Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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金融機関の弁明
Goldman SachsのSECとのやりとりは先日のEconomistを読む会でもかなり白熱した議論となりました。事実関係は公開情報通りだとしても、法的にクロかシロかというのは僕にはよく分からないことはあるので、論点として挙がった二点について、理論よりのコメントを。


1.損をする前提で儲かる人がいるCDSはババ抜き。こんなギャンブルみたいな商品は必要なのか。

必要だと思います。ババ抜きというのはペイオフだけに着目したものでしかないのですが、重要なのは、取引によって参加者の期待効用(実現値でないことに注意)が増大しうるという点にあります。そもそも論として、事前に損をするとわかっている人が取引を行うわけはない、という点に注意するべきかもしれません。

ここで、公平性の観点から重要なことは、取引参加の意思決定が可能な限り情報の非対称性がない状況で行われることだと思います。だから金融商品情報のディスクロージャーはかなり厳しい基準で行われています。

また、デリバティブは投機目的だけではなく、リスクヘッジ目的で用いられています。保険だってある意味でオプションです。これらデリバティブは、リスク許容度の異なる人々が個々人にとって適切なリスクをとることを容易にします。取引を禁止すると、リスクをもっと取れる人が取れなくなり、リスクを取りたくない人も取らざるを得なくなり、結果として経済全体の効用は低下します。



2.金融業界が勝手にギャンブルをやるのは良いけれど、外の業界に迷惑をかけるのは間違っているのではないか。

完全には賛同しかねます。まず、バブルのような状況が起こる時期には、ギャンブルに参加しているのは金融機関だけではありません。多くの事業会社も自らの財務戦略と称してギャンブルに参加していました。それなのに責任を全て金融機関に帰するのはどうかと思うことがあります。

分からないモノには手を出さなければよい。これは別に金融に限った話でなく、すべての企業活動について言えることだと思います。一部の人々は、日本の金融機関が痛手を受けなかったのは、「賢かったからではなく、商品を分かっていなかったから」と揶揄していましたが、もしそれが本当だとしても、分からないモノに手をださないというのは立派な知恵だと思います。


ただ、一方で、金融機関にインフラの側面があり、ギャンブルを行った金融機関のインフラ側面救済のために大量の公的資金が流入するのは問題だと僕も思います。

これについて、僕はボルカーの提案に賛成で、金融機関についてインフラの側面がある部門とリスクテイクを行う部門を分離することである程度問題は解決されるのではないかと思っています。ヘッジファンドを社内で持っておいて、儲かったら自分たちのもの、負けたら「我々はインフラの役割を果たしているので救済するべきだ」というのはムシの良い話です。

もちろん、この切り分けが困難な部門も存在し、判断基準が恣意的にならざるを得ないというのは事実だと思います。それでも、HFやPE部門など、明らかな部署だけでも切り離すのが良いのではないかとは思います。




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セルフチェックリスト
R0015183.jpg
僕は、自己チェックリストを持っています。A4に四段組でプリントアウトできるもので、それを四つ折りにして、超整理手帳に挟んで使っています。毎日(よく忘れるのですが)寝る前に手帳を開いて一日の反省会をして、チェックリスト欄の"yes" / "no"に○をつけるようにしています。 チェックリストの項目は定期的に見直されます。


詳細はさすがに恥ずかしいので書けないのですが、チェックリストの内容は、「素直だったか」、「手を抜かなかったか」、「誰に対しても同じように接したか」、といった気持ちについてのものから、「タイムウォッチを使って仕事をしていたか」、「ストレッチをしたか」、「ドラムのスティッキングの基礎練習をしたか」といった、具体的なものまでいろいろ。


こんなことをする理由はカンタンで、習慣は人間をつくるものだし、習慣を変えるのは日々少しずつ努力するしかないからです。

習慣は主に次の二つの経路から本人に影響すると思います。
・直接的な経路。例えば、いつも苦しいことを一つ一つ実現すれば、それは確実にその人の心の強さを鍛えることになる

・間接的な経路。行いは、他者に見られるものであり、他者からのフィードバックを受けることになる。よい行いが好ましいこととして周囲に受け止められると、よいフィードバックを受け(報酬)、これがさらにその人を変革する



三つ子の魂百まで、という言葉の通り習慣を変えるのは容易でなく、毎日毎日少しずつ地道にやらないとなかなか改善してくれません。なので、とても億劫ではあるのですが、なるべく毎日、寝る前に手帳を片手に小さな反省会をして、反省を明日に活かすように努力しています。

これを続けてもう3年になりますが、今の状況は、やっと多少の効果が出てきたかな、といったところです。それでも、僕が何らかの大失敗をするときは、この反省会をサボっている時期とリンクしています。たった3分の反省会が、意外に効いてくるっぽいのです。


チェックリストを仕事で使う人は少なくないと思います。ビジネスで用いられるツールの中には、自分を成長させるために有用なものが結構ある気がしています。いっぺんにたくさん始めても長続きしないとは思いますが、一つくらい、何か試してみるのはよいのかもしれません。

花の家の記録
色とりどりの花咲く家
東京から高速に乗って一時間足らず、緑に囲まれた山の一角に、その児童養護施設はある。パンジー、八重桜、チューリップ、タンポポらが、白塗りの時計台のような建物を囲む。
施設は1985年に設立された。地元の名士でもある親が先祖の代から持っていた山を切り開いて、施設を建てた。千葉県に17あるうち14番目の施設だ。設立当初に受け入れた人数は40人で、13、13、14というグループに、年配と二人の若い男女の計3人の職員がついていた。設立当初から、ひとつのグループがひとつの家庭を築く、というコンセプトで施設は運営されてきた。

この施設の設立の歴史は1970年に遡る。施設の設立者でもある理事長は、スイスにある「ペスタロッチ子供の家」という国際児童養護施設で働いていた。そこで彼女は、韓国人の子どもから衝撃的な言葉を受ける。
「日本人って、ひどいことをするんだってね。」
この意識が育つ背景には、国家間の反目と差別があると彼女は考えた。当時日本では殆どなかった、外国人を受け入れる児童養護施設を設立することを志すようになった。

帰国したのち、インドシナ難民の子どもを引取り自宅で育てていた時期を経て、理事長はこの施設を設立した。設立当初、子どもの3分の1が外国籍保有者だったが、そのような施設はここの他にはほとんどなかった。今は、外国籍を持っている子どもは一人だけだ。ただし、親が外国籍の人はさらにたくさんいる。

他の施設と同様、ここにも虐待、貧困、親の知的障害などの理由で子どもたちがやってくる。9割のこどもは虐待を受けている。設立当初は手が早く出る子どもが多かったそうだ。外国籍の子どもが多いということもあってか、半分近くの子どもには親がいなかった。

家庭に問題があり通報がされると、子どもたちは何も分からないまま連れ出され、児童相談所で1ヶ月ほど「保護」される。この間は学校に行けない。この状況を指して二次的虐待という人もいる。特に、千葉、東京、大阪、神奈川の社会的擁護の状況はひどい状況にあり、児童相談所は常に定員オーバーだ。児童養護施設にも、最も深刻な状況にある子どもたちが送られることになる。何も知らないままに、仲の良い友達に対しての別れも告げられず、子どもたちは自分のいた学校とコミュニティとの離別を余儀なくされる。



家庭に近い環境づくり
子供にとって一番大切なことのひとつは家庭を知ること。家庭を知らないと、僕たちにとっては当たり前のことができない場合がある。たとえば、僕たちは食卓の上に鍋料理と皿が載っていたら、自分でよそって食べるだろう。だけど、もし施設で給食の形式だけで食事をしていると、そういった普通のことも身につかない場合がある。家庭を知らないがために生じるギャップ故に、結婚時に夫婦生活がうまくいかず離婚してしまうこともある。

こういったこともあり、施設では家になるべく近い環境で子どもを育てることを目指している。子どもたちには、ここが二番目の家であると伝えているそうだ。特に年齢の高い子供達についてはグループホームをつくり、5人で共同生活を送るようにしている。でも、家に近い環境を作るにはコストがかかり、なかなか全員に対してはそうはいかない。

この施設では、月に一回会議を行っている。職員なしで会議を行う場合もあり、スリッパ並べ、ご飯のおかず、門限、外泊、携帯電話の保持など、生活に関係した内容について話しあう。


子どもが家庭を知って育つためには、里親の制度が根付くことが最もよい解決策だと言う人もいる。欧米では里親は多いが、日本では根付くまでまだ時間がかかるのかもしれない。



隣人のたすけ
施設以外の人々と接点を持つことも大切だ。この施設では、子どもたちが地域の中に浸透出来るように、村祭りを一緒に盛り上げている。他にも、クリスマス会、国際交流の会、など二ヶ月に一度は何らかのイベントがあり、周りの人との接点を持てるための活動をしている。粗食の日というのもある。これは、その日はご飯と味噌汁だけで食事をして、浮いた食費で、海外のさらに貧しい子どもたちのために寄付をするというものだ。こうして、自分たちが受け取るだけではなく、与えることも出来るという自覚を促す。

支援団体となっている企業を訪問するイベントもある。子どもたちにとっては、職場というのは町工場のようなイメージで固定化されている場合がある。そういう子どもたちが、多くの人が名前を知っているような大企業を訪問する。実際にオフィスに入り、職場の風景を見て、「自分には無理だ」と尻込みする子もいるが「自分はこういうところで働きたい」と決意する子どももいる。

施設の外にいて、子どもたちを気遣ってくれる大人の存在は本当に重要だ。施設は子どもたちにとっては家のようなもので、施設の職員が子どもに対して愛情を注ぐのは、子どもたちにとっては良い意味で「当然のこと」と思われているのかもしれない。だからこそ、外の人々が子どもに接して信頼関係を築くことには意義がある。

「ここにも自分を大切にしてくれる人がいる」という気付きは、時として人間に大きな影響を与える。例えば、社会から完全に疎外されてきた結果として罪を犯した人が、刑務所で優しい人と出会うことによって変わることがある。こういった心理的効果は、施設にいる子供にとっても同じなのだと思う。別に、子どもに対して親のように密接に関わらなくてもいい。数週間に一度の割合で顔を会わせ、お祝い事をしてあげたり、相談を聞いてあげたりする、「身近なお兄さん・お姉さん」になれるだけでも、とても大きな効果がある。

この施設は他にも、海外から人身売買同前で日本にやってきたシングルマザーが最大二年間家賃を払わずに住むための家も提供している。東南アジア系の女性が多く、幼子とともに住んでいる人が多い。



お金がモノをいう現実
国際色豊かな活動と、理事長の精力的な対外活動が効を奏し、施設の中には国際機関からの表彰状がずらりと並ぶ。下賜金を受けたこともある。表彰によって施設への信頼が高まり、さらに多くのお金が集まり、それがさらに施設の信頼性を高める。そういった正のループが回っているように感じられた。

施設にとって何より必要なものの一つはお金だと、改めて痛感した。お金より重要なものがあることには何の疑問もない。でも、お金が無いゆえの悲劇が世の中にはあまりにも多い。

お金は、傷ついた心を持った子どもたちの成長において重要な役割を果たす。お金のある施設は多くの職員を雇うことができる。職員が多くいれば、その分、ひとりひとりの子どもに十分なケアをすることが出来る。時間をかけて気遣われることほど、子どもの回復にとって重要なものはないのだ。

今日訪問した施設では46人の子どもに対して18人の直接指導スタッフを含めた総勢29人の職員がいる。真に家庭的な環境で育てるにはまだ足りないけれど、この職員数は多い方だ。

職員数が少ない施設に普段通っている僕は、職員数の違いがもたらす結果に驚かされた。こどもの表情、言葉遣い、態度といった感覚的な側面のみならず、就業率、大学進学率、勤続年数、高校中退率といった数字にも、お金のある施設と無い施設の格差が如実に現れていた。今年の三月に卒業した四人のうち、三人がそれぞれマッサージ師、障害者の施設の職員、主婦になった。一人は東京農大に進学している。この三年間で、高校を中退した子どもは一人もいない。

この施設のように職員を増やすことは容易ではない。国からの助成金は、小学生以上の子ども六人に対して一人の職員が雇える分のお金しか出ない。寄付が一切受けられない施設においては、一人の職員が施設の仕事もしながら六人の子供の面倒をみる計算になる。ひとり親で子ども六人を育てる絵を想像してみてほしい。かてて加えて、相手は心に深い傷を負った子どもたちだ。職員には、子どもに対して十分なケアをする時間的余裕がなくなってしまう。こどもの心が回復しないと、さらに子どもが問題を起こす場合がある。もっと多くの時間が必要になる。だけど、時間がない。その悪循環が続き、燃え尽きてしまう施設職員が後を絶たない。さらに、児童養護施設への就職の人気も下がっている。施設内虐待の問題が過大に報道された結果、もともと給料が低く(高い場所もある)、過酷である児童養護施設で働こうとする人は減少している。



施設の格差が第二の運命の翻弄をもたらす
暗澹たる気持ちになる。子どもは生まれてくる親を選べない。それは運命というには酷なことだ。

さらに、子どもたちは、自分がケアを十分に受けられる施設に行けるか否かについても、運命の偶然に委ねるしかない。親からの虐待にあい、何も分からないまま親から引き離され、児童相談所に1ヶ月間閉じ込められ末にまた運命に弄ばれるのはあまりにも酷なことだ。

社会の役割のひとつは個々人がなるべく運命の偶然に翻弄されないようにすること、言い換えると、個々人リスクを下げることにあると僕は思う。ある子どもが、運悪くひどい家庭に生まれてしまったとしても、公的施設の存在が最後の支えになる。その公的施設に格差が存在するのは、税制されるべきだと僕は思う。

こんなこともあってか、最近僕の頭からは施設の資金調達のことが頭を離れない。ミクロレベルで、ある一つの施設の資金調達を支援することは、頑張れば可能だと思う。だけど、これは構造的な問題であって、構造的な問題解決を考えたい。もちろん、目の前のことも忘れずに、コツコツと活動は続けていこうと思う。

アメリカ経済の構造変化
アメリカの経済構造の変化

先週のEconomistのSpecial Reportはアメリカの経済の構造変化のお話。
近年においてアメリカ国民の経済活動を特徴付けるものは高い負債比率と消費性向でした。しかし、最近はこの負債を下げようとする動きがあるとともに、貯蓄が増加しているそうです。

このエントリーでは、まとめも兼ねて、アメリカが負債・消費大国になった背景と現在の揺り戻しの要因、そして、経済回復のための輸出増大の必要について書こうと思います。


1.負債・消費大国は文化だけでつくられたわけではない
1980年代初頭においては、GDPに対して消費が占める割合は67%程でした。その後も順調に増加し、ピークの2005年には75%に達します。1935年から1944年に生まれた人々の45歳時の貯蓄性向が30%だったのに対し、55年から64年に生まれた人々のそれは10%にしか過ぎません。

多くのアメリカ人が多額の借金をし消費活動を旺盛に行うことについて、少なくない人が文化的要因を理由として挙げてきました。しかし、文化的要素だけではこの25年間の推移は十分に説明できないかもしれません。民族性のようなものは、世紀単位で少しずつ変わるもので、四半世紀で変わるものとは考えにくいからです。

Economistが指摘する消費と負債増大の要因は三つです。一つは、80年代以降続いてきた好景気(多少の変動はあったものの、今回の金融危機ほどのものはなかった)が人々の貯蓄マインドを下げたこと。次に、規制緩和に伴う種々の金融商品の開発(例えばサブプライムローン)が、個人を過大な借入へと駆り立てたこと。最後に、当時のアメリカではすでにある程度富の蓄積がされているため、追加的に貯蓄をする動機が日本などに国に比べて高くなかったこと。

ある状態が生じている理由を文化や嗜好に求めるのは最後の手段であるべきで、可能な限り客観的な状況に要因を見出そうとする姿勢は非常に重要だと思います。



2.揺り戻しがはじまる
Economistは最近のいくつかの事例とともにこれら動きを紹介していますが、このSpecial
Reportには構造変化についてのデータのバックアップが掲載されていないようです。この構造変化がつい最近の出来事であるため、まだ統計には出てきていないのかもしれまえん。

これまでのアメリカ国民の高い消費性向がこれ以上高まることは現実的でなく、危機の経験後に一定水準まで下がるのはある程度当然の気がします。また、負債の多くが不動産のバブルを背景としていたことを考えると、これが縮小するのも間違いないと思われます。(ちなみに、不動産バブルとその崩壊に伴い、州の間で人々の移動が起こっているそうです)



3.成長のための輸出増強
国内の消費の回復が緩やかなものになると予想される現状において、アメリカが経済成長を達成するためには、輸出を拡大するのが一番現実的な策だと思います。

日本とアメリカのGDPにおける輸出の割合は10%強に過ぎず、これはドイツ40%、イギリス28%に対し、非常に低い数字です(ただし、ドイツとイギリスがEUの経済圏であることは多少考慮する必要がありそうです)。やりようによっては、輸出主導による経済成長は達成しそうに思えます。

さらに、資源価格の低下と国内のガス資源の開発は、エネルギー資源の輸入(これが貿易赤字の6割を占める)を下げる要因として働く可能性があります。さらに、技術進歩がもたらす効率化は、さらに資源への需要を下げるかもしれません。一番身近な例はプリウスですが、他にも超電導での送電など、様々なものが考えられます。

アメリカのエマージングマーケットへの輸出は、2009年に先進国に対するそれを上回りました。金融危機で先進国が受けた打撃を考えると、今後もエマージングマーケット向けの輸出を拡大する必要がありそうでう。先進国がエマージングマーケットに対して輸出できるものは、高い教育を背景にした知識集約的な商品が主なものになります。IT関連事業やサービスなどがそれにあたるでしょう。

アメリカの経済を牽引する事業をさらに育成するために今後推進するべきことをEconomistは指摘します。

一つ目は、新規技術への投資資金の拡大。イノベーションを育てるためには、人材と同じくらいに資金が必要です。2009年のベンチャーキャピタルのファンドレイズ金額は150億ドルで、ここ数年を大きく下回っています(それでも大きいですが)。

つぎに、政府が特定の事業に対して税制優遇や補助金等、成長促進のための政策をとること。今までは特定の産業に特化するタイプの助成が多かったと思いますが、今後必要なものはポートフォリオ的なアプローチで、いくつかの望ましそうな事業に分散して助成するのが好ましいとEconomistは説きます。

三つ目は、自由貿易のルールを守ること。以前行ったような、中国産タイヤへの関税は避けないといけません。

最後は、貨幣の安定。ドルは未だに基軸通貨であるがゆえに、実体経済の動き以外の要因によってもレートが変動してしまう問題があります。それを安定させることは輸出を後押しする要因になります。中国元の引き上げに対する圧力も必要かもしれません。


卒業生が語る朝鮮学校
NYにいる友達から質問を受けました。

「朝鮮学校ってどんなところ?」というのは、知りたいです。前に授業はコリア語で、日本語もあったりすると電車の中で教えてもらいましたが、特徴はどんなところですか?教科書はどこが出版しているのですか?指導者の崇拝は学校で行うのですか?」



大分返事が遅れてしまったのですが、このエントリーで答えられたらと思っています。

僕のいた朝鮮高校の沿革はこちら。
http://www.t-korean.ed.jp/sub6.html

もともと、在日コリアンが帰国するための準備として、子供に言葉を教えるために建てた国語講習所が朝鮮学校の母体です。一番苦しかった戦後の時期に、朝鮮民主主義人民共和国から何度にもわたり億単位の資金援助を受けてきたことがあり、その恩義を感じている在日一世・二世は多いです。朝鮮学校がかなり北よりであることの一因は、ここにあると思います。私の父は、一切政治的なことを話さないのですが、常に「義理人情だけは忘れてはいけない」といつも話していました。



授業内容
基本的に朝鮮語で行われます。日本語の授業は別にあります。英語の授業もあり、最近はネイティヴの講師が教えているそうです。日本の学校の授業にないものといえば、言葉以外は、朝鮮地理・歴史くらいでしょうか。

歴史の授業は、教科書が変わる度によりソフトになっているようですが、僕が高校生だった頃には、現代朝鮮革命歴史という科目がありました。日本の植民地になった時代から現代までのことを学びます。基本的に朝鮮労働党の革命史観で議論が展開されます。ただし、指導者の崇拝を強要されたり、従わないことで不当にリンチを食らったりすることはありませんでした。(それより、タバコや酒などがバレた時の説教および体罰の方がすごかったです、当時は)

教科書は、学友書房という出版社から出版されています。日本にある総連系の出版社です。教科書の出版に対しては本国の批准が必要らしいのですが、詳しいことはわかりません。よいことか悪いことかは分かりませんが、中学生のころの社会(世界史・地理)の先生は、教科書を一切使わずに授業をしていました。




生徒の構成
朝鮮籍が半分、残り半分が韓国籍です。最近は日本国籍の子供も増えています。
韓国系の学校もあるものの、最近は本国のビジネスパーソンの子どもが増え、在日の人には居にくい環境らしいです。



なぜ朝鮮学校は北よりなのか
生徒の父母の中では、もう北寄りはやめてくれ、という要望がよく出ているようです。

朝鮮学校が北よりになっているのには二つ理由があると思います。ひとつは、苦しい時期に支援を受けてきたという歴史的背景。もうひとつは、自分たちのコミュニティを守るためには国家を拠り所にする必要があること。大韓民国が在日コリアンに対し長く棄民政策を行ってきたことから、選択肢は限られていました。

一見不合理に見えることにも、その状態を継続させる何らかの要因があります。それを見据えずに大上段からものを斬るように論評するのは、藁人形相手にボクシングをするようなもので、空虚ですし何も変えられません。どんな場合でもそうですが、まずは、状況を形作っている要因をしっかりと理解することに努めたいといつも思います。

朝鮮学校に通っていた人は同意してくれると思いますが、先生の教育におけるモチベーションは、在日コリアン社会をよりよくすることであって、特定の政治的目的や国の利益を実現するためではないと思います。人間的に素晴らしい先生の比率はとても高いです。



個人的に感じている朝鮮学校の特徴

(1)ガラが悪い
僕たちのころまでは特に、ガラが悪いことで有名でした。ビーバップハイスクールは、朝鮮学校がモデルだそうです。
特に東京はかなり時代遅れ(いい意味で)であり、映画「パッチギ!」的な世界が繰り広げられていました。僕が1年生の頃は、「高3の〇〇先輩たちがまた暴走族をつぶしたらしい」、といった喧嘩話に花が咲く学校でした。僕も一度アイロンパーマというのをしたことがあるのですが、それをすると、電車で座れる確率が格段に高まりました。

そういう学生を指導する先生もハンパでなく、もともと伝説の不良だった人とかが先生になっている場合もあります。

ヤクザに拉致された学生を取り戻すために事務所に乗り込み、「腕一本おいていったら、生徒を返してやる」という言葉に応じて腕を切ることを辞さなかった(でも、結局はその心意気に免じて切られなかったのですが)先生とかもいます。とにかく、学生と先生にまつわる伝説はたくさんありました。


(2)多様性が高い
普通の高校であれば、偏差値に応じて通う学校が決まるので、高校の同級生の均質さは高いと思います。ですが、朝鮮学校はコリアン社会の全ての人々が来るので、学生の多様性はとても高かったです。びっくりするようなお金持ちの同級生もいれば、本当に貧しい同級生もいました。学力についてもバラバラで、日本のいわゆるよい大学に入っていく高校生の隣に、九九に手こずる同級生が座っていたりします。勉強ができない同級生のために、勉強のできる子が教える光景はよく見られました。 

僕が貧困に関心をもつ直接のきっかけは貧しさゆえに大学に行けなかった友人にありましたし、様々な人を受け入れる気質もこの学校で学んだ気がします。


(3)人間教育が本当によくできている
ここまでで大分書きましたが、あの学校ほどに人間性をちゃんと育むことができている学校はあまりないと思います。
朝鮮学校の財政は非常に苦しく、給料が出ないことは日常茶飯事です(特に地方では、1年間で一度しか出なかった、とかもある)。それはそれで解決するべき問題なのですが、そんなに苦しい状況にあっても先生は学生のために一生懸命に教えています。そういうことが、学生指導の様々な場面で如実に現れていると思います。指導者の崇拝を行わなくても怒られませんが、人として間違えていることをしたら徹底的に詰められます。





意見や追加質問は歓迎です。
面倒を避けたいので、本名&メールアドレス明記でお願いします。

犬として育てられた少年
inu.jpg犬として育てられた少年 子どもの脳とトラウマ

精神科医の子供との邂逅を通じての学びを綴ったものです。1章から10章までは、著者が出会ってきた子どもたちのエピソードとそこからの学び、最終章である11章は、著者が児童虐待をめぐる社会の状況についての意見が述べられています。筆舌に尽くし難いひどい虐待の描写にも関わらず、全体的に温かみのある文になっているのは、著者の子どもたちへの眼差しが反映されているためなのかもしれません。

本書は、虐待を受けた青少年と活動する多くの人々に多くの貴重な洞察を与えてくれると思います。それらをまとめてみます。


1.脳は、その発達の殆どを3歳までに終える。この時期に愛情を受けずに育つと、脳は多くの障害をもつようになり、その障害の克服は年齢が高くなるほどに困難になる。

3歳になる頃には、こどもの脳の大きさは成人の85%にもなっているそうです。こどもの脳は急速に発達するため、様々なことを学んでいくことが出来ますが、同様にひどい経験の影響も受けやすくなります。こどもの頃に受けた恐ろしい経験は、一生離れないトラウマに結びつきやすくなります。トラウマとまでいかなくても、何かが苦手な人は、子供のころに何らかの関連した経験をしている場合が多いそうです。


本書は、死への直面、ネグレクト、暴力、レイプなどがこどもの心に及ぼす深刻な影響を様々な事例とともに記録しています。

人間にはストレス耐性がありますが、それは日々の積み重ねによって徐々に強くなるものです。ストレス耐性がほとんどない子どもが非常に強いストレスに直面すると、自己防衛本能から様々な防衛行動をとることになります。抽象的思考などの人間の最も高度な知能部分を司る大脳皮質の活動は抑えられ、生存に必要な脳の中枢部分のみ機能するようになることなどがその一例です。こういった防衛行動は事件の一度で終わるものではなく、その後も、事件を彷彿とさせる出来事に直面する度に繰り返されます。失神してしまう(それによりストレスをシャットアウトする)、人との関わりを絶つ、自傷行為を行う(脳内麻薬を分泌させ、つらい思いから一時的に逃れる作用をもたす場合がある)、薬物にはしる、など、様々なパターンがあります。

本書には、非常に利己的な犯罪者になってしまった少年が登場します。その他の子供のエピソードを見ていても、年を経るにつれ、状況を改善するのは難しいのだと痛感させられます。



2.愛情がこどもを立ち直らせる

こどもが立ち直るためには、ストレスに対して反応するための脳のシステムを鍛える必要があります。
なんてことを言うと非常に難しそうですが、やるべきことは非常にシンプルで、こどもに愛情を注ぐこと、の一つに尽きます。本書に登場する傷ついた子どもたちのうち、立ち直れた子どもたちの共通点は、親や親代わりの人々が深い愛情をもってその子どもに接していることにあると著者は指摘します。愛情とともに行われる抱擁などのスキンシップは、子どものこころを回復させるために大きな役割を果たしているそうです。

逆もまたしかりです。1940年代のある研究では、個別に注意を払って育てられたこどもの3分の1が二歳までに亡くなっていることを示しているそうです。また、幼少期に感情的な触れ合いや身体的なスキンシップを得られなかった人でない限り、極端な犯罪者になる場合は少ないと著者は指摘します。のみならず、問題のある子が、同様に問題のある人と過ごすことは、問題行動をエスカレートさせる傾向があると著者は指摘しています。

著者は、虐待された子どもたちに最も必要なのは、幼少期のトラウマに起因する痛み、つらさ、喪失感を和らげてくれるコミュニティの存在だと説きます。トラウマから回復した子どもたちの周りには必ず、気にかけてくれる教師や、近所の人や、おばさんや、バスの運転手など、支えてくれる大人の存在があったと著者は述懐します。コミュニティの存在は、愛情をもって接してくれる大人に出会う可能性を高めてくれます。難しいことは、児童虐待を受ける子供が、そのようなコミュニティの中に暮らす場合が少ないことです(それゆえに虐待が起こるという側面もある)。誰かから愛された経験がない人間には、誰かを愛することができないとのにもかかわらず。

経済発展とコミュニティの強さは反比例することがあるようです。ですが、人間が本来どのような生物なのかを考えるのであれば、よりコミュニティの力を強くするための政策が必要なのではないかと著者は説きます。



3.こどもの性格は様々な要素で決まる

脳は、気質(遺伝と子宮内環境に左右される)、幼児期の経験のみならず、偶然にも左右される様々な決断の積み重ねによって出来ています。ちょっとした時に「善いこと」をするかしないか、の僅かな決断が、異なったフィードバックをもたらし、異なった結果を積み重ねることになります。

知能も重要な要素となります。情報を素早く処理する能力を知能と呼ぶのであれば、これは遺伝の影響を受けるものです。頭のよいこどもは対処能力が高いため、愛情を受けられなかった場合においても絶望的な状況から逃れられる可能性が高まります。もちろん、知能さえあれば正しい道を進める、というわけではないのですが。



4.誤った知識に基づいた善意は、状況を悪化させる

本書の第七章では、子供に過去のトラウマを無理矢理に語らせることにより、症状がさらに悪化することがある事例が紹介されています。人それぞれ、トラウマに対するシステムを無意識のうちにつくりあげていて、そのあり方は人と場合によって異なり、同様に望ましい治療の仕方も人によって異なるのです。

無知な善意は時に害悪にも成り得ます。改めて、自己肯定感を失ってしまった子どもたちのために活動をするのであれば、相応の知識が必要なのだと痛感させられました。



転職します
今日、上司に退職を申し出て、他のお世話になっている人にも報告しました。みなさん残念がっていましたが、「お前のやりたいことなら応援するよ」と祝福してくれました。自分は素晴らしい会社にいたんだなあ、と思うことしきり。

引継ぎをして、少し休んだあと(この期間に念願の自動車免許も取得します)心機一転、バイアウトファンドで働くことにしました。

バイアウトファンドは、平たく言うと、色々なものを買収して、価値を高めて、高値で売ることで儲けています。わかりやすいビジネスといえばそうですが、非常に難しい仕事でもあります。特に経済全体が下り坂なので、基本的にロングポジションしかとれないバイアウトファンドはなかなか大変です。


ファンドの名前はNBFです。(Living in PeaceというNPOをしている関係で、所属会社を明かせた方が何かとよい場合が多く、会社に名前を公表出来ないかお願いしたところ、OKが出たのでブログに書いています。念のため)

NBFというと、不動産業界の人は、真っ先に、日本ビルファンドを想像したかもしれませんが、それはハズレです。



僕の入るNBFの正式名称は、日本買収ファンドです。

NBFが買収するのは日本です。買収は、国会の衆議院・参議院の過半数を獲得することと定義します。バイアウトが完了した後には、政治と行政に存在する非効率を解消し、日本国全体の時価総額を高めることを目指します。

NBFは、TOPIXをロングし、日本製品を消費する可能性の高い国の貨幣をショートします。政治と行政の効率化に基づき経済がより強くなることにより、時価総額が高くなるのみならず、日本製品の需要が増しそれが円高を推し進めることを見越してのことです。

ひとつだけ課題があります。それは、経済成長はその性質上、特定の人々だけに裨益するものではなく、我らがNBFの活動にタダ乗りする、いわゆるフリー・ライダーが存在することを抑止出来ないというものです。わざわざ議席獲得のために巨費を投じなくても、ただTOPIXをロングするだけで一般投資家も私たちと同様のキャピタルゲインを得ることができてしまいます。

念のため断っておくと、NBFの目指すところは国づくりであり、国家買収を通じて私腹を肥やすために活動しているわけではありません。NBFのミッションステートメントの第一条にはそのことが明記されています。ただし、ファンドへの流入資金を増やすためには、どうにかしてNBFの投資家だけが得られる何らかのリターンが必要となります。今のところは、買収実行タイミングを調整することでこの問題を回避しようと考えています。NBFという名前がついてはいるものの、まずは別の国でバイアウトを行ったのちに、本格的な活動を行うことも検討しています。










以上、今年のエイプリルフールのネタでした。ちゃんちゃん。




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