Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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真のものは。
 「真の勇気は、第三の目撃者のいない場合に示される」
 と語ったのは、ラ・ロシュフーコーですが、これは少し変えるべきかな、と感じたりします。 さながら、書斎におけるファウストのように。

 僕だったら、
 「真の勇気は、第二の目撃者(=自分以外の人)のいない場合に示される」

 と書き直したい。



 そして、これは、勇気の議論だけではなく、倫理全般に通じるものだと思っています。

 中国には昔から陰徳の考えがあります。 これは、誰にも見られないところで示される徳のことで、このようにして蓄積された徳は、その人の仕事に後代になって帰ってくるとされています。

 
 キリストの「山上の垂訓」にも似たような箇所がありましたね。
 「人に見せるために人前で善行しないように気をつけなさい。 そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。 ・・・(人前で見せる人に対して)彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」


 ちなみに、僕の父も、毎日毎日少年であった僕に同様の事を話していました。
 「どんなつらいことでも、人が見てるときなら誰にでもできる。 誰も見ていないときにやるのが本物だ。」
 
 

 人間には自己顕示欲というのがどうしてもあって、それはとどまることを知らない。 だからこそ、このようにして、隠れた善い行いをしようとつとめることはとても大事なのでしょうね。 自分自身の生活を真に豊かにするためにも、もちろん、身の回りの人々のためにも。


 
 J1に初昇格した甲府のチームのあるサポーターの記事―彼はホームでは一度も試合を見ずに観客の誘導を場外で行っていた―を見ながら、こんな事を考えました。
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