Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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他人のために活動するときの五箇条
この有給消化の間にした様々な経験を通じて、人のために働くということについて、少し考えが深まった気がする。学んだことは、次の五つに集約される。人によっては、当たり前のことかもしれない。


1.自らの活動の正当性を絶対化しないこと
他人のためにしていると思っていることを美化したり、絶対化したりしないほうがいい。

個人的には、他人のために何かをする、というのは素晴らしいことだし、その動機は善なるものだと思いたい。でも、素晴らしい、とか、善とかいうのは、多分に主観が入るものであって、その正しさを検証するのは簡単なことではない。また、何らかの価値観が絶対化すると、多くの場合、悲劇が惹き起こされる。それは、魔女狩りであったり、大粛清であったりするが、歴史に残る惨劇の多くは、絶対的な正義の名の下に行われてきたことを忘れてはいけない。

人のために活動している、と考えている人は、それが本当に正しいことなのか常に疑問を持ち続けることが大切だと思う。それは時に非常に居心地が悪いことかもしれないが、後で過ちに気づいて悔悟するよりはよい。



2.原体験を持つこと
人のために何かをしようとするときの動機は、手触り感のある原体験に基づいたほうがいい。

他人のために何かをする、というのは、言うほど簡単なことではないし、多くの人の冷淡な視線や、自己懐疑にさらされることになる。そういう状況でもブレのない行動をするためには、自分がいつでもイメージできる動機の拠り所をもっておいたほうがいい。それは原体験と呼んでもいい。

その原体験は、自分の腕の内で死んだ赤ん坊であったり、売春宿で出会った少女であったりする必要は必ずしもない。そういう体験に出会えない人だっている。貧しい家庭に育った故の惨めな思いを他の人にはさせたくない、とか、たまたま誰かのために一生懸命に何かをしてみたら楽しかった、とか、フツーの体験でも構わない。無かったら実際に何かアクションをしてみて、体験をつくればいい。どのようなものであれ、実感を持って、自分の行動について是と言い切れる体験があったほうがいいと思う。それが、辛いときにその人を支えてくれる。



3.事業のほとんどは地味だということを理解すること
全ての仕事の99%は地味なものだ。まっとうな仕事であるほど、その比率は高いと思う。

本当に持続的な意味で他人の役に立つ活動も、驚くほどに地味な場合が多い。それは、作業工程の分単位の短縮であったり、一時間ごとに悪態をついてくる子どもを諭すことであったり、契約書の文言一つ一つを地味に詰めることだったり、資料のコピーをとりつづけることだったり、どうしてもバランスしないバランスシートの勘定科目を一つ一つチェックすることだったり、する。華々しさとは程遠い、日々の地道で愚直な積み重ねが、事業を磨く。



4相手の立場になって考えること
善意の押し売りは虚しいし、時に害悪にすらなる。

事業提案が相手から拒絶されたときに、「私たちはこんなに素晴らしいことをしてあげているのに」と言ってしまうのなら、それは末期症状に近い。

絶対的に正しい事業なんて存在しないが、少なくとも相手の立場になって考える事業は人の役に立つ場合が多い。相手の立場になって考えたいのなら、そこでの生活をともにして考えるのが一番だ。

カンボジアに来て改めてその意を強くしたのは、まっとうにお金を稼ぎ雇用や事業をつくることは立派な社会貢献だということ。3年と続かない「社会に役立つ職場」より、ちゃんと長続きする普通の職場を多くの人々は求めている。



5.自分の専門性を活かすこと
上記を満たす事業であっても、周囲にいる80%の人が出来ることをするよりは、自分しかできないことを探したほうがいい。

適材適所こそ、社会全体にとっては望ましい結果をもたらす。例えば、僕が農村で田植えをしたり、施設で子どもに日々接し精神的なケアをするのは得策ではない。というのも、僕よりも遥かによく出来る人がたくさんいるからだ。田植えを手伝っていた僕に、ヘタッピだからもうこれ以上するなと厳しく諭してくれたカンボジアのお婆さんや、子どもの心のケアのための活動をしたいという提案に分をわきまえろとコメントしてくれた施設の職員からは、身をもってそのことを知らされた。

専門性は、学問、職業、生活環境から生まれるものだ。誰だって、周りの80%の人より上手なことがあるだろうし、それをネタに事業をするのがよい。


書けば書くほど、当たり前のことに思えてきた。社会貢献というより、事業をする上での鉄則だと思う。
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ジュートのバッグ
45日の長期休暇ももう終わりが見えてきました。
フィリピン行きはビザが遅れ行けなかったのですが、その後は児童養護施設の住込みを経て、那須の免許合宿をして、今朝鮫洲での試験ののちに、ついに念願の自動車普通免許を入手して、休むまもなく今からカンボジアです。全く休みボケをしていない休暇になりそうです。


昨日は、那須から帰ってきたその足で入谷のマザーハウスに。

迫くんオススメのバッグを即決で買ったのですが、お気に入りの品になりそうです。

まず、バッグそのものが出している雰囲気に暖かみがあって落ち着く。普段使っているバッグはとても無機質なつくりになっているのですが、バングラデシュの生地であるジュートでつくったバッグは、身につけた時にどことなく暖かい感じがします。

次に、使い易さ。僕はほぼ毎日PCを持ち歩いているんですが、カバンの前についているファスナーにすっぽりとラップトップが入るのがまずうれしい。そして、自転車に乗るので、肩からかけたときに安定してくれるととても助かる。さらに、素材であるジュートは涼しげで、背中に汗をかきにくいという点も特に夏場にはかなりうれしいポイントです。

でも、何よりも僕の心に響いたのは、店全体から感じられる哲学。お店の哲学とか理念は、店員さんとか商品のつくりに反映されると思うんですよね。ときに経営者インタビューをすることより、そのお店に行ってみたほうが分かることが多いと思います。
重い荷物を抱えてお店に行ったため、着く頃には汗だくだったのですが、それを見た店員さんが、パイナップルジュースを出してくれました。バッグを売っているお店でジュースを頂いたのは生まれて初めてで、かなり感動。

同い年の山口絵理子さんがこういう会社をしていると思うと、素晴らしいなあと思うとともに、いいなあ、と少し羨ましくなったりします。自分が全力をかけてコミットすることを見つけられたら、それをしているだけで人生楽しいでしょうし(もちろん楽しいことばかりではないだろうけれど)、当事者であることから齎される成長は計り知れないと思います。自分にとって運命的な何かを見つけられるかどうかって、自分自身の日々の努力や注意深さもさることながら、偶然に左右される気もします。

10日後から始まる次の仕事へのやる気がますます高まりました。まずは目の前のカンボジアでのMFI調査を、がっつりやってきます。

R0015512.jpg
最高税率とサッカー国際ランキング
ツイッター上でKazu Fujisawaさんの

"@kazu_fujisawa: まあ、高額所得者への減税(というか国際水準に合わせるだけ)と大胆な移民政策を実行すれば、欧州勢と互角に戦えるサッカー・チームが作れるよ。#jpn "



というTweetを発見したので、興味がありちょっと調べてみました。


結論からいうと、確かに最高税率が低いとサッカーの国際ランキングが高い傾向はありそうですが、さほど強い関係は無さそうです。


下記の二つのウェブサイトを用いました。

世界の税率
http://en.wikipedia.org/wiki/Tax_rates_around_the_world

サッカー国際ランキングのポイント
http://www.tsp21.com/sports/soccer/fifaranking.html

非常に原始的な方法で調べています。いくつか、国際ランキング上位の国を中心に、経済規模もそこそこ大きい国を適当に選び、そこの所得税を調べて貼り付ける、という方法。

ポイントについては、最高点をマークしているブラジルを100として基準にしました。
例:ブラジル(ポイント1611)→100(=1611/16.11)
  スペイン(ポイント1565)→97.1(=1565/16.11)

所得税については、国によって方法が違い面倒なのですが、基本的に最高税率を取り、州と連邦政府で分けて税金をとっている(と思しき)ものについては、両者を合算しています。(本当はもう少しちゃんと実態を知って色々とアジャストしなきゃ仕事じゃ許されないんでしょうけれど、今は執筆中であまり時間をかけられないのでご容赦下さい。)


その結果が、これ。日本は青です。確かに、最高税率が低い国ほどポイント(サッカーの戦闘力みたいなもの)が若干高く見えなくもないのですが、さほど強い関係があるとは言えない気がします。
ランキングと最高税率本論とはそれますが、所得税率の高い層ほど簡単に海外に逃げてしまうので、優秀な人材を国に残すための政策として低い所得税を設定するのは、法人税を下げるのとともにとても有力だとは思います。さらに余談ですが、一人当たり所得とオリンピックのメダル獲得数には明確な相関があります。




参考まで、サンプルとして使った国は下記の通りです:

ブラジル : 100ポイント / 最高税率27.5%
スペイン : 97.1ポイント / 最高税率42.0%
ポルトガル : 77.5ポイント / 最高税率40.0%
オランダ : 75.8ポイント / 最高税率52.0%
イタリア : 73.5ポイント / 最高税率43.0%
ドイツ : 68.7ポイント / 最高税率45.0%
アルゼンチン : 67.3ポイント / 最高税率35.0%
イングランド : 66.3ポイント / 最高税率50.0%
クロアチア : 65.3ポイント / 最高税率45.0%
フランス : 64.8ポイント / 最高税率50.0%
ロシア : 62.3ポイント / 最高税率13.0%
ギリシャ : 60.1ポイント / 最高税率40.0%
エジプト : 60ポイント / 最高税率20.0%
アメリカ合衆国 : 59ポイント / 最高税率45.3%
チリ : 58.8ポイント / 最高税率40.0%
セルビア : 58.6ポイント / 最高税率20.0%
メキシコ : 58.1ポイント / 最高税率29.0%
ウルグアイ : 56ポイント / 最高税率25.0%
カメルーン : 55.1ポイント / 最高税率35.0%
オーストラリア : 54.8ポイント / 最高税率46.5%
ノルウェー : 54.6ポイント / 最高税率47.8%
イスラエル : 53.2ポイント / 最高税率47.0%
ウクライナ : 53.1ポイント / 最高税率15.0%
スイス : 53ポイント / 最高税率13.2%
トルコ : 49.5ポイント / 最高税率35.0%
デンマーク : 47.6ポイント / 最高税率59.0%
スウェーデン : 47ポイント / 最高税率59.0%
日本 : 41.8ポイント / 最高税率40.0%
韓国 : 38.4ポイント / 最高税率36.0%
ベネズエラ : 37.6ポイント / 最高税率34.0%
フィンランド : 36.3ポイント / 最高税率53.0%
ハンガリー : 35.1ポイント / 最高税率36.0%
ポーランド : 34.8ポイント / 最高税率32.0%
ベルギー : 33.6ポイント / 最高税率50.0%
カナダ : 32ポイント / 最高税率53.0%
ニュージーランド : 25.5ポイント / 最高税率33.0%
南アフリカ : 24.3ポイント / 最高税率40.0%
中国 : 24ポイント / 最高税率45.0%
日本でマイクロファイナンスができない理由
(追記アリ:2010年6月13日)

日本でもマイクロファイナンスをするべきという人がいます。

でも、僕は日本の都市部でマイクロファイナンスが出来るとは思いません。貧困層向けのファイナンスはあるでしょうけれど、それにマイクロファイナンスの名称がつくのか疑問が残ります。


金融の視点からみたマイクロファイナンスの真髄は、コミュニティの結束力を顧客の信用力に転換する仕組みにあります(オペレーションの作り込み等もあるのですがここでは割愛)。


R0014712.jpgマイクロファイナンスでは第一に、顧客選定の段階でコミュニティの結束力が審査コストの低下に転化されています。

共同体が強く残っている開発途上国の農村部や町において、周りの人に認められた人がマイクロファイナンス機関からお金を借りることができます。グループでお金を借りる場合は当然ですが、個人で借りる場合にも村長さんなどが保証人として立つ場合が多く、何らかの形でコミュニティによる借手選出の過程を経ています。

金融機関が顧客の情報を完全に知り得ない限り、よい借手を探すことには費用がかかります。しかし、マイクロファイナンスにおいては、この借手探しのコストは地元のコミュニティが負担しているわけです。(よい借手探しは、いつもその人と顔を突き合わせているコミュニティの人々にとってはあまり高い費用を要するものではない一方で、金融機関にとってはかなり高くつくこともポイントです)


第二に、コミュニティの結束力は、貸手である金融機関のモニタリングの費用の低下に転化されています。

誰もがお金を返せなくなって地元のコミュニティからのけものにされるのは嫌なので、借手は一生懸命に働くことになります。金融機関が本来するべきモニタリングのコストが、これまたコミュニティによって負担されているわけです。



このように、コミュニティの結束力が、金融機関が本来負担していたコストを下げるために、通常のファイナンスよりもよい条件での金融サービスの提供が可能になるわけです。貧困層への金融サービス、主に貸出しはたくさんありますが、それらサービスには、上記のような形のコスト削減の仕組みがあるとはあまり思えません。日本のようにコミュニティの力がほとんどなくなってしまった国で、マイクロファイナンスが出来るのか、甚だ疑問です。


日本では講や無尽、朝鮮半島では契というものがありました。マイクロファイナンスの仕組みは決して新しいものではなく、経済が一定の発展段階に達したときに生じる金融の仕組みです。個人的には、これは、経済発展とコミュニティの結束力との間の関係に由来するものだと思っています。経済発展によってもたらされる富によって、個人は身近な人々との関係を弱めても生きていけるようになります。結果、コミュニティは弱くなる。

念のためですが、僕は日本の貧困層に対するファイナンスの仕組みをつくることはとても重要だし意味があると思っています。ただ、それをマイクロファイナンスと呼べるとは思えません。マイクロファイナンスとは違う、より発展した形の資金調達の仕組みが出来るのではないかな、と思っています。



(追記)
ここではMFの特徴として、その情報の非対称に起因するコストを削減する仕組みを考えています。これこそが、MFが比較的低利で金融サービスを提供出来る理論的源泉と思われるからです。MF=小口の金融サービスの提供なら、先進国でも色々出来ると思います。

その後Twitterで知ったのですが、まだ地方にはかなり強固なコミュニティが存在していて、お金が返済できない場合、かなり厳しい制裁があるとのこと。もちろん、イスラム圏の女性ほどに移動の自由は制限されていませんが、それでも住み慣れた土地を離れ見知らぬ場所に住むコストは相当なもので、コミュニティによる制裁がかなり利いてくるかもしれません。なので、本文では、「都市部で」と制限をつけました。








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