Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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ポールギルバートとみかんのうた。
僕がカラオケでよく歌ううたに、「みかんのうた」というのがあるのですが、なんと、ポール・ギルバート(Mr. Bigその他での名演で知られているギタリスト)が一緒に演奏しているものを発見。(Kinki Kidsの番組で演奏しているみたいですね)


(これを歌うと、かなりの確率でとても盛り上がります)

みかん みかん みかん!!!



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10年は泥のように働いた方がいい。
池田信夫ブログで、「10年は泥のように働け」というIT業界の重鎮の発言が批判されているようですが、僕はこの重鎮さんの言葉はある意味まっとうな言葉だと思います。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/71999ea2fc0f85fdd89d7f516975bcda

その話し合いのすべての内容を知っているわけではないのですが、10年間は泥のように働く、という言葉は、二つの側面から考えられるべきなのだと思います。


確かに、池田信夫さんが仰るように、マネジメントに立つ人々が従来のインセンティヴシステムを正当化しようという考えを持った上で(若い時の安価での働きを年をとって取り返す)、上のような発言をしたのであれば、それは組織のパフォーマンスを低くしかねない事ですし、問題でしょう。


他方で、一人の働く人間としての仕事における成功を考えると、社会人になってからの10年間は泥のように必死に働いた方がいいのだと僕は思います。 その10年間は、決して無駄にならないと思います。

僕の身の周りにいる、40代、50代になっても素晴らしい仕事をできる人々は皆、20代から30代の前半にかけて相当量の仕事を訓練として積んできています。 池田信夫ブログは「10年間は泥のように働け」といった経営者とスティーヴ・ジョブズを対比していましたが、スティーブも、20代から30代にかけては、夢中で必死に(一時クビになってブラブラしていたかもしれませんが)、それこそ泥のように働いていたのだと思います。

他にも例えば松本大さんも、「星一徹ばりの厳しいマネジメント」の大切さを提唱しています。 

(All Aboutから引用)

「キツイ練習を重ねるから、体が動きを覚え込み、イザというときも条件反射で体が反応するんです。その分、戦略をじっくり考える余裕も生まれます。シャラポワがいちいち考えながらボールを打っているはずないでしょう。何度も練習を繰り返し、迷うことなく打ってるはずです」

「ビジネスもスポーツと一緒なんです。プロスポーツ選手は、食事制限など厳格な自己管理をしていますよね。ビジネスパーソンも、特に若いうちは、ボクシング選手並みの、ストイック(禁欲的)な生活をすべきだと思います。今でこそ私は夜は会食という生活ですが、20代の頃は滅多に飲みに行きませんでした。今、ムリしておかないと、あとてラクできませんよ」



僕はこれに強く同意します。

、、、なので、僕も20年後くらいに、若者に向かってこう言ってそうですし、その可能性は低くない気がします。

ツァラトストラ。
齋藤孝さんがお勧めしていたツァラトストラ。大学生のころから読もうと思っていたものの、ついつい読まずじまいだった本です。 「善悪の彼岸」とかは読んでいたのですけれどね。

で、三日前にアマゾンで購入して、一昨日届いて、今日読み切りました。

ツァラトストラのお陰で、だいぶその時にニーチェが説かんとしていた事の意味がわかった気がします。 といっても、僕が完全に読み切った自信はないので、ニーチェ専門家の方がいらしたらご指摘くださると幸いです。

ツァラトゥストラはこう言った 上 岩波文庫 青 639-2ツァラトゥストラはこう言った 上 岩波文庫 青 639-2
(1967/01)
ニーチェ

 (上下二巻です)

ニーチェは、人を衝き動かしてきた意志というのは、力への意志だったと説きます。 すなわち、自らを権威あるものとして、他人を屈服される力を持とうとする意志です。 この意志を元に、人々は権威を形作り、それは、善悪の基準付けを行ってきました。

しかし、この意志を持つ人間は弱い存在でした。 だから、同情、隣人愛を自らを権威あるものとするための道具としました。 その産物が国家であり、キリスト教であり、神であったとニーチェは喝破します。 このような弱い人間というのは、動物と超人の間にかけられた橋のような、過渡的な存在であり、乗り越えられないといけない存在なのであると、ニーチェは考えました。

人間がこれまでの弱い人間を乗り越えるとき、神とその愛、同情により作られていた世界観は終わりを告げます。 ニーチェはこれを、「神は死んだ」と表現します。 神の死んだ世界で生きていくのは、人間を乗り越えた超人です。 この超人は、意志、自由、創造力、孤独、自分自身への愛といった特質を備えた人間です。 同情されなくても、他人に思いやられなくても、生きていける存在。


キリスト教的な世界観をもっていた時、人々は、自らの人生の終焉を、審判の日とそれ以降の天上での生活に落ち着ける事が出来ました。 しかし、それら世界観が崩れたとき、大きな精神的危機が襲いかかってくることになります。 ニーチェは新たにとって変わられる世界観は永劫回帰とよばれるものだと考えました。 これは、生がまるで何回も同じ場面を繰り返していると考える世界観です。 

事実、この永劫回帰の世界観に陥ることは、現代における無宗教で「自分主義」の人々にとって深刻な問題なのではないかと僕は思います。 信じるものは無い、生はただ進むことのないルーティンでしかない、となれば、人生が虚無に思えてきます。 

このような、神から脱却したのちにも虚無に陥らないための方法としてニーチェが主張した事は、自らと自らの人生を愛することでした。 もし自分の生が永遠の円環の輪の中で逃れられないものなのだとしたら、その人生を受け入れるためには、この永遠の円環である人生を愛さねばなりません。 他人への愛は、その自分への愛の中にこそ存在するべきものなのだとニーチェは考えたようです。 そして、本書の中では、その自分を愛することから得られる喜びがうたわれています。


本書その他を読む限りでは、「人間は乗り越えられなければならない」というのは、ニーチェの価値判断であり、論理的な帰結ではなかったように思われます。 でも、本当に乗り越えられないといけないのでしょうか。 人間の持つ弱さを抱いて、お互い弱さを援け合いながら生きることは、それはそれで素晴らしい人生なのだと僕は思います。 (ごめんなさい、でもこれはこれで僕の価値判断です)

ニーチェが、吐き気を催すような奴隷道徳と批判しようと、人間の弱さというのはそんなに簡単に変わるものではないので、今は、自らを超克することを考えつつも、周りの人と援けあって生きていくことこそが一番なのだと思います。 もっとも、1000年後には、分かりませんが。


久しぶりに古典を読みましたが、やっぱりいいですね。
生きるという事に対して、この上なく真摯で真剣に考えた人々の、熱い思いが伝わってきます。


5月31日の第11回開発勉強会。
皆さんのおかげで、ついに11回を迎えることになりました。

・日時と場所
5月31日土曜日、午後6時から
江東区 富岡区民館  和室 ( 富岡1-16-12  電:03-3642-8306 )

(東西線門前仲町 1番出口を深川不動産方向へ歩いて右折してすぐです。
http://www.city.koto.lg.jp/sisetsu/1232.html)



・内容

各国トピックについての報告や、プロジェクトの報告、ディスカッション等になる予定です。
今回は、たぶんディスカッションの比率が高くなると思います。

まだ未定なのですが、世銀で長い間実務をされてきた方がご参加くださるかも知れないので、
その場合には、30分~1時間ほど、お話をお伺いして質疑応答をすることになると思います。


事前知識は、特に必要ありません。貧困の問題に対して、何か考えてみたい、してみたい、という気持ちさえあれば大丈夫ですので、気軽にご参加ください。

興味のある方は、taejun.shin[at]gmail.comまで。

自分の言葉で話そう!
昨日は、野口悠紀雄先生とチューターのためのディナー。

該博な先生なので、話していてとても楽しかったです。
経済のみならず、音楽やら言語の話やら、色々なお話に花が咲きました。

一つ一つの批評が本当に辛口な先生なのですが、昨日話していて見習おうと思ったことは、「自分の言葉で話そう」という事でした。

例えば、昨日、官製不況の話になった時に、官僚機構について批判する声に、先生は問題の根源は官僚だけにあるわけではないと話していました。 「官僚が様々な法案を作り自らの権限を拡大しようとするのは、当然の行動原理だ。 自分が官僚でもそうする。 問題なのは、それに対抗しようとする動きがあまり出ていない事だ。」

なるほど。
一つ一つの言葉が、自分で考えた結果出てきたものだというのが、とても良くわかります。


そういえば、大学の頃に本当にお世話になった憲法の星野安三郎先生も、自分の言葉だけを話していた先生でした。 今になって思うと、お二人は、分野は違えど、その思考方法が非常に似ていたように思います。 口癖まで似ています。 たとえば、「難しい言葉を使うのは、わかっていない証拠だ。」

二人とも、学生がわかったふりして難しそうな言葉を使うと叱り、なるだけ平易な言葉(すなわち自分のものになっているであろう言葉)を使う事の大切さを僕達に話していました。 そして、二人とも、議論をするとめっぽう強かったです。 僕は、そういう先生方に惹かれるのかもしれません。


両先生、非常にシンプルな思考様式を持っていると思います。
一つは、原理原則をしっかりと押さえること。 原理原則の基本は、概念と論理です。
そしてもう一つは、原理原則を踏まえて、自分の頭で考えて結論を出すこと。

この二つを押さえていると、世の中の大勢と違う事を主張していても、その内容は決してぶれないのですね。 見習おうと思います。



学問は、多かれ少なかれ、他人の考えた事を学ぶことだと思います。 だから、その仕方を間違えると、他人の頭で考えることになりかねません。 自分で考えたつもりでいて、実は他人に洗脳されていて、他人の声を録音してぺらぺらとしゃべっている、というのは、何とも情けない話です。

だから、本当に気をつけないと、学問をしているつもりで、どんどん頭が悪くなっていく、という困った事になりかねません。 そうならないように、日々注意深く、自分の頭の訓練をしていきたいと思います。


パクリはだめですが…
グッチーさんのブログのネタを、福島テレビの人がぱくったみたいですね。

まあ、福島テレビの記事は、あからさまなパクリでしょうけれど、多くのブログというのは、本人が意図してもしないにしても、他の誰かが話している内容をなぞってしまっている場合が多かれ少なかれあるのではないかと、僕は思います。


事実、グッチーさんが記事で特にソースを示さずに話されている内容の一部も、時々The Economistにすでに書かれている場合があるように感じられます。実例を示せと仰るかもしれませんが、、めんどくさいのでご容赦ください(Leadersか、Finance&Economicsのあたりにあるはずです)。 

ちなみに、グッチーさんのみならず、The Economistも、問題が明白になるかなり前から、サブプライム問題について警鐘を鳴らしていました。 この雑誌の読者層は限られているのですが、読者たちにとっては、サブプライム問題が深刻なクレジットクランチをもたらすであろうことは、周知の事だった感があります。


(念のためですが、グッチーさんがネタを盗用したとか話しているつもりは全くありません)


とか言いながら、僕もいつの間にか自分が読んでいたものを、知らず知らずのうちにさも自分のアイディアのように書いているかもしれないので、気をつけたいところです。 読んだ本や記事のソースを示すのが、一番安全な手段ですね。


野口悠紀雄「ファイナンスの基礎」第五回

1.リスク回避的という言葉の意味
2.先物取引の存在とイールドカーブ

本屋の散歩。
最近は忙しくて、また、僕の会社の近くにはまともな本屋がなくて(なぜか外資系の金融機関の周りには立派な本屋が無い気がします・・・美術館とかはあり、それはそれでいいのですが)、なかなかいけなかったのですが、今日は東京の丸善を1時間くらい散歩して大満足。
本屋がやっぱり好きです。 オンライン書店との大きな違いは、セレンディピティ(思わぬ幸せに遭遇する能力)を活かせる点にあるのだと思います。

普段の仕事ばかりに没頭していると、どうしても、関連のある分野にだけ集中してしまうので、意識的に本屋の全エリアを散歩して、平積みされてる本を眺めてきました。 そして、気になったものは手にとってみて、と。 

そんな中で、B型の僕にとって最高だった本はこれ:
B型自分の説明書B型自分の説明書
(2007/08)
Jamais Jamais

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人によって色々あるのかもしれませんが、当たってます・・・
本屋でにやにやしてしまいました。


大分頭がほぐれて、とてもよい時間でした。
これからも、本屋の散歩を習慣的にしようと思います。


人生の地図。
人生の地図人生の地図
(2003/12)
高橋 歩

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テレビで、この本に影響をうけた人が多いと聞いて、読んでみました。

写真は非常によく、それだけでも十分に価値がある本だと思いますが、散りばめられている言葉が僕には何とも安っぽく感じられてしまいました。

この感覚がどこから来るものなのか、しばらく考えていたのですが、ようやくわかりました。


語り手本人の人生の足跡が見えてこないのです。 

言葉というのは、内容そのものも重要だと思いますが、それが人々に感動を与えるには、その言葉がその人の人生の経験から生み出されたものでないといけないと思います。 

言葉の重さは、必ずしも年齢に比例するものではありません。 また、経験の偉大さに比例するものでもありません。 重要なのは、本人が、等身大の経験からどれだけ考えて考えて考え抜いてきたのか、という点にあると思います。


著者が様々な体験を世界中でしたことはテレビで見たので知っているのですが、その足跡が、この本には全く見えない。 写真も、自分の撮ったものでないようですし。 そうすると、いかに見栄えのする言葉が並んでいても、空虚に感じられます。 残念です。




本人たちの足跡が感じられる素晴らしい本としては、例えば、次のようなものがお勧めです: 

・フランクル、夜と霧

・稲盛和夫、生き方

・ドストエフスキー、死の家の記録

・ゲバラ、ゲバラ日記


安心社会から信頼社会へ。
Tirole勉強会でお世話になっている蟻川先生のお勧めで読みました。 結構面白かったです。

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)
(1999/06)
山岸 俊男

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本書では、安心と信頼を区別します。 安心とは、相手の利害関係に対する認識に基づいた期待であり、信頼とは相手の人格に対する認識に基づいた期待と、本書では考えています。 どちらとも、不確実性に富んだ世の中において人間が行動する上での知恵となるものといえます。

今までの日本社会は、不確実性に対し、集団主義的な対処をしてきました。 終身雇用制度において、人々は、雇用者の人格について心配せずとも、雇用を保障されていました。 このような集団主義的な社会構造のもとでは、人々の関係性は、信頼よりも安心に依る事が多くなると著者は指摘しています。

集団主義的な社会構造は、多くの場合、機会費用をもたらします(たとえば、終身雇用制度を他の制度に切り替えれば、より多くの社会的便益が得られる可能性があるわけです)。 著者は、この機会費用の増大を一つの要因として、集団主義的な社会構造が変化しつつあり、それと同時に、この社会構造に依存していた安心が崩壊していると指摘します。


この安心の崩壊そのものは、問題ではなく変化であり、これからは、信頼に基づく社会環境を作っていく必要があるのであないか、と著者は説いています。


これが話の本線で、伏線として、相手を信頼しようと努める人の知能について、かなりの部分が割かれています。 何でも、著者らの実証によると、相手を信頼しようと努める人ほど、他人の人間性についての評価能力が高く、知能も高い傾向にあるそうです。



 
ライフネット生命保険開業。
頂いたお葉書で知ったのですが、ライフネット生命保険が、ついに開業しました。

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日本の生命保険料が明らかに高いことは、ある程度保険について勉強をしている人には周知のことで、その一つの理由は、業界が規制によって守られてきたことにあります。 ウェブベースでサービスを提供することにより、ライフネット生命保険は、大手生保に比べ、ほぼ半額の価格で保険を販売することを可能としています。

生命保険にまだ入っていないのですが、入るとしたら、ライフネットにしようかな、と考えています。 皆さんもぜひ。

大手生保に勤める知人数人から聞いているところによると、さすが株式会社でないからか、未だに摩訶不思議な慣行がまかり通っている生保も多いのだとか(といっても、多少バイアスがかかっている可能性がありますが)。 巨大な生保業界(20兆円)におけるこれまでの業務の非効率性が、ライフネットらウェブベースの生保会社の躍進に従う競争の促進によって、改善されていくのかもしれません。


ああ、世の中の仕組みを変える可能性を持つ事業をつくるのは、もちろん大変なのでしょうけれど、楽しそうですねえ。 僕もそのうち。 でも、今は修行なのです。


野口悠紀雄「ファイナンスの基礎」@Taejunomics第四回
内分線の宿題の答えは、作成者ご本人の承諾を得て、ここに載せておきます。 
https://www.webfile.jp/dl.php?i=341870&s=49a76ffb04c232998443



さて、今回は、引き続き先物取引のお話です。

1.無裁定条件 (no-arbitrage condition)
2.裁定取引の方法
3.金利平価


それでもバーナンキはイエスと言う。
バーナンキのスピーチ、"Liquidity Provision by the Federal Reserve"が非常に興味深かったので、内容を要約&僕の知識を追加して紹介することにします。

http://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/bernanke20080513.htm



1.中央銀行が市場に流動性をする際の原則
2.今回の危機の性質とそれに対応した政策
3.モラルハザードへの対処としての規制


トライアスロン登録完了!
佐渡のトライアスロンBタイプに申込完了。
いきなり一番厳しいレースに挑戦すると死ぬかもしれないので、2番目に厳しいものを。


内訳はこうです。

・泳ぎ  :   2km
・自転車 : 105km
・走り  :  20km


イメージとしてはこうです:

横浜ベイブリッジを泳いで2往復。
そのままそこから栃木の小山まで自転車で移動(上り下りがあるのでもっとしんどいのですが)。
そして、そこから宇都宮まで走る。 


9月7日、よりによって、少し忙しそうな時期ですが、楽しみです!



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  嵐を呼ぶバイク
分けることによって分かること。
池田信夫ブログで、環境問題の議論がかなりの反響(もつれ?)を読んでいます。 
この議論のもつれの原因は、より一般化できるのかもしれません。


・事実と(事実に基づいた予測)の混同
たとえば、こと温暖化に関して言えば、2006頃までは地球の平均気温がかなり高かったこと(これは、太平洋上だけを場所にとってもそうらしい)は事実です。 ですが、この状態が続いたら将来がどうなるか、というのはあくまで推測にすぎません。



・相関と因果関係の混同
相関と因果関係の違いは非常にクリティカルです。 CO2の大気中濃度と地球の温暖化の程度が相関を示していることは事実だとしても、両者の因果関係を立証するのは非常に困難です。 統計学というものについて、人々は過度の幻想を抱きがちですが、統計学によってできることの多くは、「何がありえないか」という消極的なものであって、「何がありうるか」という事を忘れてはいけないと思います。



・人間のネガティヴバイアス
人間はどうも、不確定な事象に関しては、ネガティヴな方向にバイアスがかかる傾向があるのかもしれません。今まで人々の間で出回るデマの性質をよく見ると、そう思えてきます。ユダヤ陰謀論、地球滅亡論、などなど、多くのデマは、その終着点として自己に降りかかる不利益を内包しているようです。また、このネガティヴバイアスを持つと、自己と反対の意見について、かなり攻撃的になるのも特徴的な感じがしています。

地球温暖化による深刻な影響についても同様のことが言えるのかもしれません。
ただし、これは人類が不確実性に満ちた世界をサバイバルしてくるために必要だった知恵の派生物という見方もできそうです。



・広すぎる「問題」の定義
環境問題とはそもそも何の問題でしょうか。 この言葉から人々が想像するものは、資源の浪費、CO2、温暖化、公害、種の絶滅などなど、人によってさまざまなものになると思われます。 生態系というシステムの複雑さも問題をややこしくしている要因ではあるのですが、これらさまざまな問題が環境問題として一緒くたに議論されている感があります。

この概念の混乱は、深刻な結果を及ぼす可能性があると思います。
それは、問題一つ一つの重大さが、必要以上に薄められてしまう可能性があることです。

たとえば、CO2について言えば、それが地球の温暖化と因果関係がないとしても、その排出量の増加は限りある資源の乱用の可能性を示唆し、また、酸性雨などの深刻な公害を引き起こすものであることには変わりはないわけです。 しかし、概念の混乱は、CO2と温暖化の関連性のみをクローズアップさせて、他のCO2問題を有耶無耶にしようとする言論を生む可能性があります。



物事を分けて考えることは本当に大切で、それによって分かることは、本当に多いと思います。

最後に、相互の意見の違いによる論争と、お互いの人格を尊重することを分けることも大切ですよね。



ビルマ(ミャンマー)のサイクロン被害の要因。
(5月14日追記:指摘を受けて、ミャンマー→ビルマ(ミャンマー)に変更しました。 その理由は、ミャンマーという名称は、軍事政権がクーデター後につけた名称で、それに反対する人々はいまだにこの国のことをミャンマーと呼び続けるそうだからです。)


Mya.jpg

ビルマ(ミャンマー)を3日に襲ったサイクロン、時速は192km。ものすごい勢いで家屋を吹き飛ばし、現時点で死者は10万人を超えると推測され、家を失った人は100万人にも及びます。しかし、最も深刻と考えられるのは、今後の被害でしょう。

野口悠紀雄「ファイナンスの基礎」@Taejunomics―第三回
というわけで第三回です。 今回は分量が少なめです。

1.非組織的リスクと組織的リスク
2.確実性等価の計算
3.先物取引(Futures)の概略

4月のニュース。
少し仕事の範囲が拡がり、外の金融機関の方とコンタクトを取ることが今後増えるかもしれません。 どこかでお会いしたら、よきに計らってください。 

このままズルズルと日頃の作業に追われていると書けなくなりそうなので、ちょっとがんばって記事にまとめます。 4月のニュース。


政治
経済
金融
ビジネス
IT
その他
GWのおもひで。
 4月のニュースレビューは明日にでもやるとして、GWにあったことをさらさらと。


 ・薬師寺展
 月光・日光菩薩の像の背中も見れる、地元の人にとっても非常にレアな展示でした。 
 仏像のラインが非常に美しくて、見入ってしまいました。
 1300年前に作られたとはとても思えない出来。 人間、手作業の技術というのは、千年たっても陳腐化しないのですね。


 ・東山魁夷展
 僕が個人的にそう感じただけかもしれませんが、すべての絵に「かなしみ」が感じられました。
 彼が最後に残した絵「有星」は、見ていて涙が出そうになりました。 何ともその理由は表現しにくいのですが、かなしみを引きずって生きた人生の終着駅のような心象風景が、僕には感じられたのですね。
 この絵の絵ハガキを購入。


 
 ・モーターサイクル・ダイアリーズ
 
モーターサイクル・ダイアリーズ 通常版モーターサイクル・ダイアリーズ 通常版
(2005/05/27)
ガエル・ガルシア・ベルナル、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ 他

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 エルネスト・ゲバラの青年時代の南米旅行を描いた映画です。 この南米旅行が、彼を革命へと引き込む一つの要因となったのですが、その様子が、素直な表現で描かれています。
 見ていて、自転車で世界旅行をしたくなりました。
 いつか長期休暇をもらったら、やってみたいですね。


 ・不都合な真実
 ノーベル平和賞を受賞したアル・ゴアが地球の環境問題について語ったドキュメンタリー映画。 本人の出自についてとやかく言う人は多いと思いますが、それでも、この映画そのもので語られていることは事実ですし、この映画が人々にもたらした影響を看過することはできないと思います。
 仕事でむやみにプリントアウトをしないように心がけようと思いました。 近いことから、着実に。


 ・ネクタイ入手
 伊勢丹で、一目ぼれしたネクタイを手に入れました。
 その時は知らなかったのですが、このMarinellaというネクタイ、イタリアの歴代大統領をはじめとした世界中のVIPが付けているネクタイらしいです。
http://londonib.exblog.jp/668058/ 
 もう一つは、夏にあったとっても涼しげなネクタイ。
 仕事その他の機会にスーツ姿の僕を見かけた時、このネクタイに気づいてくれたらうれしいです。 
 
  
 ・おへそのゴマを除去 
 保育園の頃に、「おへそのゴマをとってはいけない」と保育士のお姉さんに言われてきたことを地道に守ってきたわけですが、今、冷静に考えてみると、その教えには、「あまりいじりすぎると、かえって悪い」という以外の妥当性が無い事に気付き、除去。
 さすが26年分。 たっぷり垢が取れました。

 
 
 ・読書 
 ウォール街のランダムウォーカーと、フォトリーディングの本を。
 ウォール街のランダムウォーカーは、まじめに読んだのは初めてだったのですが、理論の世界の定説とともに、摩訶不思議な実務の世界の描写など、とても楽しい本でした。

 フォトリーディングの本、読んでみたのですが、 気づかない間に元々やっていたことが多かったです。 人間の手書きスピードが向上しない限り、マインドマップを書きながらだと30分一冊が僕の限界だと思います。 (ちなみに、ウォール街のランダム・ウォーカーは80分で読みました)


 ・勉強
 基本的に残り時間の多くはこれに費やされました。 論文を読んだり、ゲーム理論の勉強をしたり、池田先生の講義の復習をしたりで、あっという間に時間が過ぎます。

 開発勉強会も、新展開がありそうです。 楽しみですね。

 

 


告発―Murder in the first。
友人のお勧めで見た、「告発」。 実在し、1962年に閉鎖された、悪名高いアルカトラズ刑務所内で起こった殺人事件がその題材となっています。

告発(1995)  (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾)告発(1995) (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾)
(2007/09/13)
クリスチャン・スレーター.ケヴィン・ベーコン.ゲイリー・オールドマン

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タイトルは、被告人の罪状、第一級謀殺(First Degree Murder)と、最初の殺人者はアルカトラズ刑務所だ、という事がかけられているのだろうと思われます。

刑務所内で起こった殺人事件。 被告人の弁護をする過程に、弁護士は、被告人を殺人へと衝き動かしたアルカトラズ刑務所の非人道的な扱いを知ることになります。その事実を説きながら、弁護人は、被告人の刑を軽くするために手を尽くします。結果、被告人の刑は大幅に軽減され、その後、この
裁判をきっかけの一つとして、アルカトラズ刑務所は閉鎖されることとなります。


非常によかったのですが、最後のシーンに、大きな不満が残りました。


結局、被告人は、判決で罪が軽くなったにせよ、3年の懲役でアルカトラズ刑務所にまた送られ、そこの地下牢で殴り殺されたわけです。どんなに事を美しく飾ろうと、また、彼が内心においていくら勝利をおさめようと、この事実は変わっていない。 

それなのに、映画では、弁護人が「彼は勝利の中で生き、そして死んだ」と最後の独白を残しています。

僕にとっては、「はぁ?」です。それは、少なくとも、弁護人が言う事ではないのではないでしょうか。僕は、自分が被告になったとしたら、こんなことをいう弁護人には弁護してもらいたくないです。 分かっているのでしょうか、真っ暗でじめじめして、虫がはいずり回る、糞と小便の臭いがたち込める独房で、殴り殺されていく人間の気持ちが。 僕には到底想像も出来ません。 彼は勝利した、なんて事は僕には言えそうもないです。 ただただ意気消沈すると思います。 プロ失格かもしれませんが。 


この弁護人の最後の独白が、弁護人を、正義を通そうとする人間から、ただの英雄主義者に引きずり降ろしていると僕は感じました。 それが映画の狙いで、人々に不条理感を呼び起こすことにより、世に問おうというのなら、それでもいいのでしょう。 でも、意図がそれとは違うところにあるであれば、この脚本は、危険な場所に身を置いていない人間とそうでない人間との間の断絶を、意図せずにして明らかにしているものなのかもしれません。


と、言いながらも、良い映画でした。 これだけ感情移入して見れたのも、内容と演技の素晴らしさによるものでしょう。 勧めてくれた友人Hengに感謝。

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