Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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Because I am a Girl
BecauseIamaGirl.jpgBecause I am a Girl――わたしは女の子だから

多くの途上国で、女の子たちは、様々な暴力の対象となっている。幼いうちに恋愛も知らずに結婚させられたり、知らぬ間に親に売られて売春婦にさせられたり、内戦のある国で性奴隷にさせられたり。更に、男尊女卑が強かったり、女性の社会進出が弱い国ではいいくつかの国では、女の子は生まれた時点で殺されることも少なくない。例えば中国社会科学院によると、中国で2000年から2004年の間に生まれた子どものうち、男女比率は1.24対1.00だといわれている。

こういった、女の子たちを取り巻く状況はあまり知られないことが多い。児童養護施設の状況もそうだが、その状況を知らせると大人が恥ずかしくなるような事実は、なかなか世間に知られにくい。正直、ぼく自身も、男性である自分が女性に対する暴力について書くことについて、どことなく居心地の悪さを感じているのは事実。そういった積み重ねが、声が届かない現実につながっているのではないかと思う。


この本は、そういった「知られないこと」を打破するための一つの方法を提示してくれる。それは、有名な作家らが途上国の女の子の現状を見知り、そこで感じたことをエッセイにしてアンソロジーにまとめること。現実にあることを多少フィクションにもしながら、実際の被害者らへの配慮もしつつ、筆力を通じて、届かなかった声を多くの人々に届け、現実と同じようにリアルな物語を届けることができる。僕たちは、このエッセイに登場する女の子たちの運命を感じながら、自分たちが何をするべきか深く考えさせられる。

日本での翻訳者は、同じく通奏低音に女性に対する暴力がある「八日目の蝉」の著者である角田光代さん。出版社は、人や物語や知識を「出版(=版を出す)」するのではなく、「パブリック(公)」にすることがパブリッシャーの役割であると考える英治出版。印税と売上の一部は、国際NGOプランに寄付されます。

中学生でも読める内容なので、学校に一冊ずつ置かれたらいいのになあ、と思う一冊。
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マイクロファイナンス・フォーラム2012
IMGP8086.jpg2008年以降、マイクロファイナンスの最新トピックを紹介するために毎年開催してきたマイクロファイナンス・フォーラムも、今回で5回目。毎年、このフォーラムの準備が始まると年の瀬を感じる。。

今回は、マイクロファイナンス・プロジェクトを行なってきLIPの自己否定にもなりかねないテーマに挑む。それは、「マイクロファイナンスには本当に貧困削減効果があるのか?グループレンディングには本当に効果があるのか」というもの。

「マイクロファイナンスの本質はグループレンディングにあり、この金融の仕組みには明確に貧困削減効果がある」とする主張を否定する研究は数多く存在している。ムハマド・ユヌス氏をはじめとする実務家や一部学者がこれら研究に対して反論を試みているものの、まだ決着はついていない(どちらかというと、否定論の方が優勢にみえる)。

今回は、実務家・研究者として類まれな実績を持つStuart Rutherford氏と、マイクロファイナンスの研究を行なっている澤田康幸教授をお招きするとともに、毎回行なっているLIPの独自調査結果を報告して、このテーマについて議論してみたい。特に前提知識がなくても十分に理解が深められる内容となっていますのでご安心を。

また、今回のフォーラムでは、マイクロファイナンスを通じてビジネスを大きく発展させた借手にも来日して頂くことになっている。借手目線での貴重な洞察も得られたらと思う。


皆様のご参加をお待ちしています!


イベント詳細
○日時:2012年12月16日(日)14:00~17:30(開場13:30~)
○場所:日本財団ビル(溜池山王、虎ノ門)
○参加費:3,000円

▼第一部(14:00~15:50)
①Living in Peace(LIP)理事長、慎泰俊による挨拶(5分)
②講演:Stuart Rutherford氏(Safesave創設者)(20分)
③講演:澤田康幸氏(東京大学経済学部教授)(20分)
④LIPプレゼン「貧困削減効果を巡る学説紹介」(15分)
⑤議論「グループレンディングと貧困削減効果」(50分)

(休憩 10分)

▼第二部(16:00~16:30)
①マイクロビジネスアワード概要
②受賞者のビジネスに関して
③受賞者登壇 質疑応答
④現地式典、受賞者のビジネストリップ報告


お申し込みは、こちらのフォームから。

http://ow.ly/fKptf

経済成長における4つのドライバー
メモ代わりに、サマーダボスで参加したセッションと関連して3つの興味深いトピックに関することを書き留めておきたい。

今日は経済成長に関して。

世界経済は一つのターニングポイントを迎えようとしている。2025年には、世界人口の半数が一日10ドル以上で生活をするようになる。この変化に相俟って生じる中間層の増大は、「新しい産業革命」ともよばれる。そこに至るまでの過程には、かなりの変化と混乱が待っているだろう。

では、このポイントまでの成長がどのようにもたらされるのか。いくつかの主要なドライバーがある。


労働力人口の増大
日本にいると感じにくいが、世界人口の半数は27歳以下で、その多くがまだ労働力となっていない。これから10年の間に、若い世代が労働市場に流れ込むことになる。それだけではなく、定年年齢の引上げと女性の社会進出と相俟って、労働力人口はさらに増大するだろう。

労働力人口が増大しても、産業が拡大しなければ失業が増えるだけなのではないか、という懸念はある。実際のところ、今後とも雇用は不安定になるだろう。ただし、労働力の供給増加が、新しいメガ産業の到来を惹起する可能性もあり、労働力人口の増加は経済成長のドライバーとなりうるだろう。この点と関連して、教育は非常に重要なテーマとなるが、それは別の記事で書くことにする。


資源・エネルギー
これから、過去にない成長が望まれるのがアフリカ。アフリカ諸国にとっては、地下資源や広大な国土が強力な成長のドライバーになりうる。広大な国土の使い途としては、例えば太陽光エネルギー発電所の設置等が考えられる。実際に、Desert Techという、サハラ砂漠での太陽光発電のプロジェクトが進行中。新興国全体が先進国と同水準のエネルギー構成で生活するのは持続可能でなく、こういったGreen Techの取り組みが大きなトレンドとなりうる。


南南協力
南南協力は、新興国の台頭と相俟ってこれまで以上の意義を有するようになっている。これまでのところ、とくに多いのは中国とブラジルとの間の資源取引だが、こういった資源をめぐる新興国間の大規模取引に参加するプレーヤーは増大していくだろう。


Frugal Innovation
Frugal Innovationとは、新興国でやってきている低コスト化(ただし品質は満足できる水準)におけるイノベーションのこと。ここ2,3年で注目されているコンセプトで、少し前にThe Economistでも特集が組まれていた。BOP (Base of the Pyramid)層とよばれる人々のニーズにあった商品を、驚くほどの低コストで生産することの意義は日に日に高まっている。特に注目されている分野は、エネルギー、水、携帯電話関連サービス、その他日用品など。

世界中のスラムの風景は似たようなものだという。だとすれば、一国で生じるFrugal Innovationは、世界中に拡大させることができる可能性がある。このイノベーションは、途上国の貧困層が中間層へと変わっていくスピードをさらに上げることだろう。
新興国発の医療イノベーション
インドの医療イノベーションについて、現地にいる友だちからのメールを転載(許可は得ています)。これがまさに途上国・新興国で起こっているイノベーションの一例で、コスト削減と質の向上をともに実現している好例。制度の不在が理由でこのような思い切ったイノベーションが生じるという側面もあるので、日本で同様の取り組みができるのかは分からないけれど、その精神から学ぶべきことは非常に多いと思う。


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Narayana Hrudayalaya病院(以下NH病院)は、南インドのバンガロール郊外にある800床程度の心臓外科専門病院です。バンガロールはInfosysなどインドの代表的なIT企業が多く存在し、「インドのシリコンバレー」と呼ばれる産業の集積地です。街の中心部から車で40分ほどいったところに、NH病院は立地しており、世界で最も革新的な病院として世界中の医療従事者から注目されています。理事長のDr. Devi ShettyはEconomist誌が選ぶイノベーター大賞にも選ばれています。

NH病院の革新性は"Walmart meets Mother Teresa"と表現されます。圧倒的な規模の経済を活用して、心臓外科の手術コストを抑え、低価格でインドの貧困層に心臓外科治療を提供しているのです。インドの病院で世界的に有名なApollo病院、Fortis病院などは、インドの富裕層もしくは海外患者の受け入れで高い収益を上げているので、貧困層を対象としているNH病院とは一線を画しています。NH病院は今まで医療を受けることができなかった貧困層に心臓外科手術を行って、高い治療成績を誇り、かつ利益率も高いという驚くべき病院です。

インドの医療費はGDP比4-5%程度、その中での政府支出は1%です。また保険のカバー率は全人口の15%程度であり、多くの医療は患者の個人負担によってまかなわれます。一人当たりGDPは平均1400ドルですが、これはあくまで平均の数字であり、インドの貧富の差は凄まじいので1日1ドル以内の支出で生活している貧困層の割合も30%程度にのぼります。インドでの心臓外科手術の平均コストが4000-5000ドル(もちろん先進国よりは遥かに安いですが)なので、ほとんどの貧困層は心臓外科手術を受けたくても受けることができません。インドの場合糖尿病などの生活習慣病の有病率も高く、心臓外科手術が本来的に必要な人数は年間250万人いるといわれていますが、実際手術を受けることが出来ている人は10万人だけです。

このインドの医療問題に立ち上がったのがDr.Devi Shettyです。Dr. Shettyはインドで医師免許を取得後、イギリスで心臓外科医としてのトレーニングを積みます。その後インドに帰国して、インドの心臓外科会を常にリードしてきました。Dr.Shettyはあるときからマザーテレサの主治医を勤めるようになり、マザーテレサとの対話が彼のその後の人生に多くの影響を及ぼします。医療の世界は日進月歩の発展を遂げているのに、医療費は高騰していく一方で、貧困層は適切な医療を受ける機会が減っていっている。医療以外の世界では、イノベーションによって自動車、テレビなどのコストは低減しているのに、医療はその逆なのは何かおかしいのではないか?貧困層にたいして何かできないか?ということを考えるようになりました。2000年にDr. Shettyは彼の義父の力を借りてNH病院を立ち上げます。

NH病院のCABG(バイパス手術)のコストは平均2000ドルです(術前、術後管理、入院期間含む)。日本でのコストはどの程度か知りませんが、米国のコストの1/10、インドの平均的な病院の半分程度の圧倒的な低コストで手術を行っています。カラクリは極めてシンプルで、心臓外科手術に絞って病院経営を行っているので、とにかく手術件数が多いのです。NH病院では1日平均35件の心臓外科手術が行われています。バイパス手術だけでも1日15件-20件行なわれており、年間の心臓外科手術の件数は8000-9000件、バイパス手術も4000件以上行なわれています。米国のCleveland Clinicの倍以上の件数ですし、日本の榊原記念病院の6-7倍の数は行なわれているのではないでしょうか。

Walmartは小売の世界で、規模を大きくすることで圧倒的な低価格で製品を販売できることを証明しましたが、NH病院は医療の世界でも規模の経済が働くことを証明しました。まず病院コストは固定費が多くを占めます(NH病院の場合は7割程度)例えば一つの高額の検査機器を持っている場合、その検査機器を1日2回使うか10回使うかで大きく1回あたりのコストは異なります。手術件数、患者数を増やすことで、一患者当たりの固定費を減らすことができるのです。それだけでなく、NH病院はインドの心臓外科手術の1割程度を行なっているので、医療機器メーカーなどのサプライヤーに対して圧倒的な価格交渉力を持つことが出来ます(これはWalmartの得意戦術でもあります)また、手術件数の多寡は心臓外科医にとってトレーニングの最大の肝の部分なので、多くの若手医師を比較的安い給料で集めてくることができます。
 
規模の経済はコスト低減に寄与するだけではなく、質の向上ももたらします。一人の医師は週に10例程度のCABG手術を行なうことができるので、手技に熟練することができます。これは医師だけでなく、看護師などのほかのチームメンバーに関しても同様です。正確な数字をきちんと見たわけではないのですが、NH病院の術後治療成績は米国のトップレベルの病院のそれと比較して遜色ない、もしくはよりよい結果が出ていると聞いています。また質の向上に伴う合併症の減少、入院期間の短縮は上記のコスト削減にもまたつながります。医療の質に直接つながるところには、投資を最大限に行っており、PICUの設備などを見学しましたが最新鋭の医療機器を整えておりました。それに比較すると建物などはかなりオンボロで、トイレなどはなるべく行きたくないところです。また設備だけでなく、質の高いプロセスが存在することの証明としてJCI認証も今年受けております。JCIは国際的な医療認証機関で、病院の感染管理や患者プライバシー保護などの様々なプロセスを評価して認証の可否が決められます。日本では亀田病院、聖路加病院、NTT東日本関東病院が認証を受けています。

貧困層に対して医療を提供するために、コストを下げる以外の様々な取り組みも行なっています。一つは支払い能力によって、医療費を決めています。10日入院期間+手術のCABGパッケージで通常2800ドルの支払いが必要なのですが、その支払いをしているのは50%程度の患者です。30%程度は1200ドル、10%程度は無料で医療を受けています。逆にインドの富裕層で支払い能力が高い人たちは、サービスレベルがそれほど大きく変わるわけではないのですが、5000-6000ドルの支払いをしてNH病院に入院しています。払える人には払ってもらって、もらえない人からはもらわないというCross subsidizationの仕組みによって病院経営を成り立たせているのです。また地域の貧困層向けの保険もつくって提供しており、保険料は月間1ドル程度(数字は未確認です)だそうです。それら貧困層向けの活動を行ないながら、病院の純利益率は7%であり、日本の病院とは単純比較は出来ないと思いますが、極めて高い数字をキープしています。

Dr. Devi Shettyは成長を止めようとはしていません。心臓外科専門病院の近くに腫瘍内科などがメインのMulti Speciality Hospitalも作りましたし、バンガロール以外のほかの都市にも次々と病院を作ろうとしています。彼らの患者数、売上げなどは年率40%以上で成長しています。現在Dr. Shettyは米国に出張中なのですが、今の大きなプロジェクトの一つにカリブ海のケイマン諸島にNH病院を作るというものがあります。ケイマン諸島に病院を作って、米国に多く存在する無保険者たちが安価で心臓外科手術を受けることができる病院を作ろうとしているのです。

このような革新的な取り組みが出来るのも主にはDr. Shettyの強烈なカリスマ性、リーダシップによるところが大きいと思います。私も何度かお話する機会がありましたが、そのオーラには常に圧倒されます。Dr. ShettyはMBAをとったような人材も積極的に採用しており、病院内に10名程度のMBAホルダーが活躍しています。彼らは様々なプロジェクトマネジメントを行なったり、病院内のITインフラシステムの立ち上げを行なったりしております。私のようなインドの医療も文化も言語もよくわかっていないような人間も、インターンとして迎え入れてもらっています。私は院内のサプライチェーンマネジメントの最適化をプロジェクトとしてあたえられて、倉庫で腕まくりをしてたな卸しを行なったりと様々な貴重な体験をさせてもらっています。まだプロジェクトの途中ですが、色々面白い分析やアイデアが出来てきているので千万円くらいのコストインパクトは出せるのではないかと思っています。

NH病院のモデルはあくまでインドだから成立するモデルなのかもしれません。ただNH病院から日本の病院が学ぶことは多いと思います。まずは病院のミッションや戦略をクリアにすること。病院の運営を徹底的にその戦略に合致させること。投資すべきところに投資して、そぎ落とすところはそぎ落とす。現在の日本の中規模病院にありがちな、中型だけれどもMRIも何でも持ち多角化経営をするというのは決してサステイナブルなモデルではないでしょう。今までの病院の常識を捨てて、他の業界からも学べることは学ぶことも重要です。医療問題でベストセラーを多く出しているHarvardの外科医のAtul Gawandeの著作も是非読んでみてください。彼の着想の多くは他の業界(航空業界、建築業界、チェーンレストラン業界など)から来ています。日本の医療は規制だらけで難しい部分はあると思いますが、その中でもDr.ShettyがWalmartの事例から学んだのと同様に、他の業界から学び、変われる部分は多くあるのではないでしょうか。
マイクロファイナンス調査で世界一を目指す
11月はプレゼンがやけに多いのですが、今週末でそれも一段落。

最後の締めはマイクロファイナンスフォーラム。Living in Peaceの活動をはじめて以来毎年11月に行っていて、今回は第三回になります。


マイクロファイナンスをビジネスの文脈から捉え、マイクロファイナンス機関に投資するファンドを企画しているのは日本では(多分)私達だけで、自分たちだからこそ出来るフォーラムを準備しています。マイクロファイナンス関連の金融商品が日本市場に出る以前から、私たちは投資としてのマイクロファイナンスを主題としたフォーラムを主催してきました。今回もビジネスの文脈で、もちろんミッションや現場感を伝えながら、マイクロファイナンスを語りつくします。

本フォーラムでは、次のような内容が取り扱われます:
・マイクロファイナンスの概要
・最新データに基づいたセクターの状況レビュー
・LIPが中小規模のマイクロファイナンス機関への投資ファンドを企画する理由
・提携先である二つのマイクロファイナンス機関の現場の声
・ベトナムのマイクロファイナンス機関のアナリストレポート

非常に地味ではあるのですが、私達が目指しているのは世界一のマイクロファイナンス機関調査能力を身につけることです。去年のフォーラムでもその調査能力の獲得を目標としていましたが、2010年も一定の前進があったと思っています。いくつかを挙げると、こんなところです:

・グラミン銀行を母体とする投資ファンドを運用するグラミン財団でのトレーニング
・フィリピン最大のマイクロファイナンス機関であるCARD MRIの研修施設でのトレーニング
・フィリピンのマイクロファイナンス調査機関のPinoyMEによるトレーニング
・世界最大のESG投資のカンファレンスであるTBLIで報告
・バリで行われたCGAP Course for Funders of Microfinanceに参加
・ベトナムでの調査開始、現地のマイクロファイナンス機関との基本合意取得


普通の金融の分野だと、世界一はそれこそエベレストみたいに頂上が遠いのですが、まだ黎明期にある投資としてのマイクロファイナンスの頂上は高尾山とか筑波山くらいの高さなんですよね。地殻変動がはじまればそのうち高くなるに違いない山の頂上に、今のうちに近づいておけることはこの上ないアドバンテージだと思っています。

(ちなみに、個人的な向こう5年のキャリア目標は、PE業界のトッププレーヤー(得意業界:エマージング市場(特にマイクロファイナンス)、その他もろもろ)になることです。)

そんな私たちのこの期間の成果を発表するマイクロファイナンスフォーラム、お時間があればぜひお越しください。事前振込をすると参加費が安くなります。



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◆ 日時 : 2010年11月28日(日)
□ マイクロファイナンスフォーラム2010 13:00~17:30 (受付:12:30~)
□ ネットワーキング懇親会 18:00~20:00 (受付:17:30~)

◆ 会場 : 日本財団2F大会議室(赤坂)※ 懇親会も同会場にて行われます。
 (東京メトロ銀座線 虎ノ門駅3番出口より徒歩5分)
◆ アクセス : http://www.nippon-foundation.or.jp/org/profile/address.html

◆ 言語 : 日/英(同時通訳有)

◆ 定員 : 200名

◆ 参加費 : 事前振込、または当日受付にてお支払い下さい。

◎ フォーラムのみ
 (一般:3,000円、学生:2,000円)
◎ フォーラム+懇親会
 (一般:5,500円、学生:4,500円 ※ 事前振込→ 一般:5,000円、学生:4,000円)
◎ 懇親会のみ
 (一般、学生共通:2,500円 ※ 事前振込→ 2,000円)

◆ 参加お申込フォームはこちら → http://goo.gl/LXao5
カンボジア農村住み込み録
長期休暇の最後はカンボジア。あるマイクロファイナンス機関(MFI)の調査、及び諸般交渉事のための旅行。

カンボジアだといつも以上に若く見られて交渉に苦労するので、今回はヒゲを生やしていったのだが、前回より3歳くらい上乗せされただけだった。その後、ミーティング中に、エクセルでモデルをガンガンつくりながら英語でまくし立てたら、相手の見る目が変わった。外見より中身なんだということを改めて痛感。

すでに現地の支店に住込み、内部統制その他オペレーションの監査をしてくれた公認会計士のNさんのおかげで、MFIとの交渉はかなりスムーズに進んだ。2日で10時間弱のミーティングを終えた後に、契約の締結も終えることができた。


そのまま、MFIの支店があるChamkar Leuへ。MFIの人々へ無理を言って、今回はマイクロファイナンスの借手のお宅に二日間泊めてもらうことになっていた。今回の旅行の目玉だ。

「農民の生活をこの目で見てきたいので、農村に泊まれるように手配して頂けますか。」

最初そう話したとき、みなびっくりして、その噂はすぐにそのMFI中に拡がったそうだ。先進国からやってきて支店に住み込む人もはじめてだし、ましてや農村に泊まり込む人もはじめてだと。

案内役のペンさんは最後まで心配していた。

「本当に一人で泊まるの?ご飯や寝床は大丈夫?それにコミュニケーションは?」

「僕は人間だし、人間が住んでいるところならどこだって住める。それに、寝泊まりしてみないとわからないことがいっぱいあるから。コミュニケーションは、ほら、Nさんが持ってきてくれたこのカンボジア語の本があればなんとかなるよ。」

彼は最後まで誰か一人付き添いをつけようと話していたが、再三再四断る僕についに匙を投げた。

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視点から車で20分して、ついに到着。この村には、水道も、ガスも、電気も届いていない。自給自足を続ける農村だ。

泊めてもらう家のお父さんは、僕が住むと聞いてとても喜んでくれた。

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「この村にやってくるNGOの人はたくさんいた。でも、みんなキレイな車に乗ってやってきて、1,2時間だけ話を聞いたらすぐに帰ってしまう。村に住んでみようという人はいなかった。
ご飯すらたべようとしてくれなかった。前にやってきたNGOの人に一緒に食事をと、ごちそうを準備した。でも、箸一つつけようとしなかった。あの後、自分達の食事の何がよくなかったのだろうと、振り返ってみたが、わからないままだ。」

特別胃腸の弱い僕だが、今回ばかりは食事を残すことは不可能と思った。

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日が暮れるとあたりは暗くなる。灯油のランプで明かりをつけ、そこに家族が寄り添ってご飯を食べる。野菜をカンボジア版の味噌につけて食べる。あとはご飯とお魚が少し。ご飯も他の料理も、食後のお茶も、家の隣にある井戸から汲んできたものを使う。当然ながら、井戸の水質は保証されていない。井戸のフタもないし、その井戸の周りでは洗剤をつかって洗濯もしている。でも、最初のお父さんの話があったので、井戸水で作ったお茶を拒絶することは無理だった。

食後にはお風呂。といっても、やることは井戸水を使っての水浴び。あるのは井戸と桶だけだったので、どうすればよいのか迷っていた僕に、お母さんが見本を見せてくれる。男の人は、パンツの上に腰巻をつけて、その腰巻ごと水を浴びる。そして、身体の汗を流したら、その腰巻の上から身体を拭いて、パンツを履き替えて服を着て、お風呂は完了。

石鹸もシャンプーも持っていなかった僕を見かねて、お母さんが使い捨てシャンプーをくれた。インドの農村部でもよく用いられている、小分けで使うことができるシャンプーだ。気持よかったはよかったが、結局この洗い流した水が流れる先は土壌だ。土を伝って、化学物質が地下の井戸に届くと、どんなことが起こってしまうのか、少し心配になる。

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水浴びをしながら、周りの明るさにはっとさせられた。見上げると、見事な満月。こんなにも月は明るいものなのかと驚かされる。月影という言葉は知っていたけれど、それを見るのは初めてだった。星も綺麗だ。月が新月だったら、宝石箱をひっくり返したように美しいのだろうか。夜の明るさを得るために色々なものを僕たちは失ってしまったのかもしれない。

そのあとはしばし団欒の時間。お母さんがバッテリーをつかってテレビをつけてくれた。白黒のテレビ。周りの農家の人も、珍しいお客を見にこの家にやってくる。真っ暗な部屋に、灯油のランプと白黒のテレビの明かりだけが灯る。おじさんたちが話しかけてくるのにほとんど理解できない。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。身振り手振りと、Nさんから貸してもらったクメール語入門書を使って、なんとか考えていることを伝える。

僕が本をつかって自分の考えを伝えているのをみて、みんな僕にクメール語で話しかけてくる。この本に逆引き機能があったらよいのだけれど、それもなくて困る。今度来る時まで、もっとクメール語を勉強しておこう。

相手の話かけてくる言葉を復唱して、一生懸命に意味をつかもうとする。トゥールトゥッがテレビを意味すると分かったときの喜びといったらなかった。言語の獲得ってすごい。様々な仮説を試行錯誤しながら検証していく過程に、対象となるモノや概念と一致するひとつの言語を音声から探し当てる。赤ちゃんの学習機能のすばらしさ。

農村の夜は早い。みな午後八時には眠りにつきはじめる。僕もご多分にもれず、8時過ぎには眠りについていた。カンボジアは四六時中熱帯夜で、寝汗で一度目が覚める。でも、周りの人は皆ぐっすり寝ている様子。人は様々なことに慣れることができる。


農村は朝も早い。

3時か4時にはみなモゾモゾと動き始める。そして、夜明け前には仕事の準備がほとんど完了して、日が明けると同時に、一日の仕事が始まる。

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今日は朝から田んぼの周りをお父さんと一緒について歩かせてもらった。

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たんぼみちの多くはところどころ水たまりになっていて、靴では入れない。農村に住む皆がサンダルで歩き回っている理由を、やっと知ることができた。単に暑さが理由なのではなく、水たまりやぬかるみを歩くことが多いからのようだ。

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朝5時過ぎから、皆田んぼに出て仕事をしている。あいさつをしながら、田圃道を歩く。

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一旦家に戻り、今度は牛を連れて放牧に出かける。

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この家には牛は全部で七頭いる。お父さんは大きな牛だけを紐につないで放牧地まで連れて行く。

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仔牛は親から離れないので、親牛だけをしっかりと誘導すれば仔牛はついてくるわけだ。放牧地についたら、親牛をつないでいた綱を木にくくりつける。

お父さんは近くを案内してくれた。向かった先は、学校の旧校舎。

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学校はもうないそうだ。学校は昔までここにあったのだが、廃校になってしまい、一番近い学校も遠く離れてしまった。バイクに乗れたら通学にも難はないが、それも難しいので通学は難しくなる。もともとカンボジアの教師の月給は低すぎる。教師の月給が25ドル程度しかないので、やる気のある先生はタクシードライバーなどの副業をしながらなんとかやりくりしている。それが出来ない先生は、試験期間に子どもに賄賂を迫る。賄賂を渡す(家庭の)子どもは進級できるが、お金がないと進級もままならない。

そんな話を(というか大半は身振り手振りで教えてもらったわけだけど)していたら、道の先から車がやってきた。MFIの車だ。昨日から心配していてくれた彼らは、今日もここに来てくれた。

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ペンさんがそこら辺に生えている葉っぱをおもむろに食べた。びっくりして、何をしているんですか、と聞くと、この葉っぱはポル・ポト時代の貧しい日々の貴重な食糧だったと教えてくれた。

Nさんはすごい勢いでカンボジアの人々と仲良くなっている。Chamkar Leu支店長とも打ち解け、朝日に向けて二人でガッツポーズ。彼は間違いなく途上国向きの性格をしている。

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放牧は夕方まで続くので、家に向かう。その途中で、田植えをしている人々に出会う。

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僕も田植えをさせてもらう。ジーンズを膝までたくし上げて、泥の中に足を突っ込む。ヘタッピだし、遅いしで、周りの人に迷惑をかけっぱなし。

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一緒に田植えをしていた、ベテランのおばあさんに、もうこれ以上やるな、と怒られてしまう。

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周りのみんなは、「これからはご飯を一善食べるときには10000リエル(日本円で250円程度)は払わないとな」、と冷やかす。

みんな、一日中グループで田植えをしているようだ。皆で手分けして、Aさんの田んぼ、Bさんの田んぼと田植えをしていく。村のコミュニティの結束力はとても強くて狭い。村のどこを歩いていても、誰かしらがちょっとした集会を作って話し合っている。

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マイクロファイナンスが機能する背景には、こういうコミュニティの強い結束力がある。グループローンであれ、個人ローンであれ、返済が出来なければ困ったことになる、というグループの強制力を信用力に転化させているからこそ、高い返済率を達成することが可能となる。


戻ってきたら、もう昼過ぎ。みんなで一緒に御飯を食べる。そして、MFIの人々は帰っていった。

このころから、少し頭痛がし始める。悪い兆候だ。片頭痛は小学生の頃から付き合いのある持病。経験則からいうと、確率95%くらいで頭痛がやってくる予感がした。片頭痛がくると、悲惨なことになる。ハンマーで頭を殴られると同等の痛みが続き、吐き気も催してくる。

これ以上ひどくなってもいけないので、着替えて二階で寝かせてもらう。

でもだめだ。滝のように汗が噴きだしてくるし、頭痛はどんどんひどくなる。今回の旅はドタバタのスケジュールの中やってきたので、常備薬も忘れてしまった。万事休す。

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どうしようもないので、お母さんらがいる一階に行って(この頃にはもうMFIの人々は誰もいない)、「オッスルクルオン」と話す。Nさんの貸してくれたこのカンボジア語の本が無かったら、「具合がわるいんです」ということを伝えるだけでどれだけ苦労したことだろう。言語は偉大だ。

お母さんたちも心配してくれて、とりあえず寝ろと話す。寝ていても全く様子が良くならない僕を見て、お母さんは今度はパンを持ってくる。

「いや、パンもいらない」と話す。

また少し経って、お母さんは僕の近くにやってきた。

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片手にコインのようなもの、もう片手に軟膏を持っている。

仰向けになりなさい、という言葉通り仰向けになると、お母さんは軟膏をコインにつけて、コインで僕の身体をこすり始めた。そう、これは現地に伝わる民間療法で、血行を良くする効果があるのだそうだ。でも、かなり痛い。やられている最中は、頭がいたいのか、コインですられている自分の身体が痛いのかもわからない。こすられたあとの腕や胸を見ると、真っ赤に内出血している。でも、確かに気持ちがいい。背中も同じようにこすられ、最後は首の付け根とこめかみにも軟膏を刷り込まれる。

この民間療法がびっくりするくらいに効いた。
その後1時間寝ているだけで、頭痛はあっという間に収まった。魔術の勝利だ。

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頭痛のときにどうなるかだけが心配だったけど、この一件で、住まうことについての心配がほとんど解消された。
その日の晩はNさんの貸してくれた本を片手に、皆に日本語を教えるセッション。音節が5つ以上だと難しいみたいだ。そりゃそうだ。ぼくだって、5音節以上のクメール語は最初聞いただけでは覚えるのが大変だ。

また日が暮れ、朝が来る。ここの夕焼けと朝焼けは言葉にならないほどに美しい。拝みたくなるほどの美しさだ。

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そして、同じ一日が繰り返される。

日本にある四季が、カンボジアにはない。雨季と乾季だけがある。雨季といっても雨ばかりが降るわけではなく、二日や三日に一度雨が降るという程度のもの。炎天下、黒い肌に沢山の汗をかいて、作物を作り、家畜を育て、生計を営んでいる。素朴で朗らかで寛容な人々が、厳しい自然に対峙して日々を必死に生きている。

自然は厳しい顔を持っている。灌漑が完全ではない地域では、雨降りが続けば水害が生じ、人々の生活に打撃を与える。開発途上国にはセーフティネットはなく、人々はなけなしの貯蓄を取り崩して生活をせざるをえない。

それに、農村部の人々はこのままでは、都市部の人々が享受する経済成長の恩恵から取り残されてしまう。首都プノンペンに行く度に、新しいビルが立ち並び、経済が確実に発展へ向かっているのを感じる。でも、農村部はいつも変わらないままだ。ほとんどの農村にはガスも水道も電気も届いていない。

カンボジア国民の80%は農村部に住んでいる。その農村部の経済成長率は年率で1%になるかならないかだという。カンボジアがこの期間に達成してきた高い経済成長率はほとんど観光地を含む都市部によって達成されているものだ。高付加価値の観光業やその他産業と、そうでもない農業の性質上、都市と農村の間の貧富の格差は今後も拡大するだろう。

日本では自民党と官僚機構による地方へのバラマキを批判する声が高い。でも、この国や他の開発途上国の現場を見ていると、成長の果実を適切に分配しつつ経済の活力を保つことがいかに難しいか、改めて考えさせられる。日本では、全国のどの電車から風景を見ても、同じ作りの家を眺めることができる。これがいかに得難いことか。

マイクロファイナンスは、消費を平準化する。災害等の緊急時のローンその他の金融商品は、貧しい人々が運命のいたずらに翻弄されるのを、多少なりとも抑制することができる。金融はインフラのひとつで、それそのものが何か大きな変化をもたらすことは出来ないかもしれないが、あるとないとでは雲泥の差が生じる。他のMFIが活動していない地域でマイクロファイナンスを行う金融機関を支援することは、本当に意義のあることだ。これからも続くことになるLIPの活動意義を改めて感じることが出来た旅行となった。これからも頑張ろう。



僕以外にも、この期間LIPメンバーの多くがマイクロファイナンスの現場を見てきました。そこで学んだことを、それぞれが有している専門性の見地から報告します。7月10日14時から。詳細は下記の通りです。
他人のために活動するときの五箇条
この有給消化の間にした様々な経験を通じて、人のために働くということについて、少し考えが深まった気がする。学んだことは、次の五つに集約される。人によっては、当たり前のことかもしれない。


1.自らの活動の正当性を絶対化しないこと
他人のためにしていると思っていることを美化したり、絶対化したりしないほうがいい。

個人的には、他人のために何かをする、というのは素晴らしいことだし、その動機は善なるものだと思いたい。でも、素晴らしい、とか、善とかいうのは、多分に主観が入るものであって、その正しさを検証するのは簡単なことではない。また、何らかの価値観が絶対化すると、多くの場合、悲劇が惹き起こされる。それは、魔女狩りであったり、大粛清であったりするが、歴史に残る惨劇の多くは、絶対的な正義の名の下に行われてきたことを忘れてはいけない。

人のために活動している、と考えている人は、それが本当に正しいことなのか常に疑問を持ち続けることが大切だと思う。それは時に非常に居心地が悪いことかもしれないが、後で過ちに気づいて悔悟するよりはよい。



2.原体験を持つこと
人のために何かをしようとするときの動機は、手触り感のある原体験に基づいたほうがいい。

他人のために何かをする、というのは、言うほど簡単なことではないし、多くの人の冷淡な視線や、自己懐疑にさらされることになる。そういう状況でもブレのない行動をするためには、自分がいつでもイメージできる動機の拠り所をもっておいたほうがいい。それは原体験と呼んでもいい。

その原体験は、自分の腕の内で死んだ赤ん坊であったり、売春宿で出会った少女であったりする必要は必ずしもない。そういう体験に出会えない人だっている。貧しい家庭に育った故の惨めな思いを他の人にはさせたくない、とか、たまたま誰かのために一生懸命に何かをしてみたら楽しかった、とか、フツーの体験でも構わない。無かったら実際に何かアクションをしてみて、体験をつくればいい。どのようなものであれ、実感を持って、自分の行動について是と言い切れる体験があったほうがいいと思う。それが、辛いときにその人を支えてくれる。



3.事業のほとんどは地味だということを理解すること
全ての仕事の99%は地味なものだ。まっとうな仕事であるほど、その比率は高いと思う。

本当に持続的な意味で他人の役に立つ活動も、驚くほどに地味な場合が多い。それは、作業工程の分単位の短縮であったり、一時間ごとに悪態をついてくる子どもを諭すことであったり、契約書の文言一つ一つを地味に詰めることだったり、資料のコピーをとりつづけることだったり、どうしてもバランスしないバランスシートの勘定科目を一つ一つチェックすることだったり、する。華々しさとは程遠い、日々の地道で愚直な積み重ねが、事業を磨く。



4相手の立場になって考えること
善意の押し売りは虚しいし、時に害悪にすらなる。

事業提案が相手から拒絶されたときに、「私たちはこんなに素晴らしいことをしてあげているのに」と言ってしまうのなら、それは末期症状に近い。

絶対的に正しい事業なんて存在しないが、少なくとも相手の立場になって考える事業は人の役に立つ場合が多い。相手の立場になって考えたいのなら、そこでの生活をともにして考えるのが一番だ。

カンボジアに来て改めてその意を強くしたのは、まっとうにお金を稼ぎ雇用や事業をつくることは立派な社会貢献だということ。3年と続かない「社会に役立つ職場」より、ちゃんと長続きする普通の職場を多くの人々は求めている。



5.自分の専門性を活かすこと
上記を満たす事業であっても、周囲にいる80%の人が出来ることをするよりは、自分しかできないことを探したほうがいい。

適材適所こそ、社会全体にとっては望ましい結果をもたらす。例えば、僕が農村で田植えをしたり、施設で子どもに日々接し精神的なケアをするのは得策ではない。というのも、僕よりも遥かによく出来る人がたくさんいるからだ。田植えを手伝っていた僕に、ヘタッピだからもうこれ以上するなと厳しく諭してくれたカンボジアのお婆さんや、子どもの心のケアのための活動をしたいという提案に分をわきまえろとコメントしてくれた施設の職員からは、身をもってそのことを知らされた。

専門性は、学問、職業、生活環境から生まれるものだ。誰だって、周りの80%の人より上手なことがあるだろうし、それをネタに事業をするのがよい。


書けば書くほど、当たり前のことに思えてきた。社会貢献というより、事業をする上での鉄則だと思う。
日本でマイクロファイナンスができない理由
(追記アリ:2010年6月13日)

日本でもマイクロファイナンスをするべきという人がいます。

でも、僕は日本の都市部でマイクロファイナンスが出来るとは思いません。貧困層向けのファイナンスはあるでしょうけれど、それにマイクロファイナンスの名称がつくのか疑問が残ります。


金融の視点からみたマイクロファイナンスの真髄は、コミュニティの結束力を顧客の信用力に転換する仕組みにあります(オペレーションの作り込み等もあるのですがここでは割愛)。


R0014712.jpgマイクロファイナンスでは第一に、顧客選定の段階でコミュニティの結束力が審査コストの低下に転化されています。

共同体が強く残っている開発途上国の農村部や町において、周りの人に認められた人がマイクロファイナンス機関からお金を借りることができます。グループでお金を借りる場合は当然ですが、個人で借りる場合にも村長さんなどが保証人として立つ場合が多く、何らかの形でコミュニティによる借手選出の過程を経ています。

金融機関が顧客の情報を完全に知り得ない限り、よい借手を探すことには費用がかかります。しかし、マイクロファイナンスにおいては、この借手探しのコストは地元のコミュニティが負担しているわけです。(よい借手探しは、いつもその人と顔を突き合わせているコミュニティの人々にとってはあまり高い費用を要するものではない一方で、金融機関にとってはかなり高くつくこともポイントです)


第二に、コミュニティの結束力は、貸手である金融機関のモニタリングの費用の低下に転化されています。

誰もがお金を返せなくなって地元のコミュニティからのけものにされるのは嫌なので、借手は一生懸命に働くことになります。金融機関が本来するべきモニタリングのコストが、これまたコミュニティによって負担されているわけです。



このように、コミュニティの結束力が、金融機関が本来負担していたコストを下げるために、通常のファイナンスよりもよい条件での金融サービスの提供が可能になるわけです。貧困層への金融サービス、主に貸出しはたくさんありますが、それらサービスには、上記のような形のコスト削減の仕組みがあるとはあまり思えません。日本のようにコミュニティの力がほとんどなくなってしまった国で、マイクロファイナンスが出来るのか、甚だ疑問です。


日本では講や無尽、朝鮮半島では契というものがありました。マイクロファイナンスの仕組みは決して新しいものではなく、経済が一定の発展段階に達したときに生じる金融の仕組みです。個人的には、これは、経済発展とコミュニティの結束力との間の関係に由来するものだと思っています。経済発展によってもたらされる富によって、個人は身近な人々との関係を弱めても生きていけるようになります。結果、コミュニティは弱くなる。

念のためですが、僕は日本の貧困層に対するファイナンスの仕組みをつくることはとても重要だし意味があると思っています。ただ、それをマイクロファイナンスと呼べるとは思えません。マイクロファイナンスとは違う、より発展した形の資金調達の仕組みが出来るのではないかな、と思っています。



(追記)
ここではMFの特徴として、その情報の非対称に起因するコストを削減する仕組みを考えています。これこそが、MFが比較的低利で金融サービスを提供出来る理論的源泉と思われるからです。MF=小口の金融サービスの提供なら、先進国でも色々出来ると思います。

その後Twitterで知ったのですが、まだ地方にはかなり強固なコミュニティが存在していて、お金が返済できない場合、かなり厳しい制裁があるとのこと。もちろん、イスラム圏の女性ほどに移動の自由は制限されていませんが、それでも住み慣れた土地を離れ見知らぬ場所に住むコストは相当なもので、コミュニティによる制裁がかなり利いてくるかもしれません。なので、本文では、「都市部で」と制限をつけました。








ブルー・セーター
アキュメン(叡智)ファンドの創業者、ジャクリーン・ノヴォグラッツによる回顧録。

bluesweater.jpgブルー・セーター――引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語

アキュメンファンドは、世界の(主に開発途上国で)、単なる慈善事業や政府事業が失敗してきた分野(医療、水、住宅など)に挑戦する起業家たちに投資するファンドです。経済的なリターンと同時に、社会性も重視するという点で、多くのマイクロファイナンスファンドに類似しています(そして、この社会性は長期的にはリターンにも関連してくるのではないかと個人的には思います)。

感じたことを三つ書きます。

1. ビジネスベースの問題解決の大切さ
2. 開発途上国の貧しさと自分の豊かさとの折り合い
3. 貧困の削減と平和の実現は表裏一体




1. ビジネスベースの問題解決の大切さ

入行して3年でチェース・マンハッタン銀行を退職した著者は、アフリカでのマイクロファイナンス事業に着手し、厳しい洗礼を受けます。アフリカのリーダーたちは北側諸国が自分たちのことを何も知らずに、単に人とお金ばかり送ってくることに憤る。援助に慣れた住民たちは、”どうせ時間がたてばこの人達は帰るのだからお金を返さない方が得だ”と思い、借りたお金を返そうとしない。ある時期共に働いていた3人の仲間のうち、一人は改革に反対する人々によって殺され、一人は横領により辞任する(そして後にはルワンダの大虐殺政権の法務相となり)。盗みは日常茶飯事で、時には警備員も買収される。

これら著者の経験は、開発途上国で何か事業をすることの大変さを思い知らせてくれます。僕は、先進国に住む人間が開発途上国に行き、本当に成果をあげる事業をしたかったら、最低限守らなければいけないことが二つあると感じています:

・コミットメントを示すこと:少なくない現地の人々は、「この豊かな国から来た人々には帰る国があり、ちょっとした困難があれば帰るだろう」と考えている場合がある。残念ながら、今までの少なくない人々がそうだった。自分はそうではないということを示す必要がある。きっちりとモニタリングを行うことはそのひとつ

・相手の動機構造を理解すること:人々の多くはインセンティヴにつき動かされて生きている。ある行動を選択するときには、頭の中でしっかりと損得勘定が働き意思決定をしている。人間の善意は素晴らしいが、事業をデザインするときには決して善意に依存してはいけない

援助もビジネスベースの問題解決も同様に重要ですが、援助の場合、上の二点を満たすインセンティヴが援助する側に欠けている場合が多いのかもしれません。著者は、先進国の「善意」によるプロジェクトの多くが失敗してきたのを見たと述懐します。(とはいえ、今にも死にそうな人がいて、その人を助けるための援助にインセンティブデザインを導入するのはなかなか難しい問題ですが)

また、ビジネスベースでの問題解決は相手を被害者ではなく顧客とみなします。そこでの関係は対等なものです。人間は尊厳を求める生き物で、それを奪わない点にビジネスベースでの問題解決の素晴らしさがあると思います。これは別に開発途上国に限った話ではなく、先進国における貧しさを解決するためにも必要な考え方だと思います。それが出来ないと、ホームレスに数万円を渡し、それが全く活きないという事態が生じる。

問題は一朝一夕に解決するものではなく、かなり長い時間を求めるものです。10年以上かかる場合もある。世の中が変わっていくのはそれくらいの時間を求めるもので、それゆえにアキュメンファンドは自らの資金を、patient capital(忍耐強い資本)と名付けています。






2. 開発途上国の貧しさと自分の豊かさとの折り合い

本書はまた、経済開発に携わる先進国の人間がいつも抱くジレンマについても、正直に記述しています。友人と祝いごとをしようと思い立ち、スーパーで買物をするときのシーン。 アフリカ現地の人が決して入れないような高級品のそろうスーパーで食材を買い、さらにシャンペンを買おうとする友人ダンに、彼女は拒否感を示します。 それに対してダンはこう言います。

「ある意味で妥当とは言えないのはわかってる。ぼくたちが仕事をしている相手は貧しい人たちで、きみもぼくも相対的にはこれ以上ないほど恵まれている。でも、自分じゃないふりをするのはよせよ。アメリカにいたらシャンペンでお祝いするんだろ。この仕事をして幸せで生き生きしていたいなら、自分のこういう部分と折り合いをつけて、仕事との矛盾を頭にたたきこんで、どうやっておさまりをつけるのか考えるべきじゃないのか。」

そしてジャクリーン(著者)はシャンペンを購入します。問題はシャンペンを数本買うかどうかではなく、特権を当然視せず、世の中と大きな目的に役立つように活かせるか、と自分に言い聞かせて。

「人が特権を得るのはただ出自とか生まれだけではなく、躾や外見、運動能力、教育によるということもわかってきた。一年生のときの修道女の先生から教わった”多くを与えられた人間は多くを求められる”ということと、人は”自分自身に誠実で”いなければならないというシェークスピアの知恵とが結びつく必要があるのも学んだ。これに、謙虚さ、共感、好奇心、勇気と、そして勤勉をいつでも付け加えれば、リーダーシップへの真の道がやっと見えてくる。もちろん、ユーモアはいつでもプラスだ。」



3. 貧困の削減と平和の実現は表裏一体

日本国憲法の前文にも書かれていることですが、僕たちは貧困の削減こそが本当の意味での平和をもたらすものだと信じています。 僕たちの団体名がLiving in Peaceなのはまさにここにあります。

著者も、自らが活動をしていたルワンダでのツチ族大虐殺を目の当たりにし、次のように説きます。

「もしルワンダ人の大半が、自分の努力で生活を変えることができ、子供を学校に通わせたり、子供の健康を守ったり、将来の計画を立てたりするだけの収入を得ることができると考えていたら、道徳的に腐敗した政治家達が、ジェノサイドを誘発するほど深く、人々の心に恐怖を吹き込むのはずっとむずかしかっただろう。」

ルワンダは、戦前のドイツにも、30年前のカンボジアにも置き換えられると思います。力を持つ側が持たない側を基本的な機会から排除することを正当化する社会では、いつか大きな問題が生じる。今は豊かな国でも、同じことが起こらないとは決して言えないのではないかと感じています。


本書のタイトル、ブルーセーターは、著者が大学生の頃に中古品店に売った青いセーターをアフリカで見つけたエピソードから。世の中は色々なところでつながっていて、誰かの貧しさをなくすことは、他人のためだけではなく、自分たちのためでもあると、いつも強く思います。




下がり続ける出生率
全世界の出生率はこの30年で4割低下し、今後もその傾向は続きそうです。一番明確なドライバーはこの30年の間にもたらされた経済成長です。地球の資源に限りがある以上、出生率の低下傾向は好ましいことだと個人的には思っています。

1. 下がり続けている出生率
2. 出生率低下の理由
3. 出生率低下による人口縮小は好ましい傾向



1. 下がり続けている出生率
出生率の下落(とそれに伴なう一時的な少子高齢化)は、日本に限った話でなく世界的な潮流です。www.unpopulation.orgには、出生率に関する詳細なデータがあります。
http://www.un.org/esa/population/publications/worldfertility2007/worldfertility2007.htm


1WorldFertilityPatterns.jpgその2008年3月のレポートをまとめたのが左のテーブルです。特殊出生率(Fetility Rate、平均して一人の女性が15歳から49歳までの間に生む子供の数)はこの30年で顕著な低下を見せています。低下が著しいのが、貧しさから抜け出しつつある国であり、地域的にはアジアとラテンアメリカ・カリブ海地域の国々です。







2Fertility1.gif次はEconomistによるグラフですが、人口は増大しているもののその増加率はかなりのスピードで落ち込んでいることがわかります。特殊出生率が2.1になると、人口は安定すると云われています。2010年代の半ばまでには、半分以上の人口を占める国において、Fertilityは2.1以下になることが見込まれています。











2. 出生率低下の理由

出生率が下がる理由にはいくつかが考えられています。そのうち主要なものを紹介します。

1.1. 経済成長によるもの
最もわかりやすく、また実際のデータとの整合性もあるのがこの説明です。
国が経済成長を達成し、一人ひとりの生活水準が向上すると、同時に教育水準も高まるため、子供一人を育てるコストが高くなります。また、医療も発展し、子供の生存確率が高まるため、子孫の存続についてのリスクが低下します。このことは、家庭に出生率を下げるインセンティヴをもたらします。


3Fertility2.gifこの説明はデータとも整合的です。左のグラフは、横軸に一人当たりGDP、縦軸に特殊出生率をとっていますが、その関係は右下がりの線を描いています。すなわち、一人当たりGDPと出生率は反比例していることが示されています。

子供を育てるコストという観点からの説明を用いると、先進国の中でも出生率が異なる理由をある程度説明出来るかもしれません。

先のUNのデータでは、フランスの特殊出生率は1.87です。そのフランスでは、第二子以降には所得制限なしで20歳になる直前まで家族手当が給付される、子どもが3歳になるまでは育児休業が認められるなど、様々な家族手当があるととともに、課税制度においてはN分N乗課税制度(所得が同じなら子どもが増えるほど一人当たり所得が下がり、税率が下がりやすい)を採用しています。ただし、N分N乗税制は、所得が中程度の家庭についてあまり影響がありませんが。

逆に隣のドイツでは、保育サービスが不足していることや、フランスよりも性別による分業意識が強いことなどが理由なのか、特殊出生率は1.35となっています。

ちなみに、教育費の高さが指摘される日本や韓国の特殊出生率はそれぞれ1.27、1.21です。一人っ子政策を採用している中国の特殊出生率は1.38で日本や韓国より高いことには、データを見ていて驚きました。


1.2. 女性の社会進出
経済成長についての議論との分離は容易ではないのですが(とくに開発途上国において)、女性の社会進出が進むと、子供を産み・育てることによって得られなくなる収入(すなわち産児・育児休暇の機会費用)が高まるため、産む子供の数を減らすインセンティヴが高まります。

ジェフリー・サックスの「貧困の終焉」にも顕著な例があります。マイクロファイナンスが浸透しているバングラデシュでの話です。マイクロファイナンス機関からお金を借りビジネスを自ら営んでいる女性たちが、サックス教授の「子供は何人いるか」という質問に対して、とても少ない出産数を告げる場面です。




4biggestchange.jpg
1.3. その他要因
一人っ子政策や、ある地域での紛争や戦争などの特殊な要因によっても、出生率は変化します。
中国の70年から75年の間の特殊出生率は5.75でしたが、一人っ子政策の後にそれは1.38まで低下しています。戦争は経済にも破滅的な影響をもたらすので、内戦と経済停滞が続く開発途上国では、出生率が高止まりしているケースが少なくありません。




3. 出生率低下による人口縮小は好ましい傾向

特殊な要因を排除するのであれば、経済が成長するにつれ(そしてそれは少なくない場合、男女の機会平等と同時進行します)、出生率は低下します。 低下した出生率は、一人当たりの資本を高めるため、生産性を向上させ、さらに一人当たりの所得を増大させる可能性が高まります。 すると、人口縮小のループが作用することになり、一定水準まで出生率は低下していくと思います。

出生率のさらなる低下は、将来かなり高い確率で起こり、好ましいことだと思います。なぜなら、地球の資源には限りがあり、全員が先進国に住む人々と同じ水準の生活をするためには、現在の世界人口は多すぎると思われるからです。悲劇を回避しつつ、皆がよく暮らせる世界を実現するためには、人口の自然減は一番好ましいことだと個人的には思っています。もちろん、国により相対的に人口は過多・過少な場合があるので、この一般論を全ての国に一律適用するつもりはありません。

人口縮小が生じると一定期間において、ある世代の負担が増加する可能性があります。年金の負担がその典型です。でも、人口をこれ以上増やすわけにはいかないという前提を共有出来るのであれば、考えるべきはその世代間負担をリーズナブルにする方法であって、無理に多産を推奨することではないと思っています。
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