Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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五辨の椿。
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 山本周五郎を知ったのは、「さぶ」を読んでから。 数々の文学賞候補に選ばれながら受賞を拒否してきた人である。 
 人の弱さ、強さ、やさしさなどに対する著者の暖かいまなざしが叙述全般にあふれていてとても心地よい。 「さぶ」、是非読んでみてください。

 そんな山本周五郎原作の、「五辨の椿」演劇が、人形町は明治座にて上演されている。 知り合いの先輩がチケットを持ちながらも見に行けなくなってしまったため、無償で譲り受けた。 前から三列目の、すばらしい席である。 
 演出や配役は、もっとよく出来たのかもしれないという感じは受けた。 序盤はいまいち噛みあってなかったと思うし、台詞に明治維新後に日本に輸入されたであろう、「尊厳」という言葉が頻繁に出てきたので、かなりの違和感があった。 などなど。
 しかし、全般的にすばらしい舞台だったと思う。 さすがプロ。


 あらすじは以下のとおり-----------------
 
 むさし屋の娘であるおしのは、病を患う父、自分を本当に愛してくれていた父を、つきっきりで看病する。 しかし、甲斐はなく、父はあの世の人となる。 
 病が感染するのを恐れて寮に移ったきりだった淫蕩の母が、浮気相手の女形を連れて、家に帰ってくる。
 父の死体の前で、「気味悪い」と吐き棄てるように言い、「あなたが悲しむことはないよ」と、母。「あなたは、この人の子じゃないんだから。」と。 おしのは、母と源次郎という男の子だったのだ。
 のみならず、父の死体がある部屋の隣で、連れてきた女形と淫行を始める母。 
 寝静まった母と女形に油をかけ、亡父の家に火をつける。 女形の焼死体がおしののものと勘違いされ、死んだものと思われるおしの。 
 しかし、彼女は生きていた。 実の父を含む、母の淫蕩の相手たちへの復讐を胸に誓って。 


 五辨の椿。 辨は、はなびらの「弁」という字の旧字体。 育ての父の愛した花、椿。 憎き5人への復習を果たし、あの世の父に捧げようとするおしのの想いからのタイトルであると思う。
 
 最後がどうなるかは、見ての、または読んでのお楽しみで。
--------------------
 
 四時間にわたる劇を見終えての感想のテーマは、「かなしみ」だった。

 生きていくということは、時に、悲しいことだ、と、思う。 歳を経るごとに、その思いは募る。

 多くの人が、他人には決して言えない悲しみや苦しみを背負って、それでも必死に歯を食いしばって生きている。 おしのや育ての父のみならず、母や、実の父にも、言葉に出せないかなしみがあった。  

 そのようなかなしみや苦悩の深さは、愛の深さに比例するのだとと思う。 深い心情の持ち主は、人をより深く愛せずにはいられない。 そのため、他人について、より一層、かなしみ、憂う。 
 
 かなしみや苦しみについて、忌避される向きが強い、今の世の中である。 
 しかし、かなしみは、まったくの無駄で、不要なものか? そうは思わない。

 かなしみは、人がどのような存在なのかということを教えてくれる。  
 顔は笑っていても、心が血の涙を流すことがある。 この苦しみは、人間が本来どうあるべきかについて示唆をしてくれる。 心のみならず、身体も同じである。 身体に痛みを覚えるからこそ、人は、自らの異常を知る。 本来の健康について考えることになる。 人間が本来愛を望まない存在であれば、また、孤独を望む存在であれば、なぜ、かなしみや苦しみを感じようか。 かなしみや苦しみは、その人が本来あるべき心の状態にないからこそ持つ感情だ。 
 心の痛み、かなしみや苦しみは、自分のありかたがどうあるべきかについて、教えてくれる。 深くかなしむことは、その人間の人間としての偉大さの裏返しなのだと思う。 

 生きていくことが悲しいことだからこそ、世の中が輝かしいものに見えるようになるのだと思う。 暗闇の深さを知る人こそが、陽光のまぶしさを知るように、深い苦悩の持ち主こそが、いつか、生の喜びを誰よりも深く知るのだ。 

 まだ23年とすこししか生きていないが、生きていくことは、

 時に、故人の墓の前で茫然と立ち尽くすことだと思う。
 時に、夕日と蝉の鳴き声がとても懐かしく感じられることだと思う。
 時に、人の優しさに触れ、涙と共に食事を口にすることだと思う。
 時に、一日の仕事の終わりのビールに舌鼓を打つことだと思う。
 時に、後で笑い話になるような行き違いから大喧嘩することだと思う。
 時に、振袖合う縁に心をときめかせることだと思う。

 そうやって、日常の中で喜怒哀楽し、生きていくのだと思う。
 よりよく生きるために、いつまでも、心のしなやかさを保ちながら生きていきたい。

 チケットを譲ってくださった竜先輩、ありがとうございました。
Comment
≪この記事へのコメント≫
TBありがとうございました
舞台になっているんですね。
後ろの片岡さんは、あのお役人さんでしょうか?
この人が大きくポスターに出てるってことはその辺りをミステリ仕立てにしてるのかしら??

「おしの」の菊川さん、あってる気もしますが、確かに他にいそうな気がしますね。
意思の強さが全面に出ているので、週潤する感じ、葛藤する感じが弱くなりそう・・・
でも、舞台が見られる。 やっぱり東京ですね。羨ましいです。
2005/06/22(水) 11:03:42 | URL | なほまる #-[ 編集]
感想よませていただきました。 心に何か残ったようで非常にうれしいです。
『かなしさ』がのこったと。。。そうか。。。
TJの文を読むと、コレだけ読むとすごい女性的な文というか立場だなと感じた。
いろんな角度から見れるのかな? いろいろ個性があるなとつくづく思いました。
次は、劇団四季とか見に行こうかと思ってます。
僕のテーマは、『感性』を豊かにすることですから。。。(にやり)
2005/06/22(水) 12:30:55 | URL | ryu #-[ 編集]
れす。
>なほまる さん
 TBありがとうございました。
 予想されたとおり、片岡さんは、青木役で出ていました。 さすが、役者歴30年、科白の言い回しなど、すばらしい技量が、素人にも伝わりました。
 菊川さんについては、まあ、初舞台であれだけできれば、とは感じました。 ただ、やはり、まだ経験が浅いので、これからでしょうね。 下積みでやってきたひとには、たまったもんじゃないんだろうなー、とかも思ってしまいました。
 また、よろしくお願いします。

>Ryu先輩
 コメントありがとうございます。
 文体は、そうですか、初めて指摘されましたね。 ブログ内ではジェンダー中立的なものの書き方ができればとは、いつも思ってはいます。 そのせいでしょうかね^^;
 感性の重要性については、本当に同感です。 日々磨きたいと思っています。
 劇団四季いいですねー☆ 
 また、どうぞよろしくです。


  

 
2005/06/22(水) 17:52:25 | URL | 手順@管理人 #-[ 編集]
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「弁」の字は本当は旧字の難しい字。そっちの方が雰囲気が出ていますが、仕方なし。山本周五郎といえば、誰でも名前は知ってると思います。時代小説の名手と言うとちょっと陳腐ですが、名前を冠する文学賞もありますね。なほまるは、この人の書く女性が大好き。時代が時代...
2005/06/22(水) 10:57:26 | なほまる日記
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