Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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IT進歩の次の10年
IT関連の最前線で事業をしている方の連続講演に参加してきた。その内容が非常に興味深かったので、ここでまとめてみる。

インターネットの進歩を支えてきたものは、ムーアの法則だった。これは、「集積回路上のトランジスタ数は18ヶ月ごとに倍になる」という経験則である。1997年から2010年までの間に同じ価格のPCの計算能力は175倍になった。このスピードは一定程度までは維持されると考えられており、次の10年の間に更なるマシンパワーの増大が見込まれている。

人間の様々なアイディアとマシンパワーのギャップが、ここまでのIT業界のトレンドを作ってきた。ITバブルは、人間がITを用いて行おうとしていたことにマシンパワーがついてこられなかったので崩壊した。次のWeb2.0においては、Googleに代表される企業が進化したコンピューターの計算能力を背景に世界中の情報を整理するというアイディアを実現した。近年で一番耳目を集めているトピックはソーシャルネットワークであるが、社会関係のようにデジタル化されていない情報の全てをデータ化するには、マシンパワーが不足するという事態が生じつつあるという。


そのような過程を経て、次の10年に何が訪れるか。一番アツい分野と目されているのが、コンピューターのセマンティック化である。

セマンティック化、とはコンピューターが情報の意味を理解できるようになることだ(Semanticとは「意味論の」という意味の英語)。例えば、室内の温度が急激に上がっている、二酸化炭素濃度が上がっているという情報から、「火事が起こっている」という意味をコンピューターが汲み取れるようになることを、セマンティック化という。

コンピューターが受信するデジタル情報を総合的に勘案して、その意味を理解できるようになるためには、僕たちが想像するよりもはるかに多くの情報が必要となる。たとえば、今テーブルの上にアイスコーヒーがあということを理解するためにも、コンピューターは、位置の情報、色の情報、においの情報、温度の情報、などなど様々な情報を必要とする。

こういった様々な物理量、化学量を測定するシステムのことをセンサーシステムというが、これは今から10年の間に飛躍的な発展を実現すると考えられている。ムーアの法則を背景に、情報処理・流通にかかるコストがどんどん廉価になるにつれ、様々なものに情報端子がつけられ、それら端子が物理量・化学量を測定してデジタル信号をインターネット経由でコンピューターに入力できるようになるからだ。端子が高価で、大量データ送信を支えるインフラが十分で時代にはできなかったことが可能となる。
 
センサーシステムの発達に支えられるコンピューターのセマンティック化は、様々なイノベーションをもたらす。すでに将来が見えているものでいえば、Googleが開発をしている自動車自動運転システムや、震災後の日本で話題になっているスマートシティなどがある。また、センサーシステムがより高度化していけば、それは予防分野にも役立っていくだろう。人間が分泌する化学物質や熱などの情報からその人が現状維持をすると罹りやすい疾患を言い当てるシステムや、テロを未然に防ぐことができるシステムなどが作られていく可能性がある。

すでに生活で役立っている家電の代表格はルンバだろう。MITの人工知能研究者らが創立したアイロボット社は、ルンバ以外にも地雷探査ロボットや爆弾処理ロボットなどを開発している。ルンバにも様々なセンサーがついており、それに基づき、部屋の形を認知して、掃除をかければかけるほどより効率的に掃除を遂行するように学習をしていく。ルンバはどちらかというとセンサーの多くをその機械内に備えているが、今後開発されるロボットにおいては、通信センサーが増えていくだろう。

ここから10年先には、今は人間が行っている仕事の多くをコンピューターが代替する時代がやってくる。それは人間により多くの余暇をもたらすことになる。増大した余暇で人は何をするべきか、人間が今後伸ばしていくべき能力は何か、改めて考え直すことになる時代に僕たちは生きているのだと思う。

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震災復興イベント
ちょっと宣伝させてください。7月23日の午後8時から丸の内でイベントをします。そして、今回はすごく素敵なプレゼンターが二人いらっしゃいます。ぜひいらして下さい!
申し込みはこちらから。 https://ss1.coressl.jp/kokucheese.com/event/entry/13738/

被災地に行って多くを感じた人がいると思います。私も同様で、本業その他を通じて何が出来るのか教育PJの倉中さんやEco会で知り合ったメンバーらと一緒にぼんやりと考えていたのですが、まず出来る第一歩として、(1)すでにアクションを起こしている人から話を聞く、(2)同じような興味・関心を持っている人が集まる場があればいいと思い、イベントを開催することにしました。今回のイベントは第二回です。

プレゼンターの一人は、このブログでよく紹介しているEconomist会の参加者でもある首藤繭子さん。
とても素敵な方です。経歴は華々しいですが、とても物腰が柔らかくスマートな方です。

プレゼンターのもう一人は、萩原ヨシトキさんです。この第二四半期に出会った人の中で、一番強烈だった人です。激務の戦略コンサルをしながらUCバークレーでPhDを取得し、その後日本に戻って数々の農村復興を成功させてきた人です。農業、漁業その他、異常に詳しいです。

全体のコーディネートは僕も含め、合計9人のチームで行っています。
当日は、プレゼンターの話を聞くだけでなく、参加者のみなさんが人とのつながりを広げられるような仕組みもたくさん盛りこんでいます。


【プレゼンター】
(1)企業としてできること、個人としてできること
首藤 繭子(しゅとう・まゆこ)氏
日産自動車株式会社 組織開発部

経歴
大学卒業後、外資系投資銀行に入社し、証券アナリストとして活躍。
その後、スタンフォード大学MBAを卒業し、米系コンサルティング会社に転職。
2010年、日系自動車メーカーに移り現在は社内コンサルティングを行う。

当日は震災後に行った企業間の取り組みについてお話いただきます。
大企業ならではの取り組み、それをきっかけとした個人の取り組みについて、
ご一緒に活動をされた方とこれまでの取り組みと今後の活動等についてお話をいただきます。

(2)日本の課題を解決する
萩原 ヨシトキ(はぎわら・よしとき)氏
財団法人未来工学研究所経営戦略室長
カリフォルニア大学バークレー校卒業、2004年同校にて経営学博士号取得。
専門分野は、ベンチャー・中小企業におけるブランド戦略論。
2001年から戦略コンサルティングファームにて、複数の企業再生、
新規事業開発プロジェクトに関わる。2005年、地方の中小・
ベンチャー企業専門コンサルティングファームを設立。2010年11月より現職。


【概要】
 第ニ回 被災地の今を知る夜
 7/23(土) 20:00開場 20:30開始 22:30 終了
 会場 ガープカフェ@丸の内
 費用 5,000円(一般)、3,000円(学生) (当日会場にて)

申し込みはこちらから。
https://ss1.coressl.jp/kokucheese.com/event/entry/13738/

みちのくの私立学校にて
友人Jを訪ねて、彼の職場である岩手の私立学校にいってきた。被災地の学校の多くで同様のことが起こっているかもしれないと思い、あったこと、感じたことを書いておく。予め断っておくけれど、決してこのエントリーは誰かを断罪しようとするような内容のものではない。(また、特定されにくいように、固有名詞等は少し変えてある)

Jが教師として働いている学校は山奥にある。元々は最寄りの駅から車で15分くらい山道を走ると着くのだが、震災で道が寸断されてしまい遠回りをすることになったため、所要時間は30分になった。鹿や猪は当然のこと、時には熊まで出没する山深い場所。学生数は非常に少なく30人程度。

建物の被害は甚大で、校舎は使えなくなった。他に方法はないので、遠方に家がある学生用に使っていた寮(今は学生数減少により空室が増えた)を教室がわりにして授業を行なっている。クーラーもなく狭い部屋なのでとても暑いが、最近は近くにスズメバチがたくさん出るため、窓は開けられない。こういった状態だから、教師も学生もTシャツにハーフパンツという服装で授業をしている。


そんな様子を語ってくれた後、Jは「ちょっと話したいことがある」という。彼が寝泊りしている寮の一室で話し合う。

Jが思い悩んでいるのは、学校への寄付に関することだった。この学校は、復旧のためにお金が必要な状況にある。

震災後、真っ先にやってきたのは、この学校を陰で支えてきた無名の人々だった。
「震災があった直後にやってきて、10万、20万という家にあったお金をそっと置いていってくれた人たちがいた。街中大混乱で、銀行は当然動いていない、ガソリンもものすごく貴重だったあのときに、わざわざこんな山奥まで。自分がいたら迷惑だし、その分食べ物の気を遣ったらいけないと、その人達はお金だけを渡したらすぐに帰っていった。そのお金のお蔭で、俺達は街に買出しにいって、長い列に並びながら食べ物を買ってくることができた。」

その次から、状況が少しずついびつになっていく。
「もう少ししたら、色々な組織や団体の人々がやってきた。物をもってきてそれを撮影して、自分たちの広報誌に載せていった。」

僕はその「贈り物」の山をみた。いったい、一年で何食カップラーメンを食べろというのだろうか、というほどに同じようなレトルト食品ばかり。この時期になっても同じようにカップラーメンが届くという。

「カップ麺だけには全く困らないよ」と冗談をいいながら、Jは話を続ける。

J「その次には大金を持ってきた宗教団体が、我が物顔で授業参観を要求してきた。テジュン、さっき見たろ。いま、子どもたちがどんな環境で勉強しているかを。あんな暑い部屋で、多感な時期をいつもと全く違う環境で勉強している子どもたちは、いきなりやってくる授業参観をどう思うんだろう。」

僕「でも、授業参観は年に数回はあるものだし、少しくらいならうまく説明をすればよいのじゃないかな。」

J「でもな、その「授業参観」は、もう4月に入ってから今まで10回以上やってるんだ。同じような事情で。」

僕「子どもの心のことを考えると、それは本当に避けたほうがいいと思う。『自分はかわいそうな子どもなんだ』と思うことほど、子どもの心の成長に悪影響を及ぼすことはないから。」

J「テジュン、俺は教育者だ。それくらいはわかってるよ。」

なけなしの10万円、20万円を出してくれた人々は、自分たちが前面に出ようなどとは全く思わず、さっとお金だけ渡して去っていった。でも、その次にやってきた人々は、現地の事情を全く理解しないままの贈り物を届け、それを自分たちの団体・組織の「成果」としてPRに使っていった。そして、多額の寄付を出した宗教団体の「授業参観」の日のために、学生は制服、教員はクールビズを着用する決まりになったという。あんなに暑い部屋の中で。

J「俺がお前にどう思うか聞きたいのは、30万円しか持っていない中で10万円を出してくれた人に対してはさっと挨拶をする程度なのに、何十億円も持っている中で1000万円を寄付してくれた人には丁重に対応するのはおかしくないかというところだ。俺は分からなくなってきた。」

僕「俺は変だと思うよ。バランスは難しいところだけれど。寄付を受ける側としては、お金の大きさももちろん重要だけど、その人の気持ちのほうも同じくらい大切に考える必要があるんじゃないかな。これって、一回きりの問題じゃなくて、継続的なことだから。
それに、寄付をする側についていうと、相手のことを慮るのは本当に重要なことだと思う。あと、寄付者たちは、できれば継続的にくるべきだと思うよ。」

J「問題は、これはもう学校として決まってしまっているということだ。その宗教団体はやってきて、授業参観と学校視察をする。これはもう決定事項だ。で、彼らは多分もう来ない。『ああ、良いことをした』で終わりだ。さて、俺はどうすればいいと思う?」

僕「そういう『大人の事情』にはうんざりするし、子どもに長く隠し通すのは無理だと思う。中高生はすぐに気づくと思うし、小学生だって年をとったらあのときの事を思い出して、状況を理解すると思うよ。
そんな状況で、今お前がするべきことは、自分の信じることを子どもに話すことなんじゃないかな。『最後の授業』ってドーデの書いた作品があったろ?『あのときは他に方法を見出すのが難しかったのかもな』ということを、子どもも大人になったら理解してくれると思うよ。でも、そういう事情のもとで、教師がどういう態度でいたのかは、印象にのこるんじゃないかな。ほら、俺らが覚えている先生、影響を受けた先生って、だいたいこういう状況で組織の都合とは離れたところで、自分の信じることを語ってくれただろ?」


こういった話は、寄付を受けている多くの学校や、児童養護施設の内部で話されていることなのだと思う。

お金は本当に必要とされている。でも、僕の友人のように「俺らは物乞いじゃない」と思っている人がほとんどだし、過度の学校・施設見学は、子どもの心を傷つける可能性があることを、教師や職員はとても気にかけている。

では、お金だけを出したら終わりでいいかというと、それはそれで問題がある。深刻な問題であればあるほど、その問題はひろく人々に知られる必要がある。人々は知らないことには動きようがないからだ。


子どもの心と、問題解決のための情報公開のバランスは非常に難しいところだ。正しい答えはないのだろうけれど、二つだけ思うところがある。

ひとつ、寄付をする側は、相手の事情に対して配慮する必要があるということだ。いくらなんでも、一学期に10回の「授業参観」は異常だといわざるをえない。もうひとつ、相手の顔が見えるような関係を始めるのであれば、それは決して一回で終わらせず、継続したほうがよいということだ。無理をする必要はないので、半年に一回程度来るだけでもいい。こういったバランスが大切なのだと思う。




審判
旅先で文庫本を買って、カフカの審判を読んだ。

主人公であるKは、罪状も知らぬまま被告とされ、裁判所にも行かぬまま1年間の審判のプロセスに巻き込まれ、最後には非常に唐突な審判を下される。物語の始まりから終わりまでが不条理に満ちている世界。この不条理について批判をし、反対を続けていた主人公も、最後の審判が下るときには、この不条理の世界に己の身を委ねてしまう。罪状も、裁判所による判決も知らないまま死を迎えることになるK。


カフカの作品の多くは、世の中にある不条理を非常に鮮明なかたちで浮き彫りにする。多くの人々が、全くの不条理を現実のものとして受け入れざるを得ないことがある。不条理には定義として条理がないし、その被害者にとっては全くもって災難にしかすぎないけれど、それに従わざるを得ないものは世の中にたくさんある。その一つは自然災害なのかもしれない。程度の差はあれど、仕事においても不条理の一つや二つはあると思う。

それにしてもカフカの描き出す不条理はレベルが違う。それは壮大な建築物のように、主人公に対しては全くの不条理であるにもかかわらず、内的には完全な論理が貫徹している。

 
また、カフカは、この不条理に対しての態度は、結局のところ個人の自由意志にかかっているという立場をとっているように見える。岩波文庫版の第九章では、主人公と僧の間のやりとりを通じて、カフカの描く裁判のシステムの比喩として、「掟の門」に入ろうとするものの門番に最後まで入門を許されずに死んでいく男の物語が示され(この門は、この男のためだけに存在する門である)、その物語に対する僧(=著者)の解釈が示される。

掟の門に入ろうとする男と、その男を入れない門番。一見すると、主従関係は門番にあるようにみえる。しかし、僧は、門番はただ己の義務に対して忠実であるに過ぎず、決してその権力に頼って男を従わせようとはしていないという意見を説く。逆に主の立場にあるのは男のほうで、男は立ち去ろうとすれば立ち去ることもできるし、それにより、門番をその義務から解放することができる(なぜなら、この掟の門は、この男のためだけに存在する門だから)。もちろん、この男は単にその場から立ち去ればよいのかもしれないけれど、物語の主人公であるKがその自由を発揮したところで、結局は裁判という権力機構に絡め取られてしまうので、状況は多少異なっている。それでも、最後に残された自由をどうするかはKの判断に委ねられていた。


もう少し実際的な問題に置き換えると、上の物語は次のようにいえるかもしれない。

ある男が何かの事件で、官僚機構や大企業を相手にしているとする。一見彼に反対しているように見える官僚や会社員は、決して彼が憎いわけでも、彼を従えたいわけでもなく、単にその内在の論理に対して忠実であるだけなのだ。だからこそ、彼にとっては、目の前にいる官僚や会社員は不気味で不条理なものに見える。そして、彼がどういう態度をとっても、相手となる官僚機構や大企業は冷徹にその論理を貫徹させ、時には彼に危害を加える場合もある。しかし、そのような場合にあっても、最後の自由は彼自身に残されており、それを発揮する限り、物語の主人公のKのように「犬のようだ!」と嘆きながら死にゆくことはないのだろう。

半期報告
今年もあっという間に半年が経過。本当に言葉にできないほどに色々なことがあったのですが、日頃お会いできない方との業務連絡(生存報告)も兼ねて、去年の暮れに約束していたことの半期報告をします。


■本業について
ちょうど今日で2年目に突入なのですが、この1年間に大分知識と経験が増えた気がします。今の会社では、権限を頂いて仕事できることが前の会社以上に多く、権限委譲による成長ということがよく理解できる1年でした。仕事での手応えもちゃんと感じられていて、いい感じです。(当然ながら本業に割いている時間が最も多いのですが、こっちは書ける内容が限られていて何とも味気ないのですがご容赦ください)


■Living in Peaceの活動について
ベトナムでのマイクロファイナンスファンドの募集がもう少しで始まりそうです。僕たちの担当する企画の仕事は大分落ち着きました。

今年の秋に向けて、マイクロファイナンス投資のトレーニングプログラムを作成中です。日本で、マイクロファイナンス投資に関連したMFIの調査、交渉、契約締結、モニタリングを行っているのは、Living in Peaceのみです。これまでの私たちの知見をフルに活かした、マイクロファイナンス投資のプロフェッショナル向けのプログラムを準備しています。

児童養護施設での活動は、地道なキャリアセッションと資金調達支援活動を行っています。キャリアセッションでは進路のこともお話するのですが、現在の主な目的は子どもたちと仲良くなることで、子どもたちが将来ちょっとしたときに相談ができる身近な存在になれたらと思っています。資金調達支援については、本格的にプロモーション活動を考え始めてからもう4ヶ月くらいになりますが、やっと毎月の寄付額が10万円を超えました。毎月の寄付額が50万円を超えてくると、一つの施設の現場を劇的に変えられます。今年の末までの目標は月間100万円なので、ちょっと戦略を他にも考えていこうと思っています。

児童養護施設の本は第二稿が昨日書き上がりました。この本を施設の子どもたちが将来読むかも知れないと思えば思うほど筆が進まない日々でした。ニッケル・アンド・ダイムドの著者はどんなことを感じていたのかなあ、と考えることしきりです。秋には本がでます。

ソーシャルファイナンスの本は第一稿が書きあがりました。世の中で「ソーシャルファイナンス」と呼ばれているもの(いわゆる社会貢献投資は除く)を機能させている原理原則は何で、今後この業界はどうなっていくのかということを書こうとしている本です。もうちょっと揉む必要がありそうなのですが、こちらも年内刊行を目指します。ちなみに、この本は下記の「生きる技術 叢書(下記リンク)」の中の一冊になる予定です。
http://artofliving34.blogspot.com/2011/06/blog-post_24.html



■勉強や運動
英語の本は毎週1冊以上読んでいます。(毎週二冊読むと宣言したものの、Economistを読むことに加え、仕事やら執筆やらその他もろもろかぶっていて、さすがに二冊読むとインプットとアウトプットのバランスがよくないと思い、今は平均して1.5冊くらい読んでいます。) 

9月17日から佐渡ヶ島で206kmマラソンに挑戦してきます。
これを完走するためには、毎週一回は40~50kmくらい走らないといけないらしく、時間調整に苦労しながらやっています。7月と8月が最終調整期間なので、毎週一度は皇居を10週くらいしています。一昨日も42km走りました。

ドラムレッスンは続けています。ライブは、多分できそう。


何か書き忘れている気もするけれど、とりあえず以上。

今日は、三つ同時進行で進んでいる案件が偶然に一段落ついたので、有給で仙台まで来ています。今日が誕生日の小学校からの幼なじみのお祝いをする他、いろいろなところを見るつもり。


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