Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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社会起業家叩き?
(走り書きなので、後に修正の可能性あり)
フローレンスの駒崎弘樹さんのブログから。


サイバーエージェント社長 藤田晋 氏
「この世代は社会起業家が増えているというが、その前にすべきことがあると思う。ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考えるが、経営者として事業を大きくすることが今の目標だ。長く経営者として責任とプレッシャーと闘っている私からすれば、社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。」

元マイクロソフト社長 成毛眞 氏
「もし仮に景気がよければ、社会起業家にはならず、今も外資金融やベンチャーに在籍しているはず。本人たちは、社会起業家としての社会的意義や使命について何ら疑うところはないし、心の底からそれを信じているのだろうが、私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。」

マネックスグループCEO 松本大 氏
「厳しいことを言えば、自己の満足という点で、それ(マッキンゼー→ボランティアなキャリアの人)は長続きしないと思う。私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。」


僕がITベンチャーの経営を始めた8年前、彼らは「大企業だけが人生じゃない。挑戦しよう。」というメッセージを若者だった僕たちに投げかけてくれていました。まだまだ彼らの会社は小さいものでしたが、それでもそうした前向きな姿勢に僕たちはキラキラと輝くものを見たのでした。

あれから幾年月。あの頃そうしたメッセージを投げかけていた若きリーダー達は、後輩たちが日本社会のために何とか頑張ろう、と挑戦している姿に対して、「逃げている」とダメだしの言葉を投げかけるようになってしまいました。



これはダメ出しとは思えず、真摯なアドバイスだと感じます。

どんな事業でも、重要なことは、市場を満足させられるだけのモノを産み出せるかどうかにあり、それが社会性を帯びているか否かは、副次的な問題だと思います。 市場が評価軸を見誤ると失敗するというのは、別に新しい話ではないでしょう。 市場にいる人々の考えがすこしずつ変わり、社会性が評価軸の一つとなっていくのかどうかは議論のあるところかもしれません。 10年後の状況を見れば、市場の評価軸の実相がある程度見えてくると思います。

この議論はある意味、芸術品の評価に似ているのかもしれません。多くの人は、芸術品を見るとき、その美しさや技巧の豊かさに惹かれますが、中には、その芸術家の動機や生涯に惹かれる人もいるかもしれません。芸術性を事業性、芸術家の生涯を社会性に見立てても似た様な議論が成立すると思います。 


藤田氏に少しだけ反論すると、僕の知っている人々は、自分の仕事を逃げとは思っていなくて、社会性のあるなしに関わらず事業として自分たちの仕事が成立するかとことん追求しています。
今twitterで受けたマザーハウスの山崎さんからのレスにもよく現れている気がします。(というか、マザーハウスは社会的企業、というより、企業だと個人的に思っていますが)

”社内の議論も9割が事業性、要するにお客様にどんな価値ある商品を提供できるかを議論している。
勿論、理念を通した自分たちの社会の理想像については本当に尽きること無いほど議論している。しているというより、暇があると議論してしまう。”



僕たちがずっと話しているマイクロファイナンスファンドも、規模が小さければ難しいけれど、しっかりと規模が取れればビジネスとして確実に成立する(事実、欧米でのいくつかのファンドは確かに成立している)というのが重要なポイントだと思っています。もちろん、個人的な想いとしては、それが貧困の削減にもつながるというのがあるわけですが。

そもそものところ、僕は未だに社会起業家というものが何なのか良くわかっていないのですが。 正確な定義なしにバズワード・ジャーゴンがひとり走りするのはあまり良くないと思っています。 (個人的には、ファイナンスと開発分野にはバズワードがとても多い気がします)





Comment
≪この記事へのコメント≫
社会起業家という言葉にそもそも違和感
yoshikです。こんにちは。引き続き拝読させていただいております。
この中に元上司の名前もあったのでつい反応してしまいました笑
社会起業家叩き、ではないですが、ボク自身は「社会起業家」という言葉そのものに違和感を感じています。Taejunさんのおっしゃるとおり「定義」が曖昧で、バズワード・ジャーゴン(ボクはマジカルワードといいますが)なのでしょうね。

ボクは一度大学院生向けの講演で自分なりに「ビジネス」を定義したことがありました。その定義とは「自律した社会貢献」です。
ビジネスに取り組む場合、ある製品やサービスに対して対価が支払われます。それはその製品やサービスに価値があると認めてくれる人がいるからです。大小関わらず、そこには社会的価値がある、とボクは考えています。そういう意味で社会貢献と思っています。
そういう製品やサービスを提供するために必要な資金を寄付やら特定の人の善意に頼るのではなくて、ある程度の利得をもたらすことを約束した上で株主になってもらう。誰かに依存するのではなく、資金提供者とも対等な立場でステークホルダーとして運命を共有する。そういう意味で「自律した」と付記しています。
あわてて「社会起業家」の定義をwikipedia(?)で拝見しましたが、「社会起業家は、社会にどれだけの強い効果を与えたかを成功したかどうかの尺度としている」とありますが、もしこの定義が正しいとすれば、私からすると通常のビジネスや起業家にも当てはまることで、むしろ皆そう思って起業したんじゃないの?別に社会起業家なんて今更名乗らなくてもいいんじゃないの?と思うわけです。

自分も来年起業するのですが、確かにお金儲けしなければ家族を食べさせることができないという危機感もあります。が、それだけではなくて「自分のできることで世界に貢献したい」という思いをもてたからこそ起業に踏み切るわけです。

今、インドですが、1月は東京にいるので、Taejunさんとは是非お話してみたいです!
2009/12/16(水) 14:19:43 | URL | yoshik #162nOX/s[ 編集]
こんにちは。
藤田氏を擁護するつもりは全くないのですが、
(長いものに巻かれているわけではありません!)

社会起業家の定義が分からない。というより、皆、各々の中で社会起業家の定義があると思うんですよね。
だから、まず、その人にとっての社会起業家の定義を前置きしてから話さないと、受け手はそれぞれの認識を持ってしまう気がする。
そうすると、交わることなく終わっちゃいそうで寂しい。(twitterより)

「社会起業家」という定義と同じように、目的・目標・立ち位置・立場によって正義も異なると思うんです。

でも、それはどれが正しいとか正しくないとかは、一筋縄でいかないと思いますし、それぞれあって然るべきなのかなと。

駒崎弘樹さんのBlogについて一言失礼します。。
世間のNPOに対する冷たい目とかは、時代かなと。
藤田氏に関する内容に関しては、叩いている訳ではないのかなと。

ダメだしは、イコール悪ではないと思いますし。ただ、「逃げている」というのは、違うかなと。
それぞれの正義を心に抱き道を進んでいる人たちは決して逃げて居る人とは思えません。
藤田氏は事業の拡大・成功という経営視点で見た時の考えが強すぎるのかもですね。

長文失礼しました。

2009/12/16(水) 20:06:15 | URL | 山辺祥子 #5yoB7Kng[ 編集]
まず、言葉が示す対象が著しく曖昧である時、その言葉で十把一絡げに断定的な判断を下すのは、とても危険ですね。
ただ、そのうえで、所謂「言わんとすること」を考えるに、ひとつ、思うことがあります。

誤解を恐れず敢えて言えば、自らを社会起業家と名乗るような風潮には、ある種の精神の怠慢(あるいは、そう捉えられる可能性)が生まれやすいと思うのです。
多くの人が、起業するにせよ雇用されるにせよ、仕事を通して社会の役に立ちたいと望みます。
そして、その仕事の目的、あり方、手段、すべてひっくるめたところで、市場に、社会にその是非を問います。
自分は社会の役に立てているのかどうか、もっと役に立つ可能性はあるのかどうか、必死に考え、もがきます。

けれども、社会起業家を名乗ることで、最初から自らの行いが「社会に対して善である」という前提に疑いを持たずに出発してしまうことになると、逆に、社会と、そして何より自分の信念に対して真摯な態度で接することができなくなると思うのです。

もちろん、社会起業家という肩書を背負うことで、その責任に対してより深い想いを抱く方もいらっしゃることと思います。
ただ、「社会起業家」であろうがなかろうが、自分の信念をめぐる社会との真剣な対話こそが大事なのではないかと思うのです。
2009/12/16(水) 21:21:20 | URL | SK #-[ 編集]
皆様
有難うございました。 久々に気合の入ったコメントがたくさんついて嬉しいです。

yoshikさん、仰る通り、言葉がよくわからないところからそもそもの議論の混乱が生まれている気がします。 自律と貢献って、きちんと両立するはずですよね。
日本にいらしたらぜひご連絡ください! 


山辺祥子さん
この内容で実名でのコメント、脱帽です。
さて、仰る通り、そもそもの問題は、言葉がいまいちよくわからない点にあると思っています。 社会起業家とBOPは両方バズワードになる予感がしています。。

藤田さんらが決して他人の可能性を否定しているとは思っていませんし、おそらく、一部の事業の社会性を後ろ盾に自己満足に走ってしまっている人々を指しているのだと思います。


SKさん
先日はありがとうございます。
仰る通りで、結果社会起業家と呼ばれるようなものになることはあっても、自らが社会起業家を自称することにはすごく違和感を感じるんですよね。
精神のおごり、という表現すごく共感します。

最後のラインも同意します。






2009/12/17(木) 02:09:22 | URL | Taejun #-[ 編集]
社会起業家とは、社会問題を解決するために、ビジネスという手法を使って事業展開している人のことです。
ただの無償ボランティアでは継続できませんし、拡大もできません。
例えば、過疎化が進んでいる深刻な地域で国内外から住人を誘致するため、なにかビジネス的手法を用いて継続的に定住を図る策を講じるなど。
ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)は欧米でも普通に認知され、存在するものです。
何が分からないのか分かりません。
単に勉強不足かなと思います。
通りがかりで口をはさんですみません。

2009/12/17(木) 18:51:25 | URL | 通りすがりのもの #-[ 編集]
「精神的なおごり」とのことですが、ずいぶんですね。。。

たまたま社会起業家という概念に当てはまっただけで、そう呼ばれたくて起業したわけでもないのです。
自称することがなぜ、「精神的おごり」なのでしょうか。
自分がいいことしているとか、偉いとか彼らは別に思っていないと思いますよ。たまたま、概念に当てはまっただけです。
彼ら・彼女らと話す機会がありましたが、志が高く、謙虚な方々でしたよ。おごりだんて、とんでもない。本当にひどすぎます。
そんなことを言って萎えさせるのは、とても残念です。








2009/12/17(木) 19:17:13 | URL | 通りすがりのもの2 #-[ 編集]
Re: タイトルなし
通りすがりの者さん

はじめまして。気を悪くしてしまったらごめんなさい。
ご指摘の件ですが、社会起業家の一般的な定義はもちろん知っています。
ですが、そのような定義では、普通の企業と何が違うのか良くわかりません。 企業は何らかの社会的問題を解決するために仕事をしているはずで、そうでなくなったときは、その起業の寿命が雄ある時なのだと思っています。

本文にも書いている通り、僕はいわゆる「社会起業家」とよばれる人々と一緒になることも多く、みんな素晴らしい方々で日々必死に活動している方が多いことは知っています。

精神のおごり、というのは、上のような方々について話しているわけでは決して無く、それより、単に社会起業家という名称や活動趣旨だけに拠り所を見出してしまうようなケースについて話しているものです。

また、本当に真剣にされている方ほど、自分たちが社会起業家であるとは呼んでいないと感じています。

これからもどうぞ宜しくお願い致します。
2009/12/19(土) 07:35:05 | URL | Taejun #-[ 編集]
[企業は何らかの社会的問題を解決するために仕事をしているはず]
ちょっとよくわかりません。

例えば、「美味しいラーメンをみんなに食べてもらいたい」から起業する」のと、「身近な貧困問題に直面し、収益を得ながらその地域人々の就労支援等をもひとまとめする策を講じ、「食」からアプローチする起業」(社会的企業)とは異なると思います。
もちろん、両者とも、素敵なことだと思います。

どちらにせよ、例えば前者のような企業だってCSRを実践するところが増えてきていますから、「定義がどうこう」ということばかりにこだわらず、相乗効果でよい社会になっていけば良いなと思っています。

ついつい熱くなって失礼いたしました。

慎さんも、頑張ってください。
2009/12/19(土) 10:08:18 | URL | 通りすがりのもの3 #-[ 編集]
不快な気持にさせるような表現をつかってしまい、すみません。また、その表現を補完するだけの文章も書けていなかったのだと思います。

ただ、慎さんのブログの本文を読み、「社会起業家」という区分が「安易に」横行すると危険だと思いました。己のこととして社会を、世界を想い起業される方々の志が、単にレッテルを貼ることで満足してしまうケースと一緒にされてしまうと思ったからです。
何をするか、ではなく、どこまで真剣に、誠実にとりくむか、ということこそが、ひいては個々人と社会とのかかわりを決めると思います。

いずれにせよ、不快な思いにさせてしまうような表現を使ってしまい、すみませんでした。
2009/12/19(土) 11:26:45 | URL | SK #-[ 編集]
通りすがりさん

有難うございます。レス遅れてすみません。

おっしゃるような例であれば分かりやすいのですが、かなり微妙なものがあり、線引きに正直戸惑います。 例えば、衣料メーカーがバングラデシュで服を作り、雇用を作り出す、といったケースになるといよいよプレゼンの仕方次第で何ともいえる状況になっている気がします。

なんにせよ、これからも頑張ります! 有難うございました。

2009/12/22(火) 02:17:00 | URL | Taejun #-[ 編集]
「社会起業家」って言い方はやめたほうがいいと思うんですよね。

なぜなら、この言葉はまるでたとえば藤田さんなど普通の「起業家」が「社会に対して貢献していない」というふうに認知されてしまうことを促進するリスクがあるからです。

藤田さんはおそらく
「俺だってブログとかいろいろがんばって社会のためになるようなことをしてる。
なのに、「社会起業家」という言葉は、まるで俺たちが社会とは関係ないかのように世間の人に思わせてしまうように聞こえるんだよなぁ・・・」
と思っているはずです。

どちらもとてもよいことをしているので、無用な感情的なしこりを生む「社会起業家」という言葉はやめて(放送禁止用語にしてもいいとすら私は考えています)、別の言い方にしたほうがいいと思うんですよね。

仮に藤田さんが抱える感情的なしこりがなくなったら、藤田さんが駒崎さんのところにすごく寄付してくれるかもしれませんし、駒崎さんのほうでも藤田さんに何かプラスになることができるかもしれません。
絶対こっちのほうがいいですよ。

とにかく「社会起業家」という言葉はなくなってほしいな、と思います。
(問題は、それに変わる適切な言い方が思い浮かばないことです・・・何かいいアイディアはないだろうかと考えてはいるのですが・・・)
2011/12/04(日) 03:40:40 | URL | 権兵衛 #-[ 編集]
権兵衛さん、そうですね。言葉というのは、それはそれで重要ですが、もののひとつの形でしかないので、それにあまりこだわらずにどのようなアクションをとるかにフォーカスしたほうがよいのかもしれません。バズワードは出続けるでしょうから。
2011/12/21(水) 07:28:17 | URL | Taejun #-[ 編集]
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