Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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相互理解について
人は他人を完全に理解することはできない。それは、僕達が使っている言葉や言葉遣いがあまりに多義的だからだ。

例えば、僕達が「ほら、あれだよ」というときに、その言葉が差す対象と、「あれ」という言葉の間にはどうしようもない曖昧さが生じている。言葉遣いも多義的だ。太陽は東から昇る、というが、これは本当の意味的には正しくない使い方だ。本当は、地球が太陽の周りを回っていて、太陽が東から昇っているように見えるだけだ。ただ、便宜的な理由もあり、さまざまな言葉遣いが多義的な用いられかたをされている。

このように、人間のコミュニケーションは、不十分な言語を使って行わざるをえない。だから、人が他人を完全に理解することはできない。


ここで「他人を完全に理解できない」としたのは、他人を100%理解することはできないという意味であって、努力によって理解を例えば90%にまで出来る可能性はあるのだろう。ただし、よりよい相互理解を可能にするためには、より多くの時間を過ごし、同じ文脈を得られるような努力が必要で、それは多くの人とできるようなものではない。特に、経験が違う人々の間では、理解が深まる可能性はかなり低く、話しても理解してもらえない、ということは往々にしてある。このように、言葉の限界上、相互理解は構造的に難しい(特に経験が異なる場合には)ということは貴重なインプリケーションの一つのように思う。

もう一つ、発想の転換的なインプリケーションもある。それは、人は他人から完全に理解されなくても生きてきたし、生きていけるということだ。僕達はよく、「誰かから理解されたい」、とか「何で理解してもらえないのか」と気を揉む。もちろん、誰かからある程度理解されるのはうれしいことかもしれないけれど、それに多くを費やすには人生は短すぎるので、近くにいる大切な人とは相互理解の努力をしつつ、あとは自分の内なる声に従ってやろうと思うことを行うのが良いように思う。
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2012/02/21(火) 20:05:02 | | #[ 編集]
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