が違うため、こういった比較は限定的な意味しか持ちえませんが)









4.どれも厳しい解決策

また、☆の式を示しましょう。年金のシステムが持続するためには、下の式が長期的に満たされる必要があります。

労働人口にある人が払う年金
  ≧定年退職者が受け取る年金×(定年退職した人口/労働人口)

数式を用いたモデルの威力は、ある問題の解決策をMECE(Mutually Exclusive & Collectively Exhaustive、重複なく、もれなく)に考えられることです。上の式を見ながら、考えるようにしましょう。


解決策1:労働人口にある人が余裕をもって年金を払えるようにする
 すなわち、社会全体の生産性を上げることにより、働き手が少なくても、非労働者を養っていける社会をつくること。これを実現するためには、金融サービスなど、知識集約的な産業へのシフトが重要になってきます。国際競争により利益率が低下していかざるを得ない製造業が産業の多くを占める場合、これは難しいと思います。
 産業構造を変えるのは容易ではありません。かなり強烈なリーダーシップのもとに長期的な取り組みがされない限り、実現はされないと思います。


解決策2:定年退職者が受け取る年金を減らす
 現在の給付水準を見直し、減らす、ということです。この政策で便益を得るのは若い世代ですが、その数が少ないこと、選挙への関心が相対的に低いこと、などから、政策として通る可能性はかなり低いです。また、現在の年金の給付水準を減らすなんて言い出す勇気のある政党がどこにあるのかも、よくわかりません。


解決策3:定年退職人口を減らす
 定年を引き上げる、もしくは撤廃することにより実現されます。一番妥当な解決策だと個人的には考えています。定年の制度をなくす、もしくは上に引き上げる。現状においても、定年退職した人たちの再雇用の仕組みは生じています。ただし、年功序列システムを維持したままこれを続けると、相対的に生産性が高くない(かもしれない)高齢者が高い賃金を得る可能性があり、これはまた別の問題を惹起します。
 定年制度とは、そもそも、人生の余暇を働かずに過ごすことを趣旨としていると思います。寿命が延びている現在においては、定年となる年齢を引き上げることは、自然なことだと思います。


解決策4:労働人口を増やす
 これには、二つがあります。

 ①移民を積極的に受け入れる
 一番妥当な解決策その2だと思います。ただし、移民を受け入れることにより、特に技術集約的でない労働分野においては、国民と移民との間の競争が激化し、それが反移民感情を煽る可能性があります。これをどのようにすれば抑えられるのか、が、この政策を採用する際のポイントになると思います。

 ②出生率を上げる
 子供を育てるのに非常にお金がかかる社会の仕組みが、少子化問題の一因となっています。国の保障を厚くし、柔軟な雇用制度を充実させることにより、出生率を上げられるかもしれません。しかし、その保障をするためにも、また財源が必要になります。

00.png
 また、そもそも論として、出生率が上がっていくと、長期的には人類が地球に住めなくなる可能性があります。今の先進国に住む人々の生活を60億人が享受することさえ不可能といわれています。 長期的には、出生率が下がり人口が自然減していくことがあるべき流れなのかもしれません。

 
 最後に自分の意見。僕としては、次の3つの組み合わせが、100年単位で考えて、年金のみならず人類の地球での存続を可能にする施策なのだと考えます:
 ・移民の受け入れ(先進国において)
 ・定年の引き上げ
 ・人口の自然減



年金制度の持続可能性―その1
世界の年金制度がこのままでは破たんする、というのはよく言われていることです。先週のThe Economistの特集は、僕たちに厳然たる事実をつきつけます。かなり長いので、2部構成でお送りします。

1.モデル
2.数字から見る少子高齢化
3.年金制度の限界
4.どれも厳しい解決策


1.モデル

ある程度数字が絡む問題について考える場合には、簡単な数式を一つ作ることにより、状況分析の見通しがだいぶ良くなります。そこで、年金問題についても、簡単な式を用いることにします。

ある年の年金システムの収支はこうなるでしょう。

 年金を払う人の数×支払年金額―年金を受ける人の数×給付額

この式からわかるように、年金制度が持続可能かどうかという問いは、ざっくりいうと、定年未満の働く人々が定年退職した人々を養っていけるかどうかという問いでもあります。

これでマイナスが続くようであれば、そのシステムは持続することができません。制度が維持されるためには、当然ながら、

 年金を払う人の数×支払年金額≧年金を受ける人の数×給付額

という式が長期的に満たされる必要があります。
この式を書き換えてみましょう。(年金無給付は大きな問題ですが)年金を受けられない人がいたりすることを捨象すると、働く人が支払わないといけない年金の金額について、以下の式が得られます。

労働人口にある人が払う年金
≧定年退職者が受け取る年金×(定年退職した人口/労働人口) ・・・☆

この式を使って、このエントリーを書き進めることにします。



2.数字から見る少子高齢化

上の☆式のうち、「定年退職した人口/労働人口」が今後どうなるのかを端的に示してくれるグラフはこれです。
01.gif

1950年ごろまで、先進国における60歳以上の人々の割合は12%強にすぎませんでした。それが2010年には20%になり、さらにその後1年あたり約0.5%ずつ増加していくと予測されています。これは、ヒトが長生きするようになり、出生率が下がることの当然の帰結です。

☆式を用いて考えてみましょう。

労働人口にある人が払う年金
≧定年退職者が受け取る年金×(定年退職した人口/労働人口)

他の状況が変わらないのなら、2030年の日本では、働く人々は、0.5人分の年金を負担しなければなりません。



・寿命の延長
02.gif

西暦1000年までは25歳が平均年齢でした。それは産業革命により飛躍的に増大し、20世紀初頭には50歳に、2000年には65歳になりました。2050年には75歳くらいに伸びると予測されています。30年前にStanford大学のJames Fries氏は人類の平均寿命の限界は85歳と予測しましたが、現在においてもおよそそのあたりが平均寿命の天井であると考えられているようです。長寿国では、2050年までに平均寿命が95歳くらいになるのではないか、という予測もあるようです。


・少子化
3.gif

先進国においては戦後少子化が進んでいます。

経済成長と出生率の間には相関があります。これは、人々が裕福になるほど子供が途中で死ぬ確率が下がること、子供を産むことによる経済的負担(機会費用含む)が相対的に高まることなどによると考えられています。










偽善者の誓い?
The Economistの記事によると、ハーバードのMBAを卒業する学生の約半分である400人が、"より善きことに貢献する、誠実をもって行動する"などのという誓いを立てたそうです。

この誓いですが、僕にはヒポクラテスの誓い(Hippocratic Oath、医師がプロフェッショナルとして立てる誓い)ではなく、偽善者の誓い(Hypocrite Oath)に見えてしまいます。というのも、ほんの少し前まで、これらトップMBAの卒業生の多くにとって、ウォールストリートのファンドや投資銀行など、稼ぎのある職業に勤めることが一つの成功とみなされていたからです(これについては、以前に紹介した「不幸な人間の製造工場」を参照)。就職市場の冷え込みを反映している可能性のある、このあまりにも早すぎる変わり身は、あまりにも偽善的で節操のないものに見えてしまいます。


日本でもその兆候が見え隠れするのですが、経済が落ち込んだ時に雨後の筍のように出てくる社会事業ブームには、鼻白む思いを禁じ得ません。もちろん、経済が落ち込んだ時に、本当に心を入れ替える人もいるかもしれませんが、過去を見るに、大多数の人は、景気がまた過熱していくと、昔来た道をまた歩いているような気がしてなりません。


こういうことになる理由のひとつは、自分自身の頭で考えて思想を習得していないからかもしれません。他人の受け売りで、他人の考えで頭を動かし、周囲と同調するだけだから、周りの状況が少し変わっただけで、あっさりと自分の意見を鞍替えしてしまう。自家製のしっかりした軸を持っていれば、誰にも侵されることのない心の平安を得られるのに。



国の品格

北朝鮮は25日午前、「自衛的核抑止力を強化するための措置の一環として、25日に地下核実験を成功裏に実施した」と発表した。国営朝鮮中央通信が伝えた。核実験は06年10月9日以来、2度目。前回と同じ北東部の咸鏡北道(ハムギョンブクト)吉州郡(キルジュグン)豊渓里(プンゲリ)の付近とみられ、日本の気象庁など各国の観測機関が地震を感知した。

 (asahi.com 2009年5月25日20時20分より)


同じ民族の、しかも北に対して非常に友好的な大統領が亡くなったのであれば、一定期間だけでもこういった騒動を起こさない、というのが礼節なのではないでしょうか。「朝鮮は東方礼儀之国である」と主張をするのであれば、控えるのが普通なのではないか、と思います。(そもそも論として僕は核兵器そのものにも否定的なわけですが。)

もちろん、これは僕の個人的な考えで、コモン・センスから外れているかもしれません。それに、政治はリアリズムに則るべき場合が多いのだろうし、僕は裏舞台について知る由もないです。


ブータンという国は、人口でも領土でも経済でも全くの小国にすぎませんが、国の品格(この言葉はあまり好きではないのですが)の高みのために、インドや中国からあたかも大国のように遇されているといいます。別に国レベルの話でなくても、組織でも、会社でも、その品格を高めることは、生き方の問題としてももちろんのこと、戦略としても重要なのではないかと思う今日この頃です。




盧武鉉元大統領の冥福をお祈りします。
心から盧武鉉元大統領の冥福をお祈りします。

Wall Street JournalやNew York Timesなどが紹介するように、盧武鉉元大統領は、韓国で初めて対米服従路線を覆そうとした大統領でした。そのためか、少なくないネットでの言論は、今回の自殺が何らかの形で仕組まれたものなのではないか、という主張を含んでいます。

僕としてはいつも通り、こういう立証不可能な憶測に与するつもりは全くありません。ただし、事実問題として、盧武鉉大統領自身の収賄は最後まで立証されませんでしたし、家族らの収賄総額は、他の軍事政権時代の歴代大統領の数百億円単位のそれに比べると、きわめて微小なものです。(もちろん、金額の大小はさほど大きな問題ではありませんし、クリーンな政治を主張していただけに、たかだか数億円の家族の収賄であっても、そのインパクトが大きいのは事実でしょうけれど) 

僕が盧武鉉さんの立場なら、どんなにもやりきれない思いで毎日を過ごすだろうかと、ついつい考えてしまいます。自分が守ってきたと信じていた正義が、自分が完全にはコントロールできないところから破られ、そして、これまで応援してくれた人々から罵声を浴びるのは、筆舌に尽くし難いつらい経験だと思います。

ただし、程度は違うにせよ、何らかの形で現状を変えようとする人々は、同様の状況に直面する可能性があるのではないでしょうか。

こういう状況で、ウェーバーの職業としての政治の最後にあるように、「デンノッホ(それでもなお)!」と言うのは、並大抵のことではなさそうです。この不撓不屈の姿勢を支えるのは、決して動じない強固な信念なのでしょう。それを持てる人間になりたいといつも強く思いますし、日々の生活はそのための訓練の場なのだと考えています。 それと、どんな状況にあっても決して裏切らない仲間を、指で数えられるだけで十分なので持てたらいいと、いつも願っています。









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