Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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英語を学ぶ理由
今年から英語のブログを本格的に書き始めた。今年読む大量の英語本のメモが多くを占めるが、それ以外にも自分の考えをまとめるのにも使いたいと考えている。英語を身につけるためにそうしているのだが、なぜ英語を身につけようと思うのか、ということについての現状での考えをまとめておく。


正直言って、僕の書く英語は完璧から程遠い。会社で英語のレポート等を書くとネイティブチェックがたくさんつく。だから、英語ブログを書くのは、ある意味間違いだらけの日本語で書かれたブログを書いているのと同じような、微妙な気分になる。でも、こういう恥ずかしい経験をしないと成長しないというのも事実なので、敢えて誰でも見ることができるブログを書くことにした。イノベーションや課題解決でもそうだが、重要なことは、プロトタイプを早く出すことだ。プロトタイプを出せば、そこから次に進むこともできる。


居心地のよい日本語ブログではなく、英語ブログを書く一番の理由は、英語を完璧に使えるようになりたいからだ。

僕が英語を完璧にしたい最大の理由は、「知へのアクセス」の確保だ。20世紀中盤までは、ある言語の上に積み上がる知性の水準にはさほど差がなかったかもしれない。でも、この差は21世紀には歴然としたものになるだろうと僕は思う。

知はどのようにして磨かれるか。だいたいの場合は、人間の交流によってだろう。昔は、インドに住む人が英語を完璧に使いこなしたとしても、アメリカの知識人と意見交換をするということはあまりなかった。でも、いまはインターネットにつながってさえいれば、誰でも世界中の人と交流を出来る機会が生まれた。その交流に用いられる言語の最たるものは英語だろう。インターネットを通じて英語による知的交流はさらに盛んになり、英語の上に積み上がる知と他の言語圏のそれとは圧倒的な差が生じていくと思う。ビジネスや科学などの性質的に国境がない分野においてはこの傾向は顕著になるだろう。(一方で、文学のよう分野では、そうでもないかもしれない)

例として、英語圏と日本語圏の知の積み上がりを知りたい人は、英語のウィキペディアと日本語のウィキペディアを比較してみるとよい。他にも、科学雑誌、ビジネス雑誌、専門書、諸々を比較してみると、違いは歴然としている。TEDのほとんどは日本語に翻訳されない。

英語ができないということは、技術進歩の恩恵によりものすごい勢いで積みあがっていく知へのアクセスが制限されるということだ。

もちろん、知へのアクセスよりも大切なことは山ほどある。僕は知識よりも思想とか精神のほうがはるかに大切だと考えるし、それは究極的には自己との対話によって培われるもので、どの言語を用いるかには依存しないと思う。

ここで言いたいことは、英語が使えないことによって生じるハンディキャップは確実に存在するし、それは情報産業がより大きなウェイトを占めることになる現代社会においては、より大きくなるということだ。英語だけが出来ればバラ色というのは大間違いだが、基礎装備として必要だと思っているわけだ。

まだ完全にまとまっている訳ではないが、ここ2,3年で英語を一生懸命に勉強しようと考える理由はこういったところにある。英語文献を目にしたり英語音声を聞くときに一瞬感じる「うぅ・・・」という感覚を可能な限りゼロにするのが当面の目標だ。5年後には英語で本が書けるようになりたい。
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