Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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「拝啓 全国のタイガーマスク様」の追伸
前回のエントリーにはたくさんのコメントとTwitter上のご意見有難うございました。いくつか、特に指摘された点についてレスします。個別のコメントはもう少しお待ちください。週末にはお返します。

特に話したいことは下記二点です:
・「水を差さないでほしい」・「上から目線だ」という意見について
・自分の所属するNPOの名称と活動内容の説明を削除したことについて



「水を差さないでほしい」・「上から目線だ」という意見について


この二つは関係のあることなのでまとめて書きます。

僕は、「善意は善行を必ずしも保証しない」と思っています。善意が善行につながる可能性を高めるためには、多面的な情報と考え方が必要だと思っています。そのためにも、僕はこれまでも、これからも、自分が正しいと思ったことを自分の名前も明らかにして、ポジションをとって話します。自分が間違っている場合もあるだろうし、その時は謝って直せばよいと思っています。信じることを話すとき、「上から目線」と言われやすいです。僕の未熟さもあるのですが、それは直していけたらと思っています。


・善意は善行を必ずしも保証しない
ヨーロッパには、「地獄への道は善意で舗装されている」という内容のことわざがあるそうです。歴史を振り返ると、善意の名のもとに起こった悲劇はたしかにあるし、現代においても経済学的には明らかに変な規制が善意に訴えかけるかたちで通っている場合があると思います。

「今回のは単なるプレゼントなのだから地獄だなんておかしい」という人がいるかもしれません。ですが、「ああ、自分ってこう思われているんだな(ため息)」と感じるプレゼントを受け取ったことがある人は、プレゼントが常によいものとはいえないことを理解して頂けるのではないかと思います。話を国外に移すと、「開発途上国が成長するためには、援助も必要だけど、その仕方に気を付けないと経済成長に対して逆効果をもたらす」というのは貴重な教訓となっています。モノやカネをあげるにおいても、あげ方は重要なのだと思います。


・善意を善行につなげるために
とはいえ、善意が善行につながる可能性を高めることはできると思います。
しっかりとした対案が提示され、それが吟味された上で、アクションがとられることで、その可能性は高まると思います。この議論のプロセスを経ずに大きくなっていく行動は、いくら善意に基づいていても善行につながらない可能性が高まります。

健全な議論をたたかわせるためには、現状に違和感を覚えた人が、声を大にして話す必要があると僕は思っています。だから、僕は少なくとも高三の頃からは、その意見が通るにしても、通らないにしても、誰に対してでも、自分が信じることを話してきました。


・信じることを語るということ
自分が声を大にして話したことが常に正しかったかというと、答えはノーです。でも、結果として自分が間違っていたとしても、対案が提示されて議論されることの大切さを考えると、僕は自分の信じることを話し続けようと思っています。今回も、さらに意見を受け、自分が間違っていたと思ったらその点については謝って訂正します。

顔と名前を出した上でこうやって語るのは、意外としんどいです。皆が盛り上がっているときに、「でも、これって違うんじゃないかなあ」と水を差すのは、結構面倒なことだしちょっとした勇気も必要なことです。反対意見や煽りについてもちゃんと受け止めてからまた議論するというのは、時々疲れます。でも、僕は自分が信じないことを語ることで後悔したくはないし、これからも信じることは臆面なく話し続けると思います。

信条というのは個人的な確信に基づいています。そういうこともあり、僕が信じることを書くとき、その調子はいつもより断定的になります。断定的な口調で語ると、「上から目線」と言われる場合が経験則としては多い気がします。これは避けがたいところではありますが、一方で、僕の書き方にも気をつける必要があるのだと思います。人の気分を害さずに、しっかりと議論することって、なかなか難易度は高いのですが、これからも努力して続けていこうと思います。



自分の所属するNPOの名称と活動内容の説明を削除したことについて

前のブログでは、私のいるNPOの活動内容について書いていましたが、削除しました。「売名行為乙」とかいわれるまで、売名行為とは思わなかったのですが、多くの人にそういった印象を与えたというのは事実だし、一番伝えたいメッセージがボヤけるのなら不要と考え反省とともに消しました。


・自分たちの活動について書いた理由

自分たちの寄付プログラムについて書いた一番の目的は、ブログを読んだ人に「そんなに言うのなら、あなたがやればいいじゃないか」と感じる人がいると予想して、それに対する答えを用意するためでした。寄付プログラムのプロモーションについては、もちろん知ってもらえたら嬉しいですが、それは副次的な目的でした。


・印象を与えたことについて感じること
とはいえ、印象は論理的なものではなくて、「そう感じた」という人に、論理的にどうこう反論しようというのはあまり正しくないと思います。僕の書きかたも悪かったと思います。それに、売名行為といわれて本題にしたいこと(あるべき支援のしかた)が不明確になるのは本位ではないので、ブログの一部を削除しました。貴重な気付きを有難うございました。

とはいえ、自分たちの活動内容は練って考えたものなので、また別の場所で紹介していきます。もちろんこのブログにも書きますし、いま執筆中の本にも載ります。今すぐ詳細を知りたい方は、taejun.shin[at]gmail.comまでメールください。



以上、限られた時間で急いで書いたので、誤解を与える箇所があるかもしれませんが、その際にはまたコメント頂ければ返信します。

まだ未熟なこともありますが、これからもしっかりと頑張ります。

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拝啓 全国のタイガーマスク様
拝啓 新春の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

私は慎 泰俊と申します。海外でマイクロファイナンスを、国内で児童養護施設の資金調達支援とキャリア支援をしているNPOの代表です。このNPOはパートタイムで行っており、本業では投資ファンドで働いています。(全く関係ないのですが、私の子どもの頃のあだ名はタイガー・ジェット・シンで、勝手に親近感を覚えています。)

この度にあなたによる児童養護施設への一連のプレゼントについて、いくつか感じることがありご連絡を差し上げています。

第一に、あなたの行動をきっかけにして、児童養護施設への関心が高まったことを本当に有り難く思います。

今、全国570の施設には虐待を主な理由として親と離れて暮らす子どもが3万人います。子どもの心の傷は非常に深い場合が多く、それを癒すのは職員の地道なケアにかかっています。しかし、子どもの親代わりとなる職員は勤務時間に平均して10人の子どものケアをしており、家事をこなすだけで一日が過ぎ、ケアに時間を割くことが困難です。この状況を根本的に変えるためには、制度そのものが変わる必要があると私は考えています。子どもに選挙権がないという現実も踏まえると、状況改善のためには社会の人々の関心が高まることが何よりも重要です。


一方で、ランドセルその他プレゼントをあげたりするよりも、よりよい方法があると私は考えています。

子どもの生活に関する雑費用は全て措置費という公的資金で賄われています。児童養護施設の子どもたちは、その措置費を受け取った施設の職員とともに、お店で自分のランドセルを買うことができます。服もおもちゃも買ってもらえます。クリスマスプレゼントも。児童養護施設の子どもたちは、モノにはあまり困っていないのです。子どもたちは、僕が子どもだった頃よりはるかに多くのおもちゃを持っている場合が多いです。

このことについて、多くの人々が誤解をしているのではないかと恐れています。多くの施設において、子どもたちは、モノには囲まれています。しかし、子どもの成長にとって一番大切な、大人のぬくもりには囲まれていないのです。理由は簡単です。子どものおもちゃをたくさん買っても、100万円にもなりません。ですが、職員を一人雇うのにも500万円が必要です。

地味ですが、児童養護施設にいる子どもたちにとって一番必要なことは職員数を増やすことだというのが現場の声の大勢を占めています(私の主観ではなく、アンケートによるものです)。中長期的・全体的には制度変更が必要なのだと思います。


また、個人ができることとして、里親になることであったり、定期的に施設に通いお手伝いすることなどがあります。子どもの育ちにとって一番大切なのは家庭に近い環境で育つことなので、里親家庭が増えることは素晴らしいと思います。また、施設で勉強や稽古事のボランティアを毎週一度ずつでもして頂けると、子どもにとっては、身近な大人に触れる貴重な機会であり、また、施設職員はあなたが子どもの相手をされている間に、泣いている子どものケアや、事務作業などを行うことができます。お電話で施設にお問い合わせください。
(ただし、多くの施設は日々の業務に忙しくて対応がぶっきらぼうかもしれませんが、気を悪くされないでください)


短期的、局所的に必要なものは、個別施設への寄付です。多くの児童養護施設は個人の寄付を受け入れています。身近な施設にご連絡ください。もし寄付をする児童養護施設を探すのが難しいのであれば、ご協力するのでご連絡ください。

(追記2011.1.13.19:50:ここから途中削除しました。あとで理由とともにブログ更新します)
(追記2011.1.14.08:50:こちらのエントリーで上記の理由についても書きました。)

もしご一緒頂けるのであれば、この上ない幸いです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

                               敬具
2011年1月13日
                             慎 泰俊
全国のタイガーマスク様




「拝啓 全国のタイガーマスク様」の追伸

システムとしての組織と戦略
Forests.jpg最近お世話になっている経営者から話を伺っても、本を読んでもそうなのだが、世間で注目を集めているビジネスアイディアの多くは、組織の本質を、その構成要素の複雑な相互連関にもとめているものが多い気がする。

組織を構成するものの中心にはその存在理由がある。コンセプトといってもいい。なぜその組織は存在する必要があるのか、についての答えがその組織の内在原理となって作用する。それは細胞のコアのようなもので、それが失われると組織は死に至る。

コンセプトの周囲にあるのが構成要素だ。ヒト・モノ・カネが、思った以上に複雑にからまりあってシステムとしての組織を作っている。たとえば、構成要素の一つである事業部をキレイに切り分けて組織図を作ることは可能だが、それはいくつかの重要なポイントに目をつぶり、過度の単純化をした結果に他ならない場合がある。実際、ある事業部が組織全体において果たしている役割は、複合的なもので簡単に切り分けられない場合が多い。例えば、製造部門は、単に製造するだけでなく、会社の顔であったり、会社のムードメーカーであったりする場合がある。さらに、それら構成要素の役割は時間の経過と共に変化しうる。その変化も、単調なものである場合と、循環型の変化である場合、様々だ。

ここまでの話が分かりにくい場合には、人体のイメージをすると分かりやすいかもしれない。骨、筋肉、神経、脂肪が複雑にからまりあってシステムを構成している。どこか一箇所に変調をきたすと、他の箇所の具合も悪くなる。歯の機能は経年劣化していくが、皮膚の再構成機能は毎日午後10時から翌日午前2時の間に活発化する。

こういったシステム的な考え方に基づくと、人間と組織はフラクタルの関係にあるともいえる。人間は個体としても人体という複雑なシステムを構成している。その人間の集まりである組織もやはり、人体並に、もしくはそれ以上に複雑なシステムであるかもしれない。


組織をシステムとして考えることによって生じる重要な気付きは多いと思う。

第一の気付きは、システム全体と、その一つ一つの構成要素には根本的な違いがあるという点だ。

人間の骨は単なるカルシウムの塊でしかなくて、身体の中でどのような役割を占めるのかを考えないとその意味を理解しそこねる。会社組織においても同様で、ある企業の習慣や事業部について分析する際にも、それを単体としてみるのではなく、システム全体の内部連関の中でその意味をとらえることが重要となる。

いまの職場でご一緒させて頂いているプロ経営者は、「組織をシステムとしてとらえなさい」、と話している。企業を分析する際に用いる様々なフレームワークは、全体に対する理解があってこそはじめて意味をなす。一流のコンサルタントは、組織や競争環境の全体を知悉したうえで、はじめてフレームワークを選択する。フレームワークがそこにあるから使ってみるというのは、「なんとかに刃物」であって、未熟な証拠でもありうる。

組織の変更は非常に難易度の高い仕事だ。というのも、組織変更を成功させるためには、その組織システム内部で働いている相互関係を理解しておくことが重要だからだ。世の中には、「グダグダなのに、なぜかうまくいっている会社」がかなりある。こういった会社組織を変更するときには、相当の注意を要する。おそらく、どこかに、その組織をうまく機能させている因果律が存在していて、組織論を生噛りの人間が下手な改革に着手すると、その因果律が壊れる可能性があるからだ。一度それが壊れると、大抵の場合には取り返しが付かない。また内部の人間にとっても、その組織を機能させている要素を完全に理解するのは難しい。今、Living in Peaceでは組織変更をしているのだけれど、これだけはとても用心深く進めている。


第二の気付きは、戦略においてもシステムの視点を有することが重要だということだ。

楠木建教授は、よい戦略はよいストーリーであるという。物語に出てくる一つ一つの人物や物事・行動は、相互に不可分に関連している、ストーリー全体を理解することによって全てのものに無駄がないことが明らかになる。

システムを無視した個別アプローチの最も危険な点は、個別に見ると全く無駄なものを排除してしまう可能性にあると思う。サッカーを例にとろう。サッカーの目的は点をとることだ。ここで、あるプレーヤーがバックパスをしたとしよう。こうするとゴールからは一時的に後退するわけだが、それは更なるボール展開に必要なものだ。それを無視して、バックパス一つだけを取り上げて「これは無駄だからやめるべきだ」ということの愚は明らかだ。

改革において用いられるフレームワークにShrink to Growというものがある。これは、主に企業再生において、組織が成長を果たすためには、一度規模縮小を行い、組織機能を強化し戦略を明確化した後に(Shrink)、再度規模の拡大を行う(Grow)のが望ましいという考え方にたったフレームワークだ。成長戦略において一度規模縮小を行うということは逆説的だが、戦略を全体としてとらえることによって、その意義は理解される。

ベストプラクティスについて考える際にも、それが全体としてどのような意味を持っているのか、その本質はなんなのかをよくよく考える必要がある。それを考えずに、滅多矢鱈に他社のベストプラクティスを真似すると、かえって状況は悪くなる場合がある。換骨奪胎の精神が重要になる。


第三の気付きは、競争優位の源泉としてのシステムの可能性だ。

企業の利益の源泉は、第一には市場の競争環境だ。何らかの理由で競争が激しくない業界の利益率は高い水準で維持される。第二と第三の利益の源泉は、戦略的ポジショニングと、組織能力であるといわれる。厳しい業界であっても、絶妙なポジションに入り込んだり、何かを他者よりはるかに上手にできたりする能力が組織に備わっていたら利益を得ることができる。

しかし、競争がどんどん激しくなるにつれて、企業が利益を長期的に獲得するには第四の競争優位の源泉として総合力が必要であると提唱する人が増えている。成熟した産業においては、技術、生産能力、販売力など何か一つに秀でているだけでは利益獲得は難しく、全てが高い次元で統合され全体として調和していることが必要であるとされる。コトラー教授はこれを全社的マーケティングとよぶし、先述の楠木建教授はストーリーとしての競争戦略とよぶ。他にも様々な人が様々な呼び名をつけているが、個人的には本質は同じだと感じる。

全ての部門や戦略上のコンセプトがシステムとして統合されている企業を模倣することは困難だ。一部のパーツだけを真似しても、その企業を上回ったりすることはできない。かといって、全てを模倣することは、競争戦略としては下策でもある。

余談なのだが、友人の彼女に「彼のどこが好きなの?」と聞いたことがある。彼女の答えは「全部好きです」だった。最近、この話にはのろけ話以上の意味があると思うようになってきた。人を魅力的にする構成要素は一つ一つ存在するが、それが全体として調和しているかどうかが最も重要な点であって、だからこそ、「全てが好き」というのは、ここまでした話と全く整合的なわけだ。



システムとして組織や戦略を考えることは、僕自身の今後の能力向上方針について考えるうえでも重要なインプリケーションをもたらしてくれる。

それは、総合力を磨くことが重要だということだ。プロ経営者と話していると、その引き出しの多さ、多角的思考能力に舌を巻く。これは、組織が生き物であって、それをしっかりと運営していくためには、その組織の内外に作用する複雑な相互関係を理解する必要があるからだろう。

幅広い知識と経験、それらを統合しようとする努力が、総合力を磨くのだと思う。(全くの直感に基づいて)僕は今までも様々な分野で行動をして、一定の成果を収めるまで続けてきた。しかし、各分野から得られた知識や経験を統合する努力は怠っていた気がする。今後は、引き続き色々な分野に接しつつ、そこで得られた知見を統合する努力をしていきたい。



参考文献
・ナシーム・ニコラス・タレブ、ブラック・スワン
・野中郁次郎ほか、流れを経営する
・楠木建、ストーリーとしての競争戦略
・フィリップ・コトラーほか、マーケティングマネジメント
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