Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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投資銀行やPEへのキャリア
(投資銀行とPEでの仕事は確かにかぶる部分も多いが、ディールの成約が目的となる仕事と、良い投資をすることが目的となる仕事は本質的には異なっているので、投資銀行とPEを同列に並べることはそもそも微妙だったりする。)

外資系投資銀行(正確にはもう投資銀行は存在しないけれど、こう書く)やPEに入るにはどうすればよいか、という質問をブログ経由でけっこう頂く。そして、僕はこの質問に困ってしまう。

僕は大学卒業後2年間フリーターした後に社会人大学院に入り、その傍らで探していた日中のアルバイト先が外資系金融機関で、半年間はアルバイト×大学院を両立させて、その後に正社員になった。PEも紹介会社とかは使わずに友人経由でインタビューを受けて入った。

ということで、僕は外資系投資銀行やPEに入るのにどうすればいいのか、という問に対するスタンダードな回答を持ちあわせていない。学生が就活部をつくって就活のためだけに貴重な大学生活の多くを費やすのは明らかに時間の無駄遣いのようにみえるけれど、それも「シュウカツ」を経験したことがない僕だからいえることかもしれない。

とはいえ、入社したあとに続けていくためにはどうすればいいのかはある程度分かっている気がするので、感じるままに書いてみよう。予め断っておくと、これは僕がいた会社について書いているわけではなくて、友人や後輩の話に基づいて業界全般について書いている。また、最初にも書いたように二つの業界は結構違うものだ。


まず、投資銀行について。PEにつながる部署となると、多分投資銀行部なので、この部門を中心に書いてみる。

投資銀行部は一番時間的な制約が大きな部署だ。ここに入ると3年間は1週間平均労働時間100時間くらいの生活が待っている。月曜日から金曜日まで9時~27時で働いて、週末も10時間働くと100時間だ(季節によって変動がある)。効率的に仕事ができるスマートな人はそれでも人間らしい生活ができるけれど、一緒に働く人が効率的でないと、ものすごい長さの労働時間が必要となる。会社に寝袋を置いている人とかもいる。個人的には、寝る時間を削って仕事をするのは、「下手な考え休むに似たり」を地で行くことになるので、日常的にそうするのはどうかと思うけれど。

ちなみにこれがなぜ労働基準法に違反しないか、というと、高い給料を払われている「プロフェッショナル社員」は管理職とみなされ、労働基準法の適用範囲外になるから、とある人事の人に聞いたことがある。多分、コンサルティングファームも同じだろう。


途中で身体や心を病む人が結構多く、4年間の生存率は会社にもよるが10~20%くらい。できれば3年間頑張ってプロモーションしてから次に移った方がレジュメ(履歴書)が傷つかなくてよいのだけれど、景気が悪いとプロモーション数を減らすことで人員が間接的に調整されるため、自動的に退職ということにもなる。会社にもよるけれど、パフォーマンスが悪かったら新人でも容赦なく解雇の対象となる。

投資銀行部の中にあるPE部門も比較的忙しく、ここは週の労働時間が(時期にもよるけれど)80~90時間くらい。


そういう部門で続けていくためにはいくつかの事がポイントになるかもしれない。

一つ目は、強い心。とにかく労働時間も長くストレスもかかる仕事なので(普通に上司に罵倒されたりする)、そういったストレス耐性が強くないとなかなか継続は厳しい。自分がなぜこの仕事をしたいのかというのがある程度明確になっていないと、途中でくじけてしまうと思うので、モチベーションの源は明確にしておいたほうがいいと思う。

二つ目は、仕事の処理能力。とにかく次から次へと仕事が降ってくるので、すばやく効率的に仕事ができないと、処理不可能な量の仕事がたまってしまってゲームオーバーとなる(ちなみに、「使えるやつかどうか」の判定は入社して半年間くらいでついてしまって、ここで「使えない」という烙印を押されると、その後の挽回は相当に困難になる)。要領のよさと仕事スピードが鍵となる。仕事ができたときに、どうすれば効率的にできるか予めちゃんと考えておいて、最短の方法で仕事ができるようにする。エクセル、パワポ、ワードの順で使用頻度が高いが、ショートカットキーは全て覚えておく(エクセルは95%マウスを使わないで操作する)。

三つ目は、チーム精神。基本的にチームで仕事をするので、チームワークを乱すと結構大変なことになる。また、長い時間ずっと顔を付き合わせて仕事をするので、そのメンバーとの人間関係がうまくいかないと、結構つらいことになる。ここでのチーム精神というのは、プロスポーツチームのそれに似ていて、決して同好会的な和気あいあいとした感じにはならない。


長くなってしまったので、今回はここまで。続きはまたいつか(PEについてはまだまだ自分自身がヒヨッコなので、何が書けるのかすらよく分からないので、数年後になるかもしれない)。

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積み残しゼロ
すごく仕事ができる人たちと作業していると、いくつかの傾向があることがわかる。
・打ち合わせの場で極力全てのタスクを解決する
・積み残しのタスクもたいていは数時間以内に終わらせる
・即断即決
(あと、こういう人たちのうち、少なくない人々はプライベートではものすごくズボラだ)

いくつかのエピソードがあるのだけれど、あるイベントの打ち合わせをしていた時のことを例として書いてみると、こんな感じだ。

初回のミーティングはこんな感じ。カフェにあった紙ナプキンに、借りたボールペンでイメージを書きつけて、ディスカッションしながらコンセプトを固める。その場でタイトルと内容とスケジュールとスピーカーが決まり、スピーカーに電話をして了解をとりつける。書記係のメンバーが全員の会話を企画書にまとめあげ、その場でメール送信。一人は告知文とウェブ上の申込むフォームを作成し、Twitterやブログで展開。この時点でやるべきことは全て終了。所要時間は60分くらい。あとはダベって解散。

イベント当日までの時間は、Twitterで時々RTをしてイベントを告知するだけ。あとは前日にロジの確認だけして(学生にお手伝いしてもらう)、当日も無事に終わり、終了。アンケート等はすべてウェブベース。紙に書いてもらったものをいちいちタイプしたりしない。


なんでそうなるのか、理由はこういうところにあるのではないか。

できる人には仕事がたくさん集まる。そしてその人はさらに成長して、さらに多くの仕事をこなすようになる。こういう人には仕事は日常的に降ってくる。イメージは、最終ステージのテトリス(古っ)。だから、その場その場で基本的にすべての仕事をやっつける。積み残したり、後ろ倒しにしたりすると、もうそれは出来なくなるからだ。

また、仕事はすぐにやっつけた方が明らかに効率的だ。そのタスクについての情報が頭に残っている時点でやったほうが、後になって「えーっと、あれはどういうことだったっけ」と思い出しながらするよりよい場合が多い。(もちろん、たまには「寝かせて」おいたほうがよい仕事があると思う)

もしかしたら、ズボラな性分も幸いしているのかもしれない。めんどくさがりなので、とにかく効率的にものごとをやっつけたいという気持ちがあるからこそ、こういう仕事スタイルにつながっている可能性がある。


「だからどうした」、と言われたら返答に窮するのだけれど、こういう仕事スタイルを続けていくと、もっとキャパがあがって、もっと人生が楽しくなるのかもしれない。


裸になれること
西水美恵子さんが、ちょっと前に「リーダーは裸になれないといけない」と話していた。最近になって、この意味がもう少し深く汲み取れるようになった気がする。

ここでいう「裸になる」というのは相手が自分のことをどう見ているのか気にせず、自分がコンプレックスを感じていることも含めて、ありのままをさらけだすことなのだろう。人間は生まれた時点では裸で、服を着るのは相手の目を意識してのことだろうから。


でも、この境地に至るのはなかなか難しい。

自分の例をあげよう。僕は今のオフィスが皇居に近いこともあって、よく夜に職場から皇居に走りにいくのだけれど、そこでついつい周りの人と張りあって飛ばしてしまう。ここでよく考えるべきだ。僕はなぜ誰かが隣に走っていたら、いつも以上のパフォーマンスを出せて、誰も周りにいなかったら、もっとゆっくり走ってしまうのだろう。横に誰かが走っているからスピードを出せるのは、誰かが先を走っているから、もしくは誰かが見ているからではないだろうか。そういうことで考えると、マラソンで誰かの声援があるエリアでは早く走れるのにも何か共通の根があるような気がする。

少なくない人は、「自分が誰であるか」以上に、「自分が他人からどのように見られているか」を気にしてしまう。このことにはいくつかの弊害があるように思える。

まず、そういう人の成長には限界がある。周りに誰かがいたら頑張れるけれど、一人になったらそうなれないのかもしれない。先を走る人がいたらそれに追いつくために頑張れるけれど、全員を追い越したらそこで成長がストップしてしまうかもしれない。

そして、もっと重たい弊害は、人の心を動かしにくくなることにあるのではないか。他人の目を気にするナルシズムやコンプレックスは、多くの人、特に部下や同僚には多分簡単に見破られてしまう。自己陶酔や見え透いたコンプレックス隠しは見ていてもあまり気持ちのよいものではないし、そういう性質がある人は、他人の心を根底から動かすことは難しいかもしれない。冒頭の話に戻ると、だから西水さんは「リーダーは裸になれないといけない」と言ったのではないだろうか。


人間は、自分が他人からどのように見られているのかを気にしなくなってはじめて、「自分との闘い」を本格的に始められるのかもしれない。自分との闘いは、自分の価値観や目標にしたがって自分自身を律することができるかどうかの闘いだと思う。そして、この闘いでは、他人からの評価を気にする人が自分を駆り立てるエネルギー源として用いる「他人からのプレッシャー」を放棄しないといけない。自分との闘いにおいてエネルギー源となるのは志や想いだろう。

普段から、人前で宣言することによって僕は自分自身を追い込んで努力をしてきた。こういった「ピア・プレッシャー」を利用した努力があったお蔭で今の僕がいるのは事実だけれど、いつかこれも乗り越えなければいけないのだと思う。


自分かわいさを乗り越えて
自分の頭でとことん考えること、それでいて、自説に固執せず相手の言うことが正しいと思ったらそれを謙虚に受け入れることは、意外と難しい。

まず、自分の頭でとことん考えること、というのが出来そうでいて、簡単ではない。メディアや、権威を持った誰かの言うことを鵜呑みにせずに、ちゃんと自分の頭で考え続けられているのか、というと、時々は自分のいうことが誰かの受け売りであったりすることがある。普段から気をつけようとしていても、時間の無さなどを理由にして、どんどん他人の頭でものを考えるようになってしまうことがある。そこに思い込みが入り込むスキがある。

「信じるなよ、男でも、女でも、思想でも。本当によくわかるまで。わかりが遅いってことは恥じゃない、後悔しないためのたった一つの方法だ」と五味川純平は「戦争と人間」で説いた。本当にその通りだと思う。


そして、そうやって自分の頭で可能なかぎり論理的に考えたとしても、人間は無謬ではないので間違える場合がある。人間の身体は細胞レベルでは自己否定を繰り返しながら強くなるが、もしかしたらそれは精神や知能のレベルでも同じかもしれない。人が成長し続けるためには、時々は自己を否定する必要がある。やることは簡単で、自分の誤りを素直に認めて正す。

自分の頭でとことん考えるほど、こういった自己否定は難しくなるかもしれない。というのも、人間はだれしもが「自分かわいさ」をもっているので、自分が一生懸命に考えて至った言説を覆したくはないからだ。また、ある程度自分の考えに自信を持てば持つほど、間違いに気づくまでに多くの言葉を発してしまって、前言を引っ込めるのがどんどん億劫になっていくこともあるかもしれない。場合によってはさらにひどくて、対立意見を持っている人を不当に貶めることで、自分の小さな満足を得ようとしてしまうこともある。でも、成長するためには、自分かわいさを捨てて、自分を否定する必要がある。


自分の頭でとことん考えながら、それでいて、自分かわいさを捨てて、自分を客観視するというのは、自分の頭のコックピットに乗りながら、同時に幽体離脱して自分自身を見つめる感覚に近いように思える。

こういうことを書いているといつも読み返したくなるのが吉川英治の「宮本武蔵」だ。悶々と思い悩みながら悟りに境地に近づいていく武蔵の精神(を描ききった吉川英治の精神)からは、学ぶことが本当に多い。

また、こういうときにいつも思い起こすのは、大学時代の指導教授だった星野先生だ。先生は自分の頭でとことん考えていたので、議論には異常に強くて、僕はいつも負けっぱなしだった。それでいて、自分の間違いに気づいたら、まるで悪いことがばれた子どもみたいに、素直に自分の非を認めて改めていた。このしなやかさが、先生の強さだったのだと思う。


僕は愚かなので29歳にもなってよく失敗する。さすがにもう30歳が見えているこの年で恥ずかしくはあるのだけれど、愚か者なりに前に進むしかないのだと思う。
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