Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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落ちこぼれの努力
IMG_0511.jpgゴールデンウィークに520km走るんだけど、諸々忙しくて全く時間がとれないので、長い距離を走る代わりに、短い距離をなるべく急いで走るようにしてトレーニング時間を圧縮している。こんなので520kmを完走できるかは全く不明。

先日30kmを走ったんだけど、タイムは2時間12分12秒。いままであまりタイムは測ってなかったけど、多分高校生の頃より早くなってる。高校サッカー部時代、補欠だった僕より足が速い人はたくさんいたし、当時はどんなに一生懸命努力しても勝てそうになかった。でも、多分今は同級生の誰よりも長距離は速いと思う。


少し話が変わるけれど、ビジネスの世界とか社会全体で有難いなあと思うのは、こういう黙々とした継続がちゃんと実を結ぶこと。差を生み出す要因において、才能より継続することが占める割合が遥かに大きいので、そもそもの能力が凡庸であっても、とにかく毎日規律をちゃんと立ててやるべきことをきっちりと続けていけば、大抵のことはうまくいし、追いつけないと思う人にも追いつくことができる(もちろんうまくいかないこともあるけれど)。

思い出すのは、ドラゴンボールで、ベジータと闘う前に悟空が言っていた「落ちこぼれだって、必死で努力すりゃエリートを超えることがあるかもよ」という言葉。スポーツとか芸術といった特殊な世界でない限り、これは事実なんだと思う。
未来が変わる働き方
537829_10151412162776382_139643969_n.jpg5年間、Living in Peaceを通じてパートタイムのメンバーだけで(まだまだだけど)事業を運営するにあたって分かったこと、やっていることについてまとめる機会に恵まれた。

「25歳以下に向けたメッセージ」がメインテーマとなっている、ディスカヴァー21のU25シリーズの5冊目。前に一緒にイベントをした家入一真さんも書いている。


未来が変わる働き方 (U25 SURVIVAL MANUAL SERIES)

書いている内容はこういうもの。
・僕自身の話。なんで片方で投資ファンドをしながらもう片方でNPOをするのか
・何かアクションを始める前に考えておかないといけないこと
・自分自身のタイムマネジメントのしかた(時間が無かったら何もできない)
・仲間のつくりかた(報酬なしでもモチベーション高いチームを作るにはどうするか)
・パートタイムならではの組織の仕組み

こういう「自分語り」の本って、「イタい本」になりがちだし、しかも最近は自分語りをすることそのものが嫌いでもあり、色々と書き方は苦労したんだけれど、LIPのメンバーからは「なんか自慢話に聞こえて嫌だ」という声もたくさん。やったことや思っていることを淡々と書いているだけなのにそう言われるので、「だったらお前が書いてみろ」と言いたくなるが、その言葉をぐっと飲み込む(というのは嘘で一回キレました。ごめんなさい)。

いつものように可能な限り透明な文章になるように書いてみたけれど、正直なところ、この本がどう評価されるのか全く分からない。著者がそんなに弱気でどうするんだ、と言われるかもしれないけれど、僕と同じく引きこもりがちな友人経営者も同じようなことを感じているみたいで、少し安心する。

とはいえ、他に本業を持ちながら会社やNPOもしている人や、組織の運営をより効率的なものにしたいと思っている人、今すぐ(半ば現実逃避で)会社を辞めて新しいことをしようとしている人には、多少は役立つかもしれないと思い、本にしました。どんなに罵詈雑言が飛んできてAmzonのレビュー欄が荒れても、この本が誰かの新しいアクションにつながるのなら、それでいいんだと思う。
体罰の合理性について考える
体罰批判がすごいことになっている。一つの問題が起こると、至る所で問題が告発されるという構図はいつも不思議なのだけど、それはさておき、体罰について考えることを少し書いておきたい。

予め言っておくけれど、僕は決して体罰容認派ではない。けれど、無批判に体罰は絶対に悪いことであるとするのは短絡思考なので、ちょっと丁寧に考えたい。


体罰が絶対的に必要とされている組織がある。それは軍隊だ。

軍隊の組織構造は、多分とても理にかなったものになっているはずだ。というのも、命がかかっている人々は、概ね理にかなった行動様式をとると考えるのが妥当だからだ。

その軍隊で、体罰は当面のところ無くなりそうにない。それはなぜなのだろう。

一つの説明としてあげられるのが、ソマティック・マーカー仮説だ。アントニオ・ダマシオによって提起されたこの仮説においては、体験の積み重ねに基づく無意識のうちの自動選別機能(ソマティック・マーカー)が、人間の判断の精度を上げていると主張する。判断力が体験(インプット)の多さに根付くというのは多くの人が共通して指摘していることだが、ダマシオは脳科学の分野からこれを主張した。


ソマティック・マーカー仮説に基づけば、軍隊で体罰があるのは、集団が命を落とす可能性のある行為を行わないことを身体に叩きこむためだ、といえる。

例えば、個人が命令違反をすることで周りの人々の命が危険にさらされることは避ける必要がある。だからこそ、普段から規律を絶対視して、それに対する違反には苛烈な罰を与える。結果として、兵士たちは戦場でも、ほぼ条件反射的に様々な意思決定を規律通りに行えるようになり、それは集団の生存確率を高めるようになる。

確かめた訳でもないけれど、軍隊では、体罰による暴力と部隊の生存確率の上昇分を秤にかけ、結果として体罰が採用されているのだろう。少なくとも、個人的には理にかなった意志決定であるように見える。


さて、話をそれ以外の組織に移してみよう。

仮に生徒への体罰が生徒の将来における意思決定の精度を上げる可能性があるとして、それは許容されるのだろうか。これは疑わしい。大抵の体罰は何らかの規律に基づいてなされるが(僕は子どものころ、忘れ物をしたのでよく先生に殴られた)、その規律を無批判に守ることが本当に生徒のより良い未来につながるか、分からないからだ。

では、事前に体罰の存在を予め掲げている組織(例えば厳しいことで知られているボクシングジム)に、自らの意思で入った場合にはどうか。ここはかなり議論の余地があるだろう。本人はそれを知っていて入ったのだから。もちろん、他に選択肢がない状況、たとえば「ボクシングで強くなりたいのならこのジムに入らざるをえない」というような状況があるかもしれないが。

会社でも同様だ。本田宗一郎は鉄拳制裁で有名だった。それを知りながらホンダに入った人々が本田宗一郎に殴られることは、どう考えるべきなのだろう。


長く続いてきた習慣にはそれなりの存在意義があったはずだし、それを可能な限りきちんと理解してからものを考えないと、発想が短絡的になる。体罰=ダメ、と思考停止するんじゃなくて、ちゃんと考えてから一つ一つ判断したほうが良いのじゃないか。僕は、人の意思決定の精度を上げるためには身体性はとても大切なものだと思っているから、体罰でないにせよ、身体で覚える教育は何らかの形で維持したほうが良いのではないかと思っている。

それがどういうものになるかは分からない。ただ、人間(特に子ども)は間違いを犯す生き物で、間違った行動を正すためには、何らかの不快な思いをすることは避けられないはずだ。

2012年の振り返りと2013年の抱負
ライフネット生命の出口社長の真似で始めた今年の振り返りと来年の抱負、ちょっと早いけど今年も書きました。(去年のはこちら。達成率は6〜7割くらい。。)

来年も頑張ります!


1.本業
今年は2つの大きな案件を担当して、個人的には大きな手ごたえを感じられた1年でした。細かい知識や手続きについては弱いところも多いのですが、投資の始まりから終わりまで、だいたいの進め方は覚えられました。かねてから考えていたことですが、来年は新しいことを始めたいと思っています。またタイミングが来たら、ブログでも報告したいと思います。

今年は職場で次の4つを達成したいと考えています。
—ファンドスキームの実務についての知識をつける
—細部の詰めに妥協せずに、全てのドラフトの仕事を最終版のつもりで作る
—図解の能力を上げる


2.Living in Peaceのこと
NPO法人Living in Peace(LIP)を始めて5年になりました。今年のトピックは3つです。

・認定NPOの資格を取得し、今後LIPに寄付されるお金は全額控除ができるようになりました。

・途上国の中小のマイクロファイナンス機関に投資をするファンドは合計5件を企画し、これまでに1億円以上が投資されています。

・国内の児童養護施設向けの寄付プログラム、「チャンスメーカー」には 毎月60万円弱(去年の倍)が集まるようになりました。 お陰さまで、支援先の筑波の児童養護施設の新築が決まり、子どもたちは来年の末から新しい施設で暮らすことができるようになります。子どもたちも喜んでいます。


来年は6年目になりますが、目標は3つです。
—理事会を強化してガバナンスを強めること
—途上国での活動で今までと違う新しいことをやること
—より多くの寄付を集められるモデルをつくること


3. 学んだこと
今年は執筆と関連してイノベーション関係の文献を200以上読みました。結果として気づいたことは、デザイン思考・アブダクション・暗黙知・弁証法・ストーリーとしての思考法、など、様々な名前で呼ばれているイノベーションの手法というのは、基本的に同じことを指しているということでした。

それ以外にも、Google Scholarの引用数トップ100の本を上から片っ端に読みました。毎週1冊読むつもりでしたが、後半に執筆の締切があり失速してしまいました。読んだ本(全て英語)は34冊で、全てにつきレビューを英語ブログに書いています。http://taejunomics.blogspot.jp/

今年読んだ本で最も興味深かったものをいくつか挙げると、「沈黙(遠藤周作)」「貧乏人の経済学(バナジー&デュフロ)」「世界の経営学者はいま何を考えているのか(入山章栄)」「科学と方法(ポアンカレ)」「Tacit Dimension(ポランニー)」「Making Democracy Work(パットナム)」「Mind in Society(ヴィゴツキー)」「The Logic of Scientific Discovery(ポッパー)」でした。

今年はスイスでのSt. Gallen Symposium、中国でのサマーダボスなどにも参加できたのですが、こういった国際会議に出ている同年代の起業家たちから多くの刺激を受けました。世界中で同年代のひとたちがとても面白いことをしていて、自分には何ができるかと考えることが多かったです。英語をもっと出来るようになろうと改めて思いました。毎週日曜日の朝からEconomistを読んで英語で議論する会も続けています。


来年の目標は次の通りです。
—英語のボキャブラリーを2000増やし、英語ブログを100本以上書き、表現の幅を拡げる
—また、本業・執筆に関連して、ガバナンス・ファイナンス・経済学の本・論文を100冊以上読む


4.執筆活動
今年は7月に「ソーシャルファイナンス革命」が出版されました。人間関係と金融とのつながりについて書いた、とてもニッチな分野の本ですが、類書が無いものを書けて良かったと思っています。

今年は他にも執筆をしており、来年出版されると思います。一冊はパートタイムでのアクションに関する本で、2月頃に出版されます。もう一冊はイノベーションに関する(といっても、課題解決の延長としてのイノベーション)本です。もう一冊は暗黙知に関する本です。この二冊は、来年のGW前には出版されていると思います。

来年は、資産価格評価や企業統治の専門的な内容の本を書きたいと思っています。本を書くことで、本業・大学院でこれまで学んだ知識を改めて整理しつつ深堀りしていこうと思います。



5.スポーツ・趣味
今年のレースは、スケジュール調整その他で、佐渡の長距離トライアスロン(3.8km泳ぎ、190km自転車、42.2km走り)と、会津の100kmマラソンにのみ参加しました。トライアスロンでは自転車が故障し、会津では足を負傷するというハプニングがありましたが、どちらも無事に完走しました。

最近、通勤のほとんどはランニングです。10kgの荷物を担いで、片道10kmの道を走っています。通勤電車に乗らないで済むのでとても快適です。

来年のGWには、知り合いと一緒に川の道フットレースに参加します。東京→長野→新潟と520kmを走ります。


今年もライブは一回行いましたし、大好きなフジロックに行くこともできました。ライブでは主に東京事変の曲をやりましたが、ちょっと練習不足でした。来年はちゃんと練習して、もっと良い演奏ができるようにします。それと、フジロックには行けるように予定調整を頑張りたいと思います。


以上です。

30代は勝負しようと決めていました。いよいよこれからですが、全力で楽しもうと思います!


2012年12月23日

慎 泰俊 拝

養子のCEO
ヨーロッパやアジアにおいて家族経営の会社が多い。その中でも、日本の家族経営企業のパフォーマンスは他国と比べても高い。家族経営の会社は三代目でおかしくなるというのは半ば定説化しているが、いったいこの会社には何が起こっているのだろう。

今週のEconomistに面白い記事があった。その記事は、日本の家族経営企業の高パフォーマンスは、この国の「大人の養子縁組」という習慣にあると主張している。日本の養子縁組は他国よりも多く、去年なされた81,000件の養子縁組のうち、大人の養子縁組は90%にのぼる。子どもでなく、大人を養子(多くの場合婿養子)に迎え入れて、その「養子」が家族経営企業の会社の社長となっていくというわけだ。場合によっては、この養子が、血族の人々を押しのけて経営者になる場合もある。

最初は「なんだそのトンデモは」と思っていたものの、よくよく考えると、3つくらいの意味合いにおいて、確かにこの養子縁組を通じたCEO(養子CEOと呼ぼう)仕組みは機能するのかもしれない。

第一に、この仕組みは非常に強いコミットメントメカニズムとして機能している。通常であれば、CEOをはじめとした企業経営者に対して付与するインセンティブはストック・オプションなどがメインだが、養子CEOにはそれを遥かに上回るコミットメントが課される。失敗したら逃げ場がないのだ(もちろん離婚をして逃げるというのはあるのだろうけれど)。

第二に、家族経営企業の側からすれば、養子縁組という名の下に、かなりの長期間に亘って新しいCEOを探し続けられるようになる。本業でもいつも実感するけど、正しいCEOを探すことはつねに難問だ。養子縁組の仕組みは、そういった難題の解決に貢献できている可能性がある。

最後に、婿養子CEOは(これは外から迎えるCEOにおいては常にそうだが)、既存の枠組みに囚われない外部者であり、組織に新しいDNAをもたらしてくれる。研究によると、外部から迎え入れられたCEOは、企業が改革を必要としている場合には相対的に良いパフォーマンスを出すことが知られている。(記事)

マスオさんCEO、意外とイケるのかも。

動機の言語化
講演をすると、一番多く頂く質問は「なぜこれを始めようと思ったんですか?」というもの。これは、一番答えに窮する質問だ。

現状の僕にとっては、なにか新しいものを始めるときの一番正直な理由は、すごく単純に「全身がやりたいと感じていること」になっている。それじゃ答えになってないと思われそうだから、一生懸命に考えて、もっともらしい説明をしてみるんだけど、自分自身は完全には納得していないので、妙な違和感が残る。

なぜ動機の説明は難しいのだろう。それは、人が何か新しい一歩を踏み出すときの動機は、それまでの人生の色々な要因が複雑に絡まり合った結果だからかもしれない。個別の出来事一つ一つじゃなくて、それら個別事象が全体として調和したものがその人の思想になっているとしたら、それをうまく紐解いて説明するのは、なかなか骨の折れる作業だろう。

自分の動機を突き詰めるのが難しいからといって、それを放棄するのは勿体無いと思う。自分のアクションの理由をちゃんと言語に落とす努力を続けることで、もっと自分を深く理解し、意志は強固になっていくと思うから。

そのためにも、一番気をつけたいと思っているのは、自分を騙さないこと。ドストエフスキーは、人間は自分の嘘を信じてしまいがちであると喝破していたけど、自分の動機を分かりやすい物語に落としこむことにも、似たような陥穽がある気がする。分かりやすい説明に逃げてしまうと、自分の内なる広大な物語を見つけられないままに人生が終わってしまう。
5年間
R0010087.jpg先日の10月27日、渋谷でLIPのOBOG会をやった。

LIPを始めたのは2007年10月28日で、この日はちょうど5年目になる日だった。

「経済開発勉強会」というタイトルで、大手町のビルの会議室で、男ばかりが集まって黙々と難しい本や論文を読んでいたあの頃には、今がこうなっているなんて想像もつかなかった。

最初の勉強会をしたときに、経済開発に関わっていた人が数人いた。その人たちを前にして、僕たちは何も分かっていないなーと愕然となったことをまだ覚えている。経験者がいたら心強いと思って、そういう人たちの予定を最優先して勉強会のスケジュールを組んだけど、結局その人たちは二回目からは来なかった。彼らにとって何も得るものはないのだから、当然といえば当然だけど。

この時から僕たちは、貧困問題や経済開発に関する知識よりも、一緒にやっていこうとしてくれる人を大切にするようになった。ちなみに、業界に詳しくて、かつ最初の時期からずっといてくれたのは、マイクロファイナンスプロジェクトのリーダーをしている杉山さん。CIPAで学びJBICで当時働いていた彼女から、僕たちは本当に多くのことを学んだ。

転機は8月の初合宿。村上さん(当時は加藤さん)がすごい腕前で企画してくれた合宿の場で、マイクロファイナンスをビジネスの視点から捉えるためのフォーラムをやろう、と決めた。「本当にできるの?」と思う人も多くて、それでも一緒にやろうといってくれた10人くらいの仲間で、世銀と共催で、第一回のマイクロファイナンス・フォーラムを開催した。2008年11月28日のこと。

このフォーラムで僕たちはマイクロファイナンス・ファンドを日本でもぜひ作ろうと呼びかけた。でも大手の金融機関は動いてくれなくて、唯一この話に前向きに乗ってくれたのは、小松さんのいるミュージック・セキュリティーズ。共同プロジェクトが12月に始まって、紆余曲折を経て、たくさんのメンバーの力を合わせて、2009年の9月に日本初のマイクロファイナンス・ファンドがつくられた。

ちょうど、このOB/OG会をする数日前に、僕たちが企画したマイクロファイナンス・ファンドへの投資額が1億円を超えた。そして、児童養護施設向けのチャンスメーカーもある程度成果が上がってきていて、これはもう少ししたらうれしい報告ができると思う。これまで僕が作ったPPTのプレゼンテーションファイルは100を超えた。今まで刷った名刺は2000枚以上、本当に色々な出会いがあった。手書きで出したお礼状やお手紙は300通以上。各種メディアにも、数え切れないほど出してもらった。


組織の運営方法も、この5年でだいぶ変わった。概ね良い方向に変わっていて、短い時間を使ってより大きなインパクトを出せるような仕組みになっていったと思う。最近は、何人かのメンバーが先頭を切って、細かい課題解決を積み上げるスピードが前よりも早くなってきた。(とはいえ、効率的過ぎるのもよくないので、微妙にゆるさが残っている)

いろんなピンチもあった。初のファンドが出来た後に目的を微妙に見失い宙ぶらりんになったり、メンバーの一人がとんでもないことをしてしまって組織の雰囲気が最悪になってしまったり。こういう状況のときでも、僕以外のメンバーがこの状況をなんとかしようと努力して、そして長い時間をかけて立て直すことができた。この大変な時期の学びが、今の組織運営にかなり活かされている。


僕は何かコンセプトを説明したり思い描くことと、習慣化したことを続けるのは得意なんだけれど、具体的な事務作業の能力がほとんどないので、ここまでできたのは、本当に関わってくれた仲間のおかげ。入れ替わり立ち代わりで、200人くらいの人が関わってくれたおかげで、僕たちはここまで来ることができた。ちなみに、今フル参加しているメンバーの数は60人弱。

10月を境に、副理事長の糀屋さんが一身上の都合でフルメンバーからサポートメンバーに移ることになった。これで、活動を始めた2007年の10月28日から今まで、ずっと休まず続けていたメンバーが僕一人になった。

言い出した人は、自分が辞めない限り、常にみんなを迎えて、常にみんなを見送る立場にある。みんなそれぞれ理由があるのは分かってはいるものの、去る人を見送るのは正直寂しいものだ。でも、彼ら・彼女らが去っていくのは、その去るまでの間に、何物にも代えがたい人生の一部を費やして関わってくれたことの裏返しなので、感謝以外にはなかなか思い浮かばない。(それでも、やっぱり人が去る度に、自分が何か悪いことをしたんだろうと自問自答する癖は直りそうにない)


正直、まだ理想には程遠いんだけれど、僕たちがこれまでやってきたことは、パートタイムのNPOでもこうやって事業を作っていけるんだということの一つのモデルにはなれるのだろうと思う。だけど、僕たちが関わっている課題は全く解決までは程遠い状態にある。これからも、コツコツと頑張っていこうと思う。


改めて、いつも有難うございます。

慎泰俊
すごいモンゴルの孤児院とのイベント
LIPの教育プロジェクト久々のイベント。最近、イベントは手間もかかるので、あまりしないようにしようとしているのだけれど、これは本当にいいイベントだと思うので開く次第。

モンゴルの孤児院(日本でいう児童養護施設)には、マンホールチルドレンと呼ばれる子どもたちが入るのだけど、子どもたちが施設対処後にまたマンホールに戻る率は98%といわれている。(日本でも施設退所者の生活保護率はとても高い)

そんななか、この児童養護施設の退所者は日本での東大にあたる大学に合格したり、芸大にトップ合格したりと、ものすごい成果をあげている。一番の理由は、子どものための充実した施設と、素晴らしい施設長の存在。

児童養護施設の一つのロールモデルを見たい人もそうだし、子どもの育ちに関心のある人全員に、この施設長の話を聞いて欲しい。(僕もちょっとしゃべるけど、僕の話は刺身のツマ)


http://www.living-in-peace.org/blog/community_news.php?ba=b10770a30693
貧乏人の経済学
今も、毎年900万人が5歳の誕生日を迎える前に死んでいる(The Millenium Development Goals Report (2010))。そういう状況を変えるために、多くの経済開発のための取り組みがなされてきた。その多くは、現在のところ、思ったより多くの成果を残せていないのかもしれない。

この分野での論争で一番話題を読んでいるのは、ジェフリー・サックスと、ウィリアム・イースタリーの間のものだろう。サックスは貧困の罠から人々が脱して豊かになるにはより多く援助が必要だと説き、イースタリーはインセンティブを阻害する援助には効果がないと切り捨てる。

こういう一般論レベルの議論の意味は限定的で、本当にするべきは個別具体的な事例を丹念に調べて、その時その時に必要なアクションを知り、そこから得られた知見を積み上げて得られる知識体系ではないかと、アビジット・V・バナジーとエスター・デュフロは「貧乏人の経済学(原題はPoor Economics)」で説く。

「開発政策の実務は、それにともなう論争と同じく、証拠に頼ることは出来ないというのが前提になっているかのようです。検証できる証拠なんて手に負えない化物で、せいぜいが実現不能な妄想か、最悪の場合には問題から目をそらしてしまうものだ、というのがその発想です。「きみたちはしょうことやらに耽溺し続けるがいいよ、その間にもこっちは仕事をこなさなきゃいけないんだから」。この道を進み始めたときには、頑固な政策立案者たちや、もっと頑固なアドバイザーたちにしばしばこう言われたものでした。今日ですら、いまだにこの見方をする人はいます。でもこうした理屈抜きの性急さに無力感を覚えてきた人々も多いのです。そうした人々は私たちと同様に、貧乏な人の具体的な問題を深く理解して、そこに介入する効果的な方法を見つけるのが最高の方法なのだと思っています。一部の例ではもちろん、何もしないのが最善です。でもすべてそれですむわけではありません。お金をつぎこめば万事解決ともいかないとの同じことです。いつの日か貧困を終わらせるために一番見込みがあるのは、個々の回答とその回答の背景にある理解から出てくる、知識体系なのです。」(P34)

「あらゆる問題を同じ一般原理に還元してしまう、怠惰で紋切り型の発想を拒絶しましょう。貧乏な人達自身に耳を傾けて、彼らの選択の論理を頑張って理解しましょう。まちがえる可能性を受け入れて、あらゆる発想、それも明らかに常識としか思えない発想も含めて厳密な実証実験にかけましょう。そうすれば、有効な制作のツールボックスが構築出来るだけではなく、なぜ貧乏な人が今のような暮らしをしているかも理解しやすくなるのです。こうした辛抱強い理解を武器に、本当の貧困の罠がどこにあるのかも見つけられるし、そこから貧乏人たちが抜け出すためにはどんな道具を与えるべきなのかも分かります。」(P354)



この本を一人でも多くの人が読むことを願う。途上国の現場で働いている人だけでなく(そういう人は、多分この本を必要としないかもしれない)、先進国の貧困問題や、その他未だに答えが出ていない様々な社会問題に取り組んでいる人々にとって、この本が示す立場は多くの示唆を与えてくれると思う。

僕が本書を読んでほしい最大の理由はその主張を知ることではなくて、著者がどういう思考プロセスを経て事実検証を行なっているかにある。知らず知らずに身についた偏見を取り払って、虚心坦懐に事実に目を向けようとする姿勢は、多くの課題解決の基点になるからだ。この様な態度をとることの大切さを知る人は多いが、実際にそれができている人はさほど多くない。それは多分、こういった態度をとれるかどうかは、その人の知能ではなく精神によるところが大きいからなんだと思う。

豊かな社会で幸せに暮す人々は、途上国や先進国に住む貧しい人々や、「虐げられた人々」を、ついつい映画の主人公のようにしてしまう。でも、それは正しくない。人間はどこにいっても、そんなに大差がない。現場に足を運べばわかるけれど、皆、与えられた情報とインセンティブの構造のなかで、同じような思考のトラップをかかえながら、最善の意思決定をしようとしている。本書は、「支援される人々」についつい着せられがちな偽りの仮面をきれいにはぎとってくれる。


以下、まとめ代わりに本書で説かれている主な内容をまとめておこう。でも、この主張の内容よりも、この主張に至った著者たちの思考プロセスにこそ学ぶべきことがあるので、是非手にとっていただければと思う。


食料について
貧困の罠では、貧乏な人々は手当たり次第に食べていると暗黙に想定されているが、実際に目にする光景はちがう。18カ国の貧乏な人々の暮らしに関するデータによれば、地方に住む極貧層は、全消費額のうちの36%から79%しか食べ物に使わない。都会でも53%から74%。 http://www.pooreconomics.com (P42) 食料不足は決して問題にはならないとか、問題になることが少ないというのはまちがっているが、今日の世界はおおむね豊かであって、食料不足そのものが貧困の永続に大きく貢献することは無い。

幼少期の栄養不良は成人後の社会的成功に直接影響するという一般的な見方を支持する証拠はたくさんある。ケニアでは、学校で2年間虫下しを与えられた子どもは、1年間した与えられなかった子どもに比べて、通学期間も長くなり、青年期には20%多く稼ぐことができる。(P54)

それでも、人々は追加のお金があっても栄養価の高いものではなく、美味しいものを選ぶ。それはなぜか。貧しい人々が栄養価でものを選ばずに味で選ぶ一つの理由は、情報の非対称によるものだと著者らは主張する。というのも、栄養素の多くの価値を個人的体験から学ぶのは容易ではないからだ。(P58) もう一つの理由は、貧乏な人々の生活では食べ物よりも他のもののほうが重視されていること。メンツなどの理由から、結婚式、持参金、洗礼式などに大金が費やされている。(P59)


健康について
死から免れるための技術の一部はとても安価なのに、買わない人が多い。水の消毒のための塩素剤や、蚊帳の値段を下げても、使う人は劇的に増えたりしない。人々が安価で住む予防技術を購入せず、公共の保健センターにいかないのは、予防サービスに興味がなく、呪術や藪医者などの健康サービスにお金を求めるからだ。でも、それはなぜなのか?

著者らはまた事実の検証から始める。補助金が人々のインセンティブを削いでいるという主張は、イースタリーらによってよくなされるものだ。しかし、その主張はデータにサポートされていない(P88)。一方で、全ての予防接種を受けたらステンレス皿を、一つでも受けたら豆をプレゼントするという手法をとったところ、予防接種率が一気に7倍になった。(P94)

こういった事実の積み重ねから著者らはこう主張する。途上国の貧しい人が予防接種に行かないのは、人間には現在のことと未来のことでは全く違う考え方をする傾向があるからだ。この性質は時間不整合性とよばれる。(P97)これは、先進国に住む人々が、ダイエットを「明日からは」と言いながら始められないことを説明してくれるコンセプトでもある。

時間不整合性の存在は、人々が「正しい」ことをするのを支援・強制する根拠を与えてくれる。インセンティブによって、やってみたいと思ってもずっと先送りにし続けてきた行動を実際にとるように人を後押しできる。(P98) そして、こういった時間不整合を乗り越えるための制度が先進国では充実している。先進国に済む人々は、自分たちの限られた自制心と決断力をあてにする必要はない。予防接種は強制的な制度になっているし、人間ドックを強制する会社も多い。でも、貧困層は、その自制心と決断力を自分で使わないといけない状況におかれている。(P102)貧しい人々は一見すると全くの不合理な行動をとっているように見えるが、先進国に住む人々がそうでないのは、個々人の知恵や決断力の賜物ではなくて、制度の賜物なのだ。


学習について
学校進学率については延べられているが、学習の水準はほとんど問題にはならない。学校に通っていても授業が成立していないことも多いので、注視すべきは進学率よりも学習の水準だ。(109)

貧しい国の学校で教育が成立していないことの一つの理由は、親の誤解にある。教育は本来どのような水準であっても役立つ。しかし、教育の利益はS字曲線を描くと親が信じ込んでいると(すなわち、教育投資は一定程度行わないとリターンはマイナスになると信じていると)、親は特定の子どもに一切の教育を与えないことになり、結果として貧困の罠ができてしまう。(P128) 教師にも同様に低カーストの子どもは勉強ができないという思い込みがある。(P132)このような教師と親のS字曲線への盲信があると、教育がしっかり行われない可能性がある。

貧しい人々への教育においては、インドの教育NGOであるプラサムの学びが有用だろう。それは次の3つから構成される。(P140)
・基礎能力に焦点を絞ること。子どもと教師が十分に努力すれば、全ての子どもがその基礎能力を習得できるという考えを貫くこと
・能力ある補習教師になるために、低学年教育についての訓練はあまり必要ないこと
・カリキュラムとクラスを再編成して子どもたちに自分自身のペースで学ばせ、特に遅れている子どもたちが重点的に基本に取り組めるようにすること


出生率について
もっとも有効な人口政策は、子だくさんを不要にすることかもしれない。効果的なセーフティネットや老後に備えた収益性の高い貯蓄を実現する金融商品の開発で、出生率の十分な減少と女児に対する差別の緩和も実現できる。(P178)そういったものが無い状況では、子どもが親にとっての金融資産的な役割を果たすことになる。

家族という制度のなかにある暴力を本書は提示している。データが示すのは、親には自分のために子育てをする側面があるということだ。だから、貧しい国の多くや、例えば中国では女の子の数が極端に少ない。女児殺しが起こっているからだ。(P171)


マイクロファイナンスについて
マイクロファイナンスは確かによい結果を人々にもたらした。人々はより将来に対して自覚的に消費活動を行うようになった。ただし、女性のエンパワメントをサポートする強固な証拠は見つかっていない。マイクロファイナンスには十分な意義があるが、それは言うほどに万能ではないということだ。(P228)

マイクロファイナンスの借手は本当に優秀な起業家なのか?実際のところ、マイクロファイナンスを通じて行われている多くの事業は、大してもうかっていない。「貧乏人の事業はしばしば、特定の起業衝動の反映というよりは、もっと通常の雇用機会がない時に、仕事を買うための手段でしかないように見える」(P296)ちなみに、貧乏人のいちばんありがちな夢は、子どもが公務員になることだったりする。(P297)

だから著者らは主張する(これには、マイクロファイナンス・セクターで働く人々から多くの非難が浴びせられた)。「で、結局のところ、マイクロファイナンス機関や社会意識の高いビジネスリーダーたちが信じているとおぼしき、10億人もの裸足の起業家は実在するのでしょうか?それともそれは単なる幻想で、何をもって「起業家」と呼ぶかという混乱から生じただけのものなのでしょうか?自分の農地や事業を運営する人は10億人以上いますが、ほとんどの人は、単に他に選択肢がないから奏しているだけです。ほとんどの人は、食っていくくらいには上手にこなしますが、その事業を本当に成功した企業に変えるだけの才能も技能もリスク意欲もありません。・・・マイクロファイナンスなど、ちっちゃな事業を助ける手法は、それでも貧困者の生活において重要な役割を果たせます。というのも、そうしたちっちゃn事業は、おそらくこの先当分の間は貧乏な人たちが生き延びるための唯一の方法であり続けるからです。でも、それが貧困からの大量脱出の道になると思うのは、自己欺瞞でしかありません。」(P306)


マイクロファイナンスにおける返済の規律へのこだわりは重要だが、これはマイクロファイナンスがマイクロ企業を超えて成長したい起業家への資金源としては自然でも最高でもない。マイクロファイナンスのモデルは、破綻しかねない人の手に多額のお金を渡すにはあまり向いていない。著者らは「これは偶然ではないし、またマイクロファイナンスのビジョンに欠陥があるせいでもありません。マイクロファイナンスが多くの貧乏な人に低金利で融資できるようにしたルールの、必然的な副産物なのです」と語る。(P236)だから、途上国において、次の大きな挑戦は中規模企業への資金提供手法を見つけることだろう。(P241)

預金口座は高くつくので貧しい人には提供しにくい。しかし、預金口座が提供されたとしても、それを使う人は多くないのが現実だ。その一因として、またまた時間不整合性が現れる。(P237) すなわち、問題の根源は、先進国に住むお金が貯められない人と全く同じわけだ。貯蓄を向上させるためには、希望と励ましや落ち着きが強力なインセンティブになる。欲しい物が手に届く場所にあることがわかれば、人は貯蓄することができる。(P269)


政策について
著者らが展開しているのは、全て地に足のついた、事実に根付いた、現場レベルでの課題解決だ。だから、制度は地元の環境にあわせて調整が必要なので、それをトップダウンで変えようとしてもうまくいかないと、著者らは主張する。(P335)ダメな制度はとてもしつこく、それを排除する自然のプロセスなどないかもしれない。しかしながら、外圧や革命的な変革がなくても、周縁部・草の根から重要な変化を起こすことができる。(P347)


結語
貧困を削減する万能薬はない。しかし、現状を改善するための方法は色々わかってきている。著者らは、重要な教訓の5つを提示する。(P338~)
・貧乏な人は重要な情報を持っていない事が多く、間違ったことを信じている
・貧乏な人は自分の人生のあまりに多くの側面について責任を背負い込んでいる
・一部の市場が貧乏人に提供されていなかったり、そこで貧乏人がかなり不利な価格に直面したりするのには、やむを得ない理由がある
・貧乏な国は貧乏だからといって失敗が運命づけられているわけではない。不幸な過去を持つから失敗確実などということもない
・人々に何ができて何ができないかという期待は、あまりにしばしば自己成就的な予言に早変わりしてしまう(教育など)

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