Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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失言そのものよりも。
最近政治家のいろいろな失言が問題になっていますが、ポイントがずれている気もします。

まず、ある人のかなり昔の失言を取り上げること。
たとえば、麻生首相は、70年代に、演説時に「下々のみなさん」と呼び掛けたそうですが、人は常に進歩し続けるものなので、過去の物事を引きずり出してきてそれを批判するのは、少しアンフェアな感があります。三つ子の魂百まで、という言葉がある一方で、人間、本当に変わろうと強く願うのなら、その日から変われるものなので、過去を引きずり出すのはいかがなものかと思います。 (誰だって、昔の愚かだった自分のエピソードを引っ張ってこられたらいやなものでしょうし。)


もうひとつ気になるのは、失言そのものが問題になってしまい、その背景にあるより深刻な問題がぼやけてしまうこと。
個人差はあれど、人間誰でもうっかりと口を滑らせるものです。僕は口が滑りまくっていろいろと痛い目にあっているにも関わらず、今だによく滑ります。困ったものです。

口が滑るのは、ある程度偶然の産物でもあるわけですが、その口を滑らせるにいたった、その人の思考様式は、決して偶然の産物ではないのだと思います。そして、失言に対する批判は、このような思考様式とそれを育んだ客観的状況に対するものになってこそ、有力なものになりえるのだと思います。 



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知識人とは何か。
知識人とは何か (平凡社ライブラリー)知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
(1998/03)
エドワード・W. サイード

サイードは、パレスチナ出身のアメリカ在住者で、2003年に亡くなるまで一貫して自らの信ずることを、原理原則を持って説き続けてきた数少ない知識人の一人です。

そのサイードの精神の自叙伝ともいえる、「知識人とは何か」は、大学時代に何回も読んだ本です。その時には、幾許かの憧れと共にこれを読んでいた記憶があります。

今になって読むと、こみあげてくるのは反省の念です。


ここでいう知識人とは、大学教授やジャーナリストなどを指すものではなく、より広い意味を持っています。本書でサイードが知識人について次のように定義します。

「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」

この表現は多分に象徴的な感があるので、感想と説明を交えながら書くことにします。
人間は失敗から学ぶ。
東陽町に用があって向い、帰りも自転車で帰ることに。

グーグルマップをよく読んでいなかった僕が当初予定していた帰り道。
図1




なんか、海底トンネルも、レインボーブリッジも自転車で渡れなさそう。
船の科学館駅を過ぎたところに、踊る大捜査線に出てきた警察署があったので、入って道を聞くと。


「ああ、海底トンネルは自転車通れないよ。高速だから。
レインボーブリッジも、歩行者は通れるんだけど、自転車ダメなの。しかも、この時間はなんにせよ歩道は封鎖されてるし。

図2



(自動車の免許を持っている人には常識なのかもしれませんが・・・)


しょうがないので、大いなる遠回り。

図3



まあ、経験から一つ学んだ事と、来年のレース用にいいトレーニングになったと考え(って全然大した距離を走ったわけでもないのですが)、よしとしましょう。

(大地震が来て、この島が沈みそうになったら、みんなどうやって逃げるのだろう…)






投資銀行モデルの終焉?
事実、純粋な投資銀行はなくなったわけですが、これについて、投資銀行モデルの終焉という人々がいます。この言葉の意味が、一部では少し誤解されているのかもしれません。

投資銀行モデルの終焉というのは、別に投資銀行がこれまで提供していたサービスや投資活動が社会的に通用しなくなった、ということを指しているわけではありません。投資銀行が行っている業務の多くは、近年では商業銀行(いわゆる銀行)でも提供しているものです。

むしろ、高リスク・高リターンを志向していた投資銀行らの手元保有資金が低かったこと(大きな理由は預金を取り扱っていないため)を指して、投資銀行モデルの終焉は話されるべきなのでしょう。


すごく簡単な例であげると、こんな感じでしょうか。

ノーヘルメットでめちゃめちゃ早いバイクに乗るのが流行しているとしましょう。

でも、ヘルメットをつけないといざというとき大変な目に逢うことを、皆が共通の認識として持ち始めたとする。

このとき、時代遅れなのは、「ノーヘルで早いバイクに乗ること」なのであって、「早いバイクに乗ること」では決してないわけです。





経済学者たちの議会への書簡。
米金融市場における一連の規制について、アメリカの経済学者たちが、議会に公開書簡を提出しています。
前に一連の政府介入について僕が書いた事と、第一点・第三点は基本的に同じだと思います。第二点については、見落としていました(資料の読み込み不足が一因でしょう)。学問をある程度してくると、基本的な考え方についてのブレは小さくなってくるのでしょうね。

http://faculty.chicagogsb.edu/john.cochrane/research/Papers/mortgage_protest.htm

池田信夫ブログからそのまま翻訳をお借りすると:

経済学者として、われわれは今回ポールソン財務長官が議会に提案した金融危機への対応策に懸念を示すものである。われわれは現在の危機がきわめて困難なものであることは理解しており、金融システムが機能するためには大胆な行動が必要であることにも合意する。しかし、この案には以下のような深刻な問題がある:

公正さ:この案は、納税者の負担で投資家に補助金を出すものである。投資家は利益を得るとともに、損失を負担しなければならない。企業の破綻がシステミック・リスクをもたらすとは限らない。政府は特定の企業を救済するのではなく、金融システムが正常に機能するようつとめるべきである。


曖昧さ:新しく設置される機関の目的も、それを監視するしくみも明確でない。納税者が不良債権を買うなら、買収の条件、理由、方法が事前に明示され、事後的にも検証できるようにすべきである。


長期的な効果:この案が実施されれば、その効果は一世代ぐらい続く。最近は問題を抱えているが、アメリカのダイナミックで革新的な資本市場は、この国に大きな繁栄をもたらした。短期的な問題に対応するために資本市場を規制によって弱体化することは、近視眼的である。



大人の見識。
相変わらず資本市場はすごい勢いで変わっていっていますが、本の感想文を。
大人の見識 (新潮新書 237)大人の見識 (新潮新書 237)
(2007/11)
阿川 弘之

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著者の本は以前ひとつ読んだことがあります。人として大切なものは何か、という点について考えさせられる、清冽な感動をもたらしてくれる本でした。

本書のタイトルは大人の見識で、著者が見識を有していると信じている昭和天皇、英国、そして海軍についてのエッセイ集となっています。(途中まで、これがエッセイ集と気付かずに、what's your point?とか考えながら読んでいたのですが、ようやく166ページになってこの本がエッセイ集であったことに気付かされました。)

1920年生まれで海軍経験もある著者だからこそ語れる多くのエピソードがあり、それらから学べることは非常に多かったです。とてもエピソードの質が高い本だと思います。

ただ、少しよくわからないのは、著者の戦争における失敗についての全般的な論調。
著者の大枠の意見は、見識のある人々が、それを有しない人々と煽動された民衆に封じ込められてしまったために、日本が敗戦へと進んでいったということのようで、過ちの原因を、東條英機などの軍の過激派やメディアにたきつけられた人々に押し付けている感があります。

これはどうなのでしょうか。国がとてつもなく誤った方向に進もうとするときにもそれを止められないのなら、「大人の見識」なるものに、どれだけの価値があるのか、正直僕にはよくわかりません。本当に大人の見識を語るのであれば、過去について語る際、反省も共に語るべきではないでしょうか。




No last man standing.
なかなか忘れられない一日になると思います。9月21日をもって、投資銀行の歴史が終わりました。

LehmanのCEOであるRichard FuldがLast man standingと呼ばれBloombergの雑誌の表紙を飾っていたのは、1年くらい前でした。 そして、Lehamanも破綻し、最後まで残っていた純投資銀行のMorgan StanleyとGoldman Sachsのどちらも、商業銀行(いわゆる銀行)への転換を余儀なくされました。得ることになるであろう身の安全の対価は、当局による厳しい規制であり、これは、高リスク・高リターンのビジネスモデルを変容させるのかもしれません。MSは早速三菱UFJFGによる20%出資を受け入れたのですが、これが商業銀行化への始まりになるのかもしれません。

業態が変われど僕の仕事が変わるものではないことは分かっているものの、感じることは大きいです。一つの時代が終わりを告げ、新しい時代が始まるこの時期に、今の仕事をしていることは非常に良い経験なのだと思います。正直、僕は調べ物をするとき以外には、企業の株価を毎日追ったりなんかしないので、今回のように毎晩金融株の動きを見ていたのは生まれて初めてのことでした。今回は何か違う、という実感が確かにあったからなのだと思います。


両社の舞台裏も、トップの意思決定の過程も、それを受け入れたFRBの人々との交渉なども時間が経つ毎に明らかになっていくことでしょう。頭の中で色々と想像をしつつも、今はミネルヴァのフクロウを決め込むことにします。

白洲次郎 占領を背負った男。
白洲次郎 占領を背負った男白洲次郎 占領を背負った男
(2005/07/22)
北 康利



占領下にあった日本で、GHQとの交渉など多くの働きをした白洲次郎を描いています。


特に印象深かったのは、憲法の制定過程の部分でした。

英語が堪能でかつ原理原則をしっかりと有している、当時にしては稀有な存在であった白洲次郎は、吉田茂により終戦連絡事務局(GHQとの折衝部署)の参与に抜擢され、GHQとの交渉に当たることになります。占領者として自らの作った憲法草案を用いることを要請するGHQと、国体を維持しようという考えが強かった政策当事者のとてつもないギャップに悩みながらも、白洲次郎はこの大変な役をこなしていきます。 (ただし、冷静に読んでいると、彼の仕事そのものは、現在いろいろな雑誌その他で派手に取り扱われているほどは大きくないのではないのか、という感を受けました)


金融機関保護と市場原理のトレードオフ。
自分の身に降りかかってくると、さすがに公平な判断をすることは難しいのですが、こういう時だからこそ、ロジカルに考えることが非常に大切だと思います。

金融機関の株が相当に落ち込んでいる理由には、疑心暗鬼と市場の取引システムが挙げられます。
それらに対する政府のアクションと、トレードオフについてまとめておきます。

雑感。
大変な状況になっていますね。NYの市場が開いたので、残る投資銀行2社の動きをYahoo Financeで追っかけているのですが、空売り規制がかかった後も、下げてスタートしているようです。Goldman SachsもMorgan Stanleyも、どちらもつい先日発表した四半期決算の成績が決して悪くなかったにもかかわらず、このブログを書いている時点でどちらとも前日比10%以上減になっています。金融のシステムが信用の連鎖で成り立っているということを、文字通り痛感する今日この頃です。信用のドミノ倒しが起きていますね。

状況がついに他人事でなくなってきたわけですが、僕には自分の目の前の仕事を一生懸命やるしかないので、やれることをやろうと思いますし、こういうときにいつものように行動することはとても大切なマインドセットだと思っています。あまり心の動揺はありません。お金がなくて学校に行けるかどうかすら分からなかった時に比べたらはるかに良い状況にいるわけですし。その時、なんにせよ健康な体と友人があれば生きていけると心から思ったのですが、それは今も変わっていません。

一番大変なのは、外資系金融機関への内定が決まっていた学生たちなのかもしれません。もともと働いている人であれば、それでも過去の職歴で他に移ることも可能かもしれませんが、学生の場合、いきなりフリータースタートです。学生たちの人生にっては大きな打撃ですし、また、社会全体にとっても大きなマイナスになると思います。こういう事態が起こることを考えると、学生保護のために、何らかのリスク回避システムを用意しておくのが良いのかもしれません。たとえば、第一志望・第二志望・第三志望までは契約書にサインできるようにするとか。

なんにせよ、未曾有の時代に生きている感があります。こういう時代の潮目をよく見ておいて、将来に役立てようと思います。
線引きは明確化すべき。
リーマンは倒産し、AIGはほぼ国有化されました。
政府の処置を違うものにした要因はどこにあるのでしょうか。

アメリカでは、「基本的に倒産するべきものは倒産するべき」というスタンスは前提としてあるように感じられます。 倒産するべきものが倒産しないと、大きな不公平感を世の中にもたらすという点で公平性の観点からも問題がありますし、また、今後の政策が「口先だけ」と受け止められてしまうという点で政策の有効性という観点からも問題があると思います。

それを前提とした上で、倒産によって生じるコストと比較し、倒産によって生じるコスト(個人・法人への直接的影響とその波及効果)があまりにも高いのであれば、救済するべきなのでしょう。

しかし、本当に難しいのは、その線引きをどうするのかという点だと思います。
そして、その線引きのルールは、明確であり、納得感のあるものでないといけないと思います。なぜなら、ルールが明確になることにより、救済によっても今後の政策の有効性が毀損されずにすみますし、納得感を得ることにより、公平性の問題もある程度まではクリアできるからです。

せめて、救済協議の際に用いた、被害の推定結果などだけでも開示してくれると少しは安心できるのですが。



格差と希望。
格差と希望―誰が損をしているか?格差と希望―誰が損をしているか?
(2008/06)
大竹 文雄

この本では、格差の実情や、格差をなくすための適切な処方箋について、著者の考察が述べられています。格差という言葉が流行語になりつつありますが、それが具体的にはどういうことなのかについて、曖昧模糊としたイメージしかもっていない人が多いかもしれません。僕もそうなのですが。

以下、簡単なまとめです。

1.日本の格差の実情
2.格差をなくすための処方箋

ビッグ5がビッグ2に?
敬老の日で日本のマーケットが閉じている間に、すさまじいことになっています。
米系の5大投資銀行が、あっという間に2つだけになるのかもしれません。

米リーマンHD、連邦破産法第11条の適用を申請

米バンカメがメリル買収を発表、500億ドル相当の株式交換で


資本主義と自由。
資本主義と自由 (NIKKEI BP CLASSICS)資本主義と自由 (NIKKEI BP CLASSICS)
(2008/04/10)
ミルトン・フリードマン

マンキュー先生お勧めの本を読んでみました。



ミルトン・フリードマンは、本物の天才だと思いました。この本を50年前に書くなんて、想像もつきません。本当の天才は、時代を先取りしすぎるので、時代があとから追いつくものですが、この本についても、それが出版された当時は全く取り扱われなかったそうです。その後、フリードマンの言う事が実証されていくにつれて、本書の評価も上昇していきました。


本書の主張の多くは、市場に対する信頼に依拠しています。市場が機能するロジックのざっくりした流れは、以下のようになります:

A.特別な障害がない限り、双方が十分な情報を得た上で自発的に行う取引は、双方の利益が成り立つように成立する。

B.市場システムは、何よりも公平に、各人の要求を調和させる。

C.市場システムは、多くの場合、不特定多数の人々全体にとって好ましい結果をもたらす。

市場システムに対する信頼は、僕も持っています。ちゃんと整備された市場システムに対する信頼は、大衆の叡智に対する信頼に他ならないと僕は思います。


そして、フリードマンは、以下の事をそれぞれ主張します:
ファイナンス研究科に来たのならアセット・プライシングを学ぼう。
授業情報交換会などをされているそうなので、ご参考までに。

僕の一番のお勧めは、池田先生のアセットプライシングです。

以下、あえて誤解を恐れずに100%主観で書きます。別に僕の意見ですので、違う意見を責めるものでもありません。


アセット・プライシングを学ばないのなら、何のためにわざわざファイナンスの大学院に来たのか、という気すらします。(ちなみに野口先生も、アセット・プライシングをとにかくやりなさい、と話しています)


食品偽装事件。
ずーっと続いていますね、よくない食べ物をひそかに売っていた事件。

2点考えるべき点があると感じています。


1つめは、これが本当に最近の出来事なのか、という点。
事実最近偽装が増えているのか、もしくは、偽装の発見数が増えているだけなのか。
もしかしたら、いくつかの事件をきっかけに、メディアが探りを入れるようになり、結果多くのことが露見されるようになり、あたかも、最近になって食の安全が脅かされているように映っているだけなのかもしれません。


2つめは、問題解決型で考えましょうという点。
僕は人の善意を信じますが、制度設計の段階では、基本的に人は経済合理性で動くと想定したほうがはるかに安全です。そのように想定しておいて、事象の原因を追究し、問題再発を防ぐ仕組みを考えるほうが、偽装業者を責め続けるよりはるかに効果的だと思います。

偽装が増えるのは、①それに対する処罰が甘い事や、②それが発見されにくい(すなわち消費者にものを見る目がない)事に問題があると思います。二つの掛け算で業者は期待損失額を期待するので、①と②をともに適当に上げるのが良いと思います。 なんて偉そうに言いながら、僕は結構味音痴なのですが。。 (ただ、胃腸が弱いので腐っていそうなものには敏感です)


Just give it.
あなたがあたえる 大富豪ピンダーの夢をかなえる5つの秘密あなたがあたえる 大富豪ピンダーの夢をかなえる5つの秘密
(2008/07/10)
ボブ・バーグ+ジョン・デイビッド・マン



 お世話になっている方から頂いた本で、もらったその日に読みました。 
 (これからは、読んだ本の要約・感想すべてをノートでなく、ブログに書こうと思います)

 非常に短い本書でのメッセージは非常に簡単です。そして、私がいつも感じていたことでもありました。(しかし時に忘れそうになる)

 それは、「与えること」。
 真に豊かな人は、自分にしかできないことをより多くの人に与え続けることによって、より豊かになる。 

 ビジネスにおいてでさえも、大切なことは、ビジネスの技術なんぞではなく生き方であり、その両者が矛盾することはとても残念なのだと思います。

 まだまだ未熟者(いつ成熟するんだ)の僕にとって、与える事というのは、時にとても勇気がいるものですが、与え続けられる自分でいようと思っています。


トライアスロンレースの顛末。
モノづくり幻想が日本経済をダメにする。
今日から佐渡に行って、明日朝からトライアスロンしてきます。
泳ぎ2km
自転車105km
走り20km

です。 来年はこの倍のレース(アイアンマンレース)に出場するつもりです。

昨日はもっぱらその準備に追われていたのですが、合間にもうひとつ野口先生の本を読みました。
モノづくり幻想が日本経済をダメにする―変わる世界、変わらない日本モノづくり幻想が日本経済をダメにする―変わる世界、変わらない日本
(2007/10/27)
野口 悠紀雄

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雑誌の連載から持ってきたものなので、多少切って貼った感はあるのですが、それでも全体の主張は非常にクリアだと思います。IT技術が発展し、かつ韓国・中国やインドなどがその安い労働力とともに製造業に進出してきたからには、日本が従来のように製造業中心の体制を続けると経済は行き詰らざるを得ない、というものです。 決して、製造業そのものが悪いと言っているわけではなく、製造業「中心」が問題なのだと野口先生は主張します。また、間接金融の担い手である銀行も、引き続き低い利益率に悩まされ旧態依然であることを野口先生は指摘します。

その製造業・間接金融中心の体制が、戦時から引き継がれているものであることは、「戦後日本経済史」にある通りです。


現にその兆候は、もはや無視できない形で表れていると僕は感じます。

戦後日本経済史。
来期も野口先生のチューターをします。
(なので、秋にファイナンスの基礎を受講する皆様、どうぞよろしくお願いします。)
そんな野口先生の本で、だいぶ前から読もうと思っていたこの本、休暇を使って読みました。

戦後日本経済史 (新潮選書)戦後日本経済史 (新潮選書)
(2008/01)
野口 悠紀雄

商品詳細を見る
よく、戦時・戦後の断絶が日本の問題の一つだと言われていますが、野口先生はそれとは正反対の主張をしています。それは、戦時と戦後はつながっていて、戦後の日本経済は戦時期に確立された経済制度の上に成立しており、日本経済のこれまでの発展と現在の行き詰まりの要因となっている、というものです。正直、僕は日本のシステムは戦時と戦後で断絶している、と何の根拠もなしに考えていたので、さまざまな証拠に裏付けられた先生の主張からは学ぶことが多かったです。

断絶はむしろ、戦前と戦時の間にあるようでうす。戦前の日本は間接金融よりも直接金融方式の経済システムを採用していて、株主が企業に対し強い影響力を持っていたそうです。それが、戦時経済においてはイノベーションよりも規律が重んじられ、規律と親和性の高い間接金融の重要性が高まり、日本の経済は一気に間接金融に傾斜することになります。農地解放、財閥解体、癪借家法は、戦時経済の中で形成・準備されてきたものでした。その意味で、戦後日本の社会構造を作ったのは戦時体制であると野口先生は説きます。

スタン・スミスが生産中止?
ちょっとスニーカーを買う用事があり、吉祥寺のスニーカー屋さんをいろいろと回っていたのですが、いつまでたっても、スタン・スミスが見つからない。 スタン・スミスはアディダスのロングセラースニーカーで、ギネスブックによると世界で一番売れたスニーカーだそうです。 僕は今まで4足スタン・スミスを買いました。というか、大学のころ以降で買ったスニーカーは、スタン・スミスのみ。

74349321_1.jpg (真っ白なのでコーディネートも楽です)


(ちなみに、スタン・スミスはテニス選手の名前)
stansmith.jpg

どこに行っても見つからないので、大阪初のスニーカー屋さんのStepの店員に聞いてみると、


「あー、アディダスでは公表してはいないけれど生産中止になったんですよねー。どんな時でも確実に売れるスニーカーだったから、うちとしてもブーイングですよ。」



ショーック。




これは少なくないドラマーにも確実に影響を与えるものと思われます。

ドラマーの中には、スタン・スミスを愛用している人が少なくありません。その理由は、履き心地もさることながら(革がしっくりくるし、裏がデコボコしていないのでいくつかの奏法に便利。まあ、テリー・ボジオとかは、ブーツでガンガン超絶プレーを踏んでいますが)、常に買うことができる、という点にあります。 ずーっと足が同じ感覚でいられる、というのは、とても貴重なことなのです。


今でも、そのスニーカー屋さんには、スタン・スミスを求めてやってくる人が毎日一人は必ずいるそうです。生産が再開されてくれればよいのですが。

純粋に好きなスニーカーでもあるので、今までネットで靴を買ったことはありませんが、今のうちに、3足ぐらい買っておこうかな・・・


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