Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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映画感想文:ホテル・ルワンダ。
 100日間で、100万人が死んだ。
 いや、殺された。
 それも、隣人の手によって。

 絶望と狂気が渦巻く中、あなたなら、どうしますか?
 特に、あなたが、加害者側の人間だったら?


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 ホテル・ルワンダは、そんな中、正気と智慧とほんの少しの勇気を持つ一人のホテルの支配人が、1200人の虐殺される運命にあった人々を死から救った事実を、映画化したものです。
 
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 以下、衝き動かされるように書きあげました。 僕だからこそ書ける内容があると感じたからです。

 今年で一番気合を入れて書きました。
 この記事を見てくれた人が、最後まで読んでくれる事を強く願っています。

 
 0.ルワンダ虐殺の背景
 1.『知られた』物語と『知られざる』物語
 2.国際社会の責任 
 3.僕ならどうした?
 4.結びに―主人公本人のコメントと共に 

 


 0.ルワンダ虐殺の背景

 輝く太陽の下、美しい衣装を纏い歌と踊りを愛する陽気な人々が裕福ではないまでもつつましく暮らしていた大陸を、欧米列強が瞬く間に侵略したのは、19世紀の事。 
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 ルワンダは、第一次世界大戦まではドイツの植民地、その後は、ベルギーの植民地でした。
 欧米列強による植民地支配には、一定の傾向があります。 それは、分割して統治するということです。 大きな力の反抗勢力が出来ないように、団結をさせない。 
 団結させないための方法は簡単です。 「お互いを憎みあうように仕向けること」です。 もちろん、このやりかたは東アジアにおいても、程度の差はあれとられていましたし、今でもとられているのかもしれません。
 
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 中央よりの東アフリカに位置するルワンダにおいては、西洋人に顔立ちが似ている『ツチ族(今はツチ族、フツ族と言う表現は差別を助長するということで禁じられています)』が支配部族として仕立て上げられます。 そして、80%以上を占める多数派の『フツ族』を、被差別側へ。 教育を初めとした徹底的な制度介入により、部族間の差別意識は容易に取り払えない根強いものになっていきます。 こうして、同じ言語、同じ習慣、同じ宗教を持ち、生活の基礎が農耕か遊牧かと言う点でしか違いがなかった『フツ族』と『ツチ族』が『作り上げられて』いきます。

 ルワンダの独立後、73年には、多数派の『フツ族』が政権を奪取、今度は『ツチ族』への支配を開始します。 その後、『ツチ族』は反乱軍を組み闘争に乗り出し、ルワンダ内戦が始まります。 その内戦も1993年の和平合意により収束へ至るかに見えたとき、94年には『フツ族』の大統領が暗殺され(犯人は分かっていません)ます。 事件以前から、『フツ族』ではラジオ放送などを通じて、扇動がされてきました。 かくして、『フツ族』による、100日間で100万人にもなる『ツチ族』大虐殺が始まります。
 
 
 

 1.一つの「知られた」物語の裏側にはその数倍、数万倍の「知られざる」物語があること 

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 虐殺の地、ルワンダで正気を保ち行動をとった人間は、主人公となったポールひとりではなかったと思います。 いつでも、こういう事態においても正しい行動を取れる人々が、多くはないまでもいくらかはいるものです。 でも、そういう人間は、ほとんどの場合、長生きできない。 狂気が支配する世界において、正気を保って生きながらえる事がどれだけ難しいか、私達は知っていると思います。
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 ドイツにおいても、シンドラーは一人だけじゃなかったはずでしょう。
 
 主人公ポールは、「たった一人正気を保った人」では決してなくて、「正気を保ち隣人を救おうとした人々の中で、生き残った唯一の人」だったということを、忘れてはいけないと思います。

 


 2.国際社会の責任

国際社会は、多くの場合、困難に喘ぐ国の人々に対して、見て見ぬふりをしてきました。 同じような出来事は、いまもどこかで起こっているのかもしれないのです。

 例えばアフガニスタン。
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 20年以上、国際社会はこの国を見過ごしてきました。 その間に、おびただしい量の血が流されてきたにもかかわらず。 アル・カーイダがその地に潜伏しているという情報を通して、やっと国際社会、特に先進国の僕たちはこの国に目を向けた。 文化遺産にも指定されていたバーミヤンの仏像は破壊されたのではない、恥辱に耐え切れず崩れ落ちたのだ、と言うのは、正鵠を射た表現だと感じます。


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 映画中でも、虐殺のシーンを撮ったビデオを見ながら、「これを見れば国際社会が振り向いてくれるはず」と安堵する主人公に対し、ジャーナリストが吐き捨てるようにこう語ります。 「世界の人々はあの映像を見て、『怖いね』、と言うだけで、またディナーを続けるさ。」 そして、事実そのとおりになります。 僕は、その事実をともに作り上げている一人です。 この記事を読んでくれているあなたも、その一人かもしれません。

 また、さらにある国連平和維持軍は、先進諸国がルワンダから手を引くという報告を受けた後、落胆し、主人公ポールにこう語ります。「君が信じてる西側の超大国は、君らはゴミだと思っている。 君は頭が良く、スタッフの信望も厚いが、このホテルのオーナーにはなれない。 黒人だからだ。 君らは『ニガー(アメリカの黒人と言う意味合い)』以下の、アフリカ人だ。」




 3.僕ならどうした?

 「僕ならどうしただろう?」と自分に問いかける事が多い今日この頃です。 こういう想像をすることって、とても重要な事だと思っています。 たとえ、その想像が一時的な形而上学的想念で、それが打ち切られたとたん、また平凡な生活に戻ることがいつもの事だったとしても。
 正直なところ、勇気や正義だとか言った、いわゆる「高尚」な理由から、正しい行動をとることは出来ないと思っています。 もし、そういう行動をとることが出来るとしたら、自分が愛する人々を守りたい場合や、「いつの間にか引くに引けない状況になってしまった」と感じた場合だけなのかなと。 現状の自分を飾ることは出来ません。 正直言って、僕はそんなに勇敢な人間にはなれていません。
 今の僕がポールの立場だったら、すぐに欧米に逃亡して、「ここで私にしかできない闘い方がある」だとか格好のつく理由をつけて、適度に適当なアクションだけを起こしているかもしれません。 行動の伴わない良心は虚偽だ、と説き、死を恐れずに朝鮮半島を分断する38度線を越えたリム・スギョン氏の言葉の前に、僕はただただ頭を垂れます。 
 
 でも、こんな自分ではありたくないと強く感じる僕がいます。 日ごろの、己の良心に従った行動を心がけ、自分の良心の鏡で自分を省みる、そういう生活を繰り返すことによって、少しでも理想の自分に近づいていければと思っています。 そういう意味でも、心から感謝したい映画でした。



 4.結びに

 僕にとっては、どうしても対岸の火事には見えない問題です。 
 それには多くの理由があります。

 友人であるアフリカのある国の王族の友人からつぶさに話を聞いたことがあること。 「この世のどこかで不正が起こったときには、それを強く感じる」ようにしてきたチェ・ゲバラの薫陶を受けているのも一つの理由。 また、大学時代に刑法を講義していた先生が、このルワンダ国際法廷立ち上げのメンバーだったことも。 さらに、世界中の難民や虐殺の問題などに積極的に取り組んでいるNGOにてインターンをして、今もボランティアをしていることも理由だと思います。

 しかし、対岸の火事に見えない理由は何よりも、関東大震災が起こったときに多くの在日朝鮮人が虐殺され、朝鮮戦争時には、同じ民族どうしで殺し合い、何百万人もの人々が死んだところにあるのだと感じています。

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慰霊碑


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ピカソ、「朝鮮の虐殺」

 


 だから、わが身と引き比べながら、身につまされる思いで、このエントリーを書きました。

 人間は忘れる生き物だと思います。 それを知った上で、忘れない努力をすることは、本当に大切だと思います。


 このエントリーが何かの参考になれば、本当に嬉しく思います。 


 最後に、主人公のモデルであるポール・ルセサバギナ氏本人の言葉をもって、このエントリーを終えたいと思います。 (写真右側が本人です)
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 「私は自分の仕事をやっただけです。ああいう状況に対峙した時、考える暇がない時は幸運なのかもしれません。自分に課せられた事をやるだけですから。」

 「トロント国際映画祭で映画を初めて大スクリーンで見たとき、とても感動しました。あるジャーナリストに言ったことを覚えています。これは自分の人生で最良の夜だと。 なぜなら、94年の大虐殺以来、私がずっと伝えたかったことが、やっと伝えられたから。」

 「自分たちが殺されることは分かっていた。 でも、『こんなこと許さない』と言わないで、臆病者のまま死にたくは無かったのです。」

 「大虐殺の事を考えたり、話したりすると、何日か眠れなくなるし、悪夢にうなされることもあります。 でも、ルワンダで起きていた事を知っていた人はみんなそうですから。」


 最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
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ポリティカルコレクトネスについて。
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 Political correctness、と言うのは、日本語に訳せば「政治的な適切さ」とでもなるのでしょうか。 ビジネスの世界などではよく使われる単語です。 特に欧米ではかなり浸透しているものの考え方だと思っています。

 具体的には、政治やそれに関連した微妙な話題について、「correct」な態度をとる事をさしています。 例えば、ムスリムの前で、「私は神を信じない」といった自分の思想信条を話さないことなどが、挙げられます。


 確かに、politically correctな行動をとることはとても重要なのですが、今人々の間で多数を占めている『political correctness』については正直疑問を持っている点があります。

 現在、political correctnessと言うと、一種の「はれものには触らない」的な態度だと受け取られている場合が非常に多い。 特に、面接などのマニュアルなどではそれを強く感じます。

 でも僕は、本当の洗練、本当のpolitical correctnessと言うのは、「自分の意見を、相手の気を害することなく真摯に話せること」だと思ってるんですよね。 けれど、今周りを振り返ってみると、「話さないこと」が多数を占めていると感じています。 話すとしても、「相手の気を害すること」が非常に多い。


 政治や宗教など、微妙な話題に触れないことは簡単です。 ですが、将来につながる本当の信頼関係を築こうと望むのなら、ちゃんと、意見は意見として表明しないといけないと思うんです。 そして、お互いを認め合うこと。 それが出来ていないと、とんでもないところでつまづいたりすると思うんですよね。 技術が進み、世界がある意味狭くなった現在において、この事はより一層重要性を増していくのじゃないかと思っています。


 というわけで、これからもこのブログでは、一般的に触れられにくい話題について、自分の意見を真摯に述べていこうと思っています。 書くことによって、自分の意見をはっきりと言語化できるし、また、コメントをいただくことによって、さらにわが身を振り返ることができると思うので。
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