Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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「尊厳死」。
 摂食障害をもつ、愛する人が、ある日、突然倒れた。 過度の嘔吐を原因とする、心臓麻痺。 病院へすぐさま運び込まれる。
 命はとりとめた。 しかし、医師からは、意識が戻ることはもうありえないとの診断が下されていた。 脳死となってしまったのである。 愛する人は、自分がそのような状態になった際の処置について、何も言葉を残していない。 
 9年が経つ。 愛する人には、人工呼吸器をはじめ各種の管がつながれている。 いわゆる、スパゲッティ症候群である。 あなたは呼びかける。 しかし、うつろな瞳からは、答えを読み取ることはできなかった。
 アメリカの医療保険制度の下では、高度な技術が用いられている延命治療には莫大な費用がかかる。 現に、アメリカにおける破産の理由の多くに、医療費があるほどである。 


 あなたなら、どうするか?
 
 近年、「尊厳死」の問題として取り扱われている事例である。


 自分の考えは以下の通りである。

 まず、「尊厳」と言う言葉に対し、根本的な疑問がある。 一体、「尊厳」とは、誰が決めるのか? 「尊厳死」とは、一般的に、「過剰な延命措置を拒否し、人間の尊厳を保ちながら命を終えること」と定義される。 
 ここでいう「尊厳」は、英語ではdignityに当たるが、これは、憲法上の個人の尊重における「尊重」とほぼ同じ意味で解釈されているようである。 その「尊厳」は、自分以外に誰も決めることが出来ない性質のものであるはずである。 しかし、現状の「尊厳死」では、死ぬ人間の「尊厳」を、その人間以外のものが決めているのである。 そんな事が出来るのであろうか?


 一応、これらの事例をカッコつきの「尊厳死」と呼ぶことにしておいて、問いの答えを考えよう。 アメリカのオレゴン州のように、この状況で延命処置の停止を要求するのが合法だという状況を仮定して。


 考えるだけでノイローゼになりそうである。 

 -これが人間といえるのか?
 -だれが、人間とそうでないものを決められるのか?

 -自然の状態なら死んでいるのだ。
 -その、自然の状態なら死んでいるのを生かすために、医学は発展してきたのだ。

 -意識は戻らないとの診断がされている。
 -医学が発展すれば、いつか、意識を元に戻す方法が生まれるかもしれない。 例えば、クローンを作って、その脳に過去の記憶をインプットして移植するような(クローンそのものの問題はここではおいておく)。

 -実際問題、お金がない。
 -何か手立てはあるはずだ。 

 
 空想なら、悩んで終わりで済むが、実際に事が起これば、それは許されない。 現実は過酷である。 
 悩みぬいた挙句、今の自分なら、延命処置の続行を依頼すると思う。 しかし、いつか、生活苦などの理由から、延命処置の停止を申し出るかもしれない。 現在の正直な心境である。

 
 あなたなら、どちらをえらぶか?

 また、もし植物状態になったのがあなただったら、どうして欲しいか? 自分は、死を選ぶ。 そのための意思表示を、日本尊厳死協会に登録しておこうと思う。 ああ、矛盾。 

 
 
米連邦控訴裁判所が、植物状態の女性テリ・シャイボ氏の延命を望む両親による再審理の請求を却下した。 食料を供給するチューブが抜き取られて、もう13日が経つ。 基本的に、延命治療用の器具を取り払われた人間が生きられるのは、1,2週間だという。 風前の灯の命である。
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