Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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経済モデルの適切さ
経済分析に用いられるモデルの「適切さ」については、二つの立場があります。
一方の立場は、モデルが現実をよく説明できれば、前提が多少不正確・曖昧であってもよいとするもの。
他方の立場は、モデルはその依拠する前提においても、正確でロジカルでないといけない、とするもの。

この意見対立はフリードマン(前者)とサミュエルソン(後者)の論争としてもよく知られているものです。


学問探求においては、僕は後者の立場をとります。

フォン・ノイマンが指摘したように、経済学の科学的方法が物理などのそれに遠く及ばないのは、一つ一つの現実問題の客観的な記述があまりにも不十分であるという点に一因があると思います。前提の正しさが疑わしい議論は、決して科学にはなれないと思います。

いつかは経済学にも、過去に物理その他諸科学がたどったように、一つ一つの概念を正確な量的測定可能性の下で確定させていき、それらの集合として語られる日が来るのだと思います。たとえば効用の概念であれば、その測定可能性は近年において高まっています。(そのうち、脳に電極なりをあてて、実験を通じた効用関数の一般化が図られると思います) 

こういう地道な科学的分析の積み上げは人間の一生以上の時間を要するものですし、一部の人には魅力的でないかもしれません。また、生きているという切実な問題から逃れられない多くの人にとっては、細かく不正確であっても概ね正しい考え方を身につけられればそれでいいのかもしれません。

ですが、こういう「不正確でも大体正しい」、という考え方は決して科学的な考え方ではないと思います。こういう考え方は、良くできた迷信を用いた考え方とあまり変わりがないように思われます。よくできた迷信は、事象をある程度正確に記述することができます。しかし、その迷信的な世界観を突き詰めていったところで、何らかの真理に到達することは不可能でしょう。

だから、めちゃくちゃな確率過程やパラメタ―を仮定して無理やりにブラック・ショールズモデルを当てはめた資産のプライシング結果を、「大体合っているからいいや」、という考えのもとに使用することに、僕は強い違和感を覚えます。

念のために言っておくと、上の考えは、科学的な分析をする際しての自分の意見であって、自分の現実世界における活動に際してのものの考え方とは必ずしも一致しません。科学は人類の歴史と同じタイムスパンで考えることができる問題であるのに対し、僕の人生は、長くても100年程度にすぎないからです。生は切実な問題であり、限られた認識の能力と情報の下で、積み上げなどと言っていられない人生においては、何らかのヒューリスティック(簡便な考え方)が必要なのでしょう。


なんてことを、あるレクチャーを聴きながら感じたのでした。




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