Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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自然体
先週は衝撃の出会いがありました。会って30秒会話しただけでその人が飛び切りの人間だということは感じたのですが、後になって、多くの人が彼を本物の天才と呼んでいることを知りました。

僕が彼を飛び切りの人間と感じたことには明確な理由があります。彼からは、世の中の殆どの人が有しているであろう、けちな損得勘定や虚栄心その他に代表される自意識が全く感じられなかったのです。天衣無縫という言葉がしっくりきます。ズケズケと言いたいことを言う。でも相手に対する批判にも湿り気が全然ない。相手からどう思われているかというのを必要以上に意識していない(ように見える)。

真に創造的な仕事をするにおいて、このように損得勘定や自意識から解放されることは本当に大切なことだと思います。こうしたら相手に借りを作れる、とか、自分が他人からどう思われているか、とか、相手は何を持っているか、とか、相手はどんな地位の人かとかは、自由な発想を妨げる以外のなにものでもありません。

子どもの頃は、多くの人々がとらわれのない心でものを考えることができるのに、社会生活をするうちに、どんどんつまらない人間に焼き直されてしまう。肩の力もどんどん入っていく。自己を解放できないので、創造力やエネルギーはとても小さなものになってしまう。

心のわだかまりを排して自己を解放するためには傍若無人になってもいいと考えているわけではありません。他人に対して敬意を払うことと、おべんちゃら精神や事なかれ主義に代表される人付き合いの仕方を排することは両立すると思います。どんな人にも等しく敬意を払い、相手の意見がおかしいと思ったら、その敬意を持ったままにしっかりと物申す、という姿勢を保つことは可能だと思います。

相手に対する敬意と自然体を保ち続ける。そう書くのはたやすいのですが、いい塩梅になるには、これからも道は長そうです。でも、コツコツと毎日自省を繰り返しながら、いつかその境地に辿りつけるようになれたらいいな、と思います。吉川英治の描いた宮本武蔵みたいに。 

そして、努力の末に本当に自然体になれたら、こんな「自然体」なんてタイトルでブログを書くこともなくなることでしょう。

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カンボジア農村住み込み録
長期休暇の最後はカンボジア。あるマイクロファイナンス機関(MFI)の調査、及び諸般交渉事のための旅行。

カンボジアだといつも以上に若く見られて交渉に苦労するので、今回はヒゲを生やしていったのだが、前回より3歳くらい上乗せされただけだった。その後、ミーティング中に、エクセルでモデルをガンガンつくりながら英語でまくし立てたら、相手の見る目が変わった。外見より中身なんだということを改めて痛感。

すでに現地の支店に住込み、内部統制その他オペレーションの監査をしてくれた公認会計士のNさんのおかげで、MFIとの交渉はかなりスムーズに進んだ。2日で10時間弱のミーティングを終えた後に、契約の締結も終えることができた。


そのまま、MFIの支店があるChamkar Leuへ。MFIの人々へ無理を言って、今回はマイクロファイナンスの借手のお宅に二日間泊めてもらうことになっていた。今回の旅行の目玉だ。

「農民の生活をこの目で見てきたいので、農村に泊まれるように手配して頂けますか。」

最初そう話したとき、みなびっくりして、その噂はすぐにそのMFI中に拡がったそうだ。先進国からやってきて支店に住み込む人もはじめてだし、ましてや農村に泊まり込む人もはじめてだと。

案内役のペンさんは最後まで心配していた。

「本当に一人で泊まるの?ご飯や寝床は大丈夫?それにコミュニケーションは?」

「僕は人間だし、人間が住んでいるところならどこだって住める。それに、寝泊まりしてみないとわからないことがいっぱいあるから。コミュニケーションは、ほら、Nさんが持ってきてくれたこのカンボジア語の本があればなんとかなるよ。」

彼は最後まで誰か一人付き添いをつけようと話していたが、再三再四断る僕についに匙を投げた。

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視点から車で20分して、ついに到着。この村には、水道も、ガスも、電気も届いていない。自給自足を続ける農村だ。

泊めてもらう家のお父さんは、僕が住むと聞いてとても喜んでくれた。

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「この村にやってくるNGOの人はたくさんいた。でも、みんなキレイな車に乗ってやってきて、1,2時間だけ話を聞いたらすぐに帰ってしまう。村に住んでみようという人はいなかった。
ご飯すらたべようとしてくれなかった。前にやってきたNGOの人に一緒に食事をと、ごちそうを準備した。でも、箸一つつけようとしなかった。あの後、自分達の食事の何がよくなかったのだろうと、振り返ってみたが、わからないままだ。」

特別胃腸の弱い僕だが、今回ばかりは食事を残すことは不可能と思った。

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日が暮れるとあたりは暗くなる。灯油のランプで明かりをつけ、そこに家族が寄り添ってご飯を食べる。野菜をカンボジア版の味噌につけて食べる。あとはご飯とお魚が少し。ご飯も他の料理も、食後のお茶も、家の隣にある井戸から汲んできたものを使う。当然ながら、井戸の水質は保証されていない。井戸のフタもないし、その井戸の周りでは洗剤をつかって洗濯もしている。でも、最初のお父さんの話があったので、井戸水で作ったお茶を拒絶することは無理だった。

食後にはお風呂。といっても、やることは井戸水を使っての水浴び。あるのは井戸と桶だけだったので、どうすればよいのか迷っていた僕に、お母さんが見本を見せてくれる。男の人は、パンツの上に腰巻をつけて、その腰巻ごと水を浴びる。そして、身体の汗を流したら、その腰巻の上から身体を拭いて、パンツを履き替えて服を着て、お風呂は完了。

石鹸もシャンプーも持っていなかった僕を見かねて、お母さんが使い捨てシャンプーをくれた。インドの農村部でもよく用いられている、小分けで使うことができるシャンプーだ。気持よかったはよかったが、結局この洗い流した水が流れる先は土壌だ。土を伝って、化学物質が地下の井戸に届くと、どんなことが起こってしまうのか、少し心配になる。

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水浴びをしながら、周りの明るさにはっとさせられた。見上げると、見事な満月。こんなにも月は明るいものなのかと驚かされる。月影という言葉は知っていたけれど、それを見るのは初めてだった。星も綺麗だ。月が新月だったら、宝石箱をひっくり返したように美しいのだろうか。夜の明るさを得るために色々なものを僕たちは失ってしまったのかもしれない。

そのあとはしばし団欒の時間。お母さんがバッテリーをつかってテレビをつけてくれた。白黒のテレビ。周りの農家の人も、珍しいお客を見にこの家にやってくる。真っ暗な部屋に、灯油のランプと白黒のテレビの明かりだけが灯る。おじさんたちが話しかけてくるのにほとんど理解できない。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。身振り手振りと、Nさんから貸してもらったクメール語入門書を使って、なんとか考えていることを伝える。

僕が本をつかって自分の考えを伝えているのをみて、みんな僕にクメール語で話しかけてくる。この本に逆引き機能があったらよいのだけれど、それもなくて困る。今度来る時まで、もっとクメール語を勉強しておこう。

相手の話かけてくる言葉を復唱して、一生懸命に意味をつかもうとする。トゥールトゥッがテレビを意味すると分かったときの喜びといったらなかった。言語の獲得ってすごい。様々な仮説を試行錯誤しながら検証していく過程に、対象となるモノや概念と一致するひとつの言語を音声から探し当てる。赤ちゃんの学習機能のすばらしさ。

農村の夜は早い。みな午後八時には眠りにつきはじめる。僕もご多分にもれず、8時過ぎには眠りについていた。カンボジアは四六時中熱帯夜で、寝汗で一度目が覚める。でも、周りの人は皆ぐっすり寝ている様子。人は様々なことに慣れることができる。


農村は朝も早い。

3時か4時にはみなモゾモゾと動き始める。そして、夜明け前には仕事の準備がほとんど完了して、日が明けると同時に、一日の仕事が始まる。

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今日は朝から田んぼの周りをお父さんと一緒について歩かせてもらった。

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たんぼみちの多くはところどころ水たまりになっていて、靴では入れない。農村に住む皆がサンダルで歩き回っている理由を、やっと知ることができた。単に暑さが理由なのではなく、水たまりやぬかるみを歩くことが多いからのようだ。

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朝5時過ぎから、皆田んぼに出て仕事をしている。あいさつをしながら、田圃道を歩く。

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一旦家に戻り、今度は牛を連れて放牧に出かける。

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この家には牛は全部で七頭いる。お父さんは大きな牛だけを紐につないで放牧地まで連れて行く。

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仔牛は親から離れないので、親牛だけをしっかりと誘導すれば仔牛はついてくるわけだ。放牧地についたら、親牛をつないでいた綱を木にくくりつける。

お父さんは近くを案内してくれた。向かった先は、学校の旧校舎。

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学校はもうないそうだ。学校は昔までここにあったのだが、廃校になってしまい、一番近い学校も遠く離れてしまった。バイクに乗れたら通学にも難はないが、それも難しいので通学は難しくなる。もともとカンボジアの教師の月給は低すぎる。教師の月給が25ドル程度しかないので、やる気のある先生はタクシードライバーなどの副業をしながらなんとかやりくりしている。それが出来ない先生は、試験期間に子どもに賄賂を迫る。賄賂を渡す(家庭の)子どもは進級できるが、お金がないと進級もままならない。

そんな話を(というか大半は身振り手振りで教えてもらったわけだけど)していたら、道の先から車がやってきた。MFIの車だ。昨日から心配していてくれた彼らは、今日もここに来てくれた。

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ペンさんがそこら辺に生えている葉っぱをおもむろに食べた。びっくりして、何をしているんですか、と聞くと、この葉っぱはポル・ポト時代の貧しい日々の貴重な食糧だったと教えてくれた。

Nさんはすごい勢いでカンボジアの人々と仲良くなっている。Chamkar Leu支店長とも打ち解け、朝日に向けて二人でガッツポーズ。彼は間違いなく途上国向きの性格をしている。

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放牧は夕方まで続くので、家に向かう。その途中で、田植えをしている人々に出会う。

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僕も田植えをさせてもらう。ジーンズを膝までたくし上げて、泥の中に足を突っ込む。ヘタッピだし、遅いしで、周りの人に迷惑をかけっぱなし。

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一緒に田植えをしていた、ベテランのおばあさんに、もうこれ以上やるな、と怒られてしまう。

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周りのみんなは、「これからはご飯を一善食べるときには10000リエル(日本円で250円程度)は払わないとな」、と冷やかす。

みんな、一日中グループで田植えをしているようだ。皆で手分けして、Aさんの田んぼ、Bさんの田んぼと田植えをしていく。村のコミュニティの結束力はとても強くて狭い。村のどこを歩いていても、誰かしらがちょっとした集会を作って話し合っている。

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マイクロファイナンスが機能する背景には、こういうコミュニティの強い結束力がある。グループローンであれ、個人ローンであれ、返済が出来なければ困ったことになる、というグループの強制力を信用力に転化させているからこそ、高い返済率を達成することが可能となる。


戻ってきたら、もう昼過ぎ。みんなで一緒に御飯を食べる。そして、MFIの人々は帰っていった。

このころから、少し頭痛がし始める。悪い兆候だ。片頭痛は小学生の頃から付き合いのある持病。経験則からいうと、確率95%くらいで頭痛がやってくる予感がした。片頭痛がくると、悲惨なことになる。ハンマーで頭を殴られると同等の痛みが続き、吐き気も催してくる。

これ以上ひどくなってもいけないので、着替えて二階で寝かせてもらう。

でもだめだ。滝のように汗が噴きだしてくるし、頭痛はどんどんひどくなる。今回の旅はドタバタのスケジュールの中やってきたので、常備薬も忘れてしまった。万事休す。

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どうしようもないので、お母さんらがいる一階に行って(この頃にはもうMFIの人々は誰もいない)、「オッスルクルオン」と話す。Nさんの貸してくれたこのカンボジア語の本が無かったら、「具合がわるいんです」ということを伝えるだけでどれだけ苦労したことだろう。言語は偉大だ。

お母さんたちも心配してくれて、とりあえず寝ろと話す。寝ていても全く様子が良くならない僕を見て、お母さんは今度はパンを持ってくる。

「いや、パンもいらない」と話す。

また少し経って、お母さんは僕の近くにやってきた。

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片手にコインのようなもの、もう片手に軟膏を持っている。

仰向けになりなさい、という言葉通り仰向けになると、お母さんは軟膏をコインにつけて、コインで僕の身体をこすり始めた。そう、これは現地に伝わる民間療法で、血行を良くする効果があるのだそうだ。でも、かなり痛い。やられている最中は、頭がいたいのか、コインですられている自分の身体が痛いのかもわからない。こすられたあとの腕や胸を見ると、真っ赤に内出血している。でも、確かに気持ちがいい。背中も同じようにこすられ、最後は首の付け根とこめかみにも軟膏を刷り込まれる。

この民間療法がびっくりするくらいに効いた。
その後1時間寝ているだけで、頭痛はあっという間に収まった。魔術の勝利だ。

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頭痛のときにどうなるかだけが心配だったけど、この一件で、住まうことについての心配がほとんど解消された。
その日の晩はNさんの貸してくれた本を片手に、皆に日本語を教えるセッション。音節が5つ以上だと難しいみたいだ。そりゃそうだ。ぼくだって、5音節以上のクメール語は最初聞いただけでは覚えるのが大変だ。

また日が暮れ、朝が来る。ここの夕焼けと朝焼けは言葉にならないほどに美しい。拝みたくなるほどの美しさだ。

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そして、同じ一日が繰り返される。

日本にある四季が、カンボジアにはない。雨季と乾季だけがある。雨季といっても雨ばかりが降るわけではなく、二日や三日に一度雨が降るという程度のもの。炎天下、黒い肌に沢山の汗をかいて、作物を作り、家畜を育て、生計を営んでいる。素朴で朗らかで寛容な人々が、厳しい自然に対峙して日々を必死に生きている。

自然は厳しい顔を持っている。灌漑が完全ではない地域では、雨降りが続けば水害が生じ、人々の生活に打撃を与える。開発途上国にはセーフティネットはなく、人々はなけなしの貯蓄を取り崩して生活をせざるをえない。

それに、農村部の人々はこのままでは、都市部の人々が享受する経済成長の恩恵から取り残されてしまう。首都プノンペンに行く度に、新しいビルが立ち並び、経済が確実に発展へ向かっているのを感じる。でも、農村部はいつも変わらないままだ。ほとんどの農村にはガスも水道も電気も届いていない。

カンボジア国民の80%は農村部に住んでいる。その農村部の経済成長率は年率で1%になるかならないかだという。カンボジアがこの期間に達成してきた高い経済成長率はほとんど観光地を含む都市部によって達成されているものだ。高付加価値の観光業やその他産業と、そうでもない農業の性質上、都市と農村の間の貧富の格差は今後も拡大するだろう。

日本では自民党と官僚機構による地方へのバラマキを批判する声が高い。でも、この国や他の開発途上国の現場を見ていると、成長の果実を適切に分配しつつ経済の活力を保つことがいかに難しいか、改めて考えさせられる。日本では、全国のどの電車から風景を見ても、同じ作りの家を眺めることができる。これがいかに得難いことか。

マイクロファイナンスは、消費を平準化する。災害等の緊急時のローンその他の金融商品は、貧しい人々が運命のいたずらに翻弄されるのを、多少なりとも抑制することができる。金融はインフラのひとつで、それそのものが何か大きな変化をもたらすことは出来ないかもしれないが、あるとないとでは雲泥の差が生じる。他のMFIが活動していない地域でマイクロファイナンスを行う金融機関を支援することは、本当に意義のあることだ。これからも続くことになるLIPの活動意義を改めて感じることが出来た旅行となった。これからも頑張ろう。



僕以外にも、この期間LIPメンバーの多くがマイクロファイナンスの現場を見てきました。そこで学んだことを、それぞれが有している専門性の見地から報告します。7月10日14時から。詳細は下記の通りです。
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