Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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これからやってくるもの
R0010015.jpgすっかりと「書く書く詐欺」になってしまっていた、サマーダボスの報告を。たくさんの豪華なセッションがあったのだけれど、今回意識的に選んだのは「これからの新しいトレンド」に関するセッション。前にも書いたけれど、ここに書いてある内容は、業界の人にとっては新しくない内容なんだと思う(実際のところ、金融のセッションは特に新しいことはなかった)。だけど、業界の外の人にとってはこれからやってくる流れについて知るいいキッカケではある。


金融のこれから:
・インターネット(モバイル)バンキングが、いよいよ拡大していく。アフリカの送金の3分の1はすでにモバイルバンキング。いくつかの金融はSNSと融合して成長するだろう。こういった金融が、既存のリテールバンキングのビジネスを大きく奪っていく。一方で、投資銀行ビジネスは引き続き人間によって運営されるようになるだろう。半年くらい前に、元UBSのCEOであるオズワルド・グリューベルを囲む会があったのだけれど、彼も全く同じ事を言っていた。リテールバンキングは、このままの姿でありつづけるのなら、30年後には恐竜となっているだろう。
・アジアの金融機関が台頭している。この5年間で、Top15の金融機関のうち、アメリカの4つが姿を消し、代わりにアジアの金融機関がこのリストに入ってきた(ちなみにそのうちの一社は野村であとは中国系)。この傾向はこれからも続くだろう。


教育のこれから:
・コンピューターに、子どもたちのミスのパターンを学ばせて、より効率のよい教育を施せるような機能をつけていったら、全ての子どもたちに、テーラーメイドの教育指導をできるプログラムができる。プログラムのコピーコストは低く、情報端末さえあれば、全ての子どもたちによりよい教育機会が提供される可能性がある。今も6000万人の学齢期の子どもが学校に通えていないが、このような技術進歩が課題を大きく解決する可能性がある。
・ただし、技術があれば問題が解決するというわけではなく、課題解決のためにはリーダーシップが必要であろう。それと、教育において重要なのは意欲でもあり、教師の質の重要性は変わることはない。


大学のこれから:
・現実の世界には多くの課題があり、大学の中にはその課題に対する解がたくさん存在している。不幸なことは両者をマッチングできる人材が極端に不足していることで、そのギャップを埋めるための努力が重要性を増していくだろう。MITでは、”Industrial Liason Program"を設置し、民学協働での研究を実施している。
・また、最近の大学研究の多くが応用研究に充てられている。確かに応用研究はすぐにマネタイズできそうに見えるが、本当に重要で国の競争力の基盤になっているのは基礎研究。この分野により多くのファンディングをするべきだ。(MITを世界トップの大学に変えたSusan Hockfieldが言っていたのですごい説得力だった)


成長について:
・2025年には世界人口の半分以上が1日10ドル以上で生活するようになる。この爆発的な中産階級の増加は、新しい産業革命と呼べるほどの構造変化をもたらすだろう。その過程には、かなりの混乱が待っているが、早く現状をよりよいものにしたいのであれば、保護主義にならず市場の力をうまく解放することだ。
・インド/中国が若干停滞するなか、今後大きく伸長するだろう国はアフリカ。地下資源と広い国土は、世界全体が直面しているエネルギー問題の解決にも役立つだろう。例えば、サハラ砂漠の広大な土地にソーラーパネルを設置する”Desert Tech"プロジェクトなどがすでに始まっている。
・途上国発のFrugal Innovation (Low cost innovation)も大きな成長ドライバーとなる。スラムの状況は世界中のどこでも似通っており、一国において達成されたFrugal Innovationは他国でも適用可能な可能性が高い。


ビジネスの役割について:
・グローバル企業が海外、特に途上国で事業を行う際には大きな外部性の問題に直面する。成功しているグローバル企業の多くは、地元の人々のために、道路・電気・学校・病院など様々なインフラを提供している。企業の事業成長のためにも、企業が公的な役割を果たす必要は大きくなっている。
・いくつかのグローバル企業は、その規模や影響力において国と同等になっている。国境にとらわれず活動できる企業は、ある意味においては国家以上に、世界の課題解決のプレーヤーになる可能性がある。
・このような状況において、企業はより長期的な視野にたって事業を行う必要が生じている。ユニリーバでは、このような観点から従来のようなカタチでの四半期報告を廃止している。http://www.dailyfinance.com/2012/04/26/why-the-market-loves-unilevers-119-sales-growth/


ちなみに、個人的に一番インスパイアされたのは同年代の参加者たち。世界中のいろんな場所で同じ世代の人間がとびきりクールなこと、まだカタチにはなっていないけれど、世界をよりよい場所に変えるアイディアを実践に移していることが、一番大きな収穫だった。
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個別メール禁止
党派活動が生じる組織のパフォーマンスは低い。組織の中の共同体主義がしっかり成立していて、ソーシャル・キャピタルが強固な組織は高いパフォーマンスを発揮する。これは、Robert PutnamがBowling AloneやMaking Democracy Workでアメリカやイタリアの事例をもとに示したことでもある。

では、どうやったら党派活動を押さえることができるのか、というのが問題だが、この答えは、殊に現代社会ではあまり難しくない気がする。業務内容に関する情報交換はその団体のメーリングリストのみで行うように徹底して、個別メールを禁止すればいい。


党派活動を行おうとする個人は、人の集まりが生じたらほぼ間違いなく現れる。意識していても、していなくても。情報が一部の人間の間だけで共有されるときに党派活動が生じる。

例えば、気の合う人、日々やりとりしている人々だけでまず意見形成をしようとして、その人たちだけでメールループを作ると、それが党派活動の温床になる。ここから色々なボタンの掛け違いがはじまる。そうやって特定の人々が自分を除け者にして意見形成をしていることを快く思わず、また別のグループをつくる。そして、そのうちに派閥が出来て、対立して、分裂する。

そもそも、ボタンを掛け違えるまえに、どうすれば良いかというと、個別メールを禁止すればよい。デートの誘いとか感謝状とかの私信は別だけど、そのグループの通常業務に関するやりとりについては、一切個別メールを禁止する。そうすると、情報の流れを特定の個人がコントロールすることがとても難しくなって、党派活動の生じる可能性が大きく下がる。それが、組織の運営を通じて、僕達が身をもって学んだことだ。


上のような建付にするとメールで溢れかえってコストになるという人がいるかもしれない。それは確かにコストだが、党派活動が一度始まると、それを収めるためにかかるコストのほうが莫大になる。

また、事業が大きくなると、こういったやりとりが現実的でないという人もいるかもしれない。そのときには、部門レベル・全社レベルでメーリングリストを作り、ルールを徹底させる。


他にも活かせる重要なインプリケーションは、情報の流れをどのようにデザインするかで、組織の在り方は大分変わってくるということだ。しかも、これは最初のボタンの掛け違いが生じたら挽回は非常に困難だ。最初にしっかりと原則をたてて、それにこだわることが重要だろう。

なお、情報のデザインは経営陣にしかできない。経営陣が意識しない限り、問題は生じる。
ディシプリン
尊敬するプロフェッショナルの人に、どうやったら「傍からしかものを見ていない第三者が、その事業を数十年行なっている経営陣をうならせるようなことを言えるようになるのか」と質問したことがある。

彼の答えはすごくシンプルだった。「ディシプリンだよ」。

ここでのディシプリンとは、「徹底的に自分の頭で考えぬくこと」だ。

コンサルやPEに勤めている人は、仕事にある程度慣れてくると流れ作業をしてしまいがちだ。分析資料とかもさっさと作ることができて、一丁上がりとなる。それをしないで、一度自分の頭で必ず消化してから作業をすること。おかしいと思ったら声をあげること。

また、他のチームが行なっている資料を見せてもらって、1時間のうちに、その案件での大きなイシューは何か、本当にチームの立案しているプランでうまくいくのかを自分なりに考えてみて、チームにぶつけてみる。自分の疑問点がチームの「痛いところ」をついていれば「マル」、大外れだったら「バツ」と記録をつけていく。

大前研一をはじめとして一流プロはみんなこうやってディシプリンをもって訓練を積み重ねてきたという。こういう会社に入れる時点で、皆相応の知的水準にはある。そこから大差が出るかどうかは、やるべきことをちゃんと時間をかけて積み上げていくかどうかにかかっている。


上記は、コンサルファームやPEにいないとできないことでは決してなくて、日々の生活で誰でもできることだ。普段の仕事において惰性にならずに考え続け、誰かの話を聞く度に必ず質問を続けるようにすれば、似たような結果は達成できる。要は、自分に規律を課して続けていけるかどうか。一日や一ヶ月では差はつかない。でも、1年、3年、10年と経ってくると雲泥の差がつく。習慣が人を作る。

もちろん、成長そのものが目的というのも微妙で、どちらかというと、目的に合わせた成長を実現するべきだ。100m先に行きたいのなら自分の足があれば十分だけれど、月まで行こうとしたらそれ以上のものが必要になる。結局のところ人生でどこまでたどり着きたいかにもよると思うのだけれど、遠くまで行きたいのなら時間をかけてそれ相応のエンジンを積むべきなのだろうと思う。
オーナーシップ
日本に人材がいない、もしくは少ないと云われて久しいが、日本からたくさんの優秀な人材が輩出された時代は、少なくとも現代史において二つある。一つは明治維新、一つは戦後。この事実から推測できることは、若いうちに責任ある仕事を丸投げされると、人は成長しやすいということなのだと思う。

どんどん人が育つ会社と、あまり早く育たない会社の違いの一つは、権限委譲の程度にある気がする。ジュニアの社員にどれくらい責任を持たせることができるか。考えてみればあたりまえのことで、人間は自分事ほど必死に考えて学習することはない。

自分事として物事を考えるためには、本当の意味で権限が移譲されている必要がある。権限委譲をしないで「主体的に考えろ」とかいうのは難しい話だ。でも、世の中の8割くらいは、ジュニアクラスの社員にほとんど権限を委譲しないでおいて、「自分事として考えろ」と部下をせめる。それは無理な話だ。

僕が働いてきた職場は、その意味では本当に素晴らしいところで、基本的に仕事は丸投げしてくれた。方向性だけ提示されて、「あとはやっておいて」だ。もちろん質問をしたら答えてくれる。でも、基本的に仕事は自分の裁量で行って、レビューもほとんど入らない。ただし、失敗したときは、上司は一緒に責任を負ってくれた。


色々な部下の育て方、人の育て方があるのだと思うけれど、基本は丸投げなのだと思う。丸投げされたらどうすればよいのか分からず途方にくれてしまう人もいるかもしれないけれど、人間の生命力はそんなにヤワじゃないので、放っておけば3ヶ月もすればちゃんとサバイバルできるようになる。で、質問されたら答える。どうしても困っていたら助け舟をだす。そして、部下が失敗したら逃げずに一緒に責任を負う。

部下の立場で考えれば、自分だけの裁量でできる仕事を作っていくのがよいのだと思う。もし職場に全くそういう雰囲気がなかったら、孟母三遷よろしく、移るしかないのかもしれない。
システムとしての組織と戦略
Forests.jpg最近お世話になっている経営者から話を伺っても、本を読んでもそうなのだが、世間で注目を集めているビジネスアイディアの多くは、組織の本質を、その構成要素の複雑な相互連関にもとめているものが多い気がする。

組織を構成するものの中心にはその存在理由がある。コンセプトといってもいい。なぜその組織は存在する必要があるのか、についての答えがその組織の内在原理となって作用する。それは細胞のコアのようなもので、それが失われると組織は死に至る。

コンセプトの周囲にあるのが構成要素だ。ヒト・モノ・カネが、思った以上に複雑にからまりあってシステムとしての組織を作っている。たとえば、構成要素の一つである事業部をキレイに切り分けて組織図を作ることは可能だが、それはいくつかの重要なポイントに目をつぶり、過度の単純化をした結果に他ならない場合がある。実際、ある事業部が組織全体において果たしている役割は、複合的なもので簡単に切り分けられない場合が多い。例えば、製造部門は、単に製造するだけでなく、会社の顔であったり、会社のムードメーカーであったりする場合がある。さらに、それら構成要素の役割は時間の経過と共に変化しうる。その変化も、単調なものである場合と、循環型の変化である場合、様々だ。

ここまでの話が分かりにくい場合には、人体のイメージをすると分かりやすいかもしれない。骨、筋肉、神経、脂肪が複雑にからまりあってシステムを構成している。どこか一箇所に変調をきたすと、他の箇所の具合も悪くなる。歯の機能は経年劣化していくが、皮膚の再構成機能は毎日午後10時から翌日午前2時の間に活発化する。

こういったシステム的な考え方に基づくと、人間と組織はフラクタルの関係にあるともいえる。人間は個体としても人体という複雑なシステムを構成している。その人間の集まりである組織もやはり、人体並に、もしくはそれ以上に複雑なシステムであるかもしれない。


組織をシステムとして考えることによって生じる重要な気付きは多いと思う。

第一の気付きは、システム全体と、その一つ一つの構成要素には根本的な違いがあるという点だ。

人間の骨は単なるカルシウムの塊でしかなくて、身体の中でどのような役割を占めるのかを考えないとその意味を理解しそこねる。会社組織においても同様で、ある企業の習慣や事業部について分析する際にも、それを単体としてみるのではなく、システム全体の内部連関の中でその意味をとらえることが重要となる。

いまの職場でご一緒させて頂いているプロ経営者は、「組織をシステムとしてとらえなさい」、と話している。企業を分析する際に用いる様々なフレームワークは、全体に対する理解があってこそはじめて意味をなす。一流のコンサルタントは、組織や競争環境の全体を知悉したうえで、はじめてフレームワークを選択する。フレームワークがそこにあるから使ってみるというのは、「なんとかに刃物」であって、未熟な証拠でもありうる。

組織の変更は非常に難易度の高い仕事だ。というのも、組織変更を成功させるためには、その組織システム内部で働いている相互関係を理解しておくことが重要だからだ。世の中には、「グダグダなのに、なぜかうまくいっている会社」がかなりある。こういった会社組織を変更するときには、相当の注意を要する。おそらく、どこかに、その組織をうまく機能させている因果律が存在していて、組織論を生噛りの人間が下手な改革に着手すると、その因果律が壊れる可能性があるからだ。一度それが壊れると、大抵の場合には取り返しが付かない。また内部の人間にとっても、その組織を機能させている要素を完全に理解するのは難しい。今、Living in Peaceでは組織変更をしているのだけれど、これだけはとても用心深く進めている。


第二の気付きは、戦略においてもシステムの視点を有することが重要だということだ。

楠木建教授は、よい戦略はよいストーリーであるという。物語に出てくる一つ一つの人物や物事・行動は、相互に不可分に関連している、ストーリー全体を理解することによって全てのものに無駄がないことが明らかになる。

システムを無視した個別アプローチの最も危険な点は、個別に見ると全く無駄なものを排除してしまう可能性にあると思う。サッカーを例にとろう。サッカーの目的は点をとることだ。ここで、あるプレーヤーがバックパスをしたとしよう。こうするとゴールからは一時的に後退するわけだが、それは更なるボール展開に必要なものだ。それを無視して、バックパス一つだけを取り上げて「これは無駄だからやめるべきだ」ということの愚は明らかだ。

改革において用いられるフレームワークにShrink to Growというものがある。これは、主に企業再生において、組織が成長を果たすためには、一度規模縮小を行い、組織機能を強化し戦略を明確化した後に(Shrink)、再度規模の拡大を行う(Grow)のが望ましいという考え方にたったフレームワークだ。成長戦略において一度規模縮小を行うということは逆説的だが、戦略を全体としてとらえることによって、その意義は理解される。

ベストプラクティスについて考える際にも、それが全体としてどのような意味を持っているのか、その本質はなんなのかをよくよく考える必要がある。それを考えずに、滅多矢鱈に他社のベストプラクティスを真似すると、かえって状況は悪くなる場合がある。換骨奪胎の精神が重要になる。


第三の気付きは、競争優位の源泉としてのシステムの可能性だ。

企業の利益の源泉は、第一には市場の競争環境だ。何らかの理由で競争が激しくない業界の利益率は高い水準で維持される。第二と第三の利益の源泉は、戦略的ポジショニングと、組織能力であるといわれる。厳しい業界であっても、絶妙なポジションに入り込んだり、何かを他者よりはるかに上手にできたりする能力が組織に備わっていたら利益を得ることができる。

しかし、競争がどんどん激しくなるにつれて、企業が利益を長期的に獲得するには第四の競争優位の源泉として総合力が必要であると提唱する人が増えている。成熟した産業においては、技術、生産能力、販売力など何か一つに秀でているだけでは利益獲得は難しく、全てが高い次元で統合され全体として調和していることが必要であるとされる。コトラー教授はこれを全社的マーケティングとよぶし、先述の楠木建教授はストーリーとしての競争戦略とよぶ。他にも様々な人が様々な呼び名をつけているが、個人的には本質は同じだと感じる。

全ての部門や戦略上のコンセプトがシステムとして統合されている企業を模倣することは困難だ。一部のパーツだけを真似しても、その企業を上回ったりすることはできない。かといって、全てを模倣することは、競争戦略としては下策でもある。

余談なのだが、友人の彼女に「彼のどこが好きなの?」と聞いたことがある。彼女の答えは「全部好きです」だった。最近、この話にはのろけ話以上の意味があると思うようになってきた。人を魅力的にする構成要素は一つ一つ存在するが、それが全体として調和しているかどうかが最も重要な点であって、だからこそ、「全てが好き」というのは、ここまでした話と全く整合的なわけだ。



システムとして組織や戦略を考えることは、僕自身の今後の能力向上方針について考えるうえでも重要なインプリケーションをもたらしてくれる。

それは、総合力を磨くことが重要だということだ。プロ経営者と話していると、その引き出しの多さ、多角的思考能力に舌を巻く。これは、組織が生き物であって、それをしっかりと運営していくためには、その組織の内外に作用する複雑な相互関係を理解する必要があるからだろう。

幅広い知識と経験、それらを統合しようとする努力が、総合力を磨くのだと思う。(全くの直感に基づいて)僕は今までも様々な分野で行動をして、一定の成果を収めるまで続けてきた。しかし、各分野から得られた知識や経験を統合する努力は怠っていた気がする。今後は、引き続き色々な分野に接しつつ、そこで得られた知見を統合する努力をしていきたい。



参考文献
・ナシーム・ニコラス・タレブ、ブラック・スワン
・野中郁次郎ほか、流れを経営する
・楠木建、ストーリーとしての競争戦略
・フィリップ・コトラーほか、マーケティングマネジメント
組織における多様性と同質性のバランス
組織における多様性と同質性のバランスを考えることが多い今日この頃。

組織の中に異端児がいることはとても大切だと思う。その理由は、組織の多様性が意見形成の妥当性の関係にあるようだ。ある研究によると、構成員が似たり寄ったりの組織が内部で議論を重ねていくと、どんどん過激で極端な方向にはしりがちらしい。ドストエフスキーは「悪霊」において組織の恐ろしい力学を見事な筆致で描いてみせた。「悪霊」における仲間殺し、とまでいかなくても、似たり寄ったりの人ばかりで集まった組織が独善的なアクションを起こすことは少なくないように思われる。

僕が仲間活動しているNPOには異端児っぽい人がいる。仮に彼の名前をSとしよう。このNPOのミッションは機会の平等による貧困削減なのだが、Sはその点については他のメンバーほどには熱意が無いように見える(見せかけているだけかもしれない)。ただ、Sのような人間がメンバーにいると、独善的で「イケてない」アクションについてダメ出しが出やすくなり、組織のリスクが下がっているのも事実だ。社会にインパクトを与えたいのであれば、独善的なアクションがもたらすものは避けるべきだからだ。異端児がいることによって、組織の意見形成がある程度健全で妥当なものになることは、実感ベースとして正しいと思う。

ただし、全く考えがバラバラの人間が集めればよいわけではないようだ。根本的な考え方が異なる人が集まると、コミュニケーションにかかるコストは甚大になり、組織の意思決定のスピードを落としやすい。また、根本的なミッションが共有出来ていない組織は、不測の事態や困難に直面すると必要以上に揺れ動いてしまう。基本的な指針が共有出来ていないと、自分たちが方向修正をしているのか、ぶれているのかわからなくなる。

特にパートタイムでの組織の場合、組織設計の最も重要なことのひとつは、参加者全員で共有する価値観をどこに置くか、かもしれない。共有したい要件を増やしすぎると異質な人が排除され組織のリスクを高めるし、少なく且つ緩くしすぎると逆境に弱くなる。

多様性と同質性のバランスのさじ加減は非常に難しいが、二つのヒントがある気がする。第一に、組織として達成したい目標を明確にすることによって、ある程度バランスがとれていくと思う。第二に、人間には異質な存在を排除したがる性質も備わっているようなので、多少は異なる見解を持つ人に対して寛容であるくらいが丁度よいのかもしれない。


「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト
LIPにおける僕の今年のテーマは組織づくり。会社でもつい最近昇進したので、一ヶ月前に「はじめての課長の教科書」を購入しました。その著者である酒井穣さんの新刊。
日本で最も人材を育成する会社のテキスト
「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト (光文社新書)

本書のテーマは人材育成。なぜ人材を育てないといけないのか、どういう人々を、誰が、いつ、どのように育てるのかという問への答え、そして、その育成プログラムを評価する方法と自らが会社で取り入れている手法について紹介しています。

企業が人材を育てないといけない理由はグローバル化にあると筆者は説きます。ここでのグローバル化は、労働人口間の競争において国境の垣根がなくなる文脈から説かれています。事実、日本でもちょっとしたアルバイトの店員が外国人となっていることをよく見かけますが、この傾向はさらに進み、そのうちほとんどの業種・職種において同様の競争が起こることでしょう。好きでも嫌でも、多くの人々がこの国境なき競争に放り込まれることになります。社会人も学び続ける必要があり、その学び場が組織です。

組織には、10%の割合で積極的に学習する人々がいて、60%の消極的な学習者、そして30%の学習をしない人々がいるそうです。人材育成が、より多くの人々の能力を高めることが目的であれば、ターゲットとするべきはこの60%と本書では説かれています。

この人々に働きかけるタイミングとして紹介されているのは、(1)新入社員期間、(2)新規プロジェクト立ち上げ時、(3)出世や異動時、(4)人材がスランプに陥っているとき、(4)人材同士のトラブルがあったとき、(5)中途入社する人の入社前後3ヶ月、そして、(6)退職の前後、です。 個人的に印象に残っているのは、(6)です。人材の流動性が高い業種においては、一度会社をやめた人が戻ってくることもよくあり、退社する人々も将来の貴重な人材候補とみなす必要性は、高まっていくことでしょう(日本の労働市場の流動性が高まっていくのであれば、ですがいつになると劇的に高まるのかなかなか想像はつきません)。

人材を育てるために重要なことの一つは規律と動機づけ。このバランスが非常に重要で、うまくバランスをとらないと、人材が奴隷化したり(規律が強すぎるとき)、仲良しクラブの一員化(動機づけだけがあるとき)してしまう危険があります。

また、本書に何度か出てくる話が、「誰と一緒にいるかが、個人の成長をある程度において規定する」というものです。これは労働市場の流動性が非常に低い日本では非常に残酷な話でもあります。多くの組織において人々は上司を選べず、上司と反りがあわなくてもなかなか転職しにくいためです。こういう組織の問題について考えれば考えるほど、労働市場の流動性を高めることの重要性を痛感します。

また、本書は、実際にどうすればよいの?という問いにも一定の答えをもたらしてくれます。人材の育成結果を指標化し、それをチェックする形で育成プログラムのパフォーマンス測定をする方法が紹介されています。最終章では、酒井穣さんが勤めているフリービットでの人材育成プログラムが紹介されています。とてもユニークで面白いものが多いのですが、その中でも読書手当の存在はとても羨ましいなあ、と思えるものでした。

コンパクトな新書の中に多くの論点が整理されていて、非常に読み応えのある本でした。現在僕がいつも考えているパートタイムNPOの組織づくりにも、次に書こうとしている本についても、いくつか貴重なヒントを頂きました。

本書では組織の人々を社員とは呼ばず人材と書いています。ここからも分かるように、会社のみならず組織全般の人材育成の問題に関心のある人にはオススメの一冊だと思います。

V字回復の経営
僕はいわゆる「ビジネス書」はあまり読まないのですが、知人が絶賛していたので読んでみました。


V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)


会社によく見られる問題点と、そのおもな原因を分析し、改革につなげるための方法を著したものです。


本書で説かれている経営についての考え方は、全般的にはアメリカで洗練されてきた経営手法を批判的に再構成したものとなっていて、日本で組織を運営している人の多くが共感できるものとなっていると思います。

本書の基本内容は次の三つに分けることができます。

・組織論
・戦略論
・変革論

二つ目までは、経営学の本を読んだことがある人にとっては、聞き覚えのある内容が少なくないと思います。組織内部での分断を防ぎ、部門間の有機的な結合を目指すことや、競合関係その他に基づいて、自社の適切な勝負どころを抑えていくこと、などです。

正直なところを言うと、この二点目までについて言えば、本書に特別な価値はないと感じました。物語ベースで話が展開されるので、中途半端に教科書的な説明になっているため、組織論・戦略論について学ぶには本書の記述は冗長だと感じます。戦略論や組織論については、教科書を一冊読めばもっとすっと入ってくると個人的には思います。(僕のお勧めは、日経新聞社から出ている経営学入門)


しかし、三点目の変革のためのチーム作りと行動の仕方については、著者が自らとその仲間たちとの経験に基づいて書いているために、他者には書けないものとなっています。この変革論において、本書の無二の価値があるのだと思います。本書には、改革のための50の要諦がまとめられています。

組織の変革というのは、ある意味で革命であり、その実現のためには多くの抵抗勢力と闘っていかなければなりません。著者は、自らの経験に基づいて、改革の際に生じる人々の反応をいくつかにタイプ分けして、それぞれのタイプへの対応策も論じています。抵抗勢力との闘いは、時には食うか食われるかの熾烈なものであり、改革をやりぬくためには論理と情熱と気合が必要不可欠です。改革へのマインドと行動は、適切な人事(例えば、改革案の立案者を実行者にさせるなど)によりさらに強いものとなりえます。

たまたま本書の舞台は組織の大改革ですが、本書で説かれているポイントは、日常のちょっとした改革においても十分に役立てられるものだと思います。

自分がターンアラウンドの実行者となったときには、もう一度読みたいと思う本でした。

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