Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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ミッション・インポッシブル
少なくない日本製造業の経営者たちは、ミッション・インポッシブルともいえる課題を前にして日夜必死に考えて、事業の運営をしている。そこに尊敬の念と希望を抱き、鼓舞される。


日本の製造業、特に新興国でも製造可能なモノを国内で作っている企業は本当に苦しい状況にある。普通に計算すると、コスト競争力が圧倒的に異なってくるからだ。原材料や工場設備はどこの国でもほとんど同じ価格だが、土地代や人件費などが大きく異なる。例えば、人件費が全体のコストの3割を占めるのであれば、日本と新興国で同じモノを作った場合に必要なコストが2割は変わってくる。同じものが100円と80円で売られていたら、どちらが購入されるのかは明らかだ。最近はさらに為替の影響まである。

こういったことを理由に、学者や金融関係者その他「プロフェッショナル」とよばれる人からは、製造業はこの国を出ていくべきであるという意見がかまびすしい。企業が株主のために利益を上げ続けるべきである、という点から考えると、それは全く正しいように見える。

しかし、僕たちは正論や一般論の世界で生きているわけではなくて、色々な摩擦のある世界で生きている。リアルの世界では、正論や一般論は薄っぺらに思えることがある。

現状で日本の製造業が大挙してこの国を出ていったら、残された人々はどうなるのか。新しい雇用を創出するビジネスはまだこの国では十分な規模になっていない。しかも、若い人が新しい業態の企業に転職することは可能かもしれないが、工場で20年間一つごとだけを続けてきた人々はどうするのか。一緒に全員を海外に連れていく、というのも非合理的な話だろう。産業転換に関する全般的な方向性は正しいといっても、世の中の急激な変化には、多くの場合に悲劇が生じる。

雇用に人の人生がかかっているということ、製造拠点の海外移転が従業員とその家族の生活に大きな影響を及ぼすことを、まともな経営者であれば分かっている。時には泣く泣く従業員をレイオフし、それを誰かに責任転嫁せず、自分の十字架として背負う。そういう日々を送っているからこそ、ほとんどミッション・インポッシブルであることを知りながら、日本に留まり競争を続けていくことを選択している。


製造業は海外に出ていくべきであるという「正論」を声高に叫ぶ人々の中に、こういった苦渋の選択に思いを馳せている人々はどれくらいいるのだろうか。こういった主張をするホワイトカラーの人々は、比較的安全な場所にいる。別に日本の産業が空洞化しても、他の国で働き口を探すことができる可能性は、相対的に高い(英語ができないと厳しいかもしれないけど)。相手の立場を理解しようという努力なしには、議論は平行線をたどることが多い。

また、こういった経営者の姿勢を悪しきパターナリズムだと弾劾する人々もいるかもしれない。時々は僕もそう思うことがあるけれど、現場に行って色々な現実をつきつけられると、少なくともこのような経営者の姿勢が絶対に誤っているとはなかなか断言できなくなる。


少なくない製造業の経営者らは「日本で無理な闘いと知りつつも、必死にこの国での事業を守っていこうという心意気があるからこそ、出てくる知恵がある」という。具体的には、製造工程を圧倒的に改善することにより不良品率を極端に下げてコスト競争力を保ったり、技術集約性の高い素材・部材を開発して価格差別化を実現したり、と徹底して高スピードでPDCAサイクルを回しながら、様々な工夫を凝らす。それでも、達成される利益率はギリギリ黒字である場合が多く、爆発的な成長実現の難易度は高い。


こういった闘いに挑んでいる製造業の経営者らに、心から尊敬の念を抱く。こういう人達が一定数いるからこそ、守られているものはあるのだと感じる。

それと同時に、株主の役割とは何なのだろうということも考える。まだまだこの点について結論は出ないのだけど、本物の実力と心を有した経営者たちとそこからモチベートされた従業員がいれば、国内に留まっての事業継続と利益追求の両立は可能なのではないかと希望を持つことができるようになってきた。自分がNPOの活動を通じて関わっている子どもたちの未来を考えてみても、この可能性を現実の常識に変えるために、もっと自分のプロフェッショナルとしての実力を磨いていきたい。

Comment
≪この記事へのコメント≫
慎さんファンの一サラリーマンです。

記事の内容に同感です。

ただ、そのような尊い経営者や慎さんやその他がんばってる人々の努力にあぐらをかいて、必要な制度改革を阻もうとする寄生虫たちがうじゃうじゃいるんですよね。
こういう寄生虫たちを駆除するためにも、一度とことんまで痛い目を見させ、地獄を見せてやることも必要ではないでしょうか。

そうしなければ、本当の意味での日本の復活や再生はあり得ない気がします。
2011/11/11(金) 20:49:01 | URL | 権兵衛 #-[ 編集]
国家の役割と企業の役割
おっしゃることはよくわかるけれど、やはり(上場しているような)企業と国家の役割はある程度切り分けて考える必要があると思います。
失業がリスクになるのは、失業者に対する再配分の問題で、これは国家の役割かな、と。そのためのつなぎとして割増退職金みたいな仕組みはあってもよいかもしれないけれど……
2011/11/12(土) 13:15:24 | URL | 風街ろまん #-[ 編集]
いつも、新しい記事を更新するタイミングでしかレスせずにごめんなさい。。

権兵衛さん、そういうのは易しいのですが、痛い目を見て這い上がれる人とそうでない人がいる以上、そういった状態を一度経験することは大いなるリスクだと思います。

風街さん、仰るとおりなのですが、国家の役割が実際に立法化されるのを待っている間に苦しむ人がいるという現実があるわけで、なかなか難しいところです。もちろん、長期的にはこういった役割は国家が担うべきという点には同意します。
2011/11/23(水) 00:52:23 | URL | Taejun #-[ 編集]
返信ありがとうございます。


お気持ちは分かりますし、「這い上がれない人たち」を救うことが大事だと言う点にも同感です。
また、私が書いた「地獄を見せる」というのは言い過ぎで、間違った表現だったと思います。
申し訳ありません。

ただ、日本の財政の持続可能性を考えると、必要な制度改革をしなかった場合「這い上がれない人たち」は、今制度改革したときよりもっと苦しむことになります。

好例は今のギリシャです。
例えるなら、彼らは初期にちょっと痛いもののきちんと治療しておけば軽く済んだポリープを、手術が痛いし怖いからと放置し、それががん化して苦しんでいる状態です。
そして、「這い上がれない人たち」がギリシャにはたくさんいて、皆苦しんでいます。
もっと早く手を打っておけば、彼らはちょっと痛いだけですみ、ここまで苦しまないで済みました。
(財政問題での早めの治療が高い確率でトータルの犠牲を減らすことは既に証明されています。過去の事例を見てもそうなっています。)

私は日本にがんになってほしくないですし、ギリシャのように苦しんでほしくありません。
そして、苦しむ「這い上がれない人たち」の数が、足元だけでなく将来も含め、トータルで一番減らすようにしたいと願っています。

もちろん必要な制度改革を行えば一部の人は犠牲になります。
しかし、がんになるのを防ぐためには仕方ありません。

「這い上がれない人たち」の犠牲が現在と将来あわせてなるべく少なくなるようにするために、早めに対処することが必要なのではないでしょうか。

とはいえ、政治的にこれはできないんですけれどね。
少しでも犠牲を伴うことをしようとすると選挙には不利だからです。
現実的に考えた日本の未来は、残念ながらおそらく
(1)必要な制度改革がどんどん先延ばしになり行われない
(2)その結果として最後はギリシャのように爆発する
(3)「這い上がれない人たち」やがギリシャのように多数苦しむことになる
ということになるでしょう。


長文失礼しました。

(あと、「働きながら、社会を変える」を先日拝読し、大変感銘を受けました。
慎さんの行っていらっしゃることは素晴らしいことだと思います。
応援しております。)
2011/11/30(水) 18:59:10 | URL | 権兵衛 #-[ 編集]
有難うございます。本も読んで下さり感謝します。

仰る通り、このままでは茹で蛙で、少しずつ状況は悪くなっていってしまいますね。これが変わるように、何らかの施策を講じられたらよいのですが。。
2011/12/21(水) 07:29:59 | URL | Taejun #-[ 編集]
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