Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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血と愛
ある名奉行の逸話がある。内容は正確でないかもしれないけど。

その人がいる奉行所に、若い女が二人、赤ん坊を抱えてやってきた。双方ともに、この赤ん坊は自分の子であるといってきかない。どこまで話し続けても、議論は平行線だった。

奉行は少し考えた後に言った。「そこまで言うのであれば、この赤ん坊は二人の子供に違いない。では、この赤子を引っ張りあって、勝った者の子としよう。」

そして、二人の女は、赤ん坊を引っ張りあった。痛みに赤ん坊は泣き叫ぶ。片方の女は、泣く赤ん坊を見て手を離した。

それをみた奉行はこう言った。「手を話した方が本当の親である。血がつながっている親であれば、わが子が泣き叫ぶのには耐えられないはずだ。」

このお話は、この奉行の機知を称えるものとして語り継がれてきた。


この話の背景には重要な前提があるように思う。それは、「血がつながっている親の方が、子どもを大切にするであろう」というものだ。確かにある程度まではこういったことは事実なのだろう。おそらく、世の中の事例を10万くらいもってきたら、そういったことが当てはまる可能性はあると思う。

でも、こういった統計的な一般論を個別の事柄に当てはめることは出来ないし、時には何の意味もないのだと、昨日は心から思い知った。

昨日はLiving in Peaceの教育プロジェクトのフォーラムが開催された。錚々たるスピーカーの一人が、女優のサヘル・ローズさんだった。


サヘルさんはイランの孤児院で育った。孤児院では毎週「オーディション」が行われていた。里親候補が孤児院を訪れて、気に入った子どもを養子に迎え入れていくのだ。里親になる人々は、まだ記憶もほとんどなく、育てやすい小さな子どもを選んだ。当時すでに4歳だったサヘルさんは、その「オーディション」に落ち続けていた。

そんなときに、将来に自分の母となる大学生と出会う。彼女は、「私のお母さんになって」というサヘルさんのために、全てを投げ出した。血のつながっていない他人のために。

イランでは里親となるには3つの条件があった。一つが、経済的に恵まれていること、もう一つが結婚していること、もう一つが子どもが産めない状態にあること。サヘルさんの母となった女性は王族の人間だったので、経済的には恵まれていた。婚約者もいた。しかし、子どもが産める体だった。

そして、彼女はサヘルさんを養子にするために、自分の体にメスを入れて、子どもが産めないような身体にした。


まだ話は終わらない。養子を迎えた彼女は、一族から追い出された。その後、フィアンセがいる日本にやってきたが、フィアンセも彼女が子どもを産めない身体になったことに憤り、自分の血のつながっていない子どもは愛せないとサヘルさんらに虐待を加えた。ならば、と、彼女はまだ幼いサヘルさんを連れて、言葉も全く分からないまま、フィアンセの家を出ていき、公園で暮らした。スーパーの試食コーナーを周り、雨の日は公衆トイレで過ごした。その後も、様々な困難を乗り越えて、二人は生き抜いてきた。

血のつながっている故の愛情があるのは事実だろう。でも、血のつながりがなくても、無償の愛は存在しうる。そいう人が世の中に存在しているということだけで人間を信じていいと思うし、世界に希望を持っていいのだと思う。
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