Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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経済学とファイナンス理論の接近in消費者金融利子率①
 かなり休んでいて、申し訳ありません。
 風邪が大分ひどくなったり、課題に追われたりと、どたばたしていて遅くなってしまいました。

 件(くだん)の利子率論議、ゆっくり再開します。


[経済学とファイナンス理論の接近in消費者金融利子率①]の続きを読む
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目から鱗的な話、3連荘。
 大学院で、まさしく「目から鱗」的なお話があったので、今日はそれを紹介します。 47thさん、ごめんなさい。。



 目から鱗的なお話:なぜ相関係数は-1から1の間なのか?

 相関係数というのは、二つの事柄の相関を表すもので、1であれば両者は完全に相関、-1であれば、完全に逆相関、0であれば無相関ということになります。 

 この相関係数ρ(ローと読みます)が、なぜ-1から1の間を取るのかについて、僕はただ純粋に、「そりゃあ、標準化した数値二つの共分散を採ればそうならーな」とだけ考えていました。

 しかし、太田先生の見せてくれた説明は、とても美しいものでした。

 以下、説明です:

 ①∑については、以下の性質がある。

 ∑(A×B)の2乗≦∑Aの2乗×∑Bの2乗

 これを、コーシー・シュワルツの不等式、と呼ぶ。

 
 ②ここで、両辺を「∑Aの2乗×∑Bの2乗」で割ってみる。

 すると、

 ∑(A×B)の2乗÷(∑Aの2乗×∑Bの2乗)≦1

 となる。


 
 ③∑(A×B)の2乗÷(∑Aの2乗×∑Bの2乗)は、定義より、相関係数の2乗になっている。

 
 ρの2乗≦1 


 ということは、ρは、同時に、ρ≧-1 となる(マイナス1より小さかったら二乗して1より大きくなってしまうから)。

 

 個人的には、めちゃめちゃ目から鱗だったんですね。 これがその一。


 目から鱗な話その2:共分散ってたまにおかしくない?

 もう一つ、この機会に、以前から持っていた疑問をぶつけてみました。

 それは、相関の定義についてです。

 上でも述べたように、相関係数がゼロならば、二つの確率変数は全くの無相関と言うことになります。 しかし、次のような場合を考えてみてください。

 X,Yの平均がゼロで、

 Xがプラスの数字なら、Yは必ずゼロ 
 Yがプラスの数字なら、Xは必ずゼロ


 一番単純な例では、こうなります。

 この場合、相関係数はゼロになります。 いうなれば、両者は全くの無相関なわけです。


 ですが、一般感覚からして、上の規則性について相関がゼロだというのはおかしいですよね。


 と、そんな事を授業中に質問してみました。

 
 帰ってきた答えは、これまた、(個人的には)目から鱗。


 「共分散、相関係数は、一次の線形関係しか表さないんです。」


 おお、なるほど。 


 目から鱗的な話その3:なんで税制上の課税対象利益と、会計上のそれは違うのか?
 
 これも、また、質問したら即答で返ってきました。

 「基本的な考え方が違うからです。 会計では、保守主義を原則とします。 しかし、税制では、事実との合致(それ以上もそれ以下もない)ということが原則なのです。」
 
 この、それ以上もそれ以下もない、というのは、租税法律主義、という考え方にも現れています。 税金は、法律の規定に従って、それ以上も、それ以下もなく、法に定めるのと同じ額を徴収しなければいけないのだ、と言う話でした。

 
 そして、税制の変更から、税効果会計が生まれたのですが、当事者しか知らない税効果会計誕生エピソードも聞くことが出来て、とても充実した授業でした^^




 
 僕は、勉強はほとんどのものは、一人で出来るものだと思っています。 学ぶものによっては、一人で学んだ方が効率がよかったりします。
 なら、人から習うことの最大の強みは、と言うと、自分の疑問をリアルタイムで返してもらえることにあると思うんですよね。 本は語りませんが、人は語るのです。
 

 最近、大学院で質問魔になりつつあります^^;が、頑張っていこうと思います。 おやすみなさい。
経済学の『常識』、社会通念の『非常識』。
 証券アナリスト試験の解答速報が出ている事を知り、答えあわせをしました。

 証券分析8割、経済9.5割、財務分析6.5割でした。。

 会計、真面目に勉強します。 ハイ。。。 受かっていても受かっていなくても。   なんにせよ、幸い10月に試験を受けて合格すれば、最短時間での最終合格は可能なので、頑張ります。 

 証券分析が予想以上に悪くてビックリ。 予備校の解答が間違えていると、思ってみたり^^;


 閑話休題。


 経済学的に「常識」もしくは、「正しい」と考えられていることが、社会通念的には「非常識」もしくは、「不正」と考えられることがよくあります。 利子率の議論だけに限られた話ではないのです。

 
 以下、三つ例を挙げます。
 興味深いものを言ってくだされば、それについては、図をつけて、もっと突っ込んで記事にしますね。



 経済学的常識・社会的非常識その1
 「労働組合の賃上げ争議の成功は、失業率の増加につながる。」

 共産党や社民党からクレームがきそうですが、非マルクス経済学においては、これは厳然たる事実です。 統計の立証つきです。
 すごく単純な例を考えてみてください。

 あなたは給与にあてられる資金を、1億円を持っているとします。
 そのお金で年俸1000万円で従業員を10人雇っていました。
 しかし、従業員が不服をいい、賃金を1100万円に上げることを余儀なくさせられます。
 
 さて、どうしますか? しょうがないので、1100万円で9人を雇うことになり、1人が失業するわけです。

 逆もまたしかり。 従業員を増やすと、今度は、賃金を下げざるを得なくなります。


 ここから、少なくない経済学者たちは、「労働争議によってするべきことは、賃金の上昇を求めることではなく、富の公正な配分を経営者に求めることだ」と話します。

 これによると、よく言う春闘は、全く不合理なこと、となるわけですね。。


 と、これが、その1です。


 経済学的常識・社会的非常識その2
 「モノカルチュアは、経済効率的」

 モノカルチュアとは、よく発展途上国などで問題とされる、「一種(モノとは1という意味です)の製品をつくる(多くの場合それしか作ることが出来ない)状態」を言います。

 これは、社会運動家の多くから「植民地政策の残滓だ」と責められる事柄です。 つまり、そういった国は、付加価値の少ない製品しか生産することが出来ない状況に陥っており、それが結果として収奪を再生産するのだ、と、彼・彼女らは論じます。

 しかし、このモノカルチュア、経済学的にはとても効率的なことなのです。 経済学者リカード氏がこの事を200年前に語りました。 

----------------
 あなたは、コーヒー豆1トンを100万円で生産でき、PC10台を500万円で生産できるとします。

 反面、リカードさんは、コーヒー豆1トンを90万円で生産でき、PC10台を300万円で生産できるとします。

----------------


 この場合、二人にとって、最適な生産とは、どのようにされるべきでしょうか? 見れば分かるように、リカードさんは、あなたに対し、コーヒーの生産でも、PCの生産でも安く生産が可能で、優位に立っています。



 答え:あなたはコーヒー豆を、リカードさんはPCを生産することが、両者にとって望ましい。


 これが、経済学の用語では有名な「比較優位の原理」です。

 あなたは、両方においてリカードさんに劣っていますが、比較の問題で言うと、コーヒー豆の生産において有利なのです。 リカードさんは、PCの生産コストの3分の1程度のコストでしかコーヒー豆を生産できないのに対し、あなたは、PC生産の5分の1と言う「比較的に」安いコストでコーヒー豆を生産でき、だからこそ、コーヒー豆の生産に特化するのが効率的なのだ、ということになります。

 
 
 と言うわけで、社会運動家にとって猛烈な批判の対象となっているモノカルチュア政策は、経済学的にはとても効率的なものとなっているわけです。

 これが、その2。




 経済学的常識・社会的非常識その3  
 「日本のような国では、いくら財政政策につぎ込んでも、GDPは上昇しない。」

 
 日本のように変動為替レートを採用していて、かつ、資本移動が国際的に自由な国において、財政政策は無効です。

 「そんなアホな」と思うでしょう。 僕もいまだに、理由であるロジックを見せ付けられてもそう思います^^;

 けれど、これが、マンデル・フレミングモデルから引き出される結論なのです。

 上の事柄は、以下のルートをたどってなされていきます。

 ①財政政策の実行。
 ②金利が上昇すると共に、為替レートが上がる。
 ③為替レートが上がること=円高、となるため、日本の製品が海外で売れにくくなる
 ④結果、財政政策により上がった生産は、貿易赤字により打ち消される。
 
 もちろん、為替レートが完全に金利を反映するわけでもなく、資本移動も完全ではないので、財政政策の効果は全くない、というわけではありませんが。 


 ちなみに、固定為替相場の場合は、財政政策は有効であるのに、金融政策が無効となります。


 これが、その3。

 
 と、まあ、走り書きになってしまいましたが、このあたりで。


 繰り返しますが、話したいことは、一つです。

 経済学的な常識は、社会通念では非常識である場合が、往々にして存在する。 

 という事です。

 それに対する是非を語るつもりはありません。 ただ、それが事実としてあるという事を知ることは、とても重要だと思います。

 それを知った上で、現実とどう向き合っていくのか。

 そうしてこそ、行き詰っているいくつかの問題に、解決の糸口が見出せるのかもしれませんね。


 と言うわけで、利子率の問題について、多分次回あたりで懲りずに考えて見る事にします。 このブログ、「次回で」と言ったときに限って、更新しなかったりするのですが。
急病のため。
 例の利息について、なんとなく考えがまとまってきたのですが、ちょっと風邪がひどくなっていて、エクセルを使って数字を打ち込んで表を作って、それをJPEGにして、ブログにアップと言う作業を出来ないので、少々お待ちください。。

 
 デスノート、ついに、夜神氏が壊れてしまったようですね。 まだ、この先がどうなるのか分かりませんが。


 というわけで、

 本日、作者急病のため、お休みいたしますm(_ _)m

 本当は、この文句を書いてみたかっただけと言う説もある。
笑点が変わる日。
 円楽師匠が引退されるそうですね。

 落語、結構好きなんです。

 あの、話のテンポ、見事としかいいようがありませんよね。 父が好きなのもあってか、そのCDをこっそり借りて聞いていたりします。

 身一つで、何十分もの長丁場を、人々が飽きることなく語るというのは、ものすごいことだと思います。 声の抑揚、ボキャブラリー、間、何もかもが、芸術的です。

 
 5月14日の笑点、円楽さんの最後の舞台らしいです。
 
 みなさん、お見逃し無く。
試験終えてきました。
DSC01689.jpg


 本日、4つ悪いことが重なりました。

 ・雨(何回か書いていますが、僕は雨が降ると頭も身体も性能が2,3割下がります。)
 ・寝坊した。
 ・時計を忘れた。
 ・関数電卓しか持ってこなかった。


 さて、昨日のエントリーを終えた後、日ごろの疲れがたまっていたので、「明日6時におきて勉強して試験だ。」と思い、12時就寝。

 ・・・

 8時半。
 
 試験は、9時半。
 
 会場まで50分かかります。

 

 まんまと遅刻してしまいました。
 遅刻したら受験資格がなくなると思いびくびくしていたのですが、そうではなかったので、助かりました^^;


 一科目目、証券分析、3時間。
 
 渋谷駅から会場の青山学院大まで走ったので、滝のような汗をかきながら、問題を解きました。笑

 確証が持てなかった問題が2割ほど。 4~5肢択一なので、8割以上はとっていると感じています。



 2科目目、財務分析、90分。
 
 後悔後先に立たずなのですが、時計と計算しやすい電卓を持ってこなかったのが響きました。 
 
 単純な計算をいっぱいする問題で、序盤に数字があわず、てこずるてこずる、ずるずる時間が過ぎます。 残り時間もよくわかっていないので、焦りが募ります。

 数問ランダムマークした時点でタイムアップ。

 悔いが残ります。。
 確証を持って答えられたのが、全体の5,6割くらい。 ランダムマークが1割強。 


 ま、これも実力ですね。
 
 正直、会計、得意じゃないのです。
 いや、もっと言うと、好きじゃないのですね^^;。。
 だから、圧倒的に勉強量が少なかったりします。


 会計科目は、今度CPAもしくは公認会計士(同じ意味ですが…)の勉強をするときに並行させられるので、これでもいいのかな、と慰めてみます^^;



 3科目目、経済、90分。
 
 大学時代から経済学は好だったので、すらすらと解きました。 
 国際経済については、なんか感覚的に理解できていない部分が多いのですが、ま、大丈夫でしょう。 誰か、マンデルフレミングモデルを、感覚的に教えてください。。 変動相場なら金融政策が有効で、固定相場なら財政政策が有効だということ、わかっているようで、完全に理解はしていないのです。。




 なにはともあれ、試験終了です。
 
 やっと大学院の方の勉強に専念できそうです^^
金利決定の「もやもや」。
 明日はいよいよ証券アナリストの試験なのですが、完全に開き直っています^^;。 もともと、実力をつけるために始めた勉強で、試験用の参考書を一切読んでいない状況なので、この期間についた(はずの)実力試しのつもりで受けようと思っています。 もちろん、やるからには合格するつもりで受けます。
 
 光栄にも、47thさんのエントリーで、一部取り上げていただきました。

 ファイナンス理論についてもヒヨッコの僕ですが、胸を借りるつもりで書いていこうと思います。


 金利決定における、投資理論と経済学のちがいのもやもや 

 金利の決定について、47thさんは、以下のように書かれています。

 消費者金融における利息の負担の重さは、元本額に対する金利負担によって定めるのではなく、借り手の稼ぎ出すキャッシュフローとの割合で定まるものであって、「投資」と同じ感覚で金利を比べることは何の意味もないということです。

 (中略)

 消費者金融における「適正なスプレッド」というのは、消費者側のデフォルト・リスクから逆算して出るような類のものではなく、そのサービスにどのような価値を認めるかという、まさに需要と供給の作用によって定めるものです。


 経済学的に、金利が需給関係から定まる、ということについて、僕も異論は特にありません。 前回のエントリーの2.の部分でも書いているように、借り手側の人々が流動性制約に直面していて、その状況を所与とするのなら、もっとも効率的な金利(需給均衡点における金利)は高く定まる、のだと思っています。

 
 ただ、ファイナンスの理論を学んでいる(はずの)人間としては、一つ疑問が浮かぶのです。 この場合、投資理論におけるリスクとリターンの関係から推定される金利と、経済学における需給関係から定められる金利の関係は、どのように位置づけるべきなのでしょうか?

 
 とても乱暴な見解かもしれませんが、利益率を語るにおいて、経済学的な考え方はどちらかと言うと現実を説明するもの、投資理論からの考え方は、どちらかと言うと理論値を推定するもの、になるのではないかな、と感じています。 というのも、需要と供給の原理から価格を求める経済学的な考え方は、「今、均衡点はここらへんだよ。」と言う事を教えてくれるのに対し、投資理論は「理論的に言ってこれの本来の収益率はここなんだよ。」という事を私達に知らせてくれると、感じているからです。
(「どちらかと言うと」と回りくどく書いた理由は、経済学においても事実解明的な経済学と、規範的な経済学の2種類があるためです。)


 僕が47thさんの議論を読み違えていたら恐縮なのですが、「そのサービスにどのような価値を認めるかという、まさに需要と供給の作用によって定める」という謂いにはどうも違和感があるのです。 なんというか、経済学的にはとてもクリアーなのは理解できているのですが。。 

 もしかしたら、そろそろ僕の頭の中に「リスク&リターン」の考えがしみこみ始めていて、その考えが、僕に「てじゅーん、そりゃおかしいぞー」と命じているだけかもしれません^^;


 どなたか、このもやもやを解消してくださると嬉しいです。


 以下、Tipsです。
 ※金利を40%とするのならば、その金利が想定しているデフォルト率(債務不履行になる確率の事です)は結構高いと思います。 ここで、安全利子率ゼロ、リスク中立とします。 融資にまつわるコストを5%、貸し手の目標利益率5%として、出口時に100万円が110万円になっていれば、貸し手としては満足と考えます。  
 
 この場合、デフォルト時のペイオフがゼロなら、デフォルト率は21.6%と低めに設定されます。 
 20060422233416.jpg



 しかし、現実的にはデフォルト時にある程度のペイオフはあるわけです。 お金を借りて一銭も返さずに債務不履行になる人は、さすがにあまりいないと思います。 大体の場合、ある程度までは返済して、しかし残りは返せない、という状況でデフォルトに陥るのだと思います。
 ここで、デフォルト時のペイオフを54.3万円とすると、確率は以下のようになります。
20060422235206.jpg


  

 ※47thさんがお話になっていた、金融機関の利益の要素は市場利子率(≒time value of money)、貸し手・借り手へのサービス(信用リスクプレミアムと金融サービス)というのは、僕もちょうど大学院で学んでいるところでした。

 ちょっと言葉を言い換えて図にすると、こんな感じになる、と教授は話していました。
 20060422231837.jpg

 教授は元国税長官の渡辺さんで、中里先生と一緒に研究をされていたそうですね。 著書「ファイナンス課税」は、6月頃に出版される予定だそうです。 本当はこの本が授業の教科書になる予定だったのですが、会社法の変更に伴う修正が遅れまだ出版されず、今は、この本のゲラ版で授業をしています^^;





 何か、またまた走り書きのようなエントリーで申し訳ありません。。
 


 
 よし、勉強、勉強っと。。
29.2%は高い?
 最近のアイフルへの業務停止命令を受けて、現行の消費者金融の提示する利子率について議論が巻き起こっています。

 さっき(3時ごろ)やっと職場から自宅に帰ってきたのですが、ふらふらで回っていない頭で脊髄反射的に書いています。 

 明日は朝から大学院でカンヅメ、あさってはアナリストの試験のはずなのですが、まあ、気にしない気にしない。(笑)

 

1.29.2%は適正か?
 ひとつの争点が、現在の29.2%の金利は適正か、ということなのですが、僕にはどうしても適性とは思えないのです。 この点はNeon98さんに同意します。

 利子率は要求収益率であって、リスクに見合う分だけとるものだというのは、ファイナンス理論を知っている皆が知る原則だと思います。
 
 どう考えても、僕には、消費者金融が負っているリスク(債務者のデフォルト、訴訟、その他)が、29.2%に見合うとは思えないんですよね。

 全然違う投資形態ではありますが、「3件中1件大成功すればよし」とされるPEで30%、「10件中2件成功すればたいしたもの」、とされるベンチャー投資では40%くらいが、平均的な要求収益率です。 さらに社債の格付などでも、29.2%なんてのは、めったにみない数字です。 これらと消費者金融との比較が難しいのは分かりますが、こういった投資を脇で見ながら皮膚感覚的に、やっぱり「29.2%は高い」と感じている僕がいます。


 だからといって、29.2%の上限を変えるべきか、というと、そうでもなかったりします。 理由は後述します。



2.なんで高いのか?

 僕は、一種の信用割当が起こっているため、現在の消費者金融の金利があんなに高いのだと思っています。 信用割当について図で説明するとこんな感じです。
 
 20060422032803.jpg


 何らかの理由、一般的には情報の非対称性(例えば、金の貸し手は、借り手の財政状況について借り手ほどには知ることができない)など、によって、資金供給曲線がある点から急傾斜になってしまうと、このように、普段よりも高い金利で資金需給が均衡するようになってしまいます。 こういう状況をさして、「信用割当が発生している」といいます。

 もちろん他にも要因があるとは思うのですけれど。。



3.制限は有効か?

 上のことを鑑みると、一番必要なのは、現在の信用割当の度合を減じることにあって、政策論議はその観点からされるのが有効だと感じています。
 換言すると、現在のゆがんだ需給状況を変えることに政策論の焦点を置くべきだと考えています。
 

 規制はどうしても新たな非効率を生むので、経済全体にとってはマイナスになると思われます。 アイフルの社長さんも常に言っていた「制限金利を下げると、借りられない人間が出来てヤミ金がはびこる」というのにも一理あると思います。 この点は47thさんisologueさんの取り上げていた議論に共感します。

 「じゃあどうやって信用割当をなくすの?」と聞かれたら、「これで間違いない」という打開策を考えるのは難しかったりします。 まだまだ未熟者なので、ご容赦ください^^;



 、、、なんかしまりがありませんが、走り書きまでにて。
 

 明日は朝から授業なので、寝ます。

 おやすみなさい。
デスノートの『魅力』?①
 仕事と大学院の勉強だけでもうキているのに、さらに証券アナリスト試験の日が迫っているにも関わらず、ブログなんぞ書いていいのでしょうか^^; まあ、いいか。


 デスノート、という漫画、ご存知ですか?
 
 最近、かなりの人気を博している漫画です。

 内容は、大まかに言うとこんな感じです:
 主人公である天才少年月(これでライトと読む)は、ある日、恐ろしいノートを手にする。 それは、そのノートに人の名前を書くと、その人は死ぬことになるという、デスノートだった。
 ライトは、このノートを使い、犯罪のない世の中をつくろうと決心する。 彼は「キラ」と名乗り(もちろん顔は見せない)、凶悪犯を処刑し始める。。

 20060419002704.jpg



 最近、ライト君が、このノートの所有者であることが明らかにされ、物語はいよいよ佳境に入っています。


 さて、ライト君の思想に、ある程度の魅力を感じる人が多いように見えるのは気のせいでしょうか?

 おそらく気のせいではないと思われます。 少しダークな内容にもかかわららず、爆発的な売れ行きを誇っており、ネット上では(絶対に良いとは思いませんが)デスノートを使って何をするかについて話し合いをしている掲示板すら多数出てくる始末です。

 政治の観点から見ても非常に興味深いものでしたので、その理由について、帰り道で自転車に乗りながら、つらつらと考えていました。

 政治思想的に、二つの理由が考えられそうです。


 第一に、ライトの思想は、功利主義の原理に通じるものがあること。
 第二に、ライトの考える統治は、ルーツをプラトンにまでさかのぼる哲人政治に通じるものがあること。

 功利主義、というのは、ベンサムなどが主張したもので「最大多数の最大幸福」を至上の原理とします。 いうなれば、政治の決定と言うのは、「一番多くの人々に一番多くの満足を与えるべきもの」だ、というないようです。 ライトが主張する、「凶悪犯はデスノートによって殺される」という世の中になれば、犯罪者の命と引き換えに、他の多くの人は、安全な生活を送ることが出来るようにな(多分)なります。 こういったものの考え方は、僕たちの間には結構浸透しています。 例えば、政策決定において、少数派を犠牲にしても多数派の利益のための政策が採られることはよくあります。
 僕たちの間に身の覚えのない感情でないからこそ、ライトの主張に魅力が感じられるのでしょう。


 哲人政治の主なアイディアは、優れた魂を持った哲人によって社会は治められるべきだ、というものです。 社会主義に良く見られる書記長や首席、大統領に多くの権限が集中するにも、この流れが少しは含まれていると僕は感じています。
 作中では、ライトはスポーツ万能、容姿端麗、頭脳明晰と非の打ち所のない人間として描写されています(性格にはムラがありますが)。 こういう、「正しい判断をできる(と思われている)人間」に世を委ねたいと考える人は、今も昔もいるわけで、そういう意味で、ライトの主張に魅力を加えているのかもしれません。 
 

 
 さて、ここで、皆さんにお願い。

 反論を教えてください。

 間違った答えなんてないので、どうぞお気軽にお願いします。

 あ、ライトの主張の魅力について付け足し・訂正してくださるのも大歓迎です^^

 いい頭の体操になると思うので、皆さん是非。
哲学的思考に微分を使ってみる。
 先日、SNS上の日記で、「残り10年しか生きられないのならどうするか、残り1日ならどう過ごすか」、という問いかけをしました。


 考えながら気づいた人も多いと思うのですが、残り日数の違いによって行おうとすることに大きな差が生じるわけです。

 その謎についてつらつらと考えていたとき、ぱっと思いついたのが、微分のアイディアです。

 微分とは、「微かに分かる」事です、僕にとっては、大体の意味で言うと、「ある値がほんの少し変わるとき、もう一つの値がどれくらい変わるか」を、示すものだそうです。

 
 さて、微分したとき、マイナスになる(厳密ではないのですが)ものと、プラスになるものがあります。
 例えば、Xの1.1乗は、微分したらプラスです。 √Xは、微分したらマイナスです。

 グラフにしたらこんな感じになります。


 20060417232720.jpg



 
 ここで、微分の事を、「あと残り一日しかなかったときの、その人の行い」と考えてみてください。 行いを数字になんてできっこないのかもしれませんが、大目に見てください。 あと、一日というのは長くはあるのですが、僕たちの平均寿命から考えたら、やはりとても短い時間ではあるので、これも大目に見てください。 

 
 
 それが正しいかどうかはおいておいて、このグラフが示唆することは、

 「今日が最後の日であっても自分の成すべき事をやろうと考えている人は、絶望し堕落してしまう人より、もっと大きな事をするであろう。」

 だと、勝手に考えています。

 
 だからこそ、そのSNS上の日記で友人ガンチ君が紹介してくれた、北野武の言葉には、うならせられました。 たけしさんは、「明日が最後の日であっても、今までどおりに生きる、なぜなら、そこで生き方を変えてしまったら、今までの自分の生き方を否定してしまうと感じるから。」と語っているのです。 すごいですね。 僕は、このような死生観を持っていることは、かれの成功の一つの要因なのではないかと感じています。



 というわけで、皆さん、明日も精一杯生きましょう^^
さー、みんなで考えようー。
 以前紹介したマーケットメカニズムとトレーダー行動の対策です。
 http://stjofonekorea.blog6.fc2.com/blog-entry-470.html

 僕は、ファイナンスの理論を学んでいるくせに、投資をしたことは一切ありません。。 勝てる気がしないんですよね、正直。。

 と、矛盾しているようですが、授業を乗り切らないといけないので、
 とれーだーの皆さん、僕に力を。。

 
 皆さんが一緒に楽しんでくださると幸いです。
授業報告最後です。
報告最後です。


 米澤康博、デリバティヴ
 あるバリバリクォンツの人が、この人は素晴らしい、と言っているので、「どんな授業なんだろう」、と思っていたのですが、可能な限りレベルを下げた授業でした。
 あまりに簡単すぎて、先生も説明に困っていたような感じでした。。 質問をすれば色々と引き出せるということを聞いているので、それを引き出せればいいと思います。



 高森寛、ファイナンスのための数学基礎
 「~基礎」と銘うたれる科目は、ものすごくレベルを下げているようです。
 

 
 野口悠紀雄、ファイナンスの基礎 
 やはり、基礎科目と言うことで、ものすごくレベルを下げているようです。
 ただし、この授業、雑学的小ネタが頻繁に出てくるので、「教養番組的」に面白そうです^^;

 


 パーソナルファイナンスは、数週間に一度行われる、講座的な役割にあるようです。


 とりあえず、以上です。

 
 面白そうに感じたのは、1位エクイティ・インベストメント、2位ファイナンス課税、3位デリバティヴでしょうか。 楽しくやっていこうと思います。
 
 エクイティは早速かなりの量の宿題が出ていて、、、頑張ります。

 けれど、今日は今から友人の結婚式^^;
授業内容の報告第2弾。
 20060414232150.jpg


 さて、授業報告第2弾です。

 本日1時間目:宇野淳、マーケットメカニズムとトレーダー行動

 サイバートレーディングルームを使って行う授業です。
 
 授業の内容は

 
 事前資料を読み、シナリオ予測
 ↓
 授業中に仮想トレード
 ↓
 レポート作成・提出

 の繰り返しです。

    
 試験もないので楽かな、と感じていたのですが、ところがどっこい。

 仮想トレードのパフォーマンスが、成績に関連するんです。。
 
 僕には、トレーディングの経験はありません。
 しかも、今回授業を受けているのは、僕以外皆二年目。
 さらに、現場でバリバリトレーディングをしている人が半分くらい。


 レビューレポートの方が比重は高いのですが、それでも投資のパフォーマンスが低いと、まずいことになりそうです。

 ので、明日、ここに、事前資料の概要を載せますので、ご意見を下されば幸いです。。




 二時間目:池田昌幸、エクイティ・インベストメント

 予想通りの、大当たりです^^

 独学では、「ふーん」と通り過ぎていってしまう部分を、原理的にとてもきっちりと説明してくれます。
 
 講義を聞いていて、久しぶりにぞくっとしました。

 
 内容をワープロで書くのはとても大変なので、ノートの写真でも撮って載せようと思っています。



 
 で、復習をしたいのですが、23日には証券アナリストの試験があります。 最近、仕事やら何やらとかぶって受験準備をさぼり気味なので、そっちもしないと。。 
初日目の報告。
 本当は昨日書くつもりだったのですが、社会の窓の妄想(前回のエントリー参照)にとりつかれてしまったもので^^;



 昨日受講したのは2つ。

 まずは、渡辺裕泰先生の「ファイナンス課税」

 『当たり』の予感です。
 ファイナンス関連の税法は、実務が常に立法を追い越し、それに法が追いつき、と目まぐるしく変わりゆくものだそうです。 とてもエキサイティングな科目です。 弁護士や公認会計士の生徒の間でもとても評判のよい授業だそうですね。  

 しかし、問題があります。 
 それは、僕が税法を勉強したことが一切無いということ。 
 さらに言うと、本来税金と言うものに全然興味がないこと。。 給料から所得税が差し引かれていても、別になんとも思わないくらいの重症です。 職場では、withholding taxがどうのこうのと、やっているはずなのですが、生活レベルでの税意識が全くありません^^;

 税法の基本を知っている事を前提に授業を進めていくらしいので、独学で税法の基本を学びながら授業に参加することになりそうです。。

 配布されるレジュメだけで1学期300ページにもなる科目なので、租税法の基礎と同時進行となると、、、今期一番難しい科目になる予感がしています。
 
 誰か、租税法の良い教科書を知っていたら教えてください^^;

 
 授業の分もカバーするため、税法関連のエントリーが今後出てくる可能性があります。 どうぞよろしくお願いします。 
 
 
 
 もう一つ、太田誠先生、「確率・統計の基礎」
 「博士の愛した数式」の博士は、こんな感じなんじゃないかな、と思わせる雰囲気の先生でした。
 授業は、昨日は恐ろしいほど基礎的な内容だったのですが、これからよく見ていこうと思います。

 ただ、必修科目のため、生徒数が多すぎでした。。 

 
 明日は、数学の基礎と、今期一番楽しみにしている科目の、エクイティ・インベストメントです。 テキストのBodie, Kane, Marcus "Investments"も手に入れ、やる気満々です^^
社会の窓の謎に迫れ。
 ズボンのチャックありますよね。

 あれ、なんで「社会の窓」って呼ぶんですか^^;?
 
 
 「ちゃっく空いてるよ~」

 「あ”、ほんとだ。」

 
 
 こんな会話(すなわち、社会的なもの)は、チャックを開けていたために起こるものだから? 


 謎は深まるばかりです。
よりよく生きるために、よりよく時を過ごす。
 Procrastination is the thief of time.
(一日延ばしは時の盗人である。)



 昨日のエントリーへのさらさんのコメントに触発されて、時間の使い方について書いてみます。

 以前に記事を書いたこともあるのですが、大学時代から、僕は時間の使い方に気をちょっとずつ使っていました。 以前の記事(勉強法のカテゴリーに入っています)をもうすこし発展させる形で書いていこうと思います。 骨組みはそのままです。 

 1.時間に対する考え方
 2.時間の性質について考える
 3.時間利用法を総論的に考えてみる
 4.具体的な方法
 5.結びに


1.時間に対する考え方
 「普通人は時をつぶすことに心を用い、才能ある人間が心を用いるのは、時を利用することである。」と、ショペンハウエルは言いましたが、至言だと思います。

 何もしなくても過ぎていく時間と言うものは、なによりも利用するためにあるものだと感じています。
 
 これは、個人的な人生観なのですが、時間を大切にするということは、己の人生を大切にすることと密接につながっているのだと僕は思っています。 どうせなら、悔いのない人生を送りたい、そしてそれは、とりもなおさず、人生を構成している時間を可能な限り大切にすることにつながるのではないか、と考えるのです。



2.時間の性質について考える

 1)作り出せる

 僕は、時間はある意味作り出せるものだと感じています。
 仕事などでも、例えば、効率の良いやり方を考えることによって、時間を作り出すことが出来ます。 
 例えば、今の職場でも、僕は初期には多少の時間がかかることがあっても、マクロ(自動プログラム)を組んで取り組むことが多くなっています。 長い期間で見たら、この方が確実に時間を多く作り出せるからです。


 2)まとめられる
 これも、同感してくださると思います。
 誰だって、都合をつければ1時間くらいの単位の自分だけの時間を作れるものだと思います。 
 例えば、昼休みの1時間。 そろそろ証券アナリストの試験が近いので、僕はこの時間に短縮版模擬試験をしています。



 3)見えない
 当たり前の事ですが、放っておいたら見えません。
 見えないゆえに、だらだらずるずると時間は過ぎ去ってしまいがちなのだと思います。 
 だからこそ、見える努力を出来ればと思っています。




3.時間利用方法を考えてみる
 
 まず、自分の時間使用状況を確認する。
 2週間くらいかけて行います。 そうして、動かせない時間、動かせる時間、有意義な時間、そうでないじかん、と色々なものが見えてきます。

 次に、いらない時間をダウンサイズする方法や、時間を作れる方法、空いた時間を探します。 
 ここで注意しておきたいことは、ボーっとする時間≠無駄な時間、だということです。 人間の頭の構造的に、ボーっとしながら頭の整理をする時間はとても大切な時間です。 「忙中閑あり」、という精神を持つことは非常に重要だと思います。

 
 時間を可視化する努力をする。
 一番分かりやすいのは手帳だと思います。 これについても、記事を書いたことがありますので、ご参照いただければと思います。



4.具体的な方法として

 以前の記事からのコピペで恐縮です:

 A:時間観察
 1時間単位の升目の表を作る(手帳でもかまいません)。 
 それに、2週間自分の行動を書き込んでみる。 
 かなりの無駄があることに気づく。 それをどうやって省いていくか、考えるのが、第一段階。

 B:やる事の区別。
 ①やらなければいけないこと、やらないでよいことを区別。
 ②やらなければいけないことの中で、今やるべきことと、そうでないことの区別。
 ③今やるべきことの中で、時間がかかることとそうでないことの区別。
 こうした後、ポストイットや手帳をつかって、案件ごとに対処していきます。


 C:時間の塊つくり
 勉強の効率を良くするためにも、時間の塊を作る。 理想は90分。
 そのために、雑用などは、細切れの時間に落としこんだり、自分が開始時間を決定できるものに関しては、合理的な時間帯に落とし込む。 時間そのものの使い方も合理化を進める。
 例えば、僕は、学生の頃、生徒会の仕事(人に会う、会議、など)を、朝8時頃~授業が始まる前、授業の休み時間、昼休みの時間に落とし込んでいました。  会議の運営法なども、色々な本を読んで研究しました。 
 もちろん、時間内に出来ないことは、放課後等に移しました。 が、制限された時間内に人に会ったり会議をすることによって、情報の伝達における無駄を省こうとするインセンティヴがとても強くなったため、時間の使用効率はとても高かったと思います。
 
 そうやって、塊となった時間帯に、勉強をしていました。  


 D:時間の緩衝帯作り
 ずれ込む予定や、予期しない出来事が入るものなので、1時間ほどは、予定に空き時間を設けておきました。
 それにより、不意の出来事に対しても焦らないで対応できました。これが、結果的に、時間利用の合理化にもつながりました。

 
 E:仕事が途方も無く多いときもあせらない
 仕事の量が途方も無く溜まってしまったときには、10分くらい余裕をもって、散歩でもしながら、それらをどうやって片付けていくのか、計画を立てます。 下手に焦るより、こうした方が時間利用が効率的だと思います。
 イメージとしては、スラムダンクで仙道君が「1分で1ゴールずつ差を縮めよう」と話していたのに近いですね(多分)。 
 


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5.結びに

 そんなこんなの事をしていると、やろうと思えばいくらでも時間はあるものだという事を感じられると思います。 だからなのか、昨年かなり長い間休職していたときも、今、働いているときも、体感している時間の流れが大して変わっていません。 やる気さえあれば、勉強もできるし、その他趣味に十分に時間を割くことができるのだと感じています。 もちろん、このブログも書いていけるのだと感じています。

 
 時間をよく使うにあたって、何よりも、志と目標を持つことが大切だと思います。 さまざまな誘惑に勝たなければ、どんな計画を立てても画餅となってしまうので、強い心をもって、自分の時間をよりよく使って、一度しかない人生をよりよく生きたいと思っています^^


 一夜一時を怠らば、百歳の間3万6千時を失う。 吉田松陰

 
 どたばたと書いてしまいましたが、以上です。

 さらさんの参考になれば幸いです。
科目追加。
 いよいよ明後日から正式に授業がスタートします。

 もともと、こういった科目をとろうとしていたのですが、抽選で惜しくも「ファイナンスのための数値解析」をとれなくなってしまったため、科目を変更しました。

 
 そして、代わりに選んだ科目は、なんと、

 野口由紀雄、「ファイナンスの基礎」

 です。
 
 

 本を読んだところからすると、授業は面白いはずなので、これはこれで楽しみです。

 他にも、サイバートレーディングルームを使って行われる「マーケットメカニズムとトレーダー行動」の抽選に通ったのは僥倖でした。 10数名しか枠が無かったので、正直ドキドキものだったんです。

 

 
 そういえば、僕は、経済学やファイナンス理論や大学レベルの数学の教育を受けたことが一回もないんですね。 独学で積んだ知識がちょうどごちゃごちゃしてきたところなので、それをまとめるいい機会だと感じています。 アシスタントといえど仕事がかなりハードな毎日ですが、無遅刻無欠席で多くを吸収しようと思います^^
映画感想文:ホテル・ルワンダ。
 100日間で、100万人が死んだ。
 いや、殺された。
 それも、隣人の手によって。

 絶望と狂気が渦巻く中、あなたなら、どうしますか?
 特に、あなたが、加害者側の人間だったら?


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 ホテル・ルワンダは、そんな中、正気と智慧とほんの少しの勇気を持つ一人のホテルの支配人が、1200人の虐殺される運命にあった人々を死から救った事実を、映画化したものです。
 
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 以下、衝き動かされるように書きあげました。 僕だからこそ書ける内容があると感じたからです。

 今年で一番気合を入れて書きました。
 この記事を見てくれた人が、最後まで読んでくれる事を強く願っています。

 
 0.ルワンダ虐殺の背景
 1.『知られた』物語と『知られざる』物語
 2.国際社会の責任 
 3.僕ならどうした?
 4.結びに―主人公本人のコメントと共に 

 


 0.ルワンダ虐殺の背景

 輝く太陽の下、美しい衣装を纏い歌と踊りを愛する陽気な人々が裕福ではないまでもつつましく暮らしていた大陸を、欧米列強が瞬く間に侵略したのは、19世紀の事。 
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 ルワンダは、第一次世界大戦まではドイツの植民地、その後は、ベルギーの植民地でした。
 欧米列強による植民地支配には、一定の傾向があります。 それは、分割して統治するということです。 大きな力の反抗勢力が出来ないように、団結をさせない。 
 団結させないための方法は簡単です。 「お互いを憎みあうように仕向けること」です。 もちろん、このやりかたは東アジアにおいても、程度の差はあれとられていましたし、今でもとられているのかもしれません。
 
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 中央よりの東アフリカに位置するルワンダにおいては、西洋人に顔立ちが似ている『ツチ族(今はツチ族、フツ族と言う表現は差別を助長するということで禁じられています)』が支配部族として仕立て上げられます。 そして、80%以上を占める多数派の『フツ族』を、被差別側へ。 教育を初めとした徹底的な制度介入により、部族間の差別意識は容易に取り払えない根強いものになっていきます。 こうして、同じ言語、同じ習慣、同じ宗教を持ち、生活の基礎が農耕か遊牧かと言う点でしか違いがなかった『フツ族』と『ツチ族』が『作り上げられて』いきます。

 ルワンダの独立後、73年には、多数派の『フツ族』が政権を奪取、今度は『ツチ族』への支配を開始します。 その後、『ツチ族』は反乱軍を組み闘争に乗り出し、ルワンダ内戦が始まります。 その内戦も1993年の和平合意により収束へ至るかに見えたとき、94年には『フツ族』の大統領が暗殺され(犯人は分かっていません)ます。 事件以前から、『フツ族』ではラジオ放送などを通じて、扇動がされてきました。 かくして、『フツ族』による、100日間で100万人にもなる『ツチ族』大虐殺が始まります。
 
 
 

 1.一つの「知られた」物語の裏側にはその数倍、数万倍の「知られざる」物語があること 

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 虐殺の地、ルワンダで正気を保ち行動をとった人間は、主人公となったポールひとりではなかったと思います。 いつでも、こういう事態においても正しい行動を取れる人々が、多くはないまでもいくらかはいるものです。 でも、そういう人間は、ほとんどの場合、長生きできない。 狂気が支配する世界において、正気を保って生きながらえる事がどれだけ難しいか、私達は知っていると思います。
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 ドイツにおいても、シンドラーは一人だけじゃなかったはずでしょう。
 
 主人公ポールは、「たった一人正気を保った人」では決してなくて、「正気を保ち隣人を救おうとした人々の中で、生き残った唯一の人」だったということを、忘れてはいけないと思います。

 


 2.国際社会の責任

国際社会は、多くの場合、困難に喘ぐ国の人々に対して、見て見ぬふりをしてきました。 同じような出来事は、いまもどこかで起こっているのかもしれないのです。

 例えばアフガニスタン。
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 20年以上、国際社会はこの国を見過ごしてきました。 その間に、おびただしい量の血が流されてきたにもかかわらず。 アル・カーイダがその地に潜伏しているという情報を通して、やっと国際社会、特に先進国の僕たちはこの国に目を向けた。 文化遺産にも指定されていたバーミヤンの仏像は破壊されたのではない、恥辱に耐え切れず崩れ落ちたのだ、と言うのは、正鵠を射た表現だと感じます。


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 映画中でも、虐殺のシーンを撮ったビデオを見ながら、「これを見れば国際社会が振り向いてくれるはず」と安堵する主人公に対し、ジャーナリストが吐き捨てるようにこう語ります。 「世界の人々はあの映像を見て、『怖いね』、と言うだけで、またディナーを続けるさ。」 そして、事実そのとおりになります。 僕は、その事実をともに作り上げている一人です。 この記事を読んでくれているあなたも、その一人かもしれません。

 また、さらにある国連平和維持軍は、先進諸国がルワンダから手を引くという報告を受けた後、落胆し、主人公ポールにこう語ります。「君が信じてる西側の超大国は、君らはゴミだと思っている。 君は頭が良く、スタッフの信望も厚いが、このホテルのオーナーにはなれない。 黒人だからだ。 君らは『ニガー(アメリカの黒人と言う意味合い)』以下の、アフリカ人だ。」




 3.僕ならどうした?

 「僕ならどうしただろう?」と自分に問いかける事が多い今日この頃です。 こういう想像をすることって、とても重要な事だと思っています。 たとえ、その想像が一時的な形而上学的想念で、それが打ち切られたとたん、また平凡な生活に戻ることがいつもの事だったとしても。
 正直なところ、勇気や正義だとか言った、いわゆる「高尚」な理由から、正しい行動をとることは出来ないと思っています。 もし、そういう行動をとることが出来るとしたら、自分が愛する人々を守りたい場合や、「いつの間にか引くに引けない状況になってしまった」と感じた場合だけなのかなと。 現状の自分を飾ることは出来ません。 正直言って、僕はそんなに勇敢な人間にはなれていません。
 今の僕がポールの立場だったら、すぐに欧米に逃亡して、「ここで私にしかできない闘い方がある」だとか格好のつく理由をつけて、適度に適当なアクションだけを起こしているかもしれません。 行動の伴わない良心は虚偽だ、と説き、死を恐れずに朝鮮半島を分断する38度線を越えたリム・スギョン氏の言葉の前に、僕はただただ頭を垂れます。 
 
 でも、こんな自分ではありたくないと強く感じる僕がいます。 日ごろの、己の良心に従った行動を心がけ、自分の良心の鏡で自分を省みる、そういう生活を繰り返すことによって、少しでも理想の自分に近づいていければと思っています。 そういう意味でも、心から感謝したい映画でした。



 4.結びに

 僕にとっては、どうしても対岸の火事には見えない問題です。 
 それには多くの理由があります。

 友人であるアフリカのある国の王族の友人からつぶさに話を聞いたことがあること。 「この世のどこかで不正が起こったときには、それを強く感じる」ようにしてきたチェ・ゲバラの薫陶を受けているのも一つの理由。 また、大学時代に刑法を講義していた先生が、このルワンダ国際法廷立ち上げのメンバーだったことも。 さらに、世界中の難民や虐殺の問題などに積極的に取り組んでいるNGOにてインターンをして、今もボランティアをしていることも理由だと思います。

 しかし、対岸の火事に見えない理由は何よりも、関東大震災が起こったときに多くの在日朝鮮人が虐殺され、朝鮮戦争時には、同じ民族どうしで殺し合い、何百万人もの人々が死んだところにあるのだと感じています。

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慰霊碑


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ピカソ、「朝鮮の虐殺」

 


 だから、わが身と引き比べながら、身につまされる思いで、このエントリーを書きました。

 人間は忘れる生き物だと思います。 それを知った上で、忘れない努力をすることは、本当に大切だと思います。


 このエントリーが何かの参考になれば、本当に嬉しく思います。 


 最後に、主人公のモデルであるポール・ルセサバギナ氏本人の言葉をもって、このエントリーを終えたいと思います。 (写真右側が本人です)
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 「私は自分の仕事をやっただけです。ああいう状況に対峙した時、考える暇がない時は幸運なのかもしれません。自分に課せられた事をやるだけですから。」

 「トロント国際映画祭で映画を初めて大スクリーンで見たとき、とても感動しました。あるジャーナリストに言ったことを覚えています。これは自分の人生で最良の夜だと。 なぜなら、94年の大虐殺以来、私がずっと伝えたかったことが、やっと伝えられたから。」

 「自分たちが殺されることは分かっていた。 でも、『こんなこと許さない』と言わないで、臆病者のまま死にたくは無かったのです。」

 「大虐殺の事を考えたり、話したりすると、何日か眠れなくなるし、悪夢にうなされることもあります。 でも、ルワンダで起きていた事を知っていた人はみんなそうですから。」


 最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
ポリティカルコレクトネスについて。
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 Political correctness、と言うのは、日本語に訳せば「政治的な適切さ」とでもなるのでしょうか。 ビジネスの世界などではよく使われる単語です。 特に欧米ではかなり浸透しているものの考え方だと思っています。

 具体的には、政治やそれに関連した微妙な話題について、「correct」な態度をとる事をさしています。 例えば、ムスリムの前で、「私は神を信じない」といった自分の思想信条を話さないことなどが、挙げられます。


 確かに、politically correctな行動をとることはとても重要なのですが、今人々の間で多数を占めている『political correctness』については正直疑問を持っている点があります。

 現在、political correctnessと言うと、一種の「はれものには触らない」的な態度だと受け取られている場合が非常に多い。 特に、面接などのマニュアルなどではそれを強く感じます。

 でも僕は、本当の洗練、本当のpolitical correctnessと言うのは、「自分の意見を、相手の気を害することなく真摯に話せること」だと思ってるんですよね。 けれど、今周りを振り返ってみると、「話さないこと」が多数を占めていると感じています。 話すとしても、「相手の気を害すること」が非常に多い。


 政治や宗教など、微妙な話題に触れないことは簡単です。 ですが、将来につながる本当の信頼関係を築こうと望むのなら、ちゃんと、意見は意見として表明しないといけないと思うんです。 そして、お互いを認め合うこと。 それが出来ていないと、とんでもないところでつまづいたりすると思うんですよね。 技術が進み、世界がある意味狭くなった現在において、この事はより一層重要性を増していくのじゃないかと思っています。


 というわけで、これからもこのブログでは、一般的に触れられにくい話題について、自分の意見を真摯に述べていこうと思っています。 書くことによって、自分の意見をはっきりと言語化できるし、また、コメントをいただくことによって、さらにわが身を振り返ることができると思うので。
Judas' pain
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  「ユダは裏切っていない? 1700年前の写本解読」

 内容をかいつまんで言うとこんな感じです:
 ユダ(正確には、イスカリオテのユダ)は、自らの意思のみでなく、キリストの嘱託を受けてキリストを「裏切った」―そう書かれている「ユダの福音書」が見つかり、解読がが終了した。


 英文のPDFファイルはこちらです。


 PDFファイルの内容を果敢に翻訳しようと思ったのですが、今回ばかりはさすがに著作権その他が怖かったのでやめておきました。 のみならず、僕みたいに宗教は好きだけれど無宗教の人間が、翻訳を書くのはどうもまずいと感じたのも、理由の一つです。

 それでも、感想だけは書きたいので、エントリーを書いているわけです。



 1.ユダこそ「もっともキリストに近い使徒」説について
 2.資料の信憑性
 3.ユダの『裏切り』に関する個人的な意見
 4.結びにかえて 




 1.ユダこそ「もっともキリストに近い使徒」説について

 実は、文書に書かれていた内容自体は、大して新しいものじゃないんですよね。 日本では、例えば遠藤周作さんなどが、同様のお話をしていた記憶があります。 「イエスの生涯」という本です。 
 ユダは、誰よりもキリストの苦悩を知っていて、キリストもまたユダがそう感じているのを知っていた。だから、彼は、ひそかにユダを呼び、彼に裏切りを頼んだという内容のものです。 

 ですから、今回の資料の意義は、その内容そのものと言うよりも、一部の人々が主張してきた説に対し、文献的根拠を与えたという点にあります。



 2.資料の信憑性

 生きてきた環境のせいか、僕はどうも資料の信憑性を疑ってしまう性質のようです。 今回の資料についても、年代的にはかなり事実に合致したものであることが分かっていますが、それが、「ユダの福音書」である根拠はないんですよね。

 例えば、考えてみてください。 僕が当時に生きていて、思い付きを、本にとどめておいたとします。 それを現代の人たちが発見する、なんてことがありえるわけです。

 人間は自分に有利な、もしくは、自分の考えを肯定してくれる情報だけを真に受けようとする性質があるので、この点には用心しようと思っています。

 

 3.ユダの『裏切り』に関する個人的な意見

 と、資料の信憑性を疑っておいてなんですが、僕としては、どちらかと言うと、「裏切り者」としてのユダよりも、キリストの思想を不滅のものにするためにわが身を犠牲にしたユダのイメージの方がしっくりとくるんですね。 

 30枚の銀貨でキリストを裏切って、そして、罪の意識に耐え切れず首を吊って死ぬ、というのは、あまりにも安直な気がするんです。 長い間迫害を受け続けてきたキリストと苦楽を共にしてきた使徒の一人が、あんなにもあっさりと裏切りを働くというのは、どうしても想像しがたいのです。 他の使徒のように、キリストが捕まったときに逃げ去ることはありえるとしても。 
 
 さらに、「他人の罪をあがなうために、己の命さえもささげる」というキリストの思想を体現するには、皮肉なことですが、やはり「裏切り」が必要だったわけです。 キリストが、ただ単に戒律を批判した罪で、イスラエルで捕まったのでは、この他人の罪をあがなうということを体現は出来なかったんですよね。 と、考えると、やはりユダの「裏切り」は意図されたものだったということも、いえなくはないと思うんです。

 キリストの思想は、二人の人間の死によって不滅のものになった、片方が欠けても不滅にならなかった、そう感じている僕がいます。
 
 
4.結びにかえて 

 数千年の過去の事実は過去に生きた人のものであって、僕たちのものではないと思っています。
 僕たちにできることといえば、過去を自分の頭で想像して、そこから学ぶことにあると思うんです。 彼らが何を考え、そのような行動をとったのかを可能な限り想像し、そして、自分の生き様について省察すること。 それが、一番大切なことだと感じる今日この頃です。
 
 2000年以上、裏切り者の汚名を、自分のみならず、自分の子孫までもかぶる事になるかもしれない。
 僕だったら耐えられるか?



 そんな問いが胸中渦巻いていた、仕事の帰り道でした。
いい留学予備校。
 プロフィール欄にも書いているように、僕は去年、かなり無謀なMBA受験をしました。 その経験が役に立てばと思いエントリーを書いています。


 
 さて、お奨めの予備校を紹介します。
 某予備校にいた際にお世話になった野口先生が設立された、Alpha Lingua Academyです。


 野口先生はブログも書いているので、こちらも是非。
 http://d.hatena.ne.jp/futaro1968/


 
 大手の予備校はお奨めしません。 

 官僚主義的だからです。 

 それには、構造的な理由があります。

 
 MBA受験生は多くが企業派遣、もしくは、役所派遣(人事院派遣制度と言うのがあって、官僚の一部がこれで留学しています)です。 彼・彼女らの受験費用は、もちろん企業・役所(=僕たちの税金!)が払います。 大手の受験予備校は、企業・官公庁とある程度の癒着関係を持っていて、そこには労せずして毎年多くのお金が入るわけです。

 こんな状態で、サービスを良くしようというインセンティヴはなかなか働きにくく、結果としてとても官僚主義的になっているのが、現在の大手予備校の現状だと思います。


 もちろん人格的に素晴らしい人はいっぱいいました。 ですが、ちなみに、P某予備校に関して言うと、僕がお世話になった先生方は皆退職されました。 やはり、合わなかったのでしょうか。 だから、こんなエントリーが書けるわけですが。

  
 野口先生は、クールな知性を持ちながら、本当に親身になって学生の相談を聞いてくださる方です。 僕も、一緒に受験した友人達も彼にはとてもお世話になっています。
 もし、今から留学を志すのであれば、ぜひ、この学校へ行く事をお奨めします。 留学を成功させるのには、よい講師ももちろんいたほうが良いのですが、それ以上に、その人の将来のビジョンを明確に出来るよき相談者と、強い意志を持ち続けられるような応援者が周りにいる必要があるんです。 大手予備校では、その点は正直弱いです。


 僕も将来また次世代TOEFLを受けることになると思うので、その時は、ここにお世話になろうと思っています。


 私費での留学を志されている方は、是非。 
 
 http://www.gmat-toefl.com/
LTCMの破綻④:簡単な締め。
 そういえば、締めてませんでしたね^^;

 
 もう、前回のことで書きたいことは書きつくしてしまった感があるので、手短に。

 市場は、本当に化け物のような存在です。 

 近40年間を通じて市場を上回るパフォーマンスを示したファンドは一つも存在していないのです。(これは、40年間運営してきて、と言う意味です)

 じゃあ、僕はどうしよう? と、考えてきました。
 

 LTCMの経験は、非常に多くの示唆を僕に与えてくれました。 現時点で確実にいえることは、彼・彼女ららのおかげで、僕はあのような投資手法を踏襲しないで済むということでしょうか。  他にも色々あるのですが、それはここまでのエントリーで書いてきましたし。 

 
 尻切れとんぼですが、この辺で、LTCM特集を終えたいと思います。 それでは、さよなら、さよなら、さよなら。
ドストエフスキーのすすめ。
 僕が古典文学を読む理由は、大きく四つです:

 1.言葉や表現が豊かになる~ま、これは説明の必要もなさそうです。


 2.人間観察力がつく~文学は人間学だと思っています。 迫力のある古典の人物描写を通じて、観察力を鋭く出来ます。 また、こういった人間観察力は、将来の投資活動につながるものだと信じてやみません。 (こんな投資をしたいと思っています)


 3.志向を強くすることができる~理性だとか愛だとか、そいういったものに対する思いを強くすることが出来ます。 こういった思いは、困難を打克つ力になると思います。


 4.心の忍耐力がつく~つらい事を文学を通じて疑似体験することによって、多少の事ではへこたれないようになります。



 僕がドストエフスキーを人に会うたびに勧めるのは、ドストエフスキーほど2と4に優れた作家はいないからです。 彼の心理描写は、本当に、すごい。 まさに、肺腑を抉るような表現とでもいいましょうか。

 
 ドストエフスキーの作品を読んでいると、まるで「心の痛い部分に土足でどかどかと入ってこられている」気分になります。 「ほら、こういう最低な気持ち、君も抱いたことがあるでしょう?」と語る作者のペンを鼻先に突きつけられたような感じさえ受けます。  ヴィトゲンシュタイン(有名な論理哲学者、哲学を殺した男と呼ばれています)は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を50回熟読したそうです。


  
 だからか(?)、彼の作品を読んでいると、日常に起こるたいていの事には動じなくなります。 ちょっとした痴話喧嘩だとか、誰かに非難されただとか。

 
 何かを強く目指す人にとって、負けない心はとても重要です。 その「負けない」心の元は大きく二つだと思います。

 一つは、志向。
 そして、もう一つは、上で挙げた心の忍耐力。

 
 つらいとき、志向が強い人は、「それでも!」と叫びながら歩き続けることが出来ると思います。 
 心の忍耐力が強い人は「それがどうした!」と、また、心のなかで反芻しながら、しっかりと歩いていきます。

 
 片方だけだと、ちょっと危なっかしい気がします。
 両方持っていたら、素晴らしいと思うんです。

 経験を通じて両方を得ることも出来るのかもしれませんが、それが難しい昨今において、ドストエフスキーを読むことは、一つの有力な手段だと僕は感じています。

 人間観察に関しては、「死の家の記録」、心の忍耐力に関しては「カラマーゾフの兄弟」を強くお奨めします。


 そして、最近、お風呂の中で僕が読んでいるのは「罪と罰」です。 リラックスになってないので、これはちょっとまずいかな、と思う今日この頃です^^;
LTCM破綻を原理的に考えてみる:LTCMの破綻その③
  後孔明といった言葉があるそうですね。
 「事が起こった後なら、誰にでも孔明になれる。」

 全くその通りで、僕がLTCMの破綻の原理的な理由について書くのも、後になったからこそ言える内容のものだと思っています。 

 ですが、それが将来、何かのためになるのであれば、こういった考察は無駄ではないと思っています。 哲学者ヘーゲルは「歴史哲学講義」で、民衆が過去から学んだと言うことは一度も無いと喝破していますが、それに抗いたいと思います。

 前置きが長くなってしまいました。
 3)LTCM破綻の原理的要因 について、考えていきます。

 ※前回のエントリーはこちらになります。 



 LTCMに対して、原理的に2つの疑問挙げられそうです。 これは、金融のみならず、すべての事柄に通じうる疑問だと思っています。

 第一点:正規分布じゃなくて、べき分布なのかも?
 第二点:過去に起こらなかったことは、将来にも起こらないのか?(帰納の不可避的な「飛躍」)

 
 
 以下、述べていこうと思います。
 
 

 ・証券価格は本当に正規分布に従うのか? 
 前回のエントリーで挙げた、崖から石を落とす例をもって、引き続き考えていきます。
 真下に落ちる可能性が一番高く、真下より300m以上離れたところに落ちる確率は0.01%以下、とします。
 この場合、確率的に言えば、500mはなれたところに落ちるなんて事は、ほとんどありえないわけです。
 ですが、LTCMが破綻したきっかけとなった、ロシアの国際の暴落においては、その「ありえない」が起こったのです。

 もしかしたら、正規分布していなかったんじゃないか? という疑問が浮かぶわけです。

 
 ここで、非常に重要な示唆を与えてくれる分布の形があります。

 それは、べき分布。

 べき分布の形は、対数正規分布に非常に似ているのですが、異なる点として、その裾野の長さが上げられます。 裾野が長いということは、さっきの石が500m1000m2000mはなれたところに落ちる可能性が、正規分布よりはかなり高いことを意味します。
 この裾野の長さのことを、ロングテールと呼んだりしていますが、この性質は、現在ネットの世界で起こっているさまざまな事柄を説明してくれています。

 たとえば、書籍販売サイト、アマゾンの売り上げ。 
 普通、書店で売上ベスト10の書籍の販売数の合計は、それ以下の書籍のそれを上回ります。
 しかし、アマゾンでは、全く逆のことが起こっています。 ランキング下位の書籍の売り上げの全部をあわせると、ランキング上位の書籍の売り上げを上回っているのです。

 こういったことから、べき分布は最近注目を(多分一部で)集めています。
 
 物理学の観点からも、証券の収益率は、対数正規分布でなく、べき分布に従っているのだ、という主張があげられています。
 
 それが正しいのかどうか、僕には分かりませんが、少なくとも確かなのは、証券の収益率が裾野の長いべき分布に従うと彼らが考えていたのなら、あのような破綻が起こらなかったということです。



 ・過去になかったから、将来にもないのか? (「帰納の飛躍」)

 次に、この点ですね。
 おそらく、LTCMの頭脳達は、過去の膨大なデータを集めて、すべての証券は「適正価格」に戻るという「確証」を得ていたのだと思います。
 このやり方は、科学の世界では「正しい」方法論だと考えられています。 僕も、概ね正しい、と思っています。

 不確実な世界に住んでいる僕達が、ある真理(と主張する議論)について、大上段から述べるということは不可能に近く(一部政治家はしますが)、できることは、一つ一つの事例を集めて、その真理にたどり着くことなんですよね。
 このように真理へといたる方法のことを帰納といいますが、帰納はその性質上、避けられない問題を持っています。

 それは、飛躍、という問題です。 

 帰納法においては、「99.999999・・・・%正しい」、というまでが関の山で、決してそれは100%には出来ないのです。
 言い換えると、データをいくら積み重ねたからと言って、それが100%正しいなんて、絶対にいえないんです。

 ですが、そんなことを言っていたら、何も主張できなくなってしまう。
 だから、僕達は、その99.9999%正しいだろうことを、正しいこととして主張するのです。

 しかし、この帰納の限界を常に認識することはとても大切だと思うんです。
 「絶対に正しいことなんてあるわけない」、と常に自らに言い聞かし、データがいかに「自分達が見たい真理」を自明のことのように示していたとしても。 そうしていれば、LTCMの破綻は、少なくともあそこまでのものにならなかったのではないか、と、僕は感じています。

 
 確率論の古典と言われる本があります。
 John Maynard Keynes, Treatise on Probability, 1920です。 これは邦訳はされていないのですが、ケインズは以下のように述べています。

 In the case, however, of most scientific arguments, which would commonly be called inductive, the probability that we are right, when we make predictions on the basis of past experience, depends not so much on the number of past experiences upon which we rely, as on the degree in which the circumstances of these experiences resemble the known circumstances in which the prediction is to take effect.
 
 この文章を直訳する能力は僕には無いので^^;、彼が話していることを意味はそのままに訳してみます。

 帰納法と呼ばれる科学的主張において、
 「われわれが正しい」と言う確率を、過去の経験に基づいて主張するとき、

 その確率は、
 過去の経験の数(すなわちデータの量)よりも
 その過去の経験における「状態」が、これから私達が予測する時点における「状態」にどれだけ似ているのか、
 ということに依存する。

 まあ、こういった内容です。 not so much on ... as onの翻訳、難しい。。

 膨大なデータそのものが、何らかのものを示唆するからと言って、今にもそれを当てはめられるのかと言うと、決してそうではない、とケインズは言っているんですね。 ちなみに、現代人であれば、鈴木敏文氏もまったく同様のことを話しています。 セブンイレブンでアルバイトを一生懸命すると、こういう考え方が身につきます。

 全く違う文脈ですが、ガンジーも同様の事を話しています。 彼は、非暴力平和への「過去に人類は非暴力平和を経験したことがない」という批判に対し、こう言い返しています。 
 「過去に無かったからといって将来にも無いと考えるのは、人間の尊厳に対する不信です。」

 
 データは重視する。 だけど、それにとらわれない。
 そういった視点を持つことは、とても重要だと思います。
 
 専門家になればなるほど、こういう意識が薄れがちなので、本当に用心しなければいけないと思います。 自己批判の精神って、本当に大切ですよね。

 
 またまたどたばたと書いてしまいました。。 でも、仕事に行かねば。。
 
 間違いがあれば訂正してくださると助かります。
 コメントも大歓迎です(このごろコメントが少なくてへこんでます)。 

 ではでは。
リーダーと覚悟。
 進路について思い悩んでいたときにお会いして、初対面の僕に素晴らしいきっかけをくださった鈴木潤さんのブログにトラックバックしています。

  
 昔、ある革命家の本を読んだときに、こういうことが書かれていました。
 「革命家は、3つの覚悟を持っていないといけない。 第一に、餓死するかもしれないという覚悟。 第二に、打死するかもしれないという覚悟。 第三に凍死するかもしれないという覚悟。」


 
 これって、経営者にも同様に言えると思うんです。

 仲良くしてもらっているトニー先輩に、昔こんな話をしてもらったことがあります。
 「てじゅん、経営者ってのはなあ、自分の家族が路頭に迷って首吊るかもしれないってことまで覚悟してないといけないんじゃ。 お前に覚悟できるのか?」

 言葉に窮しました。



 自分のみならず、自分の家族も、と考えると、思わず足が竦んでしまいそうです。
 さらに、大きな企業に育てば育つほど、もっと多くの人々の人生も抱えることになるのです。
 企業が倒産するということは、自分や自分の家族はもちろん、従業員の家族までも路頭に迷わせることになります。
 さらに大きな企業となると、その地域や国に住んでいる人々までも、巻き込みかねません。


 
 経営者には、そういう事に対する覚悟が必要だと思うんです。
 いや、経営者だけじゃなく、革命家だけじゃなく、活動家、政治家など、人の集まりを率いる人には絶対に。 例えば、アメリカで従業員達のために裁判を戦い抜いたキャノンの御手洗さんの言葉からは、この覚悟を強く感じることが出来ます。

 この覚悟は、二つの点で重要だと思います。

 第一。もちろん、その企業・組織が成功するため。 「やるしかない」という気持ちは、最高のモチベーションになり、それは成功への原動力となることでしょう。

 そして、もう一つ、その企業・組織が社会的責任を果たすため。 関連している全ての人たちの生活を本当に考えるのならば、不正やその他企業の社会的責任に反するような行動はとらなく、いや、とれなくなると思うんです。


 
 悪事に手を染めてしまったりする経営者や政治家、革命家達には、自分自身に対する覚悟はある程度出来ていても、それ以外の従業員や周りの人々の生活を担っているんだという覚悟が少し欠如していたのかもしれないと、時々思ったりします。


 肝心の僕の覚悟はと言うと、口ではいくらでも言えるのですが、それが試されるのは、本当にきつい状況に陥ったときなので、その時のために、いつも精神修養と善行を怠らないようにしようと思う今日この頃です。 覚悟だとか倫理だとか言うものは、いきなり身につくものじゃなくて、日々の行い積み重ねによってやっと出来ていくもののはずなので。
一年に一度だけ見れる日。
dawn.jpg

 日曜の新聞が結構好きです。
 あのほのぼのした感じが。
 毎曰新聞に今日だけ見える星のことが書いてありました。

 今日が晴れてよかったです^^
 夜もこのまま晴れていると、とても珍しい星が見えるそうです。 Dベータ84という、聞きなれない名前の星です。

 大体の位置で言うと、夜10時ごろ、月の右下すぐの場所に、赤いきれいな星が見えるそうです。


 ご存知の通り、赤い星というのは見える星の中では一番温度が低くて、結構見えにくかったりします。 

 そういう時、見やすくなる方法知ってますか?
 二つあるんです。

 ①目を閉じる
 ~閉じることによって目が暗さに慣れて、よりよく見えるようになる。 これは、晴れた日に、いきなり暗い建物の中に入ったときとかにも使えます。


 ②大声で叫ぶ
 ~叫ぶことによって脳が刺激されて、これまたよく見えるようになるそうです。 空手とかでも、突きを繰り出すときに大声を出すことによって、神経が研ぎ澄まされるんですよね。



 そういうわけで、今日はみなさん是非、見晴らしの良いところに行って、目を閉じて、大声で叫んでみてください。

 星ではなくて馬鹿(フール)を見ることになるかもしれませんが、まあ、一年に一回くらいはこういう日があってもいいですよね^^;




 ※毎曰(いわく)新聞と毎日(にち)新聞は、全く別のものです。 念のため。
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