Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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政治思想と人格の分離定理。
経済学の理論においては分離定理というものがよく用いられる。 特にファイナンスの分野では。
 といっても、内容は簡単、「これとこれとは分けて考えることができる」という類のもの。
 例えば:
 ・フィッシャーの分離定理。資本市場が存在すれば、消費・貯蓄の決定と投資の決定は別個に行うことが出来る。
 ・資産選択の際の分離定理。安全資産が存在するのなら、リスク資産のみで組まれるポートフォリオの決定とリスク資産と安全資産を混ぜたポートフォリオの決定は別個の問題として考えることが出来る。
 などなど。
 
 さて、この分離定理、社会全般で広く適用できる概念だと思う。

 特に、このごろ強く感じているのは、政治思想と人格の間の分離定理。 
 
 その人に生活(もしくは生活性)があるのならば、この二つは別個に考えることが出来る。 

 政治思想としては到底相容れない考えを持っている人の人格までも相容れないものかというと、決してそうではない。 逆もまたしかりである。
 某党の選挙事務所に入っていたときに、それを痛感した。 

 と、ここまで書くと、鼻息が荒くなる人たちがいるかもしれないけど、その人たちは、普段読んでいる(はずの)本をよく読んでみてください。 全く同じことが書かれているから。 「その個人の政治思想を許せないからといって、それを持つ人間の人格まで貶めることができるわけがない」、と。

 現在、郵政民営化に真っ向から反対されている議員の人、身近で話してみると、とてもとてもいい人です。 まあ、政治家というものはそういうものなのかもしれないが。

 しかし、やはり、郵政はある程度は民営化すべき。 それについては、後のエントリーで書いていこうと思う。
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