Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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「尊厳死」。
 摂食障害をもつ、愛する人が、ある日、突然倒れた。 過度の嘔吐を原因とする、心臓麻痺。 病院へすぐさま運び込まれる。
 命はとりとめた。 しかし、医師からは、意識が戻ることはもうありえないとの診断が下されていた。 脳死となってしまったのである。 愛する人は、自分がそのような状態になった際の処置について、何も言葉を残していない。 
 9年が経つ。 愛する人には、人工呼吸器をはじめ各種の管がつながれている。 いわゆる、スパゲッティ症候群である。 あなたは呼びかける。 しかし、うつろな瞳からは、答えを読み取ることはできなかった。
 アメリカの医療保険制度の下では、高度な技術が用いられている延命治療には莫大な費用がかかる。 現に、アメリカにおける破産の理由の多くに、医療費があるほどである。 


 あなたなら、どうするか?
 
 近年、「尊厳死」の問題として取り扱われている事例である。


 自分の考えは以下の通りである。

 まず、「尊厳」と言う言葉に対し、根本的な疑問がある。 一体、「尊厳」とは、誰が決めるのか? 「尊厳死」とは、一般的に、「過剰な延命措置を拒否し、人間の尊厳を保ちながら命を終えること」と定義される。 
 ここでいう「尊厳」は、英語ではdignityに当たるが、これは、憲法上の個人の尊重における「尊重」とほぼ同じ意味で解釈されているようである。 その「尊厳」は、自分以外に誰も決めることが出来ない性質のものであるはずである。 しかし、現状の「尊厳死」では、死ぬ人間の「尊厳」を、その人間以外のものが決めているのである。 そんな事が出来るのであろうか?


 一応、これらの事例をカッコつきの「尊厳死」と呼ぶことにしておいて、問いの答えを考えよう。 アメリカのオレゴン州のように、この状況で延命処置の停止を要求するのが合法だという状況を仮定して。


 考えるだけでノイローゼになりそうである。 

 -これが人間といえるのか?
 -だれが、人間とそうでないものを決められるのか?

 -自然の状態なら死んでいるのだ。
 -その、自然の状態なら死んでいるのを生かすために、医学は発展してきたのだ。

 -意識は戻らないとの診断がされている。
 -医学が発展すれば、いつか、意識を元に戻す方法が生まれるかもしれない。 例えば、クローンを作って、その脳に過去の記憶をインプットして移植するような(クローンそのものの問題はここではおいておく)。

 -実際問題、お金がない。
 -何か手立てはあるはずだ。 

 
 空想なら、悩んで終わりで済むが、実際に事が起これば、それは許されない。 現実は過酷である。 
 悩みぬいた挙句、今の自分なら、延命処置の続行を依頼すると思う。 しかし、いつか、生活苦などの理由から、延命処置の停止を申し出るかもしれない。 現在の正直な心境である。

 
 あなたなら、どちらをえらぶか?

 また、もし植物状態になったのがあなただったら、どうして欲しいか? 自分は、死を選ぶ。 そのための意思表示を、日本尊厳死協会に登録しておこうと思う。 ああ、矛盾。 

 
 
米連邦控訴裁判所が、植物状態の女性テリ・シャイボ氏の延命を望む両親による再審理の請求を却下した。 食料を供給するチューブが抜き取られて、もう13日が経つ。 基本的に、延命治療用の器具を取り払われた人間が生きられるのは、1,2週間だという。 風前の灯の命である。
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よく見える目と強い心が欲しいです。
専門学校の講師に、本物の英語力をつけるために何が良いかと聞いたところ、タイムを読みなさいと言われた。 アメリカの雑誌である。 この雑誌の英語は一流の英語らしい。 確かに、文のかたち、語彙ともに、水準が高い。 薄い雑誌なのに800円とべらぼうに高いし、1週間で読みきれるわけでもないので、たまに買っている。

 あるイラクの親子の記事であった。 親は、子がフセイン政権の影響から逃れられるように、遠くの職業学校にて学ぶようにさせた。 子は、親から離れた学校で過ごすことになるのだが、そこでイスラム原理主義に傾倒していく。 定期的に親に送る手紙も、イスラムの原理に反する親の行為に対して批判するものへと変わっていった。
 卒業して帰郷した時、子はいでたち、思想、ともに完全なイスラム原理主義者のそれになっていたという。 家族の間での口論は絶えない。

 今のイラクでは、このような家庭が少なくないという。 毛沢東時代の中国における、紅衛兵の少年たちと、その親たちとの間の悲劇を髣髴(彷彿)させる。 いや、それよりも、もっと身近にあった。 考えるたびにやるせない気持ちになる。
 
 思えば、少年たちの純朴な気質から、彼女・彼らが歴史における悲劇の主体となった例は少なくない。 現代でも、ヒトラーユーゲントからはじまり、件のイスラム原理主義の少年まで。
 共通点があるように思われる。国際・国内政治の緊張した状況である。他にもあるのかもしれない。
 少年たちを直接そのような行動へと仕向けた人々への怒りを禁じえない。 しかし、この怒りは、この外的状況を作った人々へも同様に向けられるべきであろう。 タイムの記事はこのような外的状況の要因を9月11日のテロとしていたが、他にもあるのではないだろうか。


 蔓延する悲劇には、必ず構造的な問題が潜んでいる。 それを見つけて、否と言える人になりたい。
快眠のすすめ。
 英語力増強のため、日課以外に、図書館に置いてあるTIME、Newsweek、Businessweekを読んでいる。 あの薄さで800円。 法外な価格なので、購入は考えられない。 語彙のレベルが高いのだが、いつのまにか辞書なしで読める様になっていた。 やはり、一年前より上達しているのだな、と一安心。


 眠りについての記事で、役に立つ最新の研究成果が書いてあったのでここに記す。 

 眠りの質を上げるために。
 -体内時計を作るために、決まった時間に寝起きする。
 -眠りの環境を整える。 涼しく、暗く、静かなのがよい。
 -カフェインは午後には飲まない。(吸収されるのに、6時間かかるのだという)
 -睡眠を導入するために、乳製品を飲むのは○。 寝酒は×。 薬はそれ次第。
 -寝る30分前には、パソコン、TVを見ないこと。 論議をしないこと。
 -心地よい音楽をかけるのは○。 怖い話は×
 -20分経っても寝れない場合は、部屋を変え、静かに出来る事柄を行うこと(読書など)。 眠気が来るまで気長に待つこと。
 


 眠りの役割については、まだ論争があるようだが、ある特定の技能の能力の向上と一定の関係があるらしい。 眠りに近い時間に行うこと、すなわち、夕方に行った技能の方が、上達が早いのだと言う。 よし、これから、ドラムは夕方にしよう。 

 あと、カフェインなしのコーヒー(所謂ディカフェというもの)も購入を検討中。

 また、ある友達曰く、「枕を変えると人生が変わる」のだという。 そういえば、LOFTで、頭の形を測ってから作ってくれる枕を販売していたのを思い出す。 給料が入ったら、買いに行ってみようか。
考察。
 ネットでこんなのを見つけた。http://www.danziki.com/danziki/
 なかなか本格的である。

 考えてみれば、文明以前の人々は、食を断たざるを得ない状況に幾度となく直面しているのだから、忘れられた身体の能力を目覚めさせるために断食をするというのも、理にかなっているのかもしれない。



 さて、30時間食を断ってみての考察である。

 最初の10時間:一番お腹が空く時間帯。 空の胃に胃液が流れているようで、気持ちが悪い。 逆に、思考などは冴える。

 次の20時間:神経が過敏になる。 すこし、怒りっぽくなっている。 今日は図書館で過ごしているのだが、騒音がやたらと気になった。

 以後: 無気力気味。 勉強など、手につかない。 集中しようとはしているのだが、いつの間にか、他の事を考えている。


 32時間: 明日はエネルギーを要する大切な用があるので、終了(軟弱)。 普段より少なめに食べたのだが、お腹がいっぱいで気持ちが悪い。


 途中、敢えてデパートの食品売り場に行く。 
 言葉では何とも言い表せない疎外感を感じる。 キング牧師が昔演説で言っていた、「アメリカの物質的反映の最中で、黒人は貧困にあえいでいる」との言葉を思い出す。 これが、一番大きな経験であった。 日常的に貧困の中にある人々は、どれほどの疎外感を感じているのだろう。


 自分が最も尊敬する人物の一人、ガンジーは、生涯に十八回、日数にして百六十日以上の断食をしている。 時に抗議のため、時に人々に訴えるため、自らの意志のみで食を断つ、彼の精神の偉大さを思った。01043.jpg

When I despair, I remember that all through history the way of truth and love has always won. There has been tyrants and murderers and for a time they seem invincible, but in the end, they always fall - think of it, always.
 「絶望するとき、私は歴史を通じて真実と愛の道が常に勝利してきたことを思い出す。 これまでに専制者や殺人者はいて、時に彼・彼女らは無敵に見える。 しかし、最後には彼・彼女らは常に没落している。 いつも、それを考えなさい。」
映画「ガンジー」より。 
30時間断食。
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はっと気付く。 貧困や飢餓など、不平等の問題について言及しているにもかかわらず、自分は飢餓など経験したことがない。 ハン議長が逝去した時に、喪に服して、1週間ご飯とキムチだけの生活をしたことはあったが、他は特になし、である。 家は裕福とはいえないが、特に大きな不自由もない。 

 こんな人間が、貧困や飢餓について語る資格があるのだろうか。 真剣に考えた。 昨日遊びすぎた後悔もそれを後押しした。


 そこで思い立つ。 30時間断食。 30時間断食をする事によって、飢餓にあえぐ人々の苦しみを多少なりとも知ろうと言う趣旨である。  延長するかもしれないが、とりあえずの目標は、30時間。 通常の断食のルールにのっとり、水分補給のみは行うことにする。

 たかが30時間では、現地の人々の苦しみの比較にもならないのは承知。 マスターベーションと言う人もいるかもしれない。 しかし、やらないよりは、やるほうがはるかに良いではないか。

 今日午後2時に開始。 現在8時間経過。 現時点で、予想以上にきつい。 おそらく、3時から5時までの2時間、近所をずっと走っていたことにも理由があると思われる。
 

 正式な感想は、明日のブログで。 おそらく、下の言葉の意味を、もう少しは知ることになると思う。


 涙とともにパンを食べたことのない人は、神を知らない。   ゲーテ
マージャー エンド アクイジション。
 件のライブドアの買収騒動、ついにソフトバンクが乗り出した。 結果はどうなるかまだわからないが、今日は、M&Aについて少しまとめてみようと思う。

 Merger(合併)&Acquisition(買収)、略してM&Aである。 一般的に言うと、買収される企業が消滅する時がM,存続して経営権が移行するのがAである。 買収全般を指して、バイアウト buy outともいう。 


 日本におけるM&Aは、80年代後半は400~500件だったのが、2000年には1700件を超え、急増している。 背景には、合併基準の緩和、持ち株会社の解禁、合併届出基準の簡易化、株式交換・株式移転制度の導入など、規制緩和や法制度の整備と、世界的な金融緩和、規模の経済性(大規模で作るほど、生産コストが低下する程度)の上昇などがある。 

 M&Aを行う目的は、大きく分けて3種類である。
 1.業界の再編成
 2.競争力の強化
 3.救済 

 M&Aの種類は、垂直・水平的~、など色々があるのだが、今話題になっている敵対的M&Aと友好的M&Aの区別を。 両者を区別するのは、大まかに言えば、買収される側の合意があるか否かにある。 
 買収を仕掛けられた際に、より好ましい相手に買収してもらう方法がある。 このより好ましい相手が、ホワイト・ナイト(白=良、という価値観がこんな所にまで…)である。

 
 30年以上前は、M&Aの多くは友好的なものであった。 しかし、75年以降のアメリカを皮切りに、敵対的M&Aが急増した。 当時のアメリカの企業の23%は敵対的買収を経験したのだという。

 しかし、日本においては、敵対的買収にはかなりの嫌悪感があった。 和を好むとされる、この国の風土には合わなかったとされている。 


 さて、しかし、敵対的M&Aは、果たして悪なのか。 それが問題である。 

 上でも述べたようにM&Aの最大の目的は、事業構造の再編成にある。 過剰雇用とか過剰設備以上に、事業構造の問題は大きな非効率を生んでいる。 イメージとして、一つの商店街に八百屋が10軒もある場合を考えてみて欲しい。 こんなに八百屋がいっぱいあったら、値切りがかなりしやすい。必殺の一言、「じゃあ、他のお店で買うことにします。」   
 具体的には、建設業界などがあげられる。 去年行っていた建設会社の秘書バイトで痛いほど経験したが、この産業では現在、圧倒的に売り手が過多である。 こうなると、商品の価格が下がってしまい(安請け負いの建設が増える)、利益率が下がる。 結果、経済全体に負担がかかっているのである。

 この類の問題の解消では、経営陣に多く負担が行きがちであるため、経営のトップはこの手の問題を回避する傾向がある。 自己の保身を第一に考える経営陣に、現在の問題の一部の理由があるのである。 不況期に生じる問題の解消のためには、敵対的M&Aを行うのがベストの場合もあると思われる。 
 ちなみに、75年以降急増したアメリカにおける敵対的M&Aの増減は、不況とリンクしている。 日本で急増したM&Aは、その殆どが友好的なもので、さらに、業界構造の変革を必要とする産業においては、相対的に少ない。 



 事業構造の再組織化と言うと、雇用の削減などが連想されるが、そうとは限らない。 特に、日本において、雇用の削減が従業員のモチベーションを下げ、結果企業の競争力を低下させることは周知の事柄であるので、組織の再構築が直接失業者を大量に生じさせるとは考えがたい。
 
 
 ここまで鑑みると、日本における敵対的M&Aの是非を判断するのは、かなり微妙な問題だと思われる。 なのに、現在の日本における言論は、感情論が跋扈している。 経済問題、法律問題や、歴史問題など、理知的に考えるべき問題が、感情問題に摩り替わる事が多い現状は、かなり、危険だと思う。 

 個人的には、M&Aを奨励すべきと思っている。 特に、結果的に敵対的になるであろうと思われる、事業構造が奇形化している分野、例えば、建設や不動産分野において。 

 ただし、ただ奨励するのみではいけない。 政府の制度的保障を強化する必要がある。 M&Aの増加により、失業者が、一般の予想よりは少ないとは言え、それでも出ると思われる。 この人々の生活を保障する制度を民間で作ることは難しい。 これは、政府の仕事である。 M&Aを容易にする制度を作るだけでは、片手落ちの政策である。 政府のセーフティネットの整備を伴った、M&Aの促進は、日本の経済の回復に大いに資すると思われる。


                        以上。


 読んでくれた方、ありがとうございました。
雨の神楽坂。
 試験対策の予備校で、メーリングリストを作っていた。 情報の共有やモチベーションの維持が目的。 あと、問題文のタイピングなどで、規模の経済を達成しようともしていた。 
 これを最初に呼びかけた時の反応といったら。。 けれど、何人かの人たちは、共感をしてくれて、その後色々と情報の共有をするようになった。 今でも、彼女・彼らとはつながりを持っている。 
 今日、予備校の友達が、知り合いを紹介してくれた。
 東大とコロンビア卒で、現在、ある金融機関でチーフオフィサー。 つい最近まで、コロンビアのインタビューを受け持ったこともある。 ので、面接における重要点について教えてもらう。 一番大切なものは、その人間の全般的な印象なのだという。 あと、GMATよりも、エッセイと推薦状とインタビューが何よりも大切とのこと。 審査の過程など、内部の人間のみぞ知る情報をも教えてもらえた。 
 神楽坂で、焼肉をご馳走になる。 焼肉屋で、初めてワインを飲んだ。 

 やはり、投資をする人間だからか、会話がそれに特化している。 店内にある色々なものを見ながら、投資の機会を常に意識している姿勢に、プロフェッショナリティを感じた。 常に、こうありたいものである。

 寝不足のせいか、日記にキレがないのが歯がゆい。 明日から、またちゃんとせねば。
雑貨屋。
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 早速、fireworksという画像編集ソフトの練習中である。 写真は、その試作品。

 デザイン関係の書籍を買いに、東京の丸善まで。 帰り、有楽町まで歩く。 このルートを取るときは、いつも、東京国際フォーラムを通る。 この建物、設計した人は、いったいどんな人なのだろう。 いつ見ても、そう思う。
 
 写真のart forumという雑貨屋は、東京国際フォーラムの中にある雑貨屋である。 面白いものがいろいろ置いてある。 期間ごとに変わる展示室もある。 今日は、店内の展示場にろくろが置いてあって、それに5メートルほどの棒がつけられて回っていた。 商品のタイトルは、「ろくろは、回して遊ぶもの」。 おお、作品だったのか。 新手の健康器具かと思った。 これは、写真撮影を許してもらえなかった。

 となりのカフェも、なかなかいい雰囲気。 しかも、コーヒーが250円と、このつくりのお店にしては、安い。 イベントがあるときは大混雑であるが、そうでない時は、かなりゆったりできる。 本を買った後に喫茶店に入って、その本をパラパラと見るのが無性に好きである。 今日も例に漏れずそうした。


 雑貨屋が好きである。 小学生の頃から今まで、雑貨屋に行くたびに感じるあのワクワク感は変わらない。 いつ行っても、目を楽しませてくれるし、頭の中のどこかが触発される感じがする。 老後にでも、こういった雑貨屋を経営出来たらいいと思う。 さながら、「耳を澄ませば」に出てくるお爺さんのように。
文脈を通じた、情報の変換形式。
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 だいぶ前にも書いたが、小1から緑星囲碁学園と言う道場に9年間通った。 六段という段位に特に意義は感じないが、その過程に得た多くのものについては感謝してもしきれない。

 一つは、記憶力である。 訓練をつむと、最初から、最後までどこに石を置いたか覚えることができるようになる。 
 今日、ふと、この時身につけた記憶の方法論から、より効率的な記録形式を作ることが出来ないものかと考えた。

 素人知識なので穴があると思うが、現在、パソコンなどに記録をする際、0と1を用いた2進法を用いている。 情報を0と1の無数の組み合わせに変換する事により、記録がされているのであるが、常々、「もっと効率のよい変換形式はないのか」と、思っていた。 パソコンのハードディスク容量が残り3GBほどになって起動の重さを感じるようになり、思いは一層つのる。

 さて、囲碁の対局の記録を普通に覚えようとしたら大変である。 最初の1手で361の選択肢があり、次の手には360の選択肢がある。 3手目には、359。 これを機械的に覚えたら大変なことになる。 異常な記憶力の持ち主であっても、記憶は不可能であろう。 
 より長い手数を覚えられるようになるコツは、文脈を通じて覚えることにある。 布石の知識や、相手の力量、手を打った時の思考の経路、感情、全体的な雰囲気などをすべて巻き込んで、覚えることが可能となる。 この記憶術には、本当に長い間世話になっている。

 生きてから死ぬまでの全ての事柄、その膨大な情報量全てを記憶している人間の脳も似たような「文脈を通じた情報の処理システム」をとっていると考えられる。なぜなら、ふと、何かを思い出す時は、そのときの記憶の文脈上に存在したものを見た場合が圧倒的に多いからである。 例えば、自分にとって、バスとビートルズと夏の気候がそろえば、サッカーの合宿が思い出される、など。
 この、文脈を通して記録するのと同じ論理の変換形式を作ることは出来ないものか。できたら、ノーベル賞は確実であろうな。 
 素人であるからできる幼稚な発想なのであろうが、業界の常識を知らない素人にしかできない、革新的な発想と言うのもありえると思う。 どの業界に住むことになっても、つねに、常識の枠にとらわれない、しなやかな生き方をしたいものである。
ソニー。
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 自分が持っている家電はソニーが多い。 主な理由は、パソコンがVAIOであることにある。 家電のメーカーは一つに統一しておいた方が、何かと便利なのである。 ヘッドフォンなども、やはり、同メーカーの機器の音を意識して作られるし。 メモリースティックなどは、言わずもがなである。 所謂、「ソニー信者」ではない。 パソコンと連動しないものは基本的に非ソニーである。


 親友である井深大と森田昭夫が1946年に設立した東京通信工業。 後に社名をSONYに変更。 SONYとは、音「SOUND」や「SONIC」の語源となったラテン語の「SONUS」と、「小さい」/「坊や」という意味の「SONNY」を組合わせたものである。 当時まだ小さな企業であったソニーが、はつらつとした若者の集まりである、という意味もあったらしい。
 ソニーは、敗戦後、高度成長を遂げた日本の象徴のような企業であった。 62年にアメリカにはじめて進出した企業はソニーであったし、ウォークマン、トリニトロンテレビ、プレイステーションなど、革新的な商品を生み出してきた企業である。 特にウォークマンがもたらした「音楽を携帯できる」という変革は、本当に革命的なものであったと思う。この発明は、人々の生活様式をある程度変化させた。 
 
 しかし、現在不調にあるようである。 グループ全体のうち60%を占める電気製品部門の収益は、今回約3億4000万ドル減少し、この5年で株価は66%下落した。 
 そんな折の、今回のハワード・ストリンガー氏のCEO就任であった。 色々と話が出ているようであるが、同社の株式の70%を海外の資本が保有している現状において、さほど驚くべきことではないであろう。 現在の状況において、CEOがどの国の人間であるかの議論は、あまり用をなさないと思われる。 要は、彼が、ブラジルで生まれ、フランスで教育を受けたレバノン人のカルロス・ゴーン氏の様に、ソニーに再び活力をもたらすことが出切るか否かにある。
 ストリンガー氏は、アメリカでのソニーの収益を大いに上げた(2004年度の4分の3を回った時点で収益を30%アップさせた)功績があるのだが、彼は、その際に、スパイダーマンのフランチャイズの活用のみならず、コスト削減のため9000人を解雇した経歴がある。 知り合いがソニーに勤めているので、ストリンガー氏が同様の手法を執るのかもしれないと危惧していた。 が、しかし、本人は日本ではその手法をとることがアメリカにおいてのように容易でないことを理解しているようなので、一安心である。

 
 さてさて、どうなることやら。 近いうちに、同社に努めている先輩に事情を詳しく聞いてみよう。





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ニューヨーク市では、窓ガラスが一つ割れたら、すぐにそれを直すように努めているらしい。 なぜなら、一つを割れたままにしておくと、さらに割っても構わないという考えを持つ人が増え、結果として、より多くのコストがかかってしまうからである。
 家の近くを見ながら、ついつい、そのことを思い出した。 ゴミのポイ捨てや、駐輪違反などにも同じ論理が働くと思う。 自治体は、何かできたはずである。
 
あたらしい「理解の枠組み」との遭遇。
 市場調査、翻訳、書類作成、そしてウェブデザイナー。

 今、担当している内容。 次から次へとやることの内容が増えている。。 

 
 新たに、働いている企業のホームページを開設することになり、それを担当することになった。 ホームページの出来次第で、収益は確実に変わってくるのみならず、この経験は自分の将来に確実に生きる。 

 専門家にアドバイスを受ける。 
 良いホームページを作るのにおいて一番大切なことは、デザインなのだという。 この一言で、俄然やる気が出た。
  

 
 こういう勉強をしながら、人の「理解の枠組みを作る能力」に感嘆せざるを得ない。 リーダーシップ、音楽、美術など、よく「感性の産物」と思われている事柄も、実は、先人たちが積み重ねた、この「理解の枠組み」によって、かなりのレベルまでは習得することが可能なのである。 感性のほとばしりなどが問われるのは、本当に最後の段階。 それ以前なら、誰でも到達することは、努力によって可能であると、自分は思う。
 
 さっそく、本屋にいって、デザイン関係の本を購入。 勉強開始。 うーん、すばらしい。 ホームページのデザインのみならず、これからの生活や活動に生きること間違いなしである。 この頃、美術に興味を持ち始めた事とも相乗効果を生みそうである。 
 ひさしぶりに、かなりのワクワクを感じる。
 あの、ドラムスティックをはじめて握った時のような、試験対策の予備校にはじめて通った時のような。 


 

 帰り道、仕事場から歩いていけるので、この頃行くことが増えた有楽町。 東京国際フォーラム前。
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トットヌンウリタン。
 「竹島の日」成立により、かなり、騒がしくなっている。

 領土に関する国際紛争を見るたびに思うのだが、解決の糸口を探すことが甚だ難しくみえる。 「元々は自分たちの領土だ」といっても、それを立証することはとても困難なのだから。 国際法の枠組みでの解決と言うのが現状では最も合理的かもしれないが、その方法が禍根を残さないかと言うと、そうとは考えがたい。

 一連の領土紛争における立証の難しさは、一つ、重要なことを教えてくれるのではないだろうか。

 土地とは、もともと、特定の個人や社会集団が「所有」できる類のものではないのだ、と、この頃思う。 多くの人に猛反発をされそうだが、自分にはそう思われてならない。
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春のにおい。
 春のにおいと言うものを感じるのは自分だけだろうか? 口で表現するのは非常に難しいのだが、どことなくわくわくするにおいである。 今日、すこし暖かい風の中に、自分は確かにそれを感じた。
 ああ、また季節が過ぎ行く。 今年見ることになる桜を見れるのも、あと何回か。 ついつい、考え込んでしまう。 

 出会いと別れが交錯する季節。 今年の春もよい出会いがあることを願って已まない。



今日、久しぶりに時間があったので読んだ本。 コロンビアの教授、ジェフリーサックスの最新版。「貧困の終焉」

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誰がために運は微笑む?
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 卒業した同部屋の後輩が、出展のため、2週間NYに行くことになった。 卒業記念とパラジを兼ねて、ちょっと奮発して贈り物を購入。 昔、「コーナーキック」と読んでいたブランドのリストバンドっぽい腕時計。 後輩の普段のコーディネートにはしっくりきそうである。
 
 今日、9時半に大学を出るというので、その時に渡すつもりだった。 家を8時に出れば間に合う。
 しかし、問題発生。 バイトの都合がどうしてもつかなかった。 急用で休めるような性質のバイトではない。 どう足掻いても、時間内につけないことがわかる。がーん。

 新宿あたりを通過するだろうから、その時に渡そうと考える。 しかし、車で直接成田空港まで行くとの事。 二度目のがーん。

 バイトの用事を一時的に済ませて、携帯の時刻表を確認。 ここで渡さなかったら後悔すると思った。 バイト先の虎ノ門から日暮里へ出て、から特急に乗って成田空港へ行くことに決める。 午後2時過ぎに到着。 後輩が乗るのは、ノースウェスト航空3時30分発の便。 
 搭乗口への入口は幸い一つしかないので、そこで後輩があらわれるのを待つ。 なかなか来ない。 10分過ぎ、20分過ぎ、30分・・・あっという間に、2時50分。 後輩の携帯の電源は切れている模様。 早く戻ってバイトの用を再開しないといけない。
 焦りがつのる。 係員に聞いてみたら、「もう、中に入ってしまっているでしょうから、会えないと思いますよ」との至極当然な返事。 本日三度目のがーん。

 それでも、奇跡を信じて待つ。 

 2時55分。 
 
 来た。 どうやら、何か急用が生じて、モールのほうに行っていたようである。 駆け足で入口に現れた。

 声をかける。 さすがにびっくりしたようである。 「ヒョンニム、まさかここまで来るとは…」が第一声。 そりゃそうである。 来た本人もそう思っているのだから。
 
 急いでるようだったので、十分に言葉も交わせず、渡すものを渡して別れた。 こうなることを予想して手紙を書いておいてほっとする。



 昨日の教訓が、そのまま生かされた。 兎に角、ベストを尽くすこと。 それでだめならしょうがない。 
 どうやら、運命の神様は本当に微笑むことがあるようである。 ただし、ただ微笑むのを待つばかりの人間には、その可能性は低そうである。 


 帰りの電車に乗る。 片道、2000円かかったが、帰りの風景を見ながら不思議な満足感に浸る。多分、諦めていたら感じられなかった。
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 29日には帰ってこれるのだそう。 どんな土産話が聞けるか、楽しみである。
磁石の交差点。
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 写真を撮り忘れた。 写真は、ブルーノート東京のクレモンティーヌ公演のもの。


 なかなか世話になった後輩の女の子が卒業する。 卒業前にどこにも連れて行ってあげられなかったので、今日、品川のジャズバーへご招待。  
 おしゃれなつくりで、料理もなかなか。店員のマナーも良い。 ちょっと前までコース料理を用意していたのだが、現在はないようだ。 それでも、予算を相談して、おすすめ料理でコースを作ってくれる。
演奏は、ピアノとサックス。 この組み合わせは久しぶりに見る。 ピアノがなかなかの技巧派であった。 多分、彼は、ハンコックを意識している。
 満足してくれたようだ。 よかったよかった。


 磁石の交差点。 
 多分、人の出会いとはそんなもの。 
 偶然の出会いでも、惹きつけるものがあれば、付き合うことになる。 長らく一緒にいても、それがなければ、一緒でなくなったときに、あっさりと関係は遠くなる。 別れ際に、そんなことを、ふと考えた。 
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