Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
経済学の『常識』、社会通念の『非常識』。
 証券アナリスト試験の解答速報が出ている事を知り、答えあわせをしました。

 証券分析8割、経済9.5割、財務分析6.5割でした。。

 会計、真面目に勉強します。 ハイ。。。 受かっていても受かっていなくても。   なんにせよ、幸い10月に試験を受けて合格すれば、最短時間での最終合格は可能なので、頑張ります。 

 証券分析が予想以上に悪くてビックリ。 予備校の解答が間違えていると、思ってみたり^^;


 閑話休題。


 経済学的に「常識」もしくは、「正しい」と考えられていることが、社会通念的には「非常識」もしくは、「不正」と考えられることがよくあります。 利子率の議論だけに限られた話ではないのです。

 
 以下、三つ例を挙げます。
 興味深いものを言ってくだされば、それについては、図をつけて、もっと突っ込んで記事にしますね。



 経済学的常識・社会的非常識その1
 「労働組合の賃上げ争議の成功は、失業率の増加につながる。」

 共産党や社民党からクレームがきそうですが、非マルクス経済学においては、これは厳然たる事実です。 統計の立証つきです。
 すごく単純な例を考えてみてください。

 あなたは給与にあてられる資金を、1億円を持っているとします。
 そのお金で年俸1000万円で従業員を10人雇っていました。
 しかし、従業員が不服をいい、賃金を1100万円に上げることを余儀なくさせられます。
 
 さて、どうしますか? しょうがないので、1100万円で9人を雇うことになり、1人が失業するわけです。

 逆もまたしかり。 従業員を増やすと、今度は、賃金を下げざるを得なくなります。


 ここから、少なくない経済学者たちは、「労働争議によってするべきことは、賃金の上昇を求めることではなく、富の公正な配分を経営者に求めることだ」と話します。

 これによると、よく言う春闘は、全く不合理なこと、となるわけですね。。


 と、これが、その1です。


 経済学的常識・社会的非常識その2
 「モノカルチュアは、経済効率的」

 モノカルチュアとは、よく発展途上国などで問題とされる、「一種(モノとは1という意味です)の製品をつくる(多くの場合それしか作ることが出来ない)状態」を言います。

 これは、社会運動家の多くから「植民地政策の残滓だ」と責められる事柄です。 つまり、そういった国は、付加価値の少ない製品しか生産することが出来ない状況に陥っており、それが結果として収奪を再生産するのだ、と、彼・彼女らは論じます。

 しかし、このモノカルチュア、経済学的にはとても効率的なことなのです。 経済学者リカード氏がこの事を200年前に語りました。 

----------------
 あなたは、コーヒー豆1トンを100万円で生産でき、PC10台を500万円で生産できるとします。

 反面、リカードさんは、コーヒー豆1トンを90万円で生産でき、PC10台を300万円で生産できるとします。

----------------


 この場合、二人にとって、最適な生産とは、どのようにされるべきでしょうか? 見れば分かるように、リカードさんは、あなたに対し、コーヒーの生産でも、PCの生産でも安く生産が可能で、優位に立っています。



 答え:あなたはコーヒー豆を、リカードさんはPCを生産することが、両者にとって望ましい。


 これが、経済学の用語では有名な「比較優位の原理」です。

 あなたは、両方においてリカードさんに劣っていますが、比較の問題で言うと、コーヒー豆の生産において有利なのです。 リカードさんは、PCの生産コストの3分の1程度のコストでしかコーヒー豆を生産できないのに対し、あなたは、PC生産の5分の1と言う「比較的に」安いコストでコーヒー豆を生産でき、だからこそ、コーヒー豆の生産に特化するのが効率的なのだ、ということになります。

 
 
 と言うわけで、社会運動家にとって猛烈な批判の対象となっているモノカルチュア政策は、経済学的にはとても効率的なものとなっているわけです。

 これが、その2。




 経済学的常識・社会的非常識その3  
 「日本のような国では、いくら財政政策につぎ込んでも、GDPは上昇しない。」

 
 日本のように変動為替レートを採用していて、かつ、資本移動が国際的に自由な国において、財政政策は無効です。

 「そんなアホな」と思うでしょう。 僕もいまだに、理由であるロジックを見せ付けられてもそう思います^^;

 けれど、これが、マンデル・フレミングモデルから引き出される結論なのです。

 上の事柄は、以下のルートをたどってなされていきます。

 ①財政政策の実行。
 ②金利が上昇すると共に、為替レートが上がる。
 ③為替レートが上がること=円高、となるため、日本の製品が海外で売れにくくなる
 ④結果、財政政策により上がった生産は、貿易赤字により打ち消される。
 
 もちろん、為替レートが完全に金利を反映するわけでもなく、資本移動も完全ではないので、財政政策の効果は全くない、というわけではありませんが。 


 ちなみに、固定為替相場の場合は、財政政策は有効であるのに、金融政策が無効となります。


 これが、その3。

 
 と、まあ、走り書きになってしまいましたが、このあたりで。


 繰り返しますが、話したいことは、一つです。

 経済学的な常識は、社会通念では非常識である場合が、往々にして存在する。 

 という事です。

 それに対する是非を語るつもりはありません。 ただ、それが事実としてあるという事を知ることは、とても重要だと思います。

 それを知った上で、現実とどう向き合っていくのか。

 そうしてこそ、行き詰っているいくつかの問題に、解決の糸口が見出せるのかもしれませんね。


 と言うわけで、利子率の問題について、多分次回あたりで懲りずに考えて見る事にします。 このブログ、「次回で」と言ったときに限って、更新しなかったりするのですが。
スポンサーサイト
Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。