Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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永遠平和のために。
カンボジアに行っていた時に読んだ本の感想。

永遠平和のために (岩波文庫)永遠平和のために (岩波文庫)
(1985/01)
カント

カントの平和論を簡潔にまとめたもの。永遠平和のための予備条項、確定条項と、それを補う第一補説、第二補説からなっている。
カントは、1)誰が国家権力を掌握するか、2)立法者と執行者は分離しているか、の2点によって国家体制を峻別している。

立法権を握る主体に応じて、国家の制度は君主制、貴族性(代表制)、民衆制に分けられる。
立法者と執行者が同一のものは専制であり、分離されているものは共和制である。
立法権を国民全体が等しく握る民衆性においては、共和制は論理的に達成不可能であり、君主制・代表制においてのみ、共和制が成立する可能性があるとカントは考えた。 共和制においてのみ、社会の成員は自由たりえるのであり、万人が同じ法に平等に従うということが可能であるが、これらの共和制によって達成される状態は永遠平和のための要件であるとカントは説く。

カントはまた、永遠平和を保証するものとして、自然をあげている。自然はその見えざる偉大な力で人をある時は戦争に駆り立ててきたが、いつかはまたその力で人間を永遠平和に導くとカントは考ようだ。(人間の認識は経験に基づかねばならない一方で、自然の営みは人間の経験の範囲を超えている。だからといってその営みを否定することはできない、というのがカントの認識論)




民衆専制(Democracyは文字通りこれのわけだけれど)が、永遠平和を達成できない理由がいまいち理解できなかった。カントが本書で主張するように、「意思決定者本人が危険な戦地に赴かない」ということが戦争が起こされてしまう原因であるのなら、民衆専制下においてこの問題は解決しうるように思われるからだ。



(Living in Peaceの仲間からコメントいただきました。追記します)


ぼくも中身はうろ覚えなので、正確なことは言えませんが、(「自然」などの話が出てきたところはまったく覚えておりません・・・)、カントの言うところのDemocracyは、「衆愚政」を意味しています。その意味で、プラトン・アリストテレス以来の伝統に則っており、否定的な意味合いを有しています。そして、共和政は慎さんの仰るとおり、立法者と執行者の分離を旨としております。その意味で、現代の、立憲民主主義のひな形と言えるはずで、私たちの多くが通常想定するDemocracyは、カントの言うところの共和政です。

結論としましては、私たちが通常理解しているDemocracyは、カントの共和政に他ならないということです。あと、戦争を起こさない要件としては、国際貿易の伸展が言われていたはずで、国際関係などでは、こちらの方に着目した研究がなされていると思います。相互依存論とか言うのだったかと思います。


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