Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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コミュニケーションについて、③ちょっと選挙について。
 東京都は現在、7月3日の都議会議員選挙にむけて各候補が最後の追い込みをかけている。 けたたましいうぐいす嬢(選挙カーで「○○、○○、○○をよろしくおねがいします!」といっている人のこと)の声が鳴り響く。

 3ヶ月ほど、成り行きでさる候補の事務所で働いていたことがある自分としては、面識のあった候補たちの結果について気になるところである。

 この選挙事務所で働きながら、一つ、わかったことがある。 なぜ、自民党がずっと支配的地位を占め続けてきたかの理由である。

 理由の一つに、この党が持っているコミュニケーション能力の高さを感じた。 支持基盤の強固さなどはここではおいておく。

 自民党は、選挙民との係わり合いの全てにおいて、先に自分があげた基準を、かなりの水準で満たしているのである。
 特に、相手を尊重し、自己を抑制することにおいて、そのやり方はすごいと感じた。 
 行動に心遣いが行き渡っているし、日本の多くの人々が選挙に参加する際に何を求めているのかをよく分かっていて、彼・彼女らが望むものを提示する。 どこかで、選挙民を愚民と思っているのかもしれないが(どうかはわからないが)、そんなことは、選挙時にはおくびにも出さない。 
 多くの候補者は人間的に魅力があり誠実な人たちであった(といっても、この人々と自分が政治談議をしたら大変なことになることは間違いない)。 ちょっと触れ合った人であれば、その人を信頼させるに足る人々である。 
 そんな人々が、選挙民に話をする。 ちょっと論理に無理があっても、聞いている人々は比較的素直にそれを受け入れる。 「あの人がいっているのなら、おそらく正しいのだろう。」と思う人が多い。 これが、厳然たる事実。 ちょっとした驚きであった。

 反面、党として全般的にコミュニケーション能力がとてもよろしくない(と感じた)のは、所謂左の政党たち。 どこかに、「私たちがあなたたちをリードしてあげます」的な感じがある候補者や選挙事務所関係者が少なくない。 ひどい場合などは、選挙民に説教を始める事務所関係者までもいた。 他に、集会などの質疑応答のコーナーでちょっと的外れな質問をした人に対し、しかめ面をした候補者もしばしば。

 コミュニケーションにおいて自分が挙げた四つの基準のうち、論理性は、4分の1でしかない(こんな単純計算もどうかとも思うが)。 それをもうちょっと理解したら、投票は増えるんじゃないのかなー、と傍で見ながら感じていた。 反感が生まれてしまった時点で、いくら正しいことを言おうが人々にうまく伝わらないものなのである。 
 

 相手を尊重し、相手を信頼させる。 そうすることにより、論理的で分かりやすい話が生きてくるのである。 学術的論争と、人間社会運動には、ちょっと違う力学が多少は左右するのである。

 政治理念に関心が無く、人柄に投票する人々が多い日本。 また誰かに「それは愚民観だ」とか言われるかもしれないが、これが、自分が選挙事務所で働きながら目の当たりにした事実。 この国では、選挙活動を行うにあたってのコミュニケーション能力の重要さを考えずにはいられない。
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コミュニケーションについて、②総論。
 長文です。
 
 多くの場合、参考文献を読めば読むほど、結論はシンプルになるものである。 もう少しシンプルにするには、更なる研究が必要なのであろうが、現在自分が必要と感じていた知識は得られたので、コミュニケーション関連の研究は当分はしないと思われる。

--------------
 コミュニケーションとは、その当事者の社会関係構築のための意味と感情のやり取りである。

 そのための手段は、言語と身体、それを司る頭である。

 コミュニケーション能力を向上させるために必要なことは、
① 相手を尊重し、自己を抑制できること
② 人として信頼できること
③ 論理的であること
④ 考えたことの言語化がうまいこと
 の四つである。
---------------------
 以上、自分がコミュニケーションに関して研究し、得た結論。


 普段の生活においても、交渉においても、プレゼンテーションにおいても、コーチングにおいても、以上の4点を押さえていれば、ほとんどの問題は解決できるようである。
 
 では、具体的に述べていくことにする。 コミュニケーションといっても、日ごろの他愛ない世間話から、ちょっとまじめな話まで色々あるが、だいたい、1分以上のコミュニケーション、特に、交渉、会議、コーチングなどを想定しながら述べていく。


1. 相手を尊重し、自己を抑制できること

 ①自分が話すことは、相手の望むものにピントを合わせること
 キリストの言葉がとても参考になる。 原文ままではないが、映画パッションにて、「何かしゃべってみろ」といった獄吏の言葉に対する彼の答えだ。
 「私は常に、人が私に望むものを語ってきた。」
 至言であると感じる。 

 もちろん、自分の主張など、相手が望まないことを言う必要も時にはある。 しかし、そういう場合は、思ったほど多くないようである。
 基本は、相手が望むものを、さらに言えば、望むもののみを話すこと。 自分の知識をひけらかしたり、その他目的のために、相手が明らかに望んでいないことに対して、べらべらとしゃべらないこと。

そのために
 ②相手の話をよく聞くこと
が重要となってくる。
 聞きながら、必要に応じて要約したり、言い換えたりして、自分の理解に誤解が無いように勤めることである。 時によってはメモを取るのがいい。 よく分からないところがあったら、質問をしっかりとするなど、相手が伝えようとしていることをよく聞く必要がある。
 
 絶対にやってはいけないのは、相手の話の腰を折る事。 これをやられてしまうと、多くの人は、自分が尊重されていないと感じるようになる。 その結果、その人に対して心を開き真の意味と感情のやりとりをしようとする意欲もうせてしまう。



2. 人として信頼できること
 コミュニケーションは、相互の信頼関係を土台にして成り立っている。
 人間は機械ではない。 信頼の置けない相手に対し、自分の本当の考えを率直に述べることができる人間はそう多くは無い。 信頼のおける人となることが、コミュニケーションを向上させるために重要な要素となる。
 その主な内容は、二つ。
① 自分を明確に持っていること
自分の考えを、自分の言葉で語ることが出来ること。 参考となる意見をくれるという予感を感じさせることが大切である。 その土台には、自分が培ってきた世界観や使命感などがある。

② 誠実であること
   テンプルだったか、彼が言っていた。
  「話し上手の秘訣は、一に誠実」
  誠実こそ、相手に信じてもらうにあたって最も重要なことである。
  約束は守る、人を分け隔てない、礼儀をわきまえる、感謝を忘れない、つらいときに友を見捨てないなどなど、であらわされる誠実さが、コミュニケーション力向上においてとても重要である。


3. 論理的であること
 
 コミュニケーションを有意義にするためには、論理性を伴う必要がある。 主な内容は、以下の点にて示される。

 ①体系的にものを考えられること
 論理的な話をする際には、頭の中に、話すことの系統図がしっかりと出来ている必要がある。
 それでないと、相手に自分が言いたいことがつながらない可能性がとても高い。
 結論、理由、要素などをしっかりと考えながら、順序良く話すことが必要である。

 ②仮説を立て検証できること
 特に、答えなどを探す際のコミュニケーションにおいて重要である。
 「相手が言いたいことはこうではないか?」という仮説を、会話内で検証していき、結局相手が求めていることは何か、を探すことなどである。
 仮説検証能力を高めることにより、不要な情報が排除されるため、結果伝えられる情報の質は高くなる。

 ③計画力があること
 現在と過去の問題について語るだけではなく、将来のことについて、明確に語ることが時として重要である。
 語られる計画は、その長所と短所、実現可能性とその理由などが語られないといけない。



4. 考えたことの言語化・身体化がうまいこと

 頭で得た考えを、言葉と身体を使って相手に伝えるのがコミュニケーションであるのだから、この能力は必須である。 そのために、特に必要と感じられることは、

 ① 情報を多く持っていること。
 言語や、出来事について知っていれば知っているほど、己が考えたことを言語化することが容易となる。

 ② 表現が分かりやすいこと 
 聞いている人間が、その人の話をイメージすることが容易であること。 たとえ話や、具体例などを用いて話せることなどがその内容。

 ③ メッセージ力があること
 言葉が、相手の耳に残ること。
 人の心に響く言葉を日ごろから準備して行き、一つ一つ選ぶ。 お手本は、キング牧師。

 ④ 身体を話している内容と一致させること。
 相手の目を見て話す、うなずく、その他のボディランゲージ。
 人間は、言語のみならず身体からも数多くの情報を受信・発信しているのである。 うつろな瞳で希望を語っても、人がそれを希望としてとらえることは難しい、などなど。


 以上、書いているうちに疲れてしまったので、後らへんは、尻切れトンボ気味。。
 
 次回は、各論。 それぞれの能力を伸ばすためのトレーニング内容について。
暗闇に瞬く光。
 ある出来事があった。 出来事と言うには、不謹慎かもしれない。
 そして、ふと、思ったこと。
 こいつ、ちがったか、と思われるかもしれないが。
 
 世には、死が溢れている。 

 いや、もっと正確には、死こそものの常態なのだと思う。そして、いのちはいとしき蜃気楼。

 いのちの歴史が始まって以来、生まれてきたものは、今生きているものを除いて、全て、死んでいるのだ。
 
 例えば。 人間の人口が63億を突破した現在でも、それでもやはり、生きている人より、死んできた人のほうがはるかに多い。

 よく考えてみれば、当たり前のこと。
 けれど、何か、不思議に感じた。 うまく形容できないが、何か言葉にはしがたい驚きが、ここにはあった。

 ふと、いのちが、暗闇の中に瞬く光に感じられた。

 どうやって生きるべきか。
 一生続くであろうこの問いかけ。
 そんなことを考えているうちに蛋白質の塊になってしまうと知りつつも止められない問いかけ。
 
 考えながらの帰り道、干からびた蚯蚓に蟻が群がっていた。 いつもとすこし違って見えた。
コミュニケーション能力について①。
 そろそろまとまってきたので、コミュニケーション関連で書き綴っていこうと思う。 主に、意志の伝達や交渉、コーチングについて研究してきた。
 

 まず、数ある不足している能力の中で、コミュニケーション力を最初に考えた理由は、
 
 ①、目標達成のために、対人折衝能力がもっとも重要であると感じていること。
 
 ②、すべての習得しうる能力たちの中で、一生使う能力である。 金融の知識とか、法律の知識は、使わなくなるときがくるかもしれないけど、コミュニケーションは一生するわけだし。 今すぐにでも必要なもの。

 ③、この期間(特に今年から)コミュニケーション不足により、数回痛い目にあった。笑


 である。 さらに、コミュニケーションそのものに関して言えば、


 ④、コミュニケーション力は、個人の足りないスキルを補ってくれる。 目標を達成するために、知識がたりなくても、まわりにバックアップしてくれる人がいれば、それで問題解決は容易になる。 そのバックアップしてくれる人を得るためにも、コミュニケーション能力は重要。

 ⑤、コミュニケーション力は、訓練すれば、ある程度身につく。 その、身につく度合いが、一般的なスキル(例えば、リーダーシップ)などより、高い。

 これが、動機。

 次に、自分のコミュニケーション能力を知るために、資料に基づき、アンケートをとった。


 アンケートをとった理由は、

 ①人間は自分を客観的に見るのが難しい。
 ②自分の考えた結果と、人々の考えた結果のギャップは、貴重なinsightを与えてくれる。
 ③特に、コミュニケーションに関しては、「自分がどう思っているか」より、「周囲の人がどう思っているか」ということが持つ重要性が高い。

 の三点である。

 以上、前ふり終了。
取り越し苦労。
 数時間前、ちょっとした葛藤を繰り広げる。
 今、メールが来てホッとした。

 事の始まりは、3日ほど前から。

 ある事業でお手伝いしていた時に近づきになった人からメールが。 

 「飲みに行くからこない?」

 お世話になった人であるし、これからも仲良くしていきたいので、OKの返事を出す。 
 彼は、もう30代後半。 おそらく、友達と飲みに行く場に連れて行ってくれるのだろう。 とか何とか、勝手な想像を膨らませる。

 メールを通して、場所などが着々と決まっていく中、参加する人たちについて何気なく質問のメールを送る。

 「ああ、僕の友達。 だいたい36歳くらいで、僕以外は金持ち(笑いの絵文字)」

 おお、相変わらず気さくな人だ。 と、思っていたところ、、
 さっき、


 「あと、○智の3年生の女の子たち(ハートの絵文字)」

 ・・・
 
 ・・・
 
 えーっと、それは、ちょっと、世間で言う「合コン」という範疇には属さないものでは。。 ちなみに、その人は結婚していない。 確か、結婚は、女の人は16歳から大丈夫。 でも、そんな問題じゃない。

 色々な考えが頭をよぎり、葛藤が始まる。
 そういうシチュエーションに耐え切れるか?
 しかし、OKした手前、むげに断るのも。
 あと、こういう、TVにモザイクがかかって出るような絵を見れる機会は他にないかもしれない。
 そもそも、なぜ自分をそんな場に呼ぶのか…
 いや、もしかしたら、自分の勘違いで、ただの一緒になんかしらの事業を手がけた仲なのかもしれない。
 いくべきか、いかぬべきか、それが問題だ(ハムレット調)。

 金融工学の数式とにらめっこしながら、こんな考えに脳みその短期メモリがだいぶ用いられる。
  
 徒に時間が過ぎる中、先ほどメールが。

 
 「女の子が一人キャンセルしちゃったので、中止。 また機会があったらよろしくね。」

 ちゃんちゃん。 
 教訓。 次からは、先にメンバー確認します。
こんなパソコンあったら欲しい。
 忘れない間に備忘録として書いておく。

 パソコン業界の競争、スペックにあまりにも目が向きすぎでないか?と、思う。 そんな高いスペックじゃなくても、一般生活でコンピューターを使うのに不便は感じない。 自分が今使っているバイオは、今年で3年目。 まだまだ、不便を感じることはない。

 スペックよりも、使い心地を重視した戦略を立てるのがいいと感じる今日この頃。 
 現時点でもいくつかの企業は、そのような戦略を立てているようであるが。 例えば、ソニーの新しいVAIOは、手を置く部分が高くなっていて使い心地がいいらしい。 他に言えば、IBM(あと5年で社名が変わるらしいが)の、THINK PADのタイピング心地。 これも、かなりよい。


 今日考えたアイディア。 自分が将来行う仕事に関するアイディアは秘密だが、今から述べるアイディアをもって自分が生産する気にはならないので、ここで書いてしまう。

 ノートパソコンの、手のひらを当てる部分に温度調節機能がついたパソコン。 電流を通して冷えたり温まる金属ってのはあるのだろうか? もし、あるのなら、それを利用。 ないのなら、他の方法で生産。
 夏場になればなるほど、ノートパソコンでタイピングをしているときの手のひらの熱には嫌気がさす。 仕事のストレスと相俟って、とてもイライラが募る。 冬場は寒くて指がうまく動かないし。
 
 しょうもない発明だろうか? しかし、パソコンの熱、これから先、省エネのための部屋の温度の上昇などの状況を考えれば、あながち、不要なものとは考えられない。
 もし、そんなパソコンが出たら、自分なら、多少値が張っても買うと思う。 KHM先輩、もし、VAIOから出たら、迷わず買いますよ。
シカの手紙。
 シカが、わが子野口英雄に送った手紙。
 思わず涙ぐむ。 言霊の力を考えずにはいられない。


はやくきてくたされ はやくきてくたされ
はやくきてくたされ はやくきてくたされ
いしよのたのみて ありまする
にしさむいてわ おかみ ひかしさむいてわ おかみ しております 
きたさむいてわおかみおります みなみたむいてわおかんておりまする
ついたちにわしをたちをしております ゐ少さまに 
ついたちにわおかんてもろておりまする 
なにおわすれても これわすれません
さしんおみるト いただいておりまする
はやくきてくたされ いつくるトおせてくたされ
これのへんちちまちてをりまする ねてもねむられません


―訳―
はやくきてくだされ はやくきてくだされ
はやくきてくだされ はやくきてくだされ
一生のたのみで ありまする
西さ向いては おがみ 東さ向いては おがみ しております
北さむいてはおがみおります 南さむいてはおがんでおりまする
朔日には塩絶ちをしております 栄昌様に
朔日にはおがんでもろておりまする
なにをわすれても これわすれません
写真をみると いただいておりまする
はやくきてくだされ いつくる教えてくだされ
これのへんじをまちておりまする ねてもねむられません
五辨の椿。
 l.jpg


 山本周五郎を知ったのは、「さぶ」を読んでから。 数々の文学賞候補に選ばれながら受賞を拒否してきた人である。 
 人の弱さ、強さ、やさしさなどに対する著者の暖かいまなざしが叙述全般にあふれていてとても心地よい。 「さぶ」、是非読んでみてください。

 そんな山本周五郎原作の、「五辨の椿」演劇が、人形町は明治座にて上演されている。 知り合いの先輩がチケットを持ちながらも見に行けなくなってしまったため、無償で譲り受けた。 前から三列目の、すばらしい席である。 
 演出や配役は、もっとよく出来たのかもしれないという感じは受けた。 序盤はいまいち噛みあってなかったと思うし、台詞に明治維新後に日本に輸入されたであろう、「尊厳」という言葉が頻繁に出てきたので、かなりの違和感があった。 などなど。
 しかし、全般的にすばらしい舞台だったと思う。 さすがプロ。


 あらすじは以下のとおり-----------------
 
 むさし屋の娘であるおしのは、病を患う父、自分を本当に愛してくれていた父を、つきっきりで看病する。 しかし、甲斐はなく、父はあの世の人となる。 
 病が感染するのを恐れて寮に移ったきりだった淫蕩の母が、浮気相手の女形を連れて、家に帰ってくる。
 父の死体の前で、「気味悪い」と吐き棄てるように言い、「あなたが悲しむことはないよ」と、母。「あなたは、この人の子じゃないんだから。」と。 おしのは、母と源次郎という男の子だったのだ。
 のみならず、父の死体がある部屋の隣で、連れてきた女形と淫行を始める母。 
 寝静まった母と女形に油をかけ、亡父の家に火をつける。 女形の焼死体がおしののものと勘違いされ、死んだものと思われるおしの。 
 しかし、彼女は生きていた。 実の父を含む、母の淫蕩の相手たちへの復讐を胸に誓って。 


 五辨の椿。 辨は、はなびらの「弁」という字の旧字体。 育ての父の愛した花、椿。 憎き5人への復習を果たし、あの世の父に捧げようとするおしのの想いからのタイトルであると思う。
 
 最後がどうなるかは、見ての、または読んでのお楽しみで。
--------------------
 
 四時間にわたる劇を見終えての感想のテーマは、「かなしみ」だった。

 生きていくということは、時に、悲しいことだ、と、思う。 歳を経るごとに、その思いは募る。

 多くの人が、他人には決して言えない悲しみや苦しみを背負って、それでも必死に歯を食いしばって生きている。 おしのや育ての父のみならず、母や、実の父にも、言葉に出せないかなしみがあった。  

 そのようなかなしみや苦悩の深さは、愛の深さに比例するのだとと思う。 深い心情の持ち主は、人をより深く愛せずにはいられない。 そのため、他人について、より一層、かなしみ、憂う。 
 
 かなしみや苦しみについて、忌避される向きが強い、今の世の中である。 
 しかし、かなしみは、まったくの無駄で、不要なものか? そうは思わない。

 かなしみは、人がどのような存在なのかということを教えてくれる。  
 顔は笑っていても、心が血の涙を流すことがある。 この苦しみは、人間が本来どうあるべきかについて示唆をしてくれる。 心のみならず、身体も同じである。 身体に痛みを覚えるからこそ、人は、自らの異常を知る。 本来の健康について考えることになる。 人間が本来愛を望まない存在であれば、また、孤独を望む存在であれば、なぜ、かなしみや苦しみを感じようか。 かなしみや苦しみは、その人が本来あるべき心の状態にないからこそ持つ感情だ。 
 心の痛み、かなしみや苦しみは、自分のありかたがどうあるべきかについて、教えてくれる。 深くかなしむことは、その人間の人間としての偉大さの裏返しなのだと思う。 

 生きていくことが悲しいことだからこそ、世の中が輝かしいものに見えるようになるのだと思う。 暗闇の深さを知る人こそが、陽光のまぶしさを知るように、深い苦悩の持ち主こそが、いつか、生の喜びを誰よりも深く知るのだ。 

 まだ23年とすこししか生きていないが、生きていくことは、

 時に、故人の墓の前で茫然と立ち尽くすことだと思う。
 時に、夕日と蝉の鳴き声がとても懐かしく感じられることだと思う。
 時に、人の優しさに触れ、涙と共に食事を口にすることだと思う。
 時に、一日の仕事の終わりのビールに舌鼓を打つことだと思う。
 時に、後で笑い話になるような行き違いから大喧嘩することだと思う。
 時に、振袖合う縁に心をときめかせることだと思う。

 そうやって、日常の中で喜怒哀楽し、生きていくのだと思う。
 よりよく生きるために、いつまでも、心のしなやかさを保ちながら生きていきたい。

 チケットを譲ってくださった竜先輩、ありがとうございました。
赤レンガとモーションブルーとキャリア。
DSC01038.jpg

 家のドアから1時間で着く、横浜は赤レンガ倉庫。 

 2年ぐらいぶりに、軽音時代お世話になった姉さんとゆっくりお話をすることに。
 仕事場から近いようなので、ここに決定。
 
 グルーヴの虜になっている自分にとって、赤レンガで最もアツい場所といえば、そう、モーションブルー横浜。 ブルーノート系列のお店である。
 ブルーノートが毎回チャージをとるのに対し、ここでは、たまにチャージ無料のフリーライヴが開催される。 丁度会う日とフリーライヴが重なったので、こりゃもう行くしかないでしょう♪♪♪ 

yuta_top2.jpg

 今日は、この人。
 それにしても、ブルーノートやモーションブルーに演奏を聞きに行って、はずれに出くわしたことが無い。 プロだから当然かもしれないが。 

 オルガンソロライヴ。 オルガンは嫌いでない。 ちなみに、ドラム以外の音で、最も好きな音は、リズムのよく取れたオルガンの音とカッティングの音とベースの音。
 すさまじい運指。 手元の映像がスクリーンに流れていたのだが、すごすぎて笑いが出た。 それを、足でベース音を踏み鳴らしながら行う。 
 一部二部があって、二部には、マリーナ・ショウのstreet walking womanなどの、個人的に懐かしい歌がちらほらと。 大満足の演奏でした。 


DSC00981.jpg

 演奏の合間や、途中に色々とキャリアその他の話をする。
 他人の考えや経験談は、いつ聞いても本当に勉強になる。 それが、専門職で働いている人間ならなおさらである。 日ごろの仕事に意義を求めながら生きている、プロフェッショナルなこの人は、素敵な大人になるのだろうなあ、と思う。 

 楽しく触発される時間を過ごすことができた。 

  
 本当にやりたいこと、一生のうちに全力をつぎ込めることを見つけるのは本当に大変なことだと思う。 見つけられる人は、幸せだと思う。 見つけて、その道で生きていける人は、本当に幸せだと思う。 その道を全うできる人は、無上に幸せだと思う。


 答えは、自分の中にこそある。 自分の経験に基づいて、少し書いてみようと思う。 

 自分のこれまでの人生の中での出来事、出会いなどから感動した事柄を思い起こす。 それとともに、自らの長所・短所、気質、興味・関心などを考える。 書いてみたり、他人と話し合ったりするとより一層はっきりしてくる。  
 これで、自分がどういう人間か、大体見えてくる。 それをもとに、人生のテーマを考える。 これで、50%。

 人生のテーマが決まれば、その達成のための道筋(具体的な職業)を考える。 シナリオをたてるといってもいい。 
 自分の生い立ち、社会関係、スキル、性格、興味などから、道筋について決める。 だいたい決めてみたら、それについて勉強をしてみて本当に自分がやりたいことかを検証する。 社会との関係も検討する。 ここでも、書き付けること、対話は重要な示唆を与えてくれる。 これで、80%。
 
 その道筋を考えながら、短期・中期・長期で目標を立てる。
 「なぜ、何を、どれくらい、いつまでに、どうするか」という質問に答えられるように、人生の時間割を手帳にでも書き込む。特に、1・3・5年の目標は重要。 それを元に、一週間単位で、具体的な計画に落とし込んでいく。 客観的に見てくれる人がいるとなおよい。 これで、計画自体は一応完了。
  
 あとは、鉄の意志で実行あるのみ。 その目標が本当に心の底から考えられたものであれば、意志は本当に強くなる。 その意志は、困難を打ち克つ力をくれる。 
 また、毎日、自分を振り返ることも目標の実行の為に重要である。 例えば自分は、毎晩、寝る前にベランダで決められた事項について瞑想をする。
 -志に違いや改善すべき点はないか。
 -必死に生きたか。
 -他人の為になにかしたか。
 -些細なことにこだわらなかったか。
 -決めたことについて守ったか。
 -つらいことを、厭わずに行ったか。
  
 を、検討し、だめだった点について、なぜだめだったか、改善するには明日からどうすればよいか、具体的な解決策を考える。
 

 大切なことは、大志を抱き、それを成し遂げる技能と忍耐を持つということである。そのほかはいずれも重要ではない。 ゲーテ

志の固き人は幸いなるかな。汝は苦しむ。然れども長く苦しむことなし。また誤って苦しむことなし。  テニスン

人間、志を立てるのに遅すぎるということはない。  ボールドウィン


 一度しかない人生。 
 生きられる時間に比べて、やり遂げたいことは通常余りにも大きい。 
 たまには道草もいい。 けど、それで終わりたくない。
 明確な目標を決めて、それに全力を注ぎたい。 
 一つきりの自分の命を煌めかせたい。
 
 「時よとまれ、そなたはかくも美しい!」と、ファウストのように叫べるその日のために、明日からも頑張ろう。 
蛇と脱皮。
 ニーチェ曰く、

 脱皮できない蛇は滅びる。その意見をとりかえていくことを妨げられた精神も同様だ。 「曙光」より

 よくぞ喝破したと思う。
 
 組織と個人両方について、同様のことが言えると思う。
 
 過去の成功にとらわれ、時の流れの変化に対応することを放棄した組織は滅びる。 柔軟性を失った事業部制、終身雇用制、年功序列制、企業内組合制などなど。 まるで、恐竜のように。  

 個人も同じ。 他人のアドバイスに真摯に耳を傾けることを放棄したときから、その人間の堕落が始まると思う。 
 だめなところがあると思ったら、それを素直に認めて、変革するように努めればよい。 自分を向上させる恥は、歓迎されるべきと思う。 
 ただ、人の意見を参考にすることと、己の信条を貫くことは対立しかねない。 その場合の判断は実際に難しいと思う。 将来のみぞ、どちらが正しいかを知っているのかもしれない。 しかし、最初から他人の意見を受け入れないことと、他人の意見と己の信条とについて思い悩むこととは、天と地ほどの差があると思う。

 土曜日に会った先輩がふと話した、「旧態依然」という言葉をききながら、ふと、こんなことを考えてしまった。


 漫画「いいひと。」で、ある百貨店の再生を目指しているときのある場面を思い出す。 正確な文は、しも兄が知っているはず。

 「恐竜は滅んだぞ」

 「会社は恐竜じゃありませんよ。 人のあつまりです。」



 上のニーチェの「妨害」という言葉は、「人間は、本来は意志を改変できる」という命題を黙示に含んでいると思う。 人間精神に対する希望を持って、かつ必死に、頑張っていきましょう。
メディカルエイジテスト。
表現活動の三要素。
 更新がおくれて申し訳ない。

 軽音サークルの後輩たちの公演があったので、見に行く。 舞台の持つ力か、2週間前の練習時とは比べ物にならない出来栄えであった。 思わず手拍子を打ってしまった。 やはり、歌ものバンドは、ボーカルが命だということを実感。 

 音楽を含む表現活動全てに共通する要素があると思う。
 ・心
 ・技術
 ・勢い

 である。 
 表現活動であるのだから、まず、伝えたい想いがなければならない。 そして、その心を伝えきる技術がないといけない。 これらが、強烈な勢いと共に、観衆・聴衆に投げかけられたとき、その表現行為は、すばらしいものになると思う。
 
 技術も必要だが、バランスが肝心。 プロでない、学生の軽音サークルならなおいとど。

 新入生のレベルもなかなか高くて、今年も期待できそうである。 早くも本公演が楽しみになってきた。 見にいけるかどうかは微妙だが・・・
反証不可能な悪口。
 大学生の頃、学部内ではやっていたブラックジョーク。

 「ずっと隠してたんだけど、、、お前って実は、○○だったんだ。」 

 ○○の中には、通常、臭い関連の単語が入る。 口やら、脇やら、その他もろもろ。 理由はいまだによくわからないが、学部の友達同士で、これを言い合っていた。 もちろん、ネタである。


 似たような言葉で、よく親から言われていたのは、

 「手順、おまえ、実は、うちの子じゃないんだ。 橋の下で拾ってきたんだよ。」

 これを言われて、保育園児の頃に何回へこんだことか。 一度は、家なき子ばりに、本気で家出を考えた。

 
 ふと、思ったこと。 
 悪口の中で最も相手にダメージを与えるのは、反証が不可能な悪口。 さらにいえば、「ちがう!!」と、心の底から確信することが難しい悪口。 

 と、知ることによって、この類の中傷から受けるダメージを少し軽減できると考える。 エントリーにわざわざ書いた理由。
Groovin' High!
RM240507B.gif


 一番好きなドラマーは誰? 
 
 と、もし訊ねられたら、迷いなく、この人の名前を挙げる。

 偉大なグルーヴマスター、スティーヴジョーダン。 今月号のドラムマガジンで、彼の特集を組んでいたので、迷わず購入。

 身近な人で自分の音楽観に大きな影響を与えたのはファン先輩とトニー先輩だが、アーティストとして最も大きな影響を与えてくれたのが、スティーヴ・ジョーダンである。
 彼のDVD、"groove is here"を見たときには、本当に、電撃に打たれたような衝撃であった。 グルーヴって、こんなにも人を動かすのかと。 

 それ以来、ドラムに対する見方がガラッと変わった。 リズムとダイナミズムがプレイするときの最高の課題となった。 8ビートに命を懸けるようになった。 アップビートを意識し始めた。 グルーヴに乗れない早打ちに恥を覚えるようになった。 曲のためのドラムを考えるようになった。 ドラムの個性とは何かを考えるようになった。

 スティーヴ・ジョーダンの演奏の最大の特徴は、音楽をプレイすることにあると思う。 ドラムをプレイするよりも先に、彼は音楽をプレイする。 一つ一つの歌が持つソウルを最大限に尊重して、それを生かすドラムを考える。 ジャンルに拘泥せず、幅広い音楽を聴く。 
 
 ジョンスコフィールドと久しぶりの共演によるCDも販売されているようである。 レイ・チャールズのトリビュート・アルバム、"That's what I say" である。 これも、近いうちに購入することを決める。

 近いうちに、ジャズのレジェンド、ソニー・ロリンズと共に来日するそうである。 ブルーノートで演奏するのかな。 もしそうだったら、絶対に見に行こう。 あわよくば、サインをもらう☆
適性試験の分析。②
 全体の傾向として、相変わらず、導出系の問題が多い。 導出系の問題とは、問題文から、正しいもの・正しくないもの・可能性などを導き出す問題である。
 
 これも、
 第一回(’03本試験):18/20・・・90%
 第二回(’03追試験):15/19・・・79%  
 第三回(’04本試験):18/20・・・90%
 第四回(’04追試験):13/17・・・76%

 と、常に76%以上の率を保っている。

 試験においてのルールの理解の重要性が、格段に上がっている。
 ルールの理解が問われる問題数は

 第一回(’03本試験):10/20・・・50%
 第二回(’03追試験):12/19・・・63%  
 第三回(’04本試験):18/20・・・90%
 第四回(’04追試験):12/17・・・71%

 と、着実に増えている。 

 第三回の90%はちと高すぎる気もするが、引き続き、問題の中でのみ適用されるある主のルールの理解が必要となる問題は、全体の70%ほどに及ぶのではないかと思われる。

  
 上の傾向と、かなりの相関度をもって、
 ―ルールのしっかりとした理解
 ―ルールに乗っ取った場合わけ  
 の重要度が上がっている。 母集団が少ないので、相関を立証するにはちと心細いが、場合わけとルール理解の重要性は引き続き高いと思う。

 そのほか、絵描き、表の作成、ベン図、論理把握、場合わけ、論理式などは、引き続き有効かと思う。 コンスタントに要求されている。

 
 大まかな傾向は上のとおり。
 次に、テクニック。
 導出系の問題では、
 ―肢の排除の順番を効率よくする。
 -矛盾する関係を探す
 -特徴的な規則を探す
 -問題の要素(例えば、問題中に出てくる分類で、背の高さ、職業、体重etc..)が5つ以上の場合は、迷わず後回し。
 -どうしても迷ったら、もっとも紛らわしい選択肢を選ぶ。

 非導出系の問題では、
 ―極端な表現(必ず、まず、など)が入った選択肢は後回し。
 ―主観的な表現(~と思っている、と信じている、など)が入った選択肢も後回し。
 -論理の流れは、可能な限り単純化する。
  
 あたりが、引き続き、有効かと思う。


 以上。 



-----------------------
 データ要る人には、差し上げます。 メールに添付して。
 急いで作ったので、変なところもありますが(たとえば、問題のネタの分類は、かなりずさん)、役に立てるのなら幸いです。
日課のグレードアップ。
日課として、ただ毎日10キロ走るだけでは物足りず、このごろ、新しい試みを始めた。 

 何のことはないのだが、800mダッシュを5本混ぜることにした。
 800mダッシュで大体3分。 10キロ走る間に、800mダッシュ→400mジョギングを五回繰り返す。

 理由は単純、毎日の10キロ走がさほどの苦痛に感じなくなってきたためである。 

 人間、何事も慣れてしまえば、客観的にはつらいこともなんともなくなってしまう。 苦痛に対し躊躇し、それでもそれを乗り越えるという精神作業を行えなくなってしまう。 克己心が弱まる。  だからこそ、困難に慣れた後に、さらに苦しい困難を設けて、それを乗り越えることが大切と考える。

 日々修練。 

 「死ぬ日まで修行と考えよ」といった修行僧は誰だったか、行ける所まではやってみようと思う。
バイアウト市場についての備忘録。
 日本の今後のバイアウト市場について、ふと思いついたので、備忘録をとどめる。 
 バイアウトについては、こちらを参照

 おそらく、5年くらいのうちに市場の形成のための枠組みは出来る。
 
 バイアウトの市場が出来るためには、なにが必要か。 ちょっと考えてみる。

 ①バイアウトを必要とする企業や事業部の増加
 ②市場にファンドを形成するための金が回っていること
 ③法整備

 といったところか。 

 ①については、さほど問題でないと思われる。 通常、バイアウトは、景気が回復に向かう時期に必要とされる。 日本では、まさに、今が好機と言えると思う。

 ②これは、ちょっと問題。 バイアウトファンドを形成するに当たって、海外からの資金が多いのが現状である。 
 日本人は、傾向として、投資を忌避し貯蓄を好む。アメリカ人とは正反対である。 日本人の投資性向は、0.075(収入の7.5%を投資に回すということ)、貯蓄は、0.56。 対して、アメリカ人の投資性向は、0.2、貯蓄性向は、0.18。 差は歴然としている。
 しかし、郵政が民営化すれば、この点は、かなり改善される。

 ③は、現在なかなかいいペースで進行中。 商法も劇的に改正されるようである。 

 政府は、②、③を推進してきた。 ここまでで、②がなかなか難しそうである。 本来なら、②→③の順序で進めるつもりの改革が、逆になってしまって、さあ困った困ったといったというのが、実情だと思う。
 
 
 バイアウト市場の形成のための政策は、郵政の民営化が成し遂げられれば、一段落を見ると思う。
 しかし、ここで見落としてはならないのが、政策を実現したからといって、その目標が必ずしも実現されるわけではないと言うことである。

 特に、いまだに、日本やドイツにおいてはバイアウトという経済行為が受け入れられない風潮がある。 ドイツ以外の欧米では投資家にとっての企業は利益を上げるための手段という考え方が主流であるのに対し、日本やドイツでは、企業はともに手を取り合って発展していくパートナーといった考え方が主流である。 この考え方が変わらない限り、バイアウト市場の盛行は少し遅れると思う。
 ただし、企業について、どちらの考え方が良いかについて、判断は不可能と思う。どちらにも、一長一短がある。 
戦場のピアニスト
ASBY-2361_L.jpg


 戦場のピアニスト。 
 実在の人物、シュピルマンの数奇な人生を映像化したもの。 

 物語は、とても静かに流れていく。 多くの凄惨な映像が、無音のまま流れることにより、現実感が増している。 また、技術的には、窓からの描写が多いのが、逃亡生活の雰囲気を良くあらわしていると感じた。

 この映画、東アジアの中でも、日本人とそうでない人々によって、感情移入の度合いに、大きな差があるそうである。 実際に、掲示板らを見ていても、それは感じる。 足を踏んでいる人間は、踏まれている人間の痛みをわかることは難しいのだろうと、感じずにはいられない。

 また、音楽とナチスについて考える場合、どうしても思い出してしまう、ワーグナーとカラヤン。 ナチスの象徴的な音楽を作ったワーグナーは、ナチスの台頭期には、もう他界していた。 一方、ナチスの国家指揮者であったヘルベルト・フォン・カラヤン。 81年に「ナチスの党員であったことを何も悲しいとは思わない。同じ状況に置かれれば、今でも私は同じ行動をとるだろう。したいことをするためには、人殺しでもするのだ。」と、平然と言ってのけたカラヤン。 
 自分は、どうしても、この指揮者を偉大と考えることができない。 賛辞なぞ、もってのほかである。 
 しかし、自分がドイツ人だったら、どうしたろう。 シンドラーには、なれるかもしれない。 しかし、暴挙が我が物顔で闊歩している中、死を賭してまで物申せる人間であることは出来るだろうか? 

 どうやら、自分はまだまだ、弱い善人のようである。 修練せねば。
適性試験の分析。①
 はじめて会った大学生の子に、自分の詩が好きで覚えてしまったと言われ、舞い上がる。 しかし、5つ下の弟より若く見えると言われ、ちょっと微妙な気分になる。 大学一年生の弟より若く見えるということは、言い換えれば、

 高校生に見えるということ。

 さすがに、ねえ。


 閑話休題。

 今年は受験をしないのだが、2週間、ロースクール受験の際に必要となる適正試験の分析をすることにした。 


 対象は今までの過去問。 全80問程度なので、さほど大変ではないかと思う。 また、80問もあれば、そこそこに信頼できる傾向を読むことが出来ると思う。

 ツールはエクセル。 このソフト、なかなかのポテンシャルを秘めているのである。 よほど高度な統計的手法をとらない場合には、エクセルで十分事足りる。

 分析の際に一番重要なのは、その切り口。 今日中にそれを考えて、
あとは、エクセル君に計算の命令を下すことになりそうである。

 勉強は、
 要領、集中力、時間が主な要素だと思う。 
 B=f(Y,S,Z)。  

 集中力、時間は、本人によるもの。 要領は、他人でも貢献できる。頑張ってみようと思う。

 しょぼい報告になってしまうかもしれないが、とりあえず、やれるだけやってみる。
歴史を紡ぐ人。
高校時代の一つ上、たけ先輩の講義を聞く。

 ああ、この人は、歴史を紡ぐ人になるのだな、と、率直に感じた。 綿や繭から糸を作るように、自らの口で語られていない45年代から60年代の在日朝鮮人運動の歴史を語っていく、強いモチベーションと煌く知性を感じることが出来た。

 彼のモチベーションは3つである。
 一つ、45年から60年代までの在日同胞の歴史が、主に支配権力側である官庁により語られてきた現状の解決。
 一つ、在日朝鮮人史の研究を通じた、自己と同胞の規定と、それらの未来の模索。
 一つ、在日朝鮮人史の研究を通じた、脱植民地化。

 彼は、自らを在日朝鮮人と規定する。 それは、地域としての朝鮮に対する植民地支配と、それを受け継ぎいまだ続く植民地主義に対し抵抗する存在として自らを規定するからである。

 彼の研究の特長は、構造に対する理解にあると感じた。 
 彼は、植民地支配を、構造としてとらえる。その主な要素は、民族、階級、ジェンダーである。 構造は、時に物理的暴力を伴うこともある。 また、旧植民地に残る、植民地支配の残滓、自らを再構成する残滓に対し、鋭い視線を向ける。 彼は、脱植民地化を、これら、再構成し続ける残滓の生産の過程としてとらえる。
 本質的な問題である構造に対する理解から始まるため、「帰国か永住か」、「強制労働か移民化」などの、皮相的な議論に陥らない。 

 この方法論は、生きるにおいても、研究するにおいても大切なことだと思う。 本質的な、構造的な問題にたいし考え理解することによって、移ろいやすい日常に対し、どっしりとした態度をとることが可能となるのである。 

 20年後には、アジアの碩学と呼ばれるような人物となっているかもしれない。 その時には自分も、分野は違えど、事を成していようと思う。 大きな刺激を受けることができた一日であった。
パズルの答え。
先日のパズルの答え。

問題を見ていない人は、まず、こちらをご覧ください。


 コメントくださった方、皆さん正解です☆☆☆☆

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 「嘘つき問題」と言われるものです。 
 嘘をつく人とそうでない人を見分けつつ、答えを探します。 難易度はピンからキリまで。 問題の中の条件が増えるほど、難しくなっていきます。 

 コツは、嘘つきを探すこと。 って、当然ですがな。
 もうちょっと詳しく言うと、

 互いに矛盾している発言を探し出して、それをとっかかりに、当てはめながら解いていく。  

 というのが、オーソドックスな方法です。
 
 まず、女神像は、問題から、両端には置かれていないので、嘘つきは二人、本当のことを言っている人は、二人となります。

 次に、発言を見ていきます。

① 手順 「末姉の左隣に女神像があります。」
② しも 「俺の左隣にはトニー兄がおるんよ。」
③ トニー「わしの右隣には末がおるぞ。」
④ 末  「チョウ(私)の右隣にしもがいるよ。」 


 さて、手順の発言は、誰とも明らかに矛盾はしません。 
 そこで、しも兄、トニー兄、末姉に注目。
 図にしてみましょう。

 しも兄の発言 :  トニー しも
 トニー兄の発言:  トニー 末
 末姉の発言  :  末  しも

 ここから、

 しも兄とトニー兄の発言→矛盾する
 しも兄と末姉の発言  →矛盾する
 トニー兄と末姉の発言 →両立しうる
 
 ことがわかります。 

 しも兄の発言は、トニー兄・末姉の二人と矛盾していることになります。

 ここから、考えられるパターンは

 しも兄:正直者 で、 トニー兄・末姉:嘘つき
 しも兄:嘘つき で、 トニー兄・末姉:正直者

 の2通りです。 

 トニー兄と末姉の発言の嘘・本当は常に同じなので、手順の発言の嘘・本当は、常にしも兄と同じになります。
 
 言い換えれば、
 しも兄・手順 が 女神像の両側に立っている
 トニー兄・末姉が 女神像の両側に立っている

 のどちらかとなります。

 あとは、当てはめるだけです。
 
 手順の発言が正しい場合と嘘の場合の両方を考えて見ましょう。

 -正しいと仮定した場合
 
 ①より、   女神像 末
 
 よって、末姉の発言は嘘。 同時に、トニー兄の発言も嘘となります。 同時に、しも兄の発言は本当になります。

 よって、
 
 ②より    トニー しも


 しかし、女神像の右隣に末姉がいるのが確定しているはずで、トニー兄は当然女神像の左側にいなければならないのに、矛盾してしまいます。

 よって、手順の発言が本当である可能性は、排除されます。
 次に、手順の発言が嘘の場合を考えます。

 この場合、
 嘘 :手順、しも兄
 本当:トニー兄、末姉

 となりますので、トニー兄と末姉の発言から、
 
 トニー 末 しも

 が確定します。 しも兄が嘘をついていると言うことは、その隣に、女神像があるはずなので、

 トニー 末 しも 女神像

 手順も嘘つきなので

 トニー 末 しも 女神像 手順


 以上です。
たまにはパズルでも。
 アボジは数学教師。
 塾などに通ったことは人生で一度も無かったが、子供の頃、色々な問題をアボジが出してくれたのを覚えている。
 主に、漢字の読み書きと、パズルだった。

 久しぶりに、パズルを解いてみたくなったので、勉強の合間にすることにした。 さて、問題。  
 解答は、明日の夜。 
 出来た人は、コメントください。 



--------------------------------- 
 手順、しも兄、トニー兄、末姉の4人が、嘘つき女神像と一緒に、横一列に並んでいます。 
 ちょうど、こんな感じに。 並んでいる順序はわかりません。
ただし、女神像は、両端にはありません(=左から2番目~4番目のあいだ)。

 左  ○  ○  ○  ○  ○  右


 魔法により、女神像の隣に立った人は、嘘をついてしまっています。
 四人の発言を聞き、女神像を含めて、誰が、どこに並んでいるか、答えてください。


 手順 「末姉の左隣に女神像があります。」

 しも 「俺の左隣にはトニー兄がおるんよ。」

 トニー「わしの右隣には末がおるぞ。」

 末  「チョウ(私)の右隣にしもがいるよ。」  

 
 ヒント:意見が食い違っている人を探すことからはじめましょう。

組織変革について。④
収拾つかなくなる前に、しめちゃいます。
 (長いです)

 先のエントリーで、


組織の変革とは、
組織の人々の行動の変革であり、
そのために、人々の行動諸要因に働きかけることであり、
そのために、組織の理念、戦略、制度について変化させることである。


 と述べた。
 行動諸要因までは、前回に一般論レベルで述べた。
 次に、理念・戦略・制度について。
 
 組織の理念は、主に、①組織の存在目的、②組織の行動の規範からなっている。 
 経営理念は重要である。なぜなら、人間は、意味を求める動物であり、また、組織の運営にあたり共通の価値観(経営理念がこれになる)を持つ事が、人々の行動の方向性を統一するにあたって重要だからである。 組織の理念が、組織の文化(組織内で共有されているものの見方、考え方)となったときに、理念が根付いたと言うことが出来ると思う。

 戦略は、教科書の定義そのままに使えば、
 「社会の中の組織としての活動の長期的な基本設計図」
 または、
 「企業や事業の将来あるべき姿とそこにいたるまでの変革のシナリオを書いた設計図」であるとされる。

 それぞれの言葉の意味を解くと
 社会:戦略は、環境に対応したものととらなければいけない。
 組織としての:戦略は、人の集団を率いるものである。
 活動:戦略は、実行可能であるもの
 長期的な:戦略は、目先の損得にとらわれない長期的なもの、短期的なものは戦術。 
 基本設計図:戦略は大きな構想を語るもので、ディテールを語るものではない。

 つぎの「」を説明すると、戦略は、
 現状と将来のあるべき姿をはっきりと見据えた上で、
 書かれた変革のシナリオであるということ。
 ここで重要なのは、現状と将来のあるべき姿は、戦略をたてる際の前提であって、戦略そのものではないと言うこと。

 組織の制度は、組織の中の人々の協働を促進させるためのものである。 協働の枠組みを定める組織構造、協働の意欲を引き出すインセンティヴ(やる気)システム、協働の遂行のための計画とコントロールがある。
 組織構造を作ることとは、組織内の役割分担、意志決定プロセス、情報伝達のシステム、ルールを定めることである。
 インセンティヴシステムは、人々のモチベーションを高め、そのモチベーションが協働へとつながるようにするためのシステム。
 計画とコントロールとは、将来のためにあらかじめとる案と、計画どおりに進まない場合の行動修正のことである。 その本質は、人々の間の様々なコミュニケーションと情報の流れを促進し、秩序立てるためのシステムである。


 以上、興味がある人は、日本経済新聞社の「経営学入門」(リンク)を参照とされたし。 上記のことの80%はこの本の内容にそっている。 入門と銘打ってあるにもかかわらず、580ページに及ぶ本である。 が、これを、2・3回読み直すことは、とても有意義である。 へたな知識を雑誌から拾い集めるより、体系化されたこの本を読むほうがよい。 自分が大学3年生のときに紹介してくださったトニー先輩に感謝。
 

 組織の変革のために、組織の運営者達が直接的に働きかけることが出来るものは何か。
 理念・戦略・制度に働きかけること以外は難しい。 行動諸要因に直接働きかけることは、小さな組織体であれば可能である。 しかし、大規模な組織では難しい。

 これが経営の難しさだと思う。
 経営者が直接的に働きかけられる対象に対し、やるべき事をやったとしても、それが、結果的に変革の内容である、組織内の人々の行動の方向と強度の変化に結びつくかどうか、確証は無いのである。 人々の行動は、何がどうあっても、窮極的にはその個人の判断によっているのだから。

 
 国家として、このことに気づき、対策を本当にうまくとっていると思うのは、ピョンヤンの政策である。
 政策担当者たちは、立派ないれ物(理念・戦略・制度)を作ったところで、その中にいる人々がそれについていけないのならば、画餅に帰することをよく知っていた。 特に、欲望的側面よりも、他社貢献的な側面を人間の本質と考える社会主義制度ならば、なおいとどである。
 そこで、組織の理念・戦略・制度と人々の意識水準をマッチさせるために、思想教育を徹底した。

 思想教育そのものについては是非の意見があると思う。 さらに、それを出入り自由な組織で行うことと、それが極めて難しい国家で行うことの違いについても考慮する必要がある。  
 しかし、組織の維持のための経営としては、ピョンヤンのそれは、かなりよく出来ていると思う。 あれこれ報道をされながらも、ソ連崩壊以後、15年も社会主義制度を維持してきているのだから。

 教育を組織内の制度として持っている組織は少なくないと思う。 しかし、その教育のほとんどは、技術の向上という意味合いが強い。 組織の理念・制度・戦略が意図するところと、組織の中の人々の意識の乖離を埋め合わせるために行われている教育は、あまり聞かない。 しかし、朝鮮の事例が示しているように、かなり有効な手段であることは否めないと思う。 
 学ぼうとする心さえあれば、万物すべて師なり。 松下幸之助が似たようなことを言っていた。 何からも、偏見を持たずに学ぶ姿勢を持ちたいものである。


 うーん、テーマが大きすぎた。 論文などを執筆する際に、学部生がよく犯す基本的な過ちである。 まあ、ブログなので。
バンプアヘッド。
組織論は、明日再開。
MRBIG_BUMP.jpg


 ドラムを始めたのが、大学一年生の八月。
 その後、自分の好きなバンド音楽遍歴は、数奇な道を歩いてきた気がする。 多少のずれはあるのだが、大まかに言えば、以下の通り。

 第一期:日本のロック。 初ライブで演奏した、ブルーハーツ、ハイロウズ、ブランキージェットシティー、など。 影響を与えたのは、大学時代、一緒にバンドをしたことがある友達。

 第二期:洋楽のハードロック・メタル。 きっかけを与えたのは、クラスの番長とプロレス大好き青年。 アイアン・メイデン、ハロウィン、ジューダス・プリースト、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、レインボー・・・

 第三期:ジャズ・ヒュージョン。 ジョンスコフィールドバンドのライブアルバムと、ビルエヴァンスのポートレイトインジャズから、一気にはまり込む。 影響を与えたのは、もちろん、ヨンホ先輩とトニー先輩。 一番のお気に入りは、マイルス・デイビスバンド。

 第四期:いわゆる、オルタナティヴ系。 ビョーク、椎名林檎、レディオヘッド、スマッシングパンプキンズなど。 きっかけは、ビョーク主演の映画、「ダンサーインザダーク」。

 現在 :雑聴。 グルーヴがよければ、何でも聞く。 どのジャンルがいいとか悪いとか、何も思わなくなった。 ジャンルなど関係なしに、良いものは良いと思えるようになる。 デスメタルだけは、いまだに無理・・・
 ちなみに、全期間を通して聞いてきたのはクラシック。 


 上記のアルバム、ハードロックにはまった事がある人間なら、見たことがあると思う。
 テクニシャン軍団のハードロックバンド、MR.BIGの3rdアルバム、bump aheadである。 久しぶりに聞いてみた。
 
1.Colorado Bulldog
2.Price You Gotta Pay
3.Promise Her the Moon
4.What's It Gonna Be
5.Wild World
6.Mr. Gone
7.Whole World's Gonna Know
8.Nothing But Love
9.Temperamental
10.Ain't Seen Love Like That
11.Mr. Big

 やっぱり、このバンドは、すごいバンドだったと思う。 特に、演奏技術は、本当に高い。 
 ギターのポール・ギルバート、ベースのビリー・シーン、ドラムのパット・トーピーは、バンドの解散後も、それぞれ、ギターマガジン、ベースマガジン、ドラムマガジンで特集記事が組まれている。 ロックのミュージシャンで、バンドをせずにこういった雑誌に取り上げられるのは、結構珍しいことだと思う。

 ギターとベースの超高速ユニゾン演奏が聴けるのは、多分、このバンドだけ。 1番のコロラドブルドッグとかは、聞いていて、遊園地のジェットコースターに乗っている気分になる。 ギターとベースのソロを是非お聞きあれ。

 個人的に一番好きなのは、9番のテンパラメンタルという曲。 ドラムパターンが、歌のために計算しつくされていて、すばらしい。パット・トーピーの曲に対するアプローチは、かなり斬新なものが多く、聞いていて楽しくなる。 
 この曲のドラムパターンを昔2ヶ月かけて練習した。 この曲をマスターしたら、手足4本を別々に動かすのが容易になった。

 さすがに、昔のように毎日聞いていたら気持ち悪くなると思うが、たまに聞くのはいいものだな、と感じた。 

 ああ、バンドしたい。 けど、当分、無理かな…
組織変革について。③
 組織が人の集まりである以上、第一義的に、組織の変革とは、組織の中にいる人々の変革である。

 人々の変革と言う場合、具体的には、何を変革させるのか。
 その人々の行動である。 より、具体的に言うと、行動の方向性と強度の変革だと考える。 イメージとしては、人々の、「どこに向かうか」、「どれくらいの力強さ・スピードで向かうか」について変化させることである。

 よく、組織の変革と言われる場合、システムやビジョン、戦略などの変革から考える場合が多いが、それは、人々の行動について変化をもたらすための手段に過ぎないと言うことを忘れてはならないと思う。 

 組織変革の内容を人々の行動の変革と捉えた場合、次に問題となるのは、人々の行動の方向性と強度は、何により変化するのかである。 
 一人一人が、自らの内的要因によって、行動を定めている。 個人差はあるのかもしれないが、それは、その人の

 ・目的、所有している情報、思考のパターンなどの理知的な部分と
 ・やる気などの感情的な部分
 
 が、主なものだと思う。 これらのものに働きかけることにより、人々の行動は変化を起こす。変革の第二義である。 

 これら内的側面に変化をもたらすために、理念、戦略、制度について、手を入れることになる。 変革の第三義である。 

 これが、組織の変革の全体図であると思う。

 組織の変革とは、

          組織の人々の行動の変革であり、
     そのために、人々の行動諸要因に働きかけることであり、
 そのために、組織の理念、戦略、制度について変化させることである。

 これが、自分なりの、組織の変革についての理解である。 ピラミッド的な構造で理解することが大切だと思う。

 次からは、それぞれの側面について、一般論を述べていく。
白昼の衝撃。
 家の近所、駅まで自転車で向かう道。

 急いでいたので、自転車を必死でこいでいたところ、、

 ありえない光景を目にする。



 えーっと・・・ 一体何をどうしたら。。
20050607012419.jpg


 しかも、見たらわかるように、周りに誰一人いないのである。 午後2時の昼下がりにである。
 車の中にも人はいない。
 周囲の風景と余りにも溶け込んでいて、アートの様相を呈していた。

 遅刻を恐れず、写真を撮る。 携帯でもとり、写メールを送りまくる。 そして、トラックバックをしまくっている。
 特ダネを目の前にした写真記者の気持ちが少しわかった気がした。


 車の免許をまだ持っていないのでよくわからないのだが、バックのし過ぎでこんなことが起こるのだろうか??? てか、普通ガードレールに到達せずに落ちるだろう?
 帰る時には消えていた。 一体なんだったのだろう。 ちょっと、得した気分の昼下がりであった。
組織変革について。②:枠組みとそうでない部分。
 変革のあり方について語る前に、まず話すべきことを忘れていた。
 すべての、実践のための学問に共通する問題である。 例えば、リーダーシップなどについて論じる際にも、当てはまる問題である。

 それは、枠組みとしての部分と、枠組みでは論じられない部分についての理解である。 英語では、「disciplineとart」などと表現する。 訓練や修養により得ることが出来る部分(枠組み)と、感覚や勘に頼らざるを得ない部分(アートな部分)の事である。

 人間の住む社会は複雑なもので、学問的な規律によりすべてを解明するのは難しい。 可能としても、自分が住んでいる間はありえないと思う。
 しかし、ある程度までは、学問的・経験的に枠組みを立てることが可能である。 人類は、それについて考えてきた。 これこそが、人間の智慧だと思う。
 
 よく、リーダーシップや経営理念などについて、アートの部分を強調しすぎる向きがある。 「リーダーシップなんぞ、勉強して身につくものではない。」と、言う。 こういう発言は、部分的には正しい。 しかし、完全に正しいとは思えない。 勉強や修養で、ある程度までは、身につくものなのである。 
 
 分野により、アートが多くを占める分野(芸術など)と、経験的・学問的枠組みが多くを占める分野(統計学など)がある。 しかし、アートのみの分野など存在しないし、枠組みのみで完結する分野も存在しない。 歌一つを作るにしても、理論の勉強はは大きな援けを与えてくれるし、統計学を用いて事象を解析する際にも、ある種の勘が必要となる。

 何らかの問題解決の手法について学ぶ際には、それは枠組みであり、大きな援けを与えてくれるが、完全な答えを与えてくれるわけではないと言うことを理解しなければいけないと思う。 そういう立場で学ぶことにより、学習の効果も大幅に上がると思う。
組織変革について。①
 将来バイアウトファンドを設立するときのために、理想的な組織のモデルについて研究中である。 組織として最高のパフォーマンスを発揮できるのみではない。 その中にいるすべての人がお互いに信頼し、仕事にやりがいを見出せる、そんな組織である。 

 バイアウトファンドとして、経営に介入する。 
 組織を改革し、その組織が成果を収める。 
 同様の事例を、同時期に数個手がける。 
 それにより、そのモデルを社会に浸透させたい。 企業組織のあり方から、社会改革をしたい。 多くの人は労働者であり、労働をしているのだから、企業のあり方の改革は社会改革に対して最も強い影響を与えると思うのである。
 憎しみや利己の連鎖から、信頼や助け合いの連鎖へと社会を変えたい。
 以上、自分がファンドを通じてやりたいことの一つである。

 しかし。
 理想的な組織のあり方について論じられるほど、まだ準備が出来ていない。
 代わりに、改革そのものについて、数回にわたって論じてみようと思う。 「どこに行くか」よりも、「どうやって行くか」について考えるほうが、通常簡単であるから。
アップビート。
 アップビートと言うものをご存知だろうか?

 英語では、かなり日常的に使われる単語であるが、そこでは、歩くときなどのノリがいいことに対して使われる。

 ここでは、音楽におけるアップビートについて話そうと思う。ダウンビートの反対語である。

 歌には、小節ごとに、強拍が来る位置がある。 小節を4つに割ったのなら、東洋音楽は、基本的に1,3番目が強拍で、西洋音楽では、2,4となる。
 この強拍に対するアプローチにより、アップビートとダウンビートに分かれる。
 
 アップビートは、強いアクセントを入れるときに、体が、腰の部分辺りから浮かび上がるようなニュアンスである。 ダウンビートは、このときに、体が沈みこむようなニュアンスである。

 たかだか、身体が浮き上がるか沈み込むかの差なのだが、これが、音楽全般のノリを作る際に、とても大きな役割を果たしているのである。 アップビートとダウンビートの違いは、リズムの根底に流れる、とても重要な問題なのである。

 西洋音楽は、アップビート、東洋音楽は、ダウンビートである。 西洋音楽であるバンド音楽は、本来アップビートで演奏されるため、これをダウンビートで行うと、必然的に少しの違和感があわられる。 スタジオミュージシャンのドラマーなどを見てみると一目瞭然。 彼らは、皆、アップビートである。 

 しかし、現状で、日本のライブハウスで演奏をしているバンドには、圧倒的にダウンビートが多い。 これを修正すれば、かなり良くなると思うバンドもちらほらある。 ただし、自分などがアドバイスしたところで本人たちが素直に聞き入れるとは思えないので、本人たちが気づくしかないと思う。 
 
 気づくためのきっかけとしては、
 1、必死に練習をする過程で、「何かおかしいな?」と考える。
 2、達人的なプレーヤーに直接指摘される。 

 くらいしか考えられない。
 幸い自分は、この問題に考え付く以前にリズム・ワークショップに通っているドラマーの先輩から教えてもらえ、気づいた口である。


 知り合いの先輩たちのバンドが主催のライブに参加したいろいろなバンドを見ながら、つくづくそう感じた。
なぜ現代アートは軽視される?
 電車の中での広告。
 ルーブル美術館展のものである。01-03.jpg


 以前はゴッホ、その前はシャガールと、次々と新しい展示会の広告がおどる。 またか、と、思う。

 古典的な絵画や美術作品が悪いというつもりはない。 自分だってゴッホの絵は好きである。ダヴィンチの絵などは、死ぬ前に見てみたい。

 ただ、バランスが良くない。 古典的な美術作品と、現代アートのバランスである。

 日本では、いまだに、現代美術が発展する素地が弱いと思う。 アーティストは、社会により育てられるものなのに、それを育てようとする社会となっていない。 個人がスポンサーになって育てているのが、現状である。
 日本人で、大成したとされるアーティストたち、彼・彼女らの作品が、大きな美術館に飾られるアーティストたちには、共通点がある。 それは、アーティストたちの評価はまず海外でされていると言う点である。 言い返せば、海外での評価が固まる前に、日本で評価され大成したアーティストがいないと言うことである。
 例えば、六本木ヒルズの壁画などを描き、現在日本でとても評価の高いアーティスト、スーパーフラットの提唱者である村上隆も、日本では当初さほど評価されなかった。 アメリカで評価され、日本の美術界がそれに追随したのである。


 このような現状の理由はどこにあるのか。
 審美眼の欠如?
 ぬぐいきれぬ脱亜入欧思想?
 芸術の極端な商業主義化?
 現代アートの「わかりにくさ」?

 ふと、考えてしまった。
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