Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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文脈を通じた、情報の変換形式。
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 だいぶ前にも書いたが、小1から緑星囲碁学園と言う道場に9年間通った。 六段という段位に特に意義は感じないが、その過程に得た多くのものについては感謝してもしきれない。

 一つは、記憶力である。 訓練をつむと、最初から、最後までどこに石を置いたか覚えることができるようになる。 
 今日、ふと、この時身につけた記憶の方法論から、より効率的な記録形式を作ることが出来ないものかと考えた。

 素人知識なので穴があると思うが、現在、パソコンなどに記録をする際、0と1を用いた2進法を用いている。 情報を0と1の無数の組み合わせに変換する事により、記録がされているのであるが、常々、「もっと効率のよい変換形式はないのか」と、思っていた。 パソコンのハードディスク容量が残り3GBほどになって起動の重さを感じるようになり、思いは一層つのる。

 さて、囲碁の対局の記録を普通に覚えようとしたら大変である。 最初の1手で361の選択肢があり、次の手には360の選択肢がある。 3手目には、359。 これを機械的に覚えたら大変なことになる。 異常な記憶力の持ち主であっても、記憶は不可能であろう。 
 より長い手数を覚えられるようになるコツは、文脈を通じて覚えることにある。 布石の知識や、相手の力量、手を打った時の思考の経路、感情、全体的な雰囲気などをすべて巻き込んで、覚えることが可能となる。 この記憶術には、本当に長い間世話になっている。

 生きてから死ぬまでの全ての事柄、その膨大な情報量全てを記憶している人間の脳も似たような「文脈を通じた情報の処理システム」をとっていると考えられる。なぜなら、ふと、何かを思い出す時は、そのときの記憶の文脈上に存在したものを見た場合が圧倒的に多いからである。 例えば、自分にとって、バスとビートルズと夏の気候がそろえば、サッカーの合宿が思い出される、など。
 この、文脈を通して記録するのと同じ論理の変換形式を作ることは出来ないものか。できたら、ノーベル賞は確実であろうな。 
 素人であるからできる幼稚な発想なのであろうが、業界の常識を知らない素人にしかできない、革新的な発想と言うのもありえると思う。 どの業界に住むことになっても、つねに、常識の枠にとらわれない、しなやかな生き方をしたいものである。
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