Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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マイクロファイナンス調査で世界一を目指す
11月はプレゼンがやけに多いのですが、今週末でそれも一段落。

最後の締めはマイクロファイナンスフォーラム。Living in Peaceの活動をはじめて以来毎年11月に行っていて、今回は第三回になります。


マイクロファイナンスをビジネスの文脈から捉え、マイクロファイナンス機関に投資するファンドを企画しているのは日本では(多分)私達だけで、自分たちだからこそ出来るフォーラムを準備しています。マイクロファイナンス関連の金融商品が日本市場に出る以前から、私たちは投資としてのマイクロファイナンスを主題としたフォーラムを主催してきました。今回もビジネスの文脈で、もちろんミッションや現場感を伝えながら、マイクロファイナンスを語りつくします。

本フォーラムでは、次のような内容が取り扱われます:
・マイクロファイナンスの概要
・最新データに基づいたセクターの状況レビュー
・LIPが中小規模のマイクロファイナンス機関への投資ファンドを企画する理由
・提携先である二つのマイクロファイナンス機関の現場の声
・ベトナムのマイクロファイナンス機関のアナリストレポート

非常に地味ではあるのですが、私達が目指しているのは世界一のマイクロファイナンス機関調査能力を身につけることです。去年のフォーラムでもその調査能力の獲得を目標としていましたが、2010年も一定の前進があったと思っています。いくつかを挙げると、こんなところです:

・グラミン銀行を母体とする投資ファンドを運用するグラミン財団でのトレーニング
・フィリピン最大のマイクロファイナンス機関であるCARD MRIの研修施設でのトレーニング
・フィリピンのマイクロファイナンス調査機関のPinoyMEによるトレーニング
・世界最大のESG投資のカンファレンスであるTBLIで報告
・バリで行われたCGAP Course for Funders of Microfinanceに参加
・ベトナムでの調査開始、現地のマイクロファイナンス機関との基本合意取得


普通の金融の分野だと、世界一はそれこそエベレストみたいに頂上が遠いのですが、まだ黎明期にある投資としてのマイクロファイナンスの頂上は高尾山とか筑波山くらいの高さなんですよね。地殻変動がはじまればそのうち高くなるに違いない山の頂上に、今のうちに近づいておけることはこの上ないアドバンテージだと思っています。

(ちなみに、個人的な向こう5年のキャリア目標は、PE業界のトッププレーヤー(得意業界:エマージング市場(特にマイクロファイナンス)、その他もろもろ)になることです。)

そんな私たちのこの期間の成果を発表するマイクロファイナンスフォーラム、お時間があればぜひお越しください。事前振込をすると参加費が安くなります。



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◆ 日時 : 2010年11月28日(日)
□ マイクロファイナンスフォーラム2010 13:00~17:30 (受付:12:30~)
□ ネットワーキング懇親会 18:00~20:00 (受付:17:30~)

◆ 会場 : 日本財団2F大会議室(赤坂)※ 懇親会も同会場にて行われます。
 (東京メトロ銀座線 虎ノ門駅3番出口より徒歩5分)
◆ アクセス : http://www.nippon-foundation.or.jp/org/profile/address.html

◆ 言語 : 日/英(同時通訳有)

◆ 定員 : 200名

◆ 参加費 : 事前振込、または当日受付にてお支払い下さい。

◎ フォーラムのみ
 (一般:3,000円、学生:2,000円)
◎ フォーラム+懇親会
 (一般:5,500円、学生:4,500円 ※ 事前振込→ 一般:5,000円、学生:4,000円)
◎ 懇親会のみ
 (一般、学生共通:2,500円 ※ 事前振込→ 2,000円)

◆ 参加お申込フォームはこちら → http://goo.gl/LXao5
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ダイヤの原石のような直感

野中郁次郎教授の講演を聞く機会があった。近著「流れを経営する」によると、「知識とは個人の信念が真実へと正当化されるダイナミックな社会的プロセス」なのだという。


この言葉に出会ったときに「我が意を得たり」という気分になった。

僕は、人間の直感は「(時々はハズレもあるが)ものすごく論理的だけど、まだ言語化されてもいないし、いろんな前提事実が明らかになっていないために、他人にうまく説明できない思考」なのだと思っていた。例えば、僕の知る「すごい女性」3人は、3人とも人と話して5秒で評価を下す。そして、その評価の精度は異常に高い。(ところで、僕がこれをやると顰蹙を買うのだけれど、彼女らの場合はカッコイイとされてなんだか悔しい)

本当はロジカルだけど、まだ明らかになっていない前提条件が多いので、本人もうまく言葉で説明することが出来ない、ダイヤの原石のような思考。野中郁次郎教授らは、このような個人の信念が、体系化された知識となるまでの過程をモデル化した。

暗黙知を形式知にするこのプロセスは、SECIプロセスと呼ばれる。SECIプロセスは、共同化(Socialization)、表出化(Externalization)、連結化(Combination)、内面化(Internalization)の4つの循環プロセスである。

まず、人は自分の信念を他人に話すことから始める(Socialization)。この時点では信念はまだ理路整然としていない、「なんとなく言いたいことは分かる」ような状態だ。それを相手にぶつけることを通じて、少しずつ自分の頭の中にだけある「もやもやしたもの」がカタチになっていく。このように、他人に話すことにより自分の思考がより精緻になる背景にはミラーニューロンの存在があるのかもしれない。

次に、このようにして少しずつ形になってきた暗黙知を形式知化する(Externalization)。考えを言語化するためには、弁証法的なプロセスが最適である。弁証法とは、対立する意見(正と反)をうまく統合(合)し続ける、正反合のスパイラルである。オープンな議論の場で少しずつ議論をしながら、考えが言語化されていく。時々、Twitterをしていると、意見の対立があり、それが少しずつ双方にとって納得のいく結論になっていく。これがExternalizationのプロセスだ。

形式知になった個別の知識群を関連付けて理論化するのが連結化(Combination)の過程だ。ここで、個別の概念は関連付けられ体系化され、理論やモデルとなる。

こうしてできた理論やモデルは、また個人に戻ってくる。個人の「もやもやした考え」から出発して理論になったモデルは、今度はその個人の価値観に影響を与えてくる。これぞ弁証法のプロセスで、疎外論はまさにこの話に近いと思う。だからかもしれないが、考えを普段から言語化する人ほど感情や思考は豊かになる。

SECIモデルの話を聞きながら、ヘーゲルが現代に生きていたらこういうことを説きそうだな、と感じていた。


暗黙知は、最初の段階では生まれたてのひよこみたいなもので、どんな可能性を持っているとしても、言論としては非常に弱いものにならざるを得ない。新しい研究開発のアイディアや、社会変革のための思想は、すでに確立されている理論や考え方と論争するとあっさりと負けてしまう場合が多い。まだ言論の場で勝つためには、明らかにしなければいけない事柄が多すぎるためだ。


この、「暗黙知の言論の場での弱さ」にイノベーションを起こし続ける企業づくりのヒントがあるかもしれない。

多くのイノベーションは、開発者の直感からはじまる。しかし、この直感に、完璧な説明を求めるのは無理な話だ。実際、多くのヒット商品は企画会議ではメッタ打ちにされる。

こういったダイヤの原石のようなアイディアに対して、「リスクは自分がとるから、とりあえずやってみろ」といえる文化があるかどうか。そこに組織の創造力は依存するのだと思う。思えば、日本の企業が元気だった頃には、新しいアイディアに対して「やってみなはれ」と後押ししてくれる経営者は多かった。ちなみに、僕個人のキャリアについても、当初は反対していた親が最後には「お前が正しいかはよく分からないが、とりあえずやってみろ」と言ってくれたことから始まっている。

この話をすると、「近年は市場の規律が厳しくなり、変な企画を通すと、株主への説明責任が果たせなくなる。これがイノベーションを阻害している。」という人がいる。しかし、これは本当なのだろうか。例えば、日本より遥かに株主からのの突き上げがきついアメリカにおいても、アップルでスティーブ・ジョブズは独断と偏見で開発をすすめるし、Googleも株主に対する説明責任を考えながら新企画を通しているとは考えられない。株主への説明責任とは、100%明らかなものを説明することだけではなくて、思考プロセスを可能なかぎり言語化することなのだと思う。

これは、決して全てのアイディアに対して「やってみなはれ」とすることを奨励しているわけではない。そこまでやると、会社が変になってしまうだろうから、ある程度のスクリーニングは必要だとは思う。ただ、マネジメントが全くリスクをとらないようになると、企業のイノベーションは阻害され、それは企業の長期的成長をストップさせる可能性が高い、というのが議論の主眼だ。



また、ここまで話してきた暗黙知と形式知の議論は、組織のみならず個人の生き方についても重要な示唆を与えてくれる。個人的に得た示唆は簡単だ。

信じたことをとにかくやってみる。
自分が本当に正しいのかなんて、誰も分からないし、行動しなかったらずっと分からないままだ。

児童養護施設についてこれまで考えてきたこと、やろうしていること
R0015391.jpgもうすぐなのですが、11月14日午後2時から、私が行っているLiving in PeaceというNGOのフォーラムがあります。テーマは児童養護施設です。

フォーラムにもぜひ参加して欲しいのですが、これだけは伝えたい、という内容を書きました。5分くらいで読めると思うので、お時間を拝借できればと思います。


虐待などが理由で、親から隔離されて児童養護施設で暮らしている子どもは全国に3万人います。施設の数は570あります。


多くの施設はひどい状況にあり、僕たちはこれを変えたいと思っています。

「日本では努力すれば誰でもいい暮らしが出来る」というのは事実だと思います。しかし、その「努力できる能力」は、自分の人生を肯定する感情に由来していて、その根底には人間に対する信頼があります。僕が努力できたのも、決して自分ひとりのお陰ではなくて、自分を愛してくれていた人のお陰のようなのです。

暴力や放置、性的虐待を受けた子どもは、人間に対する信頼を根底から失っている場合があります。その回復のためには、受けた虐待と同じだけの密度と時間のケアが必要なのですが、ほとんどの児童養護施設は資金に余裕がなく、親代わりとなる職員を十分に雇えていません。職員は平均して10人以上の子どもの面倒を同時に見ています。ひとり親が10人の面倒をみることはほぼ不可能に近いと思います。子どもは手厚いケアを受けられず、心の回復はなかなか進みません。

子どもの自己肯定感の欠如は、数字にも如実に表れています。大学進学率が50%を越えた今日の日本において、児童養護施設の子どもの大学進学率は10%以下です。高校中退率も7.6%と、全国平均の4倍近くあります。その先には、低所得労働であったり、違法な仕事が待っている場合もあります。

人が機会の平等から疎外されて絶望せざるを得ない社会は、決して平和な社会になりえないと思います。歴史上の悲劇の多くは、絶望をせざるを得ない人々がいるときに生じてきました。僕の目には、開発途上国の貧困層と、日本の児童養護施設の子どもたちのどちらも、同じくらいに深刻なものに見えます。


僕たちは、この現状を少しでも変えたいと思っています。
根本的な問題は社会の無関心にあると僕たちは考えています。一番直接的な問題は職員数不足といわれていますが、それは結果であって根本問題ではないようです。ただし、社会の関心を高めてそれを政策変更にまで結びつけるのには、どう考えてもかなりの年月がかかるし、その間にも目の前で困っている子どもを見過ごすこともできません。

自分は何をするべきかを見つけるために、1年くらい試行錯誤をしました。転職するときに得た休暇を使って、児童養護施設での住込みもしました。住込みで現場感を得て、勉強もして、専門家やこの分野の先達にも学び、やっと解決の糸口のようなものを見つけました。

僕たちが考える児童養護施設の問題解決の糸口は、施設の改築です。

児童養護施設の建物の多くは旧式の寮のような作りになっています。これを、家庭に近い環境で子どもたちが生活できる施設に建て直すことで、とても大きな効果が出ます。

現行制度の下では、施設をこのように改築すると、職員数を倍近くに増やせるだけの補助金が毎年出てくるようになります。また、自分の住んでいる「家」がキレイになることで心が落ち着いたり、生活サイクルが安定する可能性があります。しかも、この建設費用のうち約7割は国からの補助金が出ます。

ざっくり計算の例として、定員42人の施設の新築費用が4億円だとしましょう。
このとき、もし手元に1億2千万円があれば、4億円の施設を新築できて、かつ、児童指導員(子どもの親代わりの職員)を最大で7人雇えるだけのお金が毎年出てきます。勤続年数にもよりますが、毎年4000万円くらいです。

簡単にいうと、手元に1億2千万円があれば、それが4億円の施設と、毎年4000万円のキャッシュフローに変わるわけです。都道府県別に差はあるのですが、施設の新築がもたらすインパクトはとてもレバレッジがきいたものになっています。


問題はこの手持ち資金がないことです。僕たちはこの資金を、多くの個人からの寄付で集めたいと思っています。

これまで、こういったお金は少数の富裕層がポーンと出す場合が多かったそうです。これでも当面の問題は解決されますが、根本的な問題である社会の無関心を解決できません。だから、本当に面倒で大変であっても、僕たちはより多くの人々からの寄付を募っていきたいと考えています。その集め方を考えていて、それをフォーラムで発表する予定です。

また、子どもの進学支援のための寄付のプログラムも準備しています。本質的な問題解決には、進学が最も重要だと考えるからです。


私たちのこれまでの活動や思索の集大成が、今回のフォーラムとなります。参加費の半分は、児童養護施設に寄付されます。

児童養護施設の話をするとき、ついつい感情論に流されがちですが、今回は現場の方のみならず経済学者にも参加いただき、私たちの活動意義を検証しようと思っています。基調講演者の「バナーキー」こと橘木先生は格差や子どもの貧困について研究している著名な経済学者で、今回は幸運にも基調講演をお願いできることになりました。

お忙しい中恐縮ですが、もし可能であれば足を運んでみてください。皆様からのご来場を心からお待ちしています。

日時:11/14(日) 14:00~18:00
場所:日本財団2F大会議室(赤坂) http://www.nippon-foundation.or.jp/org/profile/address.html
参加費:3000円
詳細及びお申し込み:http://bit.ly/c4tsK9

ミクロの問題意識、マクロの思考
ベトナムに来ている。

取材で同行している人から、こういう質問を受けた。

「なぜ、ある程度成長しはじめた国のマイクロファイナンス機関を支援しようと思うんですか?」



この質問はもっともだと思う。答えを話しているうちに、日頃の考えが結構まとまった。
気づいたことを一言でいうと、こうなる。

「アクションのきっかけはミクロレベルの問題意識に起因する。ただし、そのアクションの妥当性はマクロレベルの視点から検証しないといけない。」


カンボジアやベトナムなど、すでに成長の梯子に足をかけた国においては、確かに10年後は今より輝かしい未来がまっているだろうし、人々の暮らしも全般においてよくなるだろう。

でも、政治家でもなく、大規模な国際NGOでもない僕たちにとっては、そういう国レベルでどうだという議論はあまり意味をなさない。どちらかというと、たまたま知り合った困っている人々のために何ができるか、というミクロレベルの個別具体的な議論のほうが重要だと思う。目の前で困っている人がいて、その人達に対して自分達が何かのアクションを行うことで、状況をよりよいものに出来るのであれば、それは行ってみる価値のあることなのではないか。

海外のマイクロファイナンス機関への投資ファンドの企画も、日本の児童養護施設の資金調達スキームの構築も、アクションのきっかけはマクロレベルでの思考ではないと思う。むしろ、たまたま知り合った人に何か出来ることはないか、というミクロレベルの問題意識から始まっている。具体的なアクションは、殆どの場合ミクロレベルの問題意識からはじまるみたいだ。



だからといって、マクロレベルの問題意識がいらない、というわけではない。

大局観を持たずに目の前にある課題だけを追いかけていると、問題の根本的な解決には至らない場合が多い。そうすると、眼前の問題のもぐらたたきになって、人生が終わってしまう。

例えば、児童養護施設の資金調達。富裕層の人にお願いして一声で集めてしまうのが手っ取り早いかもしれない。でも、児童養護施設の現状は本質において国家レベルの不作為の問題であり、根本的解決には多くの人が関心をもつことが必要不可欠だ。だから、僕たちは、相当に回り道だと分かっていても、この資金調達を多くの人々から行なおうとしている。


大局観をもった思考をする際には、先行理論が思考整理の道具となる。それを学ぶには勉強したほうがよい。本や論文を読み考えることがその多くを占めるだろう。自分が現場で活動しているといるからといって、こういった修養を怠ることの言い訳にはならないと思う。


最近、毎週洋書の専門書を一冊読むことを始めた。今はきつくても、今後のことを考えると洋書で読む以外の選択肢はありえなかった。続けようと思う。

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