Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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ダイヤの原石のような直感

野中郁次郎教授の講演を聞く機会があった。近著「流れを経営する」によると、「知識とは個人の信念が真実へと正当化されるダイナミックな社会的プロセス」なのだという。


この言葉に出会ったときに「我が意を得たり」という気分になった。

僕は、人間の直感は「(時々はハズレもあるが)ものすごく論理的だけど、まだ言語化されてもいないし、いろんな前提事実が明らかになっていないために、他人にうまく説明できない思考」なのだと思っていた。例えば、僕の知る「すごい女性」3人は、3人とも人と話して5秒で評価を下す。そして、その評価の精度は異常に高い。(ところで、僕がこれをやると顰蹙を買うのだけれど、彼女らの場合はカッコイイとされてなんだか悔しい)

本当はロジカルだけど、まだ明らかになっていない前提条件が多いので、本人もうまく言葉で説明することが出来ない、ダイヤの原石のような思考。野中郁次郎教授らは、このような個人の信念が、体系化された知識となるまでの過程をモデル化した。

暗黙知を形式知にするこのプロセスは、SECIプロセスと呼ばれる。SECIプロセスは、共同化(Socialization)、表出化(Externalization)、連結化(Combination)、内面化(Internalization)の4つの循環プロセスである。

まず、人は自分の信念を他人に話すことから始める(Socialization)。この時点では信念はまだ理路整然としていない、「なんとなく言いたいことは分かる」ような状態だ。それを相手にぶつけることを通じて、少しずつ自分の頭の中にだけある「もやもやしたもの」がカタチになっていく。このように、他人に話すことにより自分の思考がより精緻になる背景にはミラーニューロンの存在があるのかもしれない。

次に、このようにして少しずつ形になってきた暗黙知を形式知化する(Externalization)。考えを言語化するためには、弁証法的なプロセスが最適である。弁証法とは、対立する意見(正と反)をうまく統合(合)し続ける、正反合のスパイラルである。オープンな議論の場で少しずつ議論をしながら、考えが言語化されていく。時々、Twitterをしていると、意見の対立があり、それが少しずつ双方にとって納得のいく結論になっていく。これがExternalizationのプロセスだ。

形式知になった個別の知識群を関連付けて理論化するのが連結化(Combination)の過程だ。ここで、個別の概念は関連付けられ体系化され、理論やモデルとなる。

こうしてできた理論やモデルは、また個人に戻ってくる。個人の「もやもやした考え」から出発して理論になったモデルは、今度はその個人の価値観に影響を与えてくる。これぞ弁証法のプロセスで、疎外論はまさにこの話に近いと思う。だからかもしれないが、考えを普段から言語化する人ほど感情や思考は豊かになる。

SECIモデルの話を聞きながら、ヘーゲルが現代に生きていたらこういうことを説きそうだな、と感じていた。


暗黙知は、最初の段階では生まれたてのひよこみたいなもので、どんな可能性を持っているとしても、言論としては非常に弱いものにならざるを得ない。新しい研究開発のアイディアや、社会変革のための思想は、すでに確立されている理論や考え方と論争するとあっさりと負けてしまう場合が多い。まだ言論の場で勝つためには、明らかにしなければいけない事柄が多すぎるためだ。


この、「暗黙知の言論の場での弱さ」にイノベーションを起こし続ける企業づくりのヒントがあるかもしれない。

多くのイノベーションは、開発者の直感からはじまる。しかし、この直感に、完璧な説明を求めるのは無理な話だ。実際、多くのヒット商品は企画会議ではメッタ打ちにされる。

こういったダイヤの原石のようなアイディアに対して、「リスクは自分がとるから、とりあえずやってみろ」といえる文化があるかどうか。そこに組織の創造力は依存するのだと思う。思えば、日本の企業が元気だった頃には、新しいアイディアに対して「やってみなはれ」と後押ししてくれる経営者は多かった。ちなみに、僕個人のキャリアについても、当初は反対していた親が最後には「お前が正しいかはよく分からないが、とりあえずやってみろ」と言ってくれたことから始まっている。

この話をすると、「近年は市場の規律が厳しくなり、変な企画を通すと、株主への説明責任が果たせなくなる。これがイノベーションを阻害している。」という人がいる。しかし、これは本当なのだろうか。例えば、日本より遥かに株主からのの突き上げがきついアメリカにおいても、アップルでスティーブ・ジョブズは独断と偏見で開発をすすめるし、Googleも株主に対する説明責任を考えながら新企画を通しているとは考えられない。株主への説明責任とは、100%明らかなものを説明することだけではなくて、思考プロセスを可能なかぎり言語化することなのだと思う。

これは、決して全てのアイディアに対して「やってみなはれ」とすることを奨励しているわけではない。そこまでやると、会社が変になってしまうだろうから、ある程度のスクリーニングは必要だとは思う。ただ、マネジメントが全くリスクをとらないようになると、企業のイノベーションは阻害され、それは企業の長期的成長をストップさせる可能性が高い、というのが議論の主眼だ。



また、ここまで話してきた暗黙知と形式知の議論は、組織のみならず個人の生き方についても重要な示唆を与えてくれる。個人的に得た示唆は簡単だ。

信じたことをとにかくやってみる。
自分が本当に正しいのかなんて、誰も分からないし、行動しなかったらずっと分からないままだ。

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