Taejunomics

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歴史哲学講義―1/2
歴史哲学講義歴史哲学講義 (上) (岩波文庫)


ヘーゲルの実際の講義録を本にしたものとされる本書は、ヘーゲルの直接の著作ではなく、ヘーゲルの弟子たちによるものと言われています。講義録ということもあり、ヘーゲルの本の中では比較的分かりやすい分類に入る本書ですが、分かりやすさゆえに生じる誤解も少なくないそうです。

本書は200ページ弱の序論があり、本書のエッセンスはここにあるようです。その後は各国の歴史をヘーゲルの歴史観に基づき述べるという方針をとっています。


1.世界史の区切り方

ヘーゲルによると、世界史とされるものには、三種類があります。

第一が、単に事実そのままの歴史。あったことを、淡々と記述する歴史です。しかし、この方法によって事実のすべてを見渡すということは不可能です。さらに、「上にたってはじめて、ものごとを公平に満遍なく見渡せるのだから、下の小さい窓口から見上げているだけでは事実の全体はとらえることはできない」、とヘーゲルはコメントします。

第二が、反省を加えた歴史というものです。これには、通史や、実用的な歴史(歴史から何らかの教訓を見出そうとするもの)、批判を主眼とした歴史、個別的な分野を扱った歴史が含まれます。これら歴史の共通点は、単なる事実を記述するのではなく、その記述において著者の何らかの考えが反省されるという点にあります。

ヘーゲルのこれら歴史に対する批判、特に実用的な歴史に対する批判には瞠目する価値があります。それぞれの時代は、その時代に特有な、発展し続ける精神の体現でしかなく、一般精神が過去よりも発展した現代と過去を比較しても、それは全く違ったものの比較でしかなく、有用なものとはなりえない、とヘーゲルは喝破します。

「君主や政治家や民衆に向かって、歴史の経験に学ぶべきだ、と説く人はよくいますが、経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史から何かを学ぶといったことは一度たりともなく、歴史から引き出された教訓に従って行動したことなどまったくない、ということです。
・・・ギリシャやローマをひきあいに出すという、史上にくりかえされ、フランス革命の際にもよく見られた試みほど、無意味なものはない。古代のギリシャ・ローマと近代人とはその性格がまったく異なるのです。」

そして、第三が、哲学的な歴史であり、本書の主眼となるものです。ヘーゲルは、歴史を考察する際には、その外面的な特徴を見るのでは十分でなく、ある事件や行為の内側にあってそれらを導く歴史の魂というものを考察しなければいけないと考えました。この魂とは、ヘーゲルによれば理性です。 ヘーゲルは、世界史とは自由を本質とする精神の絶え間ない自己実現の過程であると考えました。



2.歴史における理性とはなにか

2.1.精神の定義
ヘーゲルによれば、精神とは内部に中心をもち、自由を本質としています。彼は、歴史とは、精神が本来の自己を次第に正確に知っていく過程を叙述するものだと考えました。たとえば、東洋人(おそらく中国の古代史の時代を指しています)はひとりが自由だと知るだけであり、ギリシャとローマの世界は特定の人々が自由だと知り、ゲルマン人はすべての人間が人間それ自体として自由だと知っているとして、ヘーゲルは、時代の変遷とともに自由の概念がより本来あるべきものに近づいてきたと考えました。


2.2.自由を実現する手段
ここで、多くの場所で(しばしば文脈を無視され)紹介されるヘーゲルの名言が登場します。

「一個人が、現に自分がもち、またもちうるかもしれぬ全ての関心や目的を無視して、自分に内在する意思の血潮のすべてをある対象にそそぎこみ、この目的にむかってすべての欲望と力を集中させるとき、個人の全重量の込められたこの関心を情熱と名付けることができますが、そう名づけたとき、世の大事業は情熱なくしては成就されない、といわねばなりません。(下線は著者による傍点部)」

世界史を貫徹する精神の目的である自由は何によって達成されてきたのか、という問いに対するヘーゲルの答えは、「人々の情熱」でした。ある事業に全精力を傾けて没入し完遂していく人々は、自らが理性の導きによって行為していることを意識はしません。しかし理性は貫徹されている。このような、人々の目に見えぬ導きの糸として理性が存在するとヘーゲルは考えました。

この理念が貫徹される世界史において、大きく時代をドライブするのが偉人です。ヘーゲルによれば、「歴史上の偉人とは、自分のめざす特殊な目的が、世界精神の意思に合致するような実体的内容をもつ人のことです。偉人が英雄とよばれるのは、その目的や使命を、現存体制によって正当化されるような、安定した秩序のある事態の動きから汲み取るばかりでなく、内容が隠されて目に見える形をとらないような源泉からも汲みとってくる場合にかぎられます。」言い換えると、人々にとって認識されつつも体現されてこなかった理念を言語化し、それを貫徹し、時代の精神を、次の時代のものへと変革する人のことを、偉人と呼ぶのだとヘーゲルは考えました。

人々が偉人に共感し従っていくのは、偉人個人の性質がそうさせるのではなく、偉人の体現する一般理念が、とりもなおさず民衆自身から生み出されたものだからでしょう。人は自分の中から生み出されたものには従うものです。

このようにして、ある時代において、人々の中から生まれた理念は変革者の行動を通じて、既存の体制を打ち壊していくことになります。つまり、人は自分たちが生み出した理念によって、自分たちが過去に生み出した理念の対現物を打ち壊していくのです。 世界史とはこのような絶え間ない自己の克服の過程であり、ここにこそ、精神を有する人間とそれを有しない動植物との違いがあります。

(つづく)
Comment
≪この記事へのコメント≫
中公新書
どうも。ヘーゲルとは関係ない話ですが。

中公新書でマイクロファイナンスの本が出てますが、
読まれましたか?
2009/10/06(火) 10:15:25 | URL | タナカコウイチロウ #-[ 編集]
Re: 中公新書
ご無沙汰しています。

> 中公新書でマイクロファイナンスの本が出てますが、
> 読まれましたか?

いえ。(最近読む本が多すぎて追いついていないです・・・)
今度本屋で見てみますね。有難うございました。
2009/10/06(火) 12:00:13 | URL | Taejun #-[ 編集]
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