Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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神の認識と人間の態度。
昨日、ある方の主催した小さな会合に参加したのですが、環境に造詣の深い方がたくさんいらっしゃっいました(以前からブログで知っていた方にも偶然お会いし、ブログの力を改めて感じました)。またとない機会なので、以前から疑問を持っていた地球温暖化の問題について、聞いてみました。

地球温暖化が人為的に起こされているものなのか、そうでもないのか、については、論争があります。(この「論争がある」という言い方も、かなりセンシティヴなのかもしれません。というのも、人為的に起こされている、と考えている人々にとっては、この言い方は許せないかもしれないからです) 実際のところ、どうなのでしょうか、と聞いてみました。

環境学者の間では、それでも、地球温暖化は確かに人為的に起こされているという論調が主流のようです。 (それと、日本では、適切な人が環境について語っていないという問題点も指摘されていました。何を話すのではなく、誰が話すのかで議論が左右されてしまい、アルファブロガー(?)なるものが非常に強い力を持ってしまっている。)
 
ただし、その主流の論調の中でも、地球温暖化が人為的に起こされているというのが100%確実なのか、蓋然性が非常に高いがまだ議論の余地はあるのか、については、意見が分かれているようです。 昨日は、その意見の違いが熱い議論に発展しそうにもなっていました。 学者は、自らの研究と信条に基づいて自分の議論を展開しているので、みんな真剣ですし、そうあるべきだと思います。


こんな事を言ったらすごく怒られそうなのですが、僕は科学者のとるべき態度というのは、常に疑問を持つことであり、それが放棄された(禁じられた)時、科学は教義になってしまうのだと思います。 確かに、1+1=2というのは、まぎれもない真実なのかもしれませんが、それこそ無限大に変数が存在する地球環境において、因果関係を明確に示すのは、簡単なことではないと考えています。

疑問があってこそ、科学は発展するので、僕は常に疑問を持つ立場を保ちたいと思っています。


ただし、その科学的な認識における態度と、実際の行動における態度は、まったく違うものだと思います。 こと地球環境においては、変化は不可逆的で、一度ある方向に振れてしまうと取り返しがつかないことになる可能性が非常に高い。 なので、アクションは取るべきだと僕は考えてます。 科学的認識は一種の神の視点からものを考えることだと思いますが、実際のアクションは、今ここで生きている限りをもった人間の立場から行われるべきだと思います。 

こういう考え方は、ファイナンス理論を学んでいる人にとっては特にしっくりくるのかもしれません。人為的地球温暖化の可能性が不確実(しかし非常に高いと昨日話していて感じました)だとしても、その温暖化のリスクは非常に高いので、リスクを回避するべきというのは、人類の知恵なのだと思います。 



Comment
≪この記事へのコメント≫
『科学は人が作ったものです。これは自明のことですが、簡単に忘れられてしまわれがちです。』
-ヴェルナー・ハイゼンベルグ(物理学者)
2008/08/27(水) 14:42:13 | URL | 三浦介 #-[ 編集]
うーん、コメントしづらいのですが(^^;)、認識の限界を知ることは非常に大切なのだと思います。
2008/08/29(金) 02:28:48 | URL | Taejun #-[ 編集]
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