Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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格差について。
 久しぶりの経済ネタ。

 いつの間にか、勝ち組み、負け組み、負け犬、○○デバイド(デバイドとは、格差という意味)という言葉がメディアにおどる今日この頃。

 日本は格差社会か?
 経済学的な観点から言うと、かなり格差が小さい分類に属している。 
 では、格差はこの10年ほどで拡がってきたか? 
 という問いに関しては、「イェス」が答えである。 

 では、どの程度? 
 それが問題である。
 
 経済学的には、格差というのは、所得の均等さによって考察される。 消費の水準や資産水準などでも測定は可能なのだが、所得水準のデータを取るのが最も容易なため、所得水準にて考察されている。
 
 所得の面では、労働所得の格差は拡大傾向にある。 富の分配の平等さを測るジニ係数(※1)でみても、ある程度上昇している。 しかし、日本が高齢化していることを加味すると、すなわち、年齢層の構成が変っていることを鑑みると、大して格差は広がっていないのである。
 
 これが、巨視的に見た際の結論である。 格差は確かに拡がっている、が、それほどではない。
 
 ただし、巨視的な視点からはわからない経済的格差がある。
 それが、見えない格差といわれるもので、男女間の格差や、マイノリティーとマジョリティーの間の格差などがそれにあたる。 現在の研究ではそれがあまりなされていないようである。 

 
 しかし、それでもまだ十分ではない。
 なぜ、格差が広がっているという感が社会に浸透しているのであろうか?
 
 経済学の視点では答えは見つからない。 社会学的に考える必要がある。 経済セミナーにて格差の特集をやっていたときに、そこに社会学者の文を掲載させていたのには感服した。
 社会学的には、格差とは、人々が感じる「期待される水準からのへだたり」である。 この定義から考えると、今、この国で格差が広まっているという考えが浸透している理由もうなずける。
 人々は何から期待を作っていくのだろうか? 当事者の目に見えるものからである。 メディアや親や友人が、人々の間の期待の形成を行っているのである。 特に大きな影響を与えるのがメディアであろう。 格差が大きくなったという感覚は、富の分配が変らずなされていても、生み出されうるのである。 実際にアンケート調査においても格差感は広まっており、社会学的には、格差が生じていると言えるのである。

 もちろん、経済学的にも、日本に格差は格差として厳然と存在していて拡がっていないだけである。  世界的に見れば、格差は格段に拡がってきている。 それを否認することは出来ない。

 それでも、格差の要因について色々な側面から複眼的に分析して、その理由を考えるのは、とても重要なことだと感じる。 上で見たように、ある学問的知見からは「イエス」ということが出来、他の知見からは「ノー」といえる状況が存在するのだから。 人は分けることによって分かるのだ。
 

 ※1 ジニ係数について。
 イタリアの統計学者ジニが考案した、所得分配の不平等度を測る指標である。 決して、大学の頃の先輩の名前ではない。
 G=(∑∑|Yi-Yj|)/2μNNで示される。
 一つ目のシグマの条件は、i=1, nまで。
 二つ目のシグマの条件は、j=1, nまで。 
 Y:所得
 μ:平均所得
 N:人員の累積値

 所得を縦軸にとり、人員を横軸にとりグラフをかくと、
 人員・所得が0の地点と、人員・所得が最高の地点において、45°線と接する曲線となる。 この曲線をローレンツ曲線というのだが、このローレンツ曲線と45°線との間の面積と、45°線と縦軸横軸で囲まれた三角形の面積との比が、ジニ係数となる。
 これは、0から1の間の数をとり、1だと最も不平等だとされる。
 日本は0.3のあたりを行ったりきたりしている。 どっかの国よりははるかに低いはず(統計を見てないので分からないが)。 
 
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