Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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起業をしない理由
最近よく「なんで起業しないの?」といわれる。必要に応じてそれらしい答えは返すのだけれど、何か、その時々によって回答がフラフラしていてよくない。だから、ちょっと考えて書いてみることにする。起業をしたこともない人間が起業を語るのは奇異だが、少なくとも起業しない理由については語ることができるだろう。

第一の理由。僕のリスク許容度は低い。「一定期間給料なくたって大丈夫」、「2年くらいやってうまくいかなかったらまた就職すればいい」とはいかない。


第二の理由。今の僕には何も起業のイメージが見えていない。

未経験者が空想で語っているようで妙だけど、僕は、起業は主観的には神の啓示によって行われるものだと感じている。(他人の目から見たらどうあれ)うまく行くことは既に自分にだけは明確に見えていて、その意義に納得できて、かつ何かに導かれているような感覚が見えたら、僕も起業をするんだと思う。上述の第一の理由と相俟って、僕にはうまくいくかどうかよく分からないような段階で起業をしようという思いはあまりない。

少し事情は違うけれど、村上春樹も作家として身を立てることについて確信がとれなかった時期はジャズ喫茶を経営しながら仕事後に原稿を書いていた。


第三の理由。あまりこだわっていないから。

少なくとも、僕が尊敬する人々は、起業をしようとかどうとか、そういうことは大して考えないだろう。起業するか雇われの身になるかは、ものの一つのあり方でしかなくて、そこにこだわるようには思えない。僕が尊敬する人々の頭の中にあるのは、なんとかしたい課題と、それを解決するための最善の方法だけだろう。

これまでで感じるのだけれど、僕が情熱を本当に持てることは、より多くの人々に等しく機会の平等が与えられることみたいだ(基本的人権が守られているというのを所与として)。そのために、今のようにファンドの仕事を通じて企業の成長のお手伝いをしつつ、目の前にいる人のためにNPOをするのが現時点では最善の答えだと思っている。時々フルタイムでNPOをやったほうがよいかもしれないと思うことはあるけれど、少し時間をかけて考えると、現在の形が一番だという結論に至っている。将来(もしかしたら数カ月後レベルで)この考えは変わるかもしれないけれど、その時はその時だろうと思っている。
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英語を学ぶ理由
今年から英語のブログを本格的に書き始めた。今年読む大量の英語本のメモが多くを占めるが、それ以外にも自分の考えをまとめるのにも使いたいと考えている。英語を身につけるためにそうしているのだが、なぜ英語を身につけようと思うのか、ということについての現状での考えをまとめておく。


正直言って、僕の書く英語は完璧から程遠い。会社で英語のレポート等を書くとネイティブチェックがたくさんつく。だから、英語ブログを書くのは、ある意味間違いだらけの日本語で書かれたブログを書いているのと同じような、微妙な気分になる。でも、こういう恥ずかしい経験をしないと成長しないというのも事実なので、敢えて誰でも見ることができるブログを書くことにした。イノベーションや課題解決でもそうだが、重要なことは、プロトタイプを早く出すことだ。プロトタイプを出せば、そこから次に進むこともできる。


居心地のよい日本語ブログではなく、英語ブログを書く一番の理由は、英語を完璧に使えるようになりたいからだ。

僕が英語を完璧にしたい最大の理由は、「知へのアクセス」の確保だ。20世紀中盤までは、ある言語の上に積み上がる知性の水準にはさほど差がなかったかもしれない。でも、この差は21世紀には歴然としたものになるだろうと僕は思う。

知はどのようにして磨かれるか。だいたいの場合は、人間の交流によってだろう。昔は、インドに住む人が英語を完璧に使いこなしたとしても、アメリカの知識人と意見交換をするということはあまりなかった。でも、いまはインターネットにつながってさえいれば、誰でも世界中の人と交流を出来る機会が生まれた。その交流に用いられる言語の最たるものは英語だろう。インターネットを通じて英語による知的交流はさらに盛んになり、英語の上に積み上がる知と他の言語圏のそれとは圧倒的な差が生じていくと思う。ビジネスや科学などの性質的に国境がない分野においてはこの傾向は顕著になるだろう。(一方で、文学のよう分野では、そうでもないかもしれない)

例として、英語圏と日本語圏の知の積み上がりを知りたい人は、英語のウィキペディアと日本語のウィキペディアを比較してみるとよい。他にも、科学雑誌、ビジネス雑誌、専門書、諸々を比較してみると、違いは歴然としている。TEDのほとんどは日本語に翻訳されない。

英語ができないということは、技術進歩の恩恵によりものすごい勢いで積みあがっていく知へのアクセスが制限されるということだ。

もちろん、知へのアクセスよりも大切なことは山ほどある。僕は知識よりも思想とか精神のほうがはるかに大切だと考えるし、それは究極的には自己との対話によって培われるもので、どの言語を用いるかには依存しないと思う。

ここで言いたいことは、英語が使えないことによって生じるハンディキャップは確実に存在するし、それは情報産業がより大きなウェイトを占めることになる現代社会においては、より大きくなるということだ。英語だけが出来ればバラ色というのは大間違いだが、基礎装備として必要だと思っているわけだ。

まだ完全にまとまっている訳ではないが、ここ2,3年で英語を一生懸命に勉強しようと考える理由はこういったところにある。英語文献を目にしたり英語音声を聞くときに一瞬感じる「うぅ・・・」という感覚を可能な限りゼロにするのが当面の目標だ。5年後には英語で本が書けるようになりたい。
時間のない人のGMAT勉強法
ちょっと普段と違うエントリー。

英語の本を読んで年末年始によく寝たらスパッとGMATで750点がでた(数学50点、言語42点)。
(ちなみに、MBAは今のところ考えていません)

本業がこのところ異常に忙しく、さらにLIPの活動、自分主催の勉強会、執筆とあったので、自習時間も合計で40時間くらいしかとれないで、「最低2周はするように」といわれた公式問題集も半分しか解けなかった。だからこそ参考になることもあると思うので、「忙しい人向けのGMAT勉強法」をちょっと書いてみる。

ちなみに、僕は7年前にGMATの勉強をしていたことがある。ただし、国外で勉強・勤務した経験はない。


1.予備校について
忙しい人ほど、予算の範囲内で「時間を買う(自分の抱えている課題発見のスピードを早くする)」ために予備校に通うのが良いと思う。僕が通ったのは、元プリンストンレビューの看板講師である野口先生が行なっているAffinity。野口先生とは8年以来のお付き合い。ここでは少数制の授業を通じて、講師が課題に気付くスピードを早めてくれる。また、大手と違って色々と細かい対応をして頂けるのもありがたいところ。



2.各セクションの勉強法
■Sentence Correction
勉強量に対する正解率の向上率が途中で頭打ちになるのを感じたので、コツを掴む以外にはあまり時間を投入しないことにした。結局オフィシャルガイドも70問目までしか解けなかった。ただ、基本に忠実に、いくつかの決まった定型作業を常に行えるような訓練を心がけた。大体の問題はイディオムを論点にせずに解けるので、試験対策としてはイディオムは覚えなかった。

■Critical Reasoning
CRの論証パターンは驚くほどに限られているので(Assumption×類型で大きな論点は10くらい)、100問くらい練習をすると、選択肢を見る前に答えが想像できるようになる。CRは、GMAT設計思想の根幹をなしているようだし(要は、Writingも、Mathも、VerbalのRCもCRの変形版)、実世界でも役に立つので、ちゃんと取り組んで損はないと思う。特にAffinityでのCR授業はとてもクリアでオススメ。

■Reading Comprehension
要はCRの長い版。普段からEconomist会や洋書の会をしていたので、問題は読みやすかった。留学するにしても、国内で引き続き英語で勉強するにしても、Readingの文章をさっと読めなかったら厳しいと思うので、そのつもりで日頃から本や雑誌を読んでいた。試験固有の自習はほとんどせず。

■Math
一回目の試験のときのスコアが42点だったので、慌てて受講を申し込み。時間を買うために個別指導を3回受けた。数学問題の英語表現、ひっかけポイントを見つけて、練習で間違えた問題を3回解いた。OGは40問くらいだけ解けた。

■Writing
試験勉強はせず、英語のブログを書くようにしていた。


3.試験中
タイムマネジメントと精神集中が鍵だと思う。ウルトラマラソンのお陰だと思うのだけど、環境に不平を言わず、自分のおかれている状況に感謝して、出来る限りのことをする。心を乱さず、平静に。

■Math
ひっかけに注意してマイペースで解く。

■Verbal
SCは、いくら時間をかけても大して正答率が上がらないのが分かっていたので、基本1分以内にサッサと解くことを徹底。CRは、2~3分かけたら8~9割は正解することが分かっていたので、基本的に全て丁寧に解く。RCもちゃんと8分くらいかければ8割くらいはとれることが分かっていたので4つ全て読んだ。

事前に750点予告をしてはいたものの、その通りの成績が画面にぱっと出たときはうれしかった。時間のない状況で、色々と親身にアドバイスを聞いてくださった野口先生に感謝。先生のGMATの解法が良いものであることを多少は保証できるような、ある意味で恩返しができてよかった。

誓いをたてることの意義
少し前から、年末年始にかけてその年の振り返りと新年の抱負を、色々な人に送ることにしている。

1年365日に特別の優劣はないはずなのだが、めぐる季節に基づいた人々の生活・慣習のリズムはずっと存在しているわけだし、1年を周期として物事を考えることに一定の意味合いはあるのだと思う。そして、時間軸が長いことに関する思考は忙しい時期にはしにくいので、1年のうちで最もゆったりと過ごせる年末年始に計画を立てることにも、一定の合理性を認めることは可能だろう。

さて、上述の理由から年初に計画を立てたとして、それを人前で宣言することに意味があるのか、より具体的に言えば、そのような「誓いをたてること」に何か肯定的な側面があるのか、ということを考えたい。

誓いを口にすることに否定的な意見もある。ある研究によると、目指していることを口に出すと、脳があたかもそれを達成したかのように感じ、その実現のための努力が減ってしまうということがあるらしい(参考:Wang & Aamodt, “Welcome to Your Brain”)。また、誓約をたてることで、何らかの柔軟性が失われ、結果として非効率的になってしまう可能性も否定できない。


しかし、個人的には何かを人前で宣言することにはメリットがあると思う。

上杉鷹山は米沢藩の藩主になる前に神前で誓約をしたし、ガンジーも誓いを立てることの価値を認めている。常人よりも強靭な精神力を持つと考えられる彼らが誓いを立てた理由は、人間の弱さ、自分の弱さを認めているからだ。だからこそ、敢えて自分が逃れようのない状況を作り、自身を目的成就に駆り立てる。お世話になっている人や仲の良い友人たちに目標を宣言することで、自分自身を律することができるようになる。もちろん、超人的な精神力を持っている人だったら、そういう誓約すら不要かもしれないが、僕も含めて多くの人はそうではないだろう。

次に、誓いによって柔軟性が低下するという意見について。これについても、認識において仮説が果たす役割について考えることで、誓約することの価値を認めることはできるのではないだろうか。誓約とは、一種の仮説であると考えることができる。具体的にいうと、「誓約している事項が正しいものである」という仮説だ。僕の2012年目標の例でいうと、「Googleの選んだ名著100冊を読むことは、他の時間の使い方と比較しても良いことだ」と僕は考えているわけだ。

仮説の効能のひとつは、それを持つことで、大量の情報を、優先順位づけをして取得できるようになることだ。特に仮説も持たずにただただ日々を流れるままにしていることと、何らかの仮説を持って日々を過ごすのでは、気付きの量が違う。場合によっては仮説(すなわち、誓約事項)は棄却されてもよい、すなわち、「やってみたけど、意味が無いことがわかった」となってもよい。だけど、それがそもそも無いことと有ることの間には、雲泥の差が生じる。


そういったことを鑑みると、やはり僕は何らかの誓いを人前でたてることに一定の意義を認めているし、それを続けている。多くの人にも試し てみてほしいと思う。
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