Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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略語の不思議。
(問題)
 
下のアルファベットから連想されるものはなんでしょう?


1)GS

2)MS

3)ML



 (答え)



[略語の不思議。]の続きを読む
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あのブログが再開
 していたのですね。

 日々の楽しみが一つ甦りそうです。

 http://totodaisuke.weblogs.jp/blog/
そこにロジックがあったのか。
 昨日は初テニスをしてきました。 腰周りの筋肉を相当使うのですね。。 日ごろ使っていない部分がかなりの筋肉痛を起こしています。 よって、今日はお昼のプールはお休み。 代わりに記事を書いてみようかと。

 
 やっぱり目に付いたのはこのニュース。

  


 王子、手詰まり感強まる・TOB期限まで1週間
 
伊藤清教授、ガウス賞受賞。
 夜に運動すると決めてしまうと、なかなか時間が不安定になってしまうので、最近は昼休みに近くの区民プールで泳ぐのが多くなっています。 
  
 昼間に1kmくらいかっちりと泳ぐと、2~3時ごろに猛烈な眠気に襲われるのですが、なかなかすっきりしていい感じです。


 さて、閑話休題、伊藤のレンマで(ファイナンスをする人の間では少なくとも)有名な伊藤清教授が、ガウス賞を受賞されましたね。 その伊藤のレンマについて、少しだけ紹介を。
人ノート6:チェ・ゲバラ―赤いキリスト。
  人気シリーズ(?)人ノートも、6回目になります。
 
 今回はこの人。 この絵に見覚えがある人は、少なくないはずです。

20060824115352.jpg



  
 世界中の少なくない人々の間でiconとなっている(ゲバラTシャツを着ている人のうちの何人がこの人のことをある程度知っているかはいまだに謎です)、エルネスト・チェ・ゲバラが、今回の主人公です。 

 
 1.略歴
 2.ゲバラの社会主義思想―弱者愛
 3.清廉潔白
 4.永遠の少年
 5.結びに 

不動産投資と企業買収の接近。
 企業買収と不動産投資は結構接近しているようです。


 最近、不動産投資を行っていた会社が、一般企業を買収するケースが増えています。 一般企業と言っても、不動産業者など、不動産を保有している会社が対象です。 企業そのものの価値、というより、企業が持っている不動産の価値を算定して、不動産そのものを買う代わりに、それを保有している企業を買収するわけです。

 いい不動産投資案件が少なくなってきた、というのは、学校のスペシャリスト達皆に共通している意見なので、これからもこういった傾向は加速していくかもしれないという感じがしています。


 考えてみると、従来のバイアウトファンドも、リターンの源泉は不動産の評価替えなどが主なものでした。 僕は昔はてっきり、バイアウトファンドは、多くの場合企業の経営を改善させてリターンをあげるものだと思っていたのですが、多くのリターンは、レバレッジをかけること(これそのものがリターンの源泉ではありませんがリターンを増幅させるものとして)や、対象企業が保有している資産の評価を適正なものに戻すことによって得られるようです。 

 、、まあ、僕がやりたいバイアウトは、リターンが一般的にさほど期待されていない経営改善に主眼があるのですが(だから甘ちゃんと言われます^^;)。

 
 
 そんなこんなを考えていると、不動産投資ファンドが企業買収に乗り出したり、逆の事が起こったりするのは、至極当然の事なのかもしれません。 

 これら全ての投資に共通して言えることは、一言で、「市場の洗礼を受けさせること」と言えると思います。 日本の市場は、欧米に比べると市場の洗礼を受けていない部分が多く、そのため、もう少しの間、こういった投資案件の盛行が考えられそうです。
小泉首相の靖国参拝についてのコメント。
 さて、やっぱりコメントくらいはしておかないといけないと思うので、小泉首相の靖国参拝について。

 昨日靖国神社に行ってみようと試みたのですが、色々とやることがあって&テレビで靖国が大混雑ということを知り、行けませんでした。




 僕の意見は概要としては以下のものです:


 国家の自主権は尊重されるべきものなので、その国を代表する人々の一人が、特定の政治的・もしくは宗教的行為を行うことについて、他国が有無を言わさぬ権限を行使することは許されないし出来ないでしょう。

 ですが、靖国神社の場合、その施設に対しての何らかの価値の付与は、東アジア諸国の人々の心に、かなりの影響を及ぼすことは動かし得ない事実で、その点を考慮する必要があると思います。 

 第二次大戦で最も多くの兵士が亡くなった国は、日本とドイツです。 望んでも望まなくても徴兵はされるので、戦争に疑問を持っているのに、まだ生きたかったのにこの世を去ることになってしまった人は多かったでしょうし、戦死の悲報に沈みこんだ人々はもっと多いことでしょう。 
 ですが、いくら戦争のために犠牲になった人を弔うといっても、その戦争を起こした張本人たちが共にまつられている以上、それに対する参拝が、元被植民地の人々の心に与える影響を慮れるとは思うのですが・・・
 それと、最近のこの国における戦争の振り返り方は、どちらかというと、被害者としての描写(もちろんそれも多くの日本人にとっては事実の一つですが)が基本となっているように感じていて、これはこれでバイアスがかかっているのを感じます。 たとえ、人間が、やったことよりやられたことのほうをはるかに強く覚えてしまう因果な生き物だとしても。 


 ただ、今の靖国バッシングには、歴史的な理由とはちがったところの純粋な反日本意識や、「国内の批判をかわすため」といったような何らかの政治的意図が含まれていたりしそうで、そのことについても、よく考えてみないといけないと思います。


 以上です。




 お盆なのに休みをとっていないので、盆という感じが一切ありません。。  お墓参りに行かないと。 週末かな。
  
 
 
  
 ※以前ブログで書いた関連記事
 
 http://stjofonekorea.blog6.fc2.com/blog-entry-270.html
  
 http://stjofonekorea.blog6.fc2.com/blog-entry-249.html
海人(うみんちゅ)一日体験記。
 うみんちゅになってきました。

 海の底に潜り、わかしとさばを手づかみで(嘘)。 けど、リールは一切使わずに手釣りでした。 結構重労働。 
 
 合計で15匹くらいでしょうか。


 さて、釣った魚の口にささった針を抜いて、血を抜くためにえらを手でぶちっと切るのですが、そのときに思い浮かぶのは石垣りんのこの詩でした。

 
 
「儀式」

母親は
白い割烹着の紐をうしろで結び
板敷の台所におりて
流しの前に娘を連れてゆくがいい。

洗い桶に
木の香のする新しいまないたを渡し
鰹でも
鯛でも
鰈でも
よい。
丸ごと一匹の姿をのせ
よく研いだ包丁をしっかり握りしめて
力を手もとに集め
頭をブスリと落とすことから
教えなければならない。
その骨の手応えを
血のぬめりを
成長した女に伝えるのが母の役目だ。

パッケージされた肉の片々を材料と呼び
料理は愛情です、
などとやさしく諭すまえに。
長い間
私たちがどうやって生きてきたか。
どうやってこれから生きてゆくか。



 これからは、ご飯を食べる前に、いつもきちんと「いただきます」、と言おうと改めて思いました。 そう、「頂く」、って、自然から食料を頂いているんですよね。 

 360度全部が海、という風景は気持ちいいですね。 いいリフレッシュと共に、いい勉強になりました。 ベルデさん、いつも有難うございます。
懐疑と学問と意思決定。
 酔っ払い気味です。 が、頭は回っている(はず)という事をアピールするためにも記事を書いてみます。




 またF.Nakajimaさんへの返信記事です。


 
1.デカルトの「疑え」
2.ファイナンス理論と懐疑
3.懐疑と事実認識の態度について考えてみる
4.結び 

白黒の石と9年間。
 ある日のこと。 
 父が、当時小学一年生だった僕を呼びます。
 

 なにやら、升目のある木の板と、黒白の丸い石がありました。
  
 その石を使ってものを囲んだりする事を教えた後、僕にこう尋ねました。

 「てじゅん、おもしろいか?」

 「うん、おもしろい(何に対してもこう言う少年でした)。」


 そして、翌週。 気がついたら僕は囲碁の道場にいました。 9年間にわたる緑星囲碁学園での日々のスタートです。

 
 緑星囲碁学園は、菊池康郎先生が始めた囲碁の道場で、当時でも100人弱の子供から青年たちが碁を修めていました。 当時からプロだった人は数名しかいなかったのですが、いまや、学園出身のプロは20人弱くらいになるのでしょうか。 


 学園の目標は、「碁を通じての人間性の涵養」にあって、プロの養成はその次にありました。 しかし、プロを目指す子供たちが多く集まるため、プロ養成所としての性格も持っていたと思います。 中学を卒業した後に高校に行かずにプロになるために道場通いの日々を送る人も少なくありません。 
 ちなみに、緑星学園は、ヒカルの碁にも出てきます。 似たような名前の団体がありますよね。 あれです。 (僕はその漫画をあまりよく知らないので記憶があやふやですが。。)

 
 規律がしっかりと立っていて、たるんでいる人間は帰らされます。 ふざけが過ぎる人間も、また同様。 僕は食事の時間に友達にちょっかいを出したりしてよく帰らされました^^;

 碁を打つ時間も長い。 年とは関係なく、上級になればなるほど(集中力が長時間持続すると認められるほど)、道場にいられる時間が長くなります。 たとえば、日曜日は朝9時から夜8時まで(さらに上級になると10時まで)ずっと囲碁。 遊びたい盛りの僕にはかなりの苦痛でした。。 途中で抜け出したりしたこともありました。
 
 
 ここまで見ればわかるように、僕は碁をあまり好きではありませんでした。 後から来た人に追い抜かれても、たいして悔しさも感じず、土日、友達と遊びにいけない鬱憤の方が大きかった。 さらに、中学生になると、サッカーとの掛け持ちで囲碁をやっているだけで、先輩からヤキを食らう日々。  

 唯一楽しさを感じた時期といえば、上級クラスから落とされて、それに発奮して一生懸命勉強して上級クラスに戻った時でしょうか。 あの時だけは、自分の上達を実感しながら楽しい思いをしていました。

 「やったからには一定の区切りまで続けなさい」という親の言葉に勝てず、だらだらと9年間。 結果は、アマの六段。 一応、形には残りました。 けど、やっぱり、この「おもひでほろほろ」カテゴリー内の他の記事にあるような強烈なものは残っていません。

 
 ですが、今となって思うと、意外と身になっている事が多いのですね。

 記憶力、集中力、全体を読む力、いやでもやりぬく事、休日が無い生活に慣れること、などなど。 特に、高校生のころまで勉強らしい勉強をした覚えが無いので、おそらく僕の知的ベースは囲碁のおかげで培われたのだと思います。 (努力することは身につかなかったのですが、それは幸い、その後のサッカーのおかげで身につきました。) 


 プロ棋士は、写真と戦況が年毎にアップデートされているので、たまに当時の友達の名前をgoogle検索して、僕も負けてられないな、と思うことしばしば。 そのうち、久々の再会を果たしたいものです。
To say or not to say?
 仏教に造詣の深いF.Nakajimaさんからコメントを頂きました。
 
 触発されたので、記事を書いてみます。

 
1.碁打ちと読みの力
2.誰が本当に読めているんだろう?(情報の非対称性)
3.情報の非対称性下における情報発信者の心構えについて考える
4.結びに

「虐げられた人々」。
 この週末は、考えるきっかけとなった出来事があまりにもかさなってしまったので、エントリーを書けていませんでした。 東大でtakaさん紹介の講演会に参加(というか顔を出しただけ)したり、小説に強い感銘を受けたり、学校の同級生と温泉に行って話をしたり、勉強用の本を買いに行って右往左往したり、軽音サークルの後輩の演奏を見たり、朝鮮学校に行って老人たちから昔話を聞いたりと。


 さて、今日のメインは、感銘を受けた小説についての感想文。

 読んだ本は、47thさんが学生のころ好んで読んでいたという
 
 「虐げられた人々」、ドストエフスキー


 1.かんたんな作品紹介
 2.貧困についてのインプリケーション
 3.真理と表現者の姿勢についてのインプリケーション
 
素朴な疑問リターンズ。
 いつも唐突にとてもお馬鹿な疑問を呈して申し訳ないのですが。。



 みみずって、なんで、夏場にわざわざアスファルトの上に出てきて干からびてしまうんでしょう???


 気になって夜も眠れません(うそ)。
判官贔屓。
 そうそう、亀田選手のことを。
 
 メディアの報道は、相変わらずひどいですね。 ネットの住人たちも、言いたい放題ですし。 

 試合を見ていましたが、判定は、「微妙」の域を超えるような内容ではなかったと思いますし、どこにでもあるようなホームタウンデシジョンの枠内で十分説明できるような内容のものだと思います。 ダウンをとられたとしても、2ポイント。 ということは、残りの11回のうち、7ラウンド分をとれば、それで勝てるわけで。 

 八百長と言ってしまえば楽なのですが、客観的事実からの帰納的飛躍に対しては用心深くあるべきだと思います。 僕の身の周りには、その帰納的飛躍に基づいた無責任な議論がはびこっているので、なおいとど。



 本人に直接会っていないのですが、大切なものは誠実さにあると思っている僕としては、報道を通じた彼の姿には共感できない部分は多くあります。 ですが、他方で、僕よりも5歳も若いのに、世界の舞台であそこまで戦う姿には感銘を受けるし、応援したくなります。

  
 、、、こういう議論は危険なのですが、この国、というか、東アジア諸国では、出る杭は嫌われて、ふとした事件や出来事があろうものなら、大勢で嵩にかかって責め立てるという事がとても多いように感じます。 ライブドア、村上ファンド、そして、今回。 渦中にあった人々について、僕は正直好感をもっていませんが、それでも、この現象を見ていると、暗澹たる気持ちになります。 
 

 なんだかなあ。
仮想マーケットの実習を終えて。
 じつは、試験が終わった後にも、最後の課題が残っていました。 自分はトレーダーには向いていないことを実感させてくれた、「マーケットメカニズムとトレーダー行動」の最終レポート。


 その課題の最後に、全体の総括コメントを書くスペースがありました。 そこに書いたものを、以下に貼り付けます。 あたふたと書いたので構成はちょっと微妙ですが、ご容赦ください。。


 
資産の価格をどうやってつける?
 夏の間に、来期、最も楽しみで、かつチャレンジングであろう科目である講義、アセットプライシング(これも池田先生)の予習をしておこうと思い、先生の紹介してくださった本を読んでいます。

 
 博士課程の標準的なテキストらしいですね。 まだ読み始めて間もないのですが、なかなか面白いです。

Asset Pricing (Revised edition), Cochrane
  20060802000859.jpg



 数式をワープロ表示することの限界を感じているので、もっとも基礎的なアイディアについてだけ紹介しようと思います。



 資産、とくに、金融資産の価格はどうやって決まるのでしょうか?

 著者は、「それは将来のキャッシュフローを割り引くことによって決まる」と喝破します。


 この、割引、という概念はかなり重要なものです。

 基本的な考え方は、「現在の100万円は、将来の100万円より、より価値がある」ということと、「収益がぶれるが平均的に得られる100万円より、確実に得られる100万円のほうが、より価値が高い」ということにあります。

 なので、人々は、将来のもので、かつ不確実にしか得られないお金に対しては、現在得られるお金より低く評価することになります。  

 たとえば、0円だったり1億円だったりするけれど、平均して5年後に100万円を得られるくじがあるとします。 これは、いくらでしょう?


 わかりませんよね。 ですが、一つだけ確実なことは、100万円よりは低いという点です(上の言葉を使うのなら、「将来のキャッシュフローが割り引かれるので、その額より小さくなる」と表現できます)。


 

 具体的にどれくらい低くなるのか、それを考えるのがファイナンス理論です。

 どうやったら、将来のリスクのある資産がどれくらい割り引かれてか格付されるべきかわかるでしょうか? 時間に関しては、大して難しい問題ではありません。 問題は、リスク(不確実性)にあります。


 
 大きく、二つの方法があります:



 1.一つは、リスクの絶対的な基準をもうけて、割り引く方法。 これは、絶対的価格付けアプローチ(Absolute Pricing Aproach)と呼ばれています。

 例えば、もし人々が、「究極のリスクは、地球がなくなってしまうことだ」と考えているのなら、それを資産の価格付けにも用いることになります。 この場合、地球がなくなっても大丈夫な資産(例えば、金星にある基地)は、高く評価されることになります。

 かつて一世を風靡したCAPM(Capital Asset Pricing Model)という理論は、このアプローチから来ています。 CAPMでは、「リスクの究極的な源泉は市場のリスクにあって、資産の価格は、その市場のリスクとの相関関係から決まってくる」、と考えます。 



 2.もう一つは、他の、すでに市場において価格がつけられている資産から相対的に価格を考える方法。 これは、相対的価格付けアプローチと呼ばれます。 

 たとえば、雨がふってもふらなくても常に1000円もらえる債券の価格がわからないとします。 
 しかし、ここに、二つのくじがあります。 片方は雨が降ったら1000円を得られ、片方は雨が降らなかったら1000円を得られます。
 
 この場合、上の債券の値段は、二つのくじの値段と等しくなります。 なぜなら、両者とも同じペイオフをもたらすからです。

 ブラックさんとショールズさんが解いたオプション価格付けモデルは、この類型に属します。 ブラック・ショールズのモデルは、「確実な収益をもたらす資産の組み合わせ」は、安全資産のそれと収益率が等しくなる、という基本アイディアから出発しています。



 二つのアプローチは、現在、接近しあっています。 どちらか片方だけでは、資産の価格を完全に正しく評価できないことが知られているからです。 


 
 、、、まあ、こうやって書くのは簡単なのですが、実際に、数値化するのは、本当に大変なのですけれどね^^;


 その大変なことに取り組んでいるのが、本書です。
  
 興味のある方は、ご一読を。
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