Taejunomics

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史的システムとしての資本主義。
世界の碩学と呼ばれるウォーラスティンの「世界システム論」への入門書とのことで、読んでみました。
史的システムとしての資本主義史的システムとしての資本主義
(1997/08)
I.ウォーラーステイン

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内容

 著者が「史的システムとしての資本主義」(Historical Capitalism)と、資本主義にHistoricalという形容詞をつけたのは、資本主義が普遍のものではなく、時代の制約をもった概念であるという点(すなわち資本主義もいずれ過去のものとなる、という点)を強調したいためのようです。

 資本主義の本性は、資本の絶え間ない蓄積にあり、資本主義システムとは、その蓄積の範囲を絶え間なく拡大し、どうじにその蓄積に資することが価値基準となるようなシステムと著者は考えました。資本蓄積の範囲の拡大は、世の中の多くのものを商品化することにより達成され、資本の蓄積は不等価交換を通じて達成されます。この不等価交換は、資本家対労働者の間でされるのみならず、資本家の間でも同様になされるもので、その点においてウォーラステインはマルクス主義者の極度に単純化された図式に与していません。

 不等価交換を前提とする資本主義に対し、市場システムは等価交換のシステムであり、本来的には資本主義と両立しえないものです。資本主義の目的を貫徹させるためには、市場システムを何らかの形で歪め、不等価交換を実現させる必要があります。それを担当したのが政治であったと著者は説きます。それは、許認可制度に代表される規制、租税、軍事力など多岐に及びます。

 また、資本主義はその本旨を達成するためにいくつかのイデオロギーも産み出しました。普遍主義と人種差別という、一見相反するかのようなイデオロギーも、資本の絶え間ない増殖を達成するために生み出されたものとして共通しているとウォーラステインは喝破します。
 普遍主義は、世界中に共通の価値観-その最たるものは合理主義-を植え付ける道具となり、それは技術力などで優れたグループが、そうでないグループ(しかし他の側面では前者よりも優れている可能性の高い)に優越することを正当化しました。大学などの研究機関は、合理主義を追求することにより、それを持つ国を優越させる道具となりました。
 また、人種差別は、不等価交換を正当化するイデオロギーとなるのみならず、特定の集団をある労働形態に不当に押し込め、同じような労働力の再生産、訓練を可能とし、それに「伝統」というベールをかぶせることに成功しました。肌の色その他身体的特徴というのは一般的に偽装しにくいものであり、それゆえに差別の基準として都合の良いものだったのです。

 資本主義というシステムを歴史的なもの、と規定していることからも分かるように、このシステムが存続しうるかという問いに対する著者の見解は否定的です。資本主義の目的が絶え間ない資本蓄積にある以上、それは絶え間なくすべての物を商品化し、不等価交換を推し進め不平等を拡大する方向に働きます。しかし、商品化の範囲には限界が近づいており、不平等は多くの反対を惹き起こすものです。福祉の向上はこの傾向をゆるやかにはするものの、変えるものではありません。この様な矛盾がある以上、それが蓄積されるうちに、21世紀もしくはそれ以降の世紀において資本主義のシステムは消滅するとウォーラステインは予想しています。

 また、ウォーラステインは近代における進歩史観に疑問を投げかけています。資本主義のもと達成されてきたこれらについて、私たちは進歩と考えることができるのか、と。確かに、物質的な側面から見れば、1000年前に比べて現代ははるかに高い成長を達成してきました。しかし他方では、拡大する格差、世界的に合理主義が蔓延することにより追いやられていった文化などがあり、著者はこれらを踏まえ人々の進歩史観を批判的に考えています。



感想

 壮大というのが第一の感想です。また、著者の進歩史観に対する批判についても考えることが多かったです。たとえば、ひとの心も、無価値と断じられ貶められているものなのではないでしょうか。

 分析の方法論として、さまざまな社会事象をドライブしている要因について仮説を立て、それにもとづいて諸事象をまとめたのちに、論理的帰結として将来を予想するという方法は、多くの場合有用な方法の一つだと思います。しかし他方で、過度の単純化は議論の質を低める可能性もあるため、ファクター抽出におけるバランス感覚は非常に重要だと思います。

 著者が近代において労働者が絶対的な意味合いでも窮乏化しているとする主張には首肯することができません。その主張を支える論拠も乏しく、万人を納得させるものとはならないと思います。



引用したい箇所

P13:史的システムとしての資本主義とは、諸々の生産活動を統合する場であり、時間と空間の限定された具体的な存在なのである。そこでは、あくなき資本蓄積こそが重要な経済活動のすべてを支配する目標ないし「法則」となっている。それはまた、はじめからこの法則に従って活動してきた人々が社会全体に決定的な影響力を及ぼし、他の人々にしても彼らの行動パターンに従うほかはない状況を作りだした。

P47:史的システムとしての資本主義は、明らかに馬鹿げたシステムなのである。そこでは、人はより多くの資本蓄積を行うために、資本を蓄積する。資本家は、いわばくるくる回る踏み車を踏まされている白ネズミのようなもので、より一層速く走るために常に必死で走っているのだ。その過程では、良い暮らしをしている者もあれば、みじめな暮らしを余儀なくされる者もあることは間違いない。しかし、良い暮らしをしている人々にとっても、どこまでその生産水準をあげ続けてゆけるというのだろうか。また、いつまでそんなことが続けられるというのだろうか。

P136:進歩を分析するに際して問題になることのひとつは、そこで用いられる尺度がどれもこれも一方的なものだということである。科学や技術が進歩してきたことについては疑問を抱く余地はなく、息を呑むほどのものだ、と言われている。このことはいちおう事実だし、とくに技術にかんする知識が累積的だという意味ではそのとおりである。しかし、普遍主義のイデオロギーが世界を席巻する過程で失われた知識もあるはずなのだが、その量はどれくらいだったのか。こんなことを論じた人は一人もいない。
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