Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
花の家の記録
色とりどりの花咲く家
東京から高速に乗って一時間足らず、緑に囲まれた山の一角に、その児童養護施設はある。パンジー、八重桜、チューリップ、タンポポらが、白塗りの時計台のような建物を囲む。
施設は1985年に設立された。地元の名士でもある親が先祖の代から持っていた山を切り開いて、施設を建てた。千葉県に17あるうち14番目の施設だ。設立当初に受け入れた人数は40人で、13、13、14というグループに、年配と二人の若い男女の計3人の職員がついていた。設立当初から、ひとつのグループがひとつの家庭を築く、というコンセプトで施設は運営されてきた。

この施設の設立の歴史は1970年に遡る。施設の設立者でもある理事長は、スイスにある「ペスタロッチ子供の家」という国際児童養護施設で働いていた。そこで彼女は、韓国人の子どもから衝撃的な言葉を受ける。
「日本人って、ひどいことをするんだってね。」
この意識が育つ背景には、国家間の反目と差別があると彼女は考えた。当時日本では殆どなかった、外国人を受け入れる児童養護施設を設立することを志すようになった。

帰国したのち、インドシナ難民の子どもを引取り自宅で育てていた時期を経て、理事長はこの施設を設立した。設立当初、子どもの3分の1が外国籍保有者だったが、そのような施設はここの他にはほとんどなかった。今は、外国籍を持っている子どもは一人だけだ。ただし、親が外国籍の人はさらにたくさんいる。

他の施設と同様、ここにも虐待、貧困、親の知的障害などの理由で子どもたちがやってくる。9割のこどもは虐待を受けている。設立当初は手が早く出る子どもが多かったそうだ。外国籍の子どもが多いということもあってか、半分近くの子どもには親がいなかった。

家庭に問題があり通報がされると、子どもたちは何も分からないまま連れ出され、児童相談所で1ヶ月ほど「保護」される。この間は学校に行けない。この状況を指して二次的虐待という人もいる。特に、千葉、東京、大阪、神奈川の社会的擁護の状況はひどい状況にあり、児童相談所は常に定員オーバーだ。児童養護施設にも、最も深刻な状況にある子どもたちが送られることになる。何も知らないままに、仲の良い友達に対しての別れも告げられず、子どもたちは自分のいた学校とコミュニティとの離別を余儀なくされる。



家庭に近い環境づくり
子供にとって一番大切なことのひとつは家庭を知ること。家庭を知らないと、僕たちにとっては当たり前のことができない場合がある。たとえば、僕たちは食卓の上に鍋料理と皿が載っていたら、自分でよそって食べるだろう。だけど、もし施設で給食の形式だけで食事をしていると、そういった普通のことも身につかない場合がある。家庭を知らないがために生じるギャップ故に、結婚時に夫婦生活がうまくいかず離婚してしまうこともある。

こういったこともあり、施設では家になるべく近い環境で子どもを育てることを目指している。子どもたちには、ここが二番目の家であると伝えているそうだ。特に年齢の高い子供達についてはグループホームをつくり、5人で共同生活を送るようにしている。でも、家に近い環境を作るにはコストがかかり、なかなか全員に対してはそうはいかない。

この施設では、月に一回会議を行っている。職員なしで会議を行う場合もあり、スリッパ並べ、ご飯のおかず、門限、外泊、携帯電話の保持など、生活に関係した内容について話しあう。


子どもが家庭を知って育つためには、里親の制度が根付くことが最もよい解決策だと言う人もいる。欧米では里親は多いが、日本では根付くまでまだ時間がかかるのかもしれない。



隣人のたすけ
施設以外の人々と接点を持つことも大切だ。この施設では、子どもたちが地域の中に浸透出来るように、村祭りを一緒に盛り上げている。他にも、クリスマス会、国際交流の会、など二ヶ月に一度は何らかのイベントがあり、周りの人との接点を持てるための活動をしている。粗食の日というのもある。これは、その日はご飯と味噌汁だけで食事をして、浮いた食費で、海外のさらに貧しい子どもたちのために寄付をするというものだ。こうして、自分たちが受け取るだけではなく、与えることも出来るという自覚を促す。

支援団体となっている企業を訪問するイベントもある。子どもたちにとっては、職場というのは町工場のようなイメージで固定化されている場合がある。そういう子どもたちが、多くの人が名前を知っているような大企業を訪問する。実際にオフィスに入り、職場の風景を見て、「自分には無理だ」と尻込みする子もいるが「自分はこういうところで働きたい」と決意する子どももいる。

施設の外にいて、子どもたちを気遣ってくれる大人の存在は本当に重要だ。施設は子どもたちにとっては家のようなもので、施設の職員が子どもに対して愛情を注ぐのは、子どもたちにとっては良い意味で「当然のこと」と思われているのかもしれない。だからこそ、外の人々が子どもに接して信頼関係を築くことには意義がある。

「ここにも自分を大切にしてくれる人がいる」という気付きは、時として人間に大きな影響を与える。例えば、社会から完全に疎外されてきた結果として罪を犯した人が、刑務所で優しい人と出会うことによって変わることがある。こういった心理的効果は、施設にいる子供にとっても同じなのだと思う。別に、子どもに対して親のように密接に関わらなくてもいい。数週間に一度の割合で顔を会わせ、お祝い事をしてあげたり、相談を聞いてあげたりする、「身近なお兄さん・お姉さん」になれるだけでも、とても大きな効果がある。

この施設は他にも、海外から人身売買同前で日本にやってきたシングルマザーが最大二年間家賃を払わずに住むための家も提供している。東南アジア系の女性が多く、幼子とともに住んでいる人が多い。



お金がモノをいう現実
国際色豊かな活動と、理事長の精力的な対外活動が効を奏し、施設の中には国際機関からの表彰状がずらりと並ぶ。下賜金を受けたこともある。表彰によって施設への信頼が高まり、さらに多くのお金が集まり、それがさらに施設の信頼性を高める。そういった正のループが回っているように感じられた。

施設にとって何より必要なものの一つはお金だと、改めて痛感した。お金より重要なものがあることには何の疑問もない。でも、お金が無いゆえの悲劇が世の中にはあまりにも多い。

お金は、傷ついた心を持った子どもたちの成長において重要な役割を果たす。お金のある施設は多くの職員を雇うことができる。職員が多くいれば、その分、ひとりひとりの子どもに十分なケアをすることが出来る。時間をかけて気遣われることほど、子どもの回復にとって重要なものはないのだ。

今日訪問した施設では46人の子どもに対して18人の直接指導スタッフを含めた総勢29人の職員がいる。真に家庭的な環境で育てるにはまだ足りないけれど、この職員数は多い方だ。

職員数が少ない施設に普段通っている僕は、職員数の違いがもたらす結果に驚かされた。こどもの表情、言葉遣い、態度といった感覚的な側面のみならず、就業率、大学進学率、勤続年数、高校中退率といった数字にも、お金のある施設と無い施設の格差が如実に現れていた。今年の三月に卒業した四人のうち、三人がそれぞれマッサージ師、障害者の施設の職員、主婦になった。一人は東京農大に進学している。この三年間で、高校を中退した子どもは一人もいない。

この施設のように職員を増やすことは容易ではない。国からの助成金は、小学生以上の子ども六人に対して一人の職員が雇える分のお金しか出ない。寄付が一切受けられない施設においては、一人の職員が施設の仕事もしながら六人の子供の面倒をみる計算になる。ひとり親で子ども六人を育てる絵を想像してみてほしい。かてて加えて、相手は心に深い傷を負った子どもたちだ。職員には、子どもに対して十分なケアをする時間的余裕がなくなってしまう。こどもの心が回復しないと、さらに子どもが問題を起こす場合がある。もっと多くの時間が必要になる。だけど、時間がない。その悪循環が続き、燃え尽きてしまう施設職員が後を絶たない。さらに、児童養護施設への就職の人気も下がっている。施設内虐待の問題が過大に報道された結果、もともと給料が低く(高い場所もある)、過酷である児童養護施設で働こうとする人は減少している。



施設の格差が第二の運命の翻弄をもたらす
暗澹たる気持ちになる。子どもは生まれてくる親を選べない。それは運命というには酷なことだ。

さらに、子どもたちは、自分がケアを十分に受けられる施設に行けるか否かについても、運命の偶然に委ねるしかない。親からの虐待にあい、何も分からないまま親から引き離され、児童相談所に1ヶ月間閉じ込められ末にまた運命に弄ばれるのはあまりにも酷なことだ。

社会の役割のひとつは個々人がなるべく運命の偶然に翻弄されないようにすること、言い換えると、個々人リスクを下げることにあると僕は思う。ある子どもが、運悪くひどい家庭に生まれてしまったとしても、公的施設の存在が最後の支えになる。その公的施設に格差が存在するのは、税制されるべきだと僕は思う。

こんなこともあってか、最近僕の頭からは施設の資金調達のことが頭を離れない。ミクロレベルで、ある一つの施設の資金調達を支援することは、頑張れば可能だと思う。だけど、これは構造的な問題であって、構造的な問題解決を考えたい。もちろん、目の前のことも忘れずに、コツコツと活動は続けていこうと思う。

Comment
≪この記事へのコメント≫
資金面に関しては、難しい。私も考えます。政策を動かす努力をするか、営利を考えるか。それとも、援助金調達方法を考えるか。それとも別の仕組みを・・・
2010/04/21(水) 06:32:14 | URL | yuki_yamashita #-[ 編集]
Re: タイトルなし
有難うございます。
全部必要なのだと思っています。 何にせよ重要なのは、知っている人を増やすことだと思うんですよね。 
2010/04/23(金) 00:55:19 | URL | Taejun #ZMelWszU[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する
 
Trackback
この記事のトラックバックURL
≪この記事へのトラックバック≫
Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。