Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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2012年の振り返りと2013年の抱負
ライフネット生命の出口社長の真似で始めた今年の振り返りと来年の抱負、ちょっと早いけど今年も書きました。(去年のはこちら。達成率は6〜7割くらい。。)

来年も頑張ります!


1.本業
今年は2つの大きな案件を担当して、個人的には大きな手ごたえを感じられた1年でした。細かい知識や手続きについては弱いところも多いのですが、投資の始まりから終わりまで、だいたいの進め方は覚えられました。かねてから考えていたことですが、来年は新しいことを始めたいと思っています。またタイミングが来たら、ブログでも報告したいと思います。

今年は職場で次の4つを達成したいと考えています。
—ファンドスキームの実務についての知識をつける
—細部の詰めに妥協せずに、全てのドラフトの仕事を最終版のつもりで作る
—図解の能力を上げる


2.Living in Peaceのこと
NPO法人Living in Peace(LIP)を始めて5年になりました。今年のトピックは3つです。

・認定NPOの資格を取得し、今後LIPに寄付されるお金は全額控除ができるようになりました。

・途上国の中小のマイクロファイナンス機関に投資をするファンドは合計5件を企画し、これまでに1億円以上が投資されています。

・国内の児童養護施設向けの寄付プログラム、「チャンスメーカー」には 毎月60万円弱(去年の倍)が集まるようになりました。 お陰さまで、支援先の筑波の児童養護施設の新築が決まり、子どもたちは来年の末から新しい施設で暮らすことができるようになります。子どもたちも喜んでいます。


来年は6年目になりますが、目標は3つです。
—理事会を強化してガバナンスを強めること
—途上国での活動で今までと違う新しいことをやること
—より多くの寄付を集められるモデルをつくること


3. 学んだこと
今年は執筆と関連してイノベーション関係の文献を200以上読みました。結果として気づいたことは、デザイン思考・アブダクション・暗黙知・弁証法・ストーリーとしての思考法、など、様々な名前で呼ばれているイノベーションの手法というのは、基本的に同じことを指しているということでした。

それ以外にも、Google Scholarの引用数トップ100の本を上から片っ端に読みました。毎週1冊読むつもりでしたが、後半に執筆の締切があり失速してしまいました。読んだ本(全て英語)は34冊で、全てにつきレビューを英語ブログに書いています。http://taejunomics.blogspot.jp/

今年読んだ本で最も興味深かったものをいくつか挙げると、「沈黙(遠藤周作)」「貧乏人の経済学(バナジー&デュフロ)」「世界の経営学者はいま何を考えているのか(入山章栄)」「科学と方法(ポアンカレ)」「Tacit Dimension(ポランニー)」「Making Democracy Work(パットナム)」「Mind in Society(ヴィゴツキー)」「The Logic of Scientific Discovery(ポッパー)」でした。

今年はスイスでのSt. Gallen Symposium、中国でのサマーダボスなどにも参加できたのですが、こういった国際会議に出ている同年代の起業家たちから多くの刺激を受けました。世界中で同年代のひとたちがとても面白いことをしていて、自分には何ができるかと考えることが多かったです。英語をもっと出来るようになろうと改めて思いました。毎週日曜日の朝からEconomistを読んで英語で議論する会も続けています。


来年の目標は次の通りです。
—英語のボキャブラリーを2000増やし、英語ブログを100本以上書き、表現の幅を拡げる
—また、本業・執筆に関連して、ガバナンス・ファイナンス・経済学の本・論文を100冊以上読む


4.執筆活動
今年は7月に「ソーシャルファイナンス革命」が出版されました。人間関係と金融とのつながりについて書いた、とてもニッチな分野の本ですが、類書が無いものを書けて良かったと思っています。

今年は他にも執筆をしており、来年出版されると思います。一冊はパートタイムでのアクションに関する本で、2月頃に出版されます。もう一冊はイノベーションに関する(といっても、課題解決の延長としてのイノベーション)本です。もう一冊は暗黙知に関する本です。この二冊は、来年のGW前には出版されていると思います。

来年は、資産価格評価や企業統治の専門的な内容の本を書きたいと思っています。本を書くことで、本業・大学院でこれまで学んだ知識を改めて整理しつつ深堀りしていこうと思います。



5.スポーツ・趣味
今年のレースは、スケジュール調整その他で、佐渡の長距離トライアスロン(3.8km泳ぎ、190km自転車、42.2km走り)と、会津の100kmマラソンにのみ参加しました。トライアスロンでは自転車が故障し、会津では足を負傷するというハプニングがありましたが、どちらも無事に完走しました。

最近、通勤のほとんどはランニングです。10kgの荷物を担いで、片道10kmの道を走っています。通勤電車に乗らないで済むのでとても快適です。

来年のGWには、知り合いと一緒に川の道フットレースに参加します。東京→長野→新潟と520kmを走ります。


今年もライブは一回行いましたし、大好きなフジロックに行くこともできました。ライブでは主に東京事変の曲をやりましたが、ちょっと練習不足でした。来年はちゃんと練習して、もっと良い演奏ができるようにします。それと、フジロックには行けるように予定調整を頑張りたいと思います。


以上です。

30代は勝負しようと決めていました。いよいよこれからですが、全力で楽しもうと思います!


2012年12月23日

慎 泰俊 拝

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デザインの構造化
デザインは急速に構造化されてきている。良いデザイン・悪いデザインが、色々なフレームワークにはめられ、「このデザインがなぜ良いのか」が言葉で説明されるようになってきた。こういった構造化は、異なる見解を持つ人々とのコミュニケーションを可能にするだろう。

でも、それだけでは多分終わらない。

言語の獲得によって、人は物事を説明する能力を高めただけでなく、創造力も高めたのだと思う。その理由は、言語は記憶と概念の結合を助けたからだろう。それと同じことが、デザインの構造化にも起こるのかもしれない。

(でも、なんとなく直感的にそううまくはいかない気もしている。それはなぜなんだろう)
Because I am a Girl
BecauseIamaGirl.jpgBecause I am a Girl――わたしは女の子だから

多くの途上国で、女の子たちは、様々な暴力の対象となっている。幼いうちに恋愛も知らずに結婚させられたり、知らぬ間に親に売られて売春婦にさせられたり、内戦のある国で性奴隷にさせられたり。更に、男尊女卑が強かったり、女性の社会進出が弱い国ではいいくつかの国では、女の子は生まれた時点で殺されることも少なくない。例えば中国社会科学院によると、中国で2000年から2004年の間に生まれた子どものうち、男女比率は1.24対1.00だといわれている。

こういった、女の子たちを取り巻く状況はあまり知られないことが多い。児童養護施設の状況もそうだが、その状況を知らせると大人が恥ずかしくなるような事実は、なかなか世間に知られにくい。正直、ぼく自身も、男性である自分が女性に対する暴力について書くことについて、どことなく居心地の悪さを感じているのは事実。そういった積み重ねが、声が届かない現実につながっているのではないかと思う。


この本は、そういった「知られないこと」を打破するための一つの方法を提示してくれる。それは、有名な作家らが途上国の女の子の現状を見知り、そこで感じたことをエッセイにしてアンソロジーにまとめること。現実にあることを多少フィクションにもしながら、実際の被害者らへの配慮もしつつ、筆力を通じて、届かなかった声を多くの人々に届け、現実と同じようにリアルな物語を届けることができる。僕たちは、このエッセイに登場する女の子たちの運命を感じながら、自分たちが何をするべきか深く考えさせられる。

日本での翻訳者は、同じく通奏低音に女性に対する暴力がある「八日目の蝉」の著者である角田光代さん。出版社は、人や物語や知識を「出版(=版を出す)」するのではなく、「パブリック(公)」にすることがパブリッシャーの役割であると考える英治出版。印税と売上の一部は、国際NGOプランに寄付されます。

中学生でも読める内容なので、学校に一冊ずつ置かれたらいいのになあ、と思う一冊。
養子のCEO
ヨーロッパやアジアにおいて家族経営の会社が多い。その中でも、日本の家族経営企業のパフォーマンスは他国と比べても高い。家族経営の会社は三代目でおかしくなるというのは半ば定説化しているが、いったいこの会社には何が起こっているのだろう。

今週のEconomistに面白い記事があった。その記事は、日本の家族経営企業の高パフォーマンスは、この国の「大人の養子縁組」という習慣にあると主張している。日本の養子縁組は他国よりも多く、去年なされた81,000件の養子縁組のうち、大人の養子縁組は90%にのぼる。子どもでなく、大人を養子(多くの場合婿養子)に迎え入れて、その「養子」が家族経営企業の会社の社長となっていくというわけだ。場合によっては、この養子が、血族の人々を押しのけて経営者になる場合もある。

最初は「なんだそのトンデモは」と思っていたものの、よくよく考えると、3つくらいの意味合いにおいて、確かにこの養子縁組を通じたCEO(養子CEOと呼ぼう)仕組みは機能するのかもしれない。

第一に、この仕組みは非常に強いコミットメントメカニズムとして機能している。通常であれば、CEOをはじめとした企業経営者に対して付与するインセンティブはストック・オプションなどがメインだが、養子CEOにはそれを遥かに上回るコミットメントが課される。失敗したら逃げ場がないのだ(もちろん離婚をして逃げるというのはあるのだろうけれど)。

第二に、家族経営企業の側からすれば、養子縁組という名の下に、かなりの長期間に亘って新しいCEOを探し続けられるようになる。本業でもいつも実感するけど、正しいCEOを探すことはつねに難問だ。養子縁組の仕組みは、そういった難題の解決に貢献できている可能性がある。

最後に、婿養子CEOは(これは外から迎えるCEOにおいては常にそうだが)、既存の枠組みに囚われない外部者であり、組織に新しいDNAをもたらしてくれる。研究によると、外部から迎え入れられたCEOは、企業が改革を必要としている場合には相対的に良いパフォーマンスを出すことが知られている。(記事)

マスオさんCEO、意外とイケるのかも。

動機の言語化
講演をすると、一番多く頂く質問は「なぜこれを始めようと思ったんですか?」というもの。これは、一番答えに窮する質問だ。

現状の僕にとっては、なにか新しいものを始めるときの一番正直な理由は、すごく単純に「全身がやりたいと感じていること」になっている。それじゃ答えになってないと思われそうだから、一生懸命に考えて、もっともらしい説明をしてみるんだけど、自分自身は完全には納得していないので、妙な違和感が残る。

なぜ動機の説明は難しいのだろう。それは、人が何か新しい一歩を踏み出すときの動機は、それまでの人生の色々な要因が複雑に絡まり合った結果だからかもしれない。個別の出来事一つ一つじゃなくて、それら個別事象が全体として調和したものがその人の思想になっているとしたら、それをうまく紐解いて説明するのは、なかなか骨の折れる作業だろう。

自分の動機を突き詰めるのが難しいからといって、それを放棄するのは勿体無いと思う。自分のアクションの理由をちゃんと言語に落とす努力を続けることで、もっと自分を深く理解し、意志は強固になっていくと思うから。

そのためにも、一番気をつけたいと思っているのは、自分を騙さないこと。ドストエフスキーは、人間は自分の嘘を信じてしまいがちであると喝破していたけど、自分の動機を分かりやすい物語に落としこむことにも、似たような陥穽がある気がする。分かりやすい説明に逃げてしまうと、自分の内なる広大な物語を見つけられないままに人生が終わってしまう。
努力と環境
僕は夏野さんや竹中さんが普段話していることについて同意すること・尊敬するところが多いと思っている。だけど、それは決して彼らの全ての言論に同意することを意味はしない。

先日のTwitterで夏野剛さんがこう書いていた。

「@tnatsu: 僕は富裕層でもないが、お金に困ってない人に共通することが一つだけある。自分の現状を人のせいにしない。この件で絡んでくるやつのほとんどが、社会のせい、政治のせい、人のせい。自分の力不足なんだよ。」



竹中平蔵さんは、東洋経済オンラインで次のように述べている(だいたい、こういう取材記事は時々脚色されるものだけど、ご本人がレビューしたと仮定する)。

「私が、若い人に1つだけ言いたいのは、「みなさんには貧しくなる自由がある」ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と。」



【追記@2012/12/09 14時03分:FBやTwitter、コメント欄で指摘頂いたように、確かに引用した文面だけで「自己責任論」と言い切るのは無理があると思いました。よって、以下は一般に流布している言説への反対意見としてお読みください】


こういう自己責任論っぽいものはいつの時代にも人気があるし、フェアに見えるかもしれない。でも、僕はこういった主張には同意できない。

というのも、この手の主張においては、(1)結果は環境でなく努力にある程度結びついている、(2)努力するしないの意思決定は個人の自由意志に委ねられている、といった前提があるように思えるが、その前提の正しさは疑わしいからだ。

特に僕が同意できないのは、努力できるかどうかは環境と切り離されているかのような考え方だ。努力できる強い心は親をはじめとした多くの人との出会い、環境が作る。たまたまそれに恵まれている人は、自分の今の地位は自分の努力で勝ち取ったものだと思っているけれど、多分、人が築きあげた地位のうち、自己決定の賜物による部分なんてあまりないんだろう。

子どもの貧困を目の当たりにしたり、「働きながら社会を変える」を書くために児童養護施設に関する調べ物をしているうちに、その確信は強くなっている。たぶん、努力できるかどうか、ということそのものが、かなりの程度、客観的要因に左右されている。そして、そういった強い心が育てられる環境に生まれるかは、(家が裕福であるか否かにかかわらず)残念ながら今のところは完全に運次第で、この意味における機会の不平等は多分解消されにくいのだろう。自分の苦境を環境のせいにしないのは難しいし、努力しないで貧しくなる自由なんて実際のところはあまりないと僕は思う。

自分の自由意志を完全に否定するわけではない。でも、それは相当に限定されたもので、僕たちは周りの環境によって左右される生き物であることを理解してはどうか。実際に、心理学の分野では随分前から主張されていることで(例えば、Albert Banduraの “Social Learning Theory”)、脳科学でも同様らしい(池谷裕二さんの本で論文が紹介されていた)。

そうすると、マザーテレサが「私は神の手の中にある鉛筆のように感じる」と言ったことや、西郷隆盛の「天道を為す」という言葉は、より心にストンと落ちてくるのだろう。
マイクロファイナンス・フォーラム2012
IMGP8086.jpg2008年以降、マイクロファイナンスの最新トピックを紹介するために毎年開催してきたマイクロファイナンス・フォーラムも、今回で5回目。毎年、このフォーラムの準備が始まると年の瀬を感じる。。

今回は、マイクロファイナンス・プロジェクトを行なってきLIPの自己否定にもなりかねないテーマに挑む。それは、「マイクロファイナンスには本当に貧困削減効果があるのか?グループレンディングには本当に効果があるのか」というもの。

「マイクロファイナンスの本質はグループレンディングにあり、この金融の仕組みには明確に貧困削減効果がある」とする主張を否定する研究は数多く存在している。ムハマド・ユヌス氏をはじめとする実務家や一部学者がこれら研究に対して反論を試みているものの、まだ決着はついていない(どちらかというと、否定論の方が優勢にみえる)。

今回は、実務家・研究者として類まれな実績を持つStuart Rutherford氏と、マイクロファイナンスの研究を行なっている澤田康幸教授をお招きするとともに、毎回行なっているLIPの独自調査結果を報告して、このテーマについて議論してみたい。特に前提知識がなくても十分に理解が深められる内容となっていますのでご安心を。

また、今回のフォーラムでは、マイクロファイナンスを通じてビジネスを大きく発展させた借手にも来日して頂くことになっている。借手目線での貴重な洞察も得られたらと思う。


皆様のご参加をお待ちしています!


イベント詳細
○日時:2012年12月16日(日)14:00~17:30(開場13:30~)
○場所:日本財団ビル(溜池山王、虎ノ門)
○参加費:3,000円

▼第一部(14:00~15:50)
①Living in Peace(LIP)理事長、慎泰俊による挨拶(5分)
②講演:Stuart Rutherford氏(Safesave創設者)(20分)
③講演:澤田康幸氏(東京大学経済学部教授)(20分)
④LIPプレゼン「貧困削減効果を巡る学説紹介」(15分)
⑤議論「グループレンディングと貧困削減効果」(50分)

(休憩 10分)

▼第二部(16:00~16:30)
①マイクロビジネスアワード概要
②受賞者のビジネスに関して
③受賞者登壇 質疑応答
④現地式典、受賞者のビジネストリップ報告


お申し込みは、こちらのフォームから。

http://ow.ly/fKptf

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