Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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創造性の技法の考察#1
30歳の学びのテーマはイノベーションとアート。それをテーマに、関連書籍を読みあさっている今日この頃。

人間ができることをコンピューターやロボットが大部分代替できるようになる社会はすでに始まっていて、価値のある仕事というのは人間にしかできない仕事になる。では、より具体的にどのようなものが人間にしかできないことなのだろう。

一つは、思想、信条、信念や礼節といった、人間が人間である以上陳腐化することがない要素だろう。感情を有した人の心を動かしてこそできる事業は多く、その人の心を動かす要素はなんとなくコンピューターには複製できない気がする。今はこういったものすらも過小評価されている気もしないではないが、いつか必ずゆり戻しがやってくるだろう。

もう一つは、今日のテーマである創造性だ。Steve Jobsに代表されるように、個人の創造性のつくりだす価値が、大勢の人々の努力が生み出す価値よりも上回ることが近年において増えているし、技術進歩にともないこの傾向はさらに続くだろう。


そんな中でデザインのコンサルティング会社(という表現すら陳腐なのだが)であるIDEOはトップランナーの地位にある。デザイナーの目線を有したIDEOのコンサルタントたちは、新規商品の開発から開発途上国でのプロジェクトのデザインまで幅広い分野で活躍している。おそらく、イノベーションの技法を形式知化しているレベルにおいてIDEOを上回る会社はさほど無いだろう。

IDEOのイノベーションの技法は、それ自体はそんなにウルトラCのようなものではない。彼らは次の5つのことを徹底しているが、それが創造性の源泉になっているという。備忘録としてまとめておく。


第一に、観察して洞察を得ることだ。
顧客が既存の製品を使っている様子をとことん観察する。時には、彼らは一週間以上をかけて、顧客がどのように製品を用いているのかを観察し、そこから意味のある洞察を得ようとする。観察を観察で終わらせてはいけない。観察の結果得られるインプリケーションが重要だ。ヘンリー・フォードやスティーブ・ジョブズの例をまたず、単に顧客が明示的に求めているものをもたらすだけではイノベーションとはならない。顧客が本当に求めているものは何か、というのをとことん観察することによって洞察することだ。


第二に、多くのアイディアを生み出し、それを収斂させることだ。
アイディアを生み出すための手法はブレインストーミングだ。ブレインストーミングという言葉は大分ビジネスの世界でも浸透しているが、IDEOは、多く人々は単にブレインストーミングをしていると「思い込んでいる」と指摘する。

良いブレインストーミングをするには、いくつかの決まりがある。それは、こういったことだ。
(0)時間は60分以内
(1)開始前にアイスブレーキングをわすれずに
(2)ホワイトボードなどで壁を囲み、アイディアの出やすい場所をつくる
(3)論点設定をしっかり行う(論点がずれると生み出されるアイディアもずれる)
(4)遊び心を忘れない
(5)とにかく多くのアイディアを出す(良いブレストでは100以上のアイディアがでる)
(6)アイディアが蓄積されたら議論の段階を引き上げる(例えば、論点をより具体化する、発展させるなど)
(7)手だけでなく身体を使う(例えば、製品のカタチを身体で表現してみる)


第三に、なるべく早くプロトタイプを作り出すことだ。
アイディアをものにしてみることによって分かることは多い。カタチにすることによって、頭の中で思い描いていただけでは分からない気付きがたくさんある。平たく言うと、「とにかくやってみる」「走りながら考える」ということだ。

気付きには大きく2つがある。一つ目は、その製品の課題点・改善余地を知ることができるようになることだ。これはモノづくりにおいては基本であって、コンピューターのシミュレーション能力がどんなに高まっても変わらない。二つ目は、その製品の更なる可能性についての知見だ。プロトタイプとなった製品を実際に使い回してみると、その製品の更なる可能性に気付くことがある。


第四に、いいチームを作ることだ。
イノベーションはチームの産物だ。三人寄れば文殊の知恵、Steve Jobsもエジソンも一人で多くのプロダクトを作ったわけではない。一人の発明家の裏にはチームがあった。

チームのパフォーマンスを高める上で必要なのは、多様性とチームワークだ。

一つの分野の専門家だけでチームを組んでもイノベーションはおこらない。現代の多くのイノベーションは組み合わせによって生じることからも、チームは様々なバックグラウンドを有した人々で構成されることが望ましい。

そして、そのチームの間には敬意とフランクさがいい具合に同居する必要がある。チームメイトから敬意をもって遇されないメンバーがいいパフォーマンスを出せないことは疑いの余地がない。また、敬意が邪魔になってフランクな意見交換を阻害してもいけない。タブーのない議論の積み重ねがよいアイディアを創りだす。重要なことは、敬意と率直にものを言う文化は両立しうるし、どちらかが欠けてもいいチームは作れないということだ。


最後は、いい場所をつくることだ。
20090402-2.jpg人は、本人が思っている以上に環境の影響を受ける。統制された秩序が必要であればきれいに整列された机と椅子が無駄なく配列されているようなオフィススペースのスタイルもありかもしれないが、イノベーションが必要であればそれ相応の場所づくりが肝要となる。IDEOのオフィスほどではないにせよ、自分たちが発想をしやすいような作りにすることは、お金がなくてもちょっとした工夫で作ることができる。そして、その場所にいたら「発想することができる」というマインドセットが刷り込まれるようになったら完璧だ。(別にこれは発想に関することだけじゃなく、「ここにいるときは勉強する」「ここにいると、考え事ができる」という場所を持つことはとても大切だと個人的には思う)



写真は下記ウェブサイトより。
http://do-gugan.com/~okuizumi/blog/2009/04/ideo.html

参考文献:「発想する会社」
http://ow.ly/7BHvQ
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ミッション・インポッシブル
少なくない日本製造業の経営者たちは、ミッション・インポッシブルともいえる課題を前にして日夜必死に考えて、事業の運営をしている。そこに尊敬の念と希望を抱き、鼓舞される。


日本の製造業、特に新興国でも製造可能なモノを国内で作っている企業は本当に苦しい状況にある。普通に計算すると、コスト競争力が圧倒的に異なってくるからだ。原材料や工場設備はどこの国でもほとんど同じ価格だが、土地代や人件費などが大きく異なる。例えば、人件費が全体のコストの3割を占めるのであれば、日本と新興国で同じモノを作った場合に必要なコストが2割は変わってくる。同じものが100円と80円で売られていたら、どちらが購入されるのかは明らかだ。最近はさらに為替の影響まである。

こういったことを理由に、学者や金融関係者その他「プロフェッショナル」とよばれる人からは、製造業はこの国を出ていくべきであるという意見がかまびすしい。企業が株主のために利益を上げ続けるべきである、という点から考えると、それは全く正しいように見える。

しかし、僕たちは正論や一般論の世界で生きているわけではなくて、色々な摩擦のある世界で生きている。リアルの世界では、正論や一般論は薄っぺらに思えることがある。

現状で日本の製造業が大挙してこの国を出ていったら、残された人々はどうなるのか。新しい雇用を創出するビジネスはまだこの国では十分な規模になっていない。しかも、若い人が新しい業態の企業に転職することは可能かもしれないが、工場で20年間一つごとだけを続けてきた人々はどうするのか。一緒に全員を海外に連れていく、というのも非合理的な話だろう。産業転換に関する全般的な方向性は正しいといっても、世の中の急激な変化には、多くの場合に悲劇が生じる。

雇用に人の人生がかかっているということ、製造拠点の海外移転が従業員とその家族の生活に大きな影響を及ぼすことを、まともな経営者であれば分かっている。時には泣く泣く従業員をレイオフし、それを誰かに責任転嫁せず、自分の十字架として背負う。そういう日々を送っているからこそ、ほとんどミッション・インポッシブルであることを知りながら、日本に留まり競争を続けていくことを選択している。


製造業は海外に出ていくべきであるという「正論」を声高に叫ぶ人々の中に、こういった苦渋の選択に思いを馳せている人々はどれくらいいるのだろうか。こういった主張をするホワイトカラーの人々は、比較的安全な場所にいる。別に日本の産業が空洞化しても、他の国で働き口を探すことができる可能性は、相対的に高い(英語ができないと厳しいかもしれないけど)。相手の立場を理解しようという努力なしには、議論は平行線をたどることが多い。

また、こういった経営者の姿勢を悪しきパターナリズムだと弾劾する人々もいるかもしれない。時々は僕もそう思うことがあるけれど、現場に行って色々な現実をつきつけられると、少なくともこのような経営者の姿勢が絶対に誤っているとはなかなか断言できなくなる。


少なくない製造業の経営者らは「日本で無理な闘いと知りつつも、必死にこの国での事業を守っていこうという心意気があるからこそ、出てくる知恵がある」という。具体的には、製造工程を圧倒的に改善することにより不良品率を極端に下げてコスト競争力を保ったり、技術集約性の高い素材・部材を開発して価格差別化を実現したり、と徹底して高スピードでPDCAサイクルを回しながら、様々な工夫を凝らす。それでも、達成される利益率はギリギリ黒字である場合が多く、爆発的な成長実現の難易度は高い。


こういった闘いに挑んでいる製造業の経営者らに、心から尊敬の念を抱く。こういう人達が一定数いるからこそ、守られているものはあるのだと感じる。

それと同時に、株主の役割とは何なのだろうということも考える。まだまだこの点について結論は出ないのだけど、本物の実力と心を有した経営者たちとそこからモチベートされた従業員がいれば、国内に留まっての事業継続と利益追求の両立は可能なのではないかと希望を持つことができるようになってきた。自分がNPOの活動を通じて関わっている子どもたちの未来を考えてみても、この可能性を現実の常識に変えるために、もっと自分のプロフェッショナルとしての実力を磨いていきたい。

結婚のずっと前
x2_9352890.jpgずっと気になっていた本、購入と同時に著者から献本を頂くということになってしまったのだけれど、本当に良い本なので、誰かにプレゼントしようと思っている。

結婚のずっと前

本書はまず美しくて、落ち着くリビングとか、木目調の内装のカフェとかに置いてあったらぴったりの本。基本的に一ページに写真と散文詩ひとつずつの構成なので、こういった場所で、モノの2、3分とあるときにでパラパラと気になった箇所を読んで、本書のメッセージとのセレンディピティを楽しむ情景が容易に想像できる。


ただ、こういった散文詩は基本的に主観の塊のわけで、そのメッセージを発している著者がどのような人であるのかのイメージが持てないと、人それぞれの受け取り方に違いが出てくるだろう。だから、このブログでは、著者の坂之上洋子さんについても書こうと思う。(普段はこのブログで自分の出会った人々の話を書かないようにしているのだけど、今回はレビューの必要上、ちょっとそのルールを破る)


みんなから「よーこさん」と呼ばれ愛されている坂之上洋子さんに出会ったのは、2009年11月18日。英治出版の原田社長からお誘いを受け、西水美恵子さんを囲んでの小さな夕食会に参加したのだけれど、その夕食会の場所が渋谷にある洋子さんのお宅だった。

その後も時々洋子さんのお宅でのパーティに参加しているのだけれど、その参加者メンバーはとっても豪華。でも、洋子さんは全員に別け隔てなく接する。間違っていると思ったら、それが大企業の社長であれ、学者であれ、歯に衣着せぬダメ出しをする。その一方で、モザンビークで貧困のために死にゆく子どものために働いている日本人の無名の女の子に対して全力で支援をする。

そんな洋子さんだから、本書の次の言葉が出てきたときに、洋子さんの姿がありありと目に浮かぶ。

家柄とかお金とか肩書きなんか絶対に信じちゃいけない
who you areだけwhat you haveは全然あてにならない


ただ、洋子さんがそういう人であっても、洋子さんのwhat you have(最たるものは彼女の持っている人とのつながりだろう)をあてにして彼女に寄ってくる人もいるように思える。洋子さんはそうやって寄って来る人に対しても、別け隔てなく接する。色んなことを見抜いているのだと思うけれど、根本的に人に優しいのだろう。だから、彼女の周りには人がどんどん集まる。


ちなみに、洋子さんの夫である数学者のCanyunさんも本当に気持ちのいい人で、肩の力の抜け方がとんでもない。趣味嗜好も専門性も全く違っている洋子さんとCanyunさんなのだけれど、二人の周りにはいつも心地よい風が流れていて、一緒にいるとすごく安らかな気分になれる。結婚についての本書のメッセージを読むと、二人を真っ先に思い浮かべる。

結婚する前に想像してみて
相手がもし明日事故にあって動けなくなったとしたら
仕事もなくなってあなたがひとりで病院代も生活費も稼がないといけないとしたら
その上動けなくて精神的にダメージをうけている相手がひどい言葉を投げかけてあなたを傷つけるとしたら
それでもあなたは相手の額に手をおいて だいじょうぶ ずっとそばにいるから って言える?
それが結婚するってことだよ


手元に置いておいて、疲れたときに読むと、すごく元気になれる一冊。家族のある皆さんはリビングに置いておいて喧嘩した時に読んで、カフェの経営者さんはお店に置いておいて喧嘩しているカップルや、悲しそうな顔をしている人にオススメしてみてほしい。
著者あとがき外伝
x2_912a89a.jpgついに今日から新しい本が出版される。

働きながら、社会を変える-ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む


普段ものを書くのに苦労することは少ないのだけれど、今回は1年半をかけて原稿を何十回も書きなおした。ドラフトを書いた後も、細かい表現含めて書き直し続けた。鏤骨の作というほどではないかもしれないけれど、苦心惨憺して書き上げた。

早くも酒井穣さん、岩瀬大輔さん、野口能成さんが書評を書いてくれた。過分な評価で恐縮だけれど。
「生命保険 立ち上げ日誌」
「NED-WLT」
「投資の消費性について」


ここでは、本には書かなかった著者あとがきの外伝めいたものを書こうと思う。

この本を書くにあたって、二つのことをどうしても達成したかった。

一つ目は、子どもたちの姿を、バイアスをかけずに可能な限り事実に基づいて正確に書くこと。ここで要求されるのは、良いルポルタージュ作家としての腕前だと思う。だから、何回も書きなおした後に、児童養護施設の元職員で現在はコンサルというとても珍しい経歴の方から、「自分が書いたかのよう。記述に違和感がない」と言われたときは本当に嬉しかった。


でも、欲張りにも、もう一つ達成したいことがあった。それは、「職員さんや将来の子どもたちが読んでも喜んでくれる本」にすることだ。

これはとても難易度の高いことだった。世の中には、先進国における貧困というテーマでも多くの本が存在する。「貧困大国アメリカ」、「ドキュメント高校中退」、「ニッケル・アンド・ダイムド」などだ。こういった本は事実を伝えるという点で素晴らしい本だけれど、この本で描かれた、すなわち「被写体」となった人々はこの本を読んでどう思うのだろう。例えば、アメリカのワーキングプアの生活を描写するために、自らの経歴を詐称してアルバイトをしていた「ニッケル・アンド・ダイムド」の著者は、そのバイト仲間にばったり出会ったら、どうするのだろう。すごく気まずくなるのではないだろうか。

声がなかなか社会に届けられない人々を代弁すること、その状況を知らせることは、それだけで意味がある。だけど、その代弁という行為には、「書くもの」と「書かれるもの」をバッサリと隔てるリスクが存在する。そのような断絶が生じることは絶対に避けたかった。というのも、僕は書く人であると同時に、行動する人でありたいし、相手の苦境を冷静に分析しつつも、一緒に歩を進められる人間になりたいと思っていたから。

どんなに冷静な分析をもって客観的に子どもたちの苦境を伝えられたとしても、それがたった一人の子どもを傷つけるのであれば、僕はこの本を破って捨てたくなるだろう。「大きな目的達成のためには手段は正当化されうる」という考えは根本的に間違っていると僕は思う。そういう目的と手段の混同が、色々なものをおかしくする。

事前に原稿をお送りしようとしていたのだけれど、どういう感想が得られるのかが本当に怖くて、いつもお世話になっている児童養護施設の先生には原稿をお送りするのがずるずると遅れてしまっていた。

でも、原稿と見本を送り、その後お会いした児童養護施設の園長先生の一言で、肩の荷が降りた気がした。

「この本を読んでいて、涙が出た。研修生や若い職員でさえ、こうやって子どもと寄り添っていこうという姿勢がないときがある。でも、この本からはその姿勢が感じられた。それだけでなく、データも豊富で、今度からうちに研修にくる学生たちには必ず読ませようと思う。うちでも講演をしてほしい」


そして、園長先生は「他の施設の園長達にも配る」と、本を数冊購入してくれた。


この本を書くにあたって、本当に多くの人にお世話になった。その一部は謝辞にも掲載させて頂いた。編集の高野達成さんは本当にプロの編集者で、こういうプロフェッショナリズムあふれる人と一緒に仕事をすることができたからこそ、この完成度があると思う。何よりも、今回の本の執筆のために、本当に多くの手助けをしてくくれた施設の先生方と子どもたちに心から感謝していて、感謝の気持ちとしては全然足りないけれど、印税は全額児童養護施設に寄付する。


この本を買って読んでくれるだけでも感謝します。更に、感想をTwitterやFacebook、Amazonに書いてくれると本当にうれしい。良い評価も、手厳しい評価もともに大歓迎。

働きながら、社会を変える-ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む


一週間後の13日には、友達がセットしてくれた出版記念ランニングをする。東京マラソンのコースを走りながら、書店にPOPを置くという、通称“POP RUN“。こちらの参加も大歓迎なので、東京マラソンに落選してしまった方はぜひ。(ここから参加申し込みができる)


料理のマネジメント
ref=dp_image_0.jpeg料理のマネジメント

酒井穣さんの新刊。この本の構想の噂はすごく昔から聞いたことがあって、本が出ると聞いたときは、ついに、と思った。

本書では、素人が経営学をヒントにしながらプロの料理人と向こうを張るための方法が書かれている。

多くのジャンルにおいてそうなのだけれど、プロとアマの違いは大きく2つある。プロの料理人は、その料理の質の平均水準とばらつきの小ささにおいて、アマの料理人を凌駕している。これは、多くの仕事でもその通りで、プロはどのような状況でも一定のクオリティのものを出す訓練をされている。

では、アマがこのようなプロと向こうを張るにはどのような戦略を採用するべきか。

まず、料理の水準のばらつきを落とす方法から考える。

これは、レシピの作成に尽きる。レシピを作成し、可能な限りそれに忠実に料理をつくる。目分量に頼らず、客観的な基準によって料理することで、料理の水準のばらつきを落とすことができる。特に重要なのは塩加減であると本書では説く。本書カバー裏における山上の垂訓の「地の塩」関する一節は、このメッセージと関連しているのだろう。


次に、料理の平均水準を上げること。

第一の方法は、メニューを絞ることだ。これは企業でいうところの、選択と集中に他ならない。もっというと、プロでないとできない料理を避け、誰でも練習をすればプロ顔負けの水準を実現できる料理に絞ることだ。本書では、アマがプロと渡り合える料理として、カレー、餃子、バーニャカウダが紹介されている。

もう一つの方法は(明示的に書かれていないかもしれないけれど)、料理以外のところで勝負することだ。アマの料理は、プロと違い、自分の知人に対して振る舞われることが多い。それを活かして、相手がくつろぐことができる空間づくり、相手の好きな食材選び、楽しい会話などを準備することで、脳の知覚する料理の質を高めることができる。


この本の類書はなかなか思いつかない。仕事をしながらでも料理をしてみようと思っている人に対して、料理スキルだけに限らない重要な考え方を教えてくれる一冊。料理だけでなく、色々な「アート」の産物と見なされている領域においても同様の示唆をもたしてくれる。
血と愛
ある名奉行の逸話がある。内容は正確でないかもしれないけど。

その人がいる奉行所に、若い女が二人、赤ん坊を抱えてやってきた。双方ともに、この赤ん坊は自分の子であるといってきかない。どこまで話し続けても、議論は平行線だった。

奉行は少し考えた後に言った。「そこまで言うのであれば、この赤ん坊は二人の子供に違いない。では、この赤子を引っ張りあって、勝った者の子としよう。」

そして、二人の女は、赤ん坊を引っ張りあった。痛みに赤ん坊は泣き叫ぶ。片方の女は、泣く赤ん坊を見て手を離した。

それをみた奉行はこう言った。「手を話した方が本当の親である。血がつながっている親であれば、わが子が泣き叫ぶのには耐えられないはずだ。」

このお話は、この奉行の機知を称えるものとして語り継がれてきた。


この話の背景には重要な前提があるように思う。それは、「血がつながっている親の方が、子どもを大切にするであろう」というものだ。確かにある程度まではこういったことは事実なのだろう。おそらく、世の中の事例を10万くらいもってきたら、そういったことが当てはまる可能性はあると思う。

でも、こういった統計的な一般論を個別の事柄に当てはめることは出来ないし、時には何の意味もないのだと、昨日は心から思い知った。

昨日はLiving in Peaceの教育プロジェクトのフォーラムが開催された。錚々たるスピーカーの一人が、女優のサヘル・ローズさんだった。


サヘルさんはイランの孤児院で育った。孤児院では毎週「オーディション」が行われていた。里親候補が孤児院を訪れて、気に入った子どもを養子に迎え入れていくのだ。里親になる人々は、まだ記憶もほとんどなく、育てやすい小さな子どもを選んだ。当時すでに4歳だったサヘルさんは、その「オーディション」に落ち続けていた。

そんなときに、将来に自分の母となる大学生と出会う。彼女は、「私のお母さんになって」というサヘルさんのために、全てを投げ出した。血のつながっていない他人のために。

イランでは里親となるには3つの条件があった。一つが、経済的に恵まれていること、もう一つが結婚していること、もう一つが子どもが産めない状態にあること。サヘルさんの母となった女性は王族の人間だったので、経済的には恵まれていた。婚約者もいた。しかし、子どもが産める体だった。

そして、彼女はサヘルさんを養子にするために、自分の体にメスを入れて、子どもが産めないような身体にした。


まだ話は終わらない。養子を迎えた彼女は、一族から追い出された。その後、フィアンセがいる日本にやってきたが、フィアンセも彼女が子どもを産めない身体になったことに憤り、自分の血のつながっていない子どもは愛せないとサヘルさんらに虐待を加えた。ならば、と、彼女はまだ幼いサヘルさんを連れて、言葉も全く分からないまま、フィアンセの家を出ていき、公園で暮らした。スーパーの試食コーナーを周り、雨の日は公衆トイレで過ごした。その後も、様々な困難を乗り越えて、二人は生き抜いてきた。

血のつながっている故の愛情があるのは事実だろう。でも、血のつながりがなくても、無償の愛は存在しうる。そいう人が世の中に存在しているということだけで人間を信じていいと思うし、世界に希望を持っていいのだと思う。
子どもの貧困と希望
明後日11月3日の午後1時から時間が空いている人は、ぜひ広尾にきてください。子どもの未来に興味のある人々であれば、後悔しないと思うので。

日本で「子どもの貧困」といってもピンと来ない人は多いと思う。でも、よく見てみるとそれは確実に進行していて、生まれながらに機会の平等を奪われている子どもがどんどん増えている。そんな状況は間違っているし、世の中全体にとっての損失だし、変えることができると思う。

変えるためには、「今はどうなっているのか」という現状認識とともに、(完全ではないまでも)「どうすれば状況は良くなるのか」というモデルが必要だろう。それをシェアすることが今回のフォーラムの目的だから、サブタイトルは“Think and Act now”になっている。


今年は豪華なゲストでお送りする。普段であれば、一人のスピーカーに90分話して頂いてそれでイベントができるくらい。

基調講演をする阿部彩さんはコンスタントに売れ続けている「子どもの貧困」(岩波新書)の著者。当日は、日本における子どもの貧困がどのようなことを背景にしてどれくらい進んできているのか、についてお話を頂く。特に今回は、児童養護施設のことを中心としてお話をしてくださるとのこと。
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さらに現状認識を進めて、子どもの貧困が複合的にからみあっている児童養護施設の現状と希望をお話してくれるのが、つくば愛児園の山口公一理事長。現場にずっといた先生の言葉にはこの上ない含蓄があり、子どもの成長とは何かという点について、深く考えさせられる。

ここまでが現状認識で、子どもの希望と、ここから先は僕たちに何ができるのかについて。二人の素晴らしいロールモデルの人にお話を頂く。

一人は、ヒューマン・ライツ・ウオッチの土井香苗さん。土井さんの本を読むと分かるように、土井さん自身も複雑な家庭環境のなかで育って、バイトしながら司法試験に合格して弁護士になり、いまは世界最大級の人権擁護組織で日本代表として働いている。当日は、土井さんの今の活動とともに、普段はなかなか聞くことができない、土井さんのこれまでのストーリーについてもお話しして頂く。

もう一人のロールモデルは、女優のサヘル・ローズさん。イラン・イラク戦争で自分以外の家族全員を亡くし、里親に引き取られ日本に来た後も、ホームレスを経験するなどをしながら今は女優として活躍している。サヘルさんも自分のストーリーを話してくださるのだけれど、それに圧巻されること間違いなし。

二人を連れて以前児童養護施設に行ったことがあるのだけれど、二人とも見事に子どもの心を掴んでいた(これはすごく珍しいこと)。自分の経験に根付いた言葉や振る舞いだからこそ、二人のことばは聞き手の心に届く。


パネルディスカッションはたっぷり時間をとっていて、会場からの質問も多く受け付けて行われる予定。ファシリテーションは僕。

今回のフォーラムの参加費は3000円だが、収支のうち半分は児童養護施設に寄付される。11月8日から発売される本の先行発売もこの日に行われる。


詳細はこちら。

◆ 日時 : 2011年11月3日 13:30~17:30 (受付開始 13:00~)
◆ 会場 : 広尾駅から徒歩2分、JICA地球ひろば 3階 講堂
◆ 参加費 : 3,000円(※経費を除いた収益の半分は児童養護施設に寄付します。)
◆ プログラム:講演(13:30~15:30)、パネルディスカッション(15:45~17:30)
◆ 参加お申込フォームはこちら → http://goo.gl/PJ3M5
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