Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
動機の言語化
講演をすると、一番多く頂く質問は「なぜこれを始めようと思ったんですか?」というもの。これは、一番答えに窮する質問だ。

現状の僕にとっては、なにか新しいものを始めるときの一番正直な理由は、すごく単純に「全身がやりたいと感じていること」になっている。それじゃ答えになってないと思われそうだから、一生懸命に考えて、もっともらしい説明をしてみるんだけど、自分自身は完全には納得していないので、妙な違和感が残る。

なぜ動機の説明は難しいのだろう。それは、人が何か新しい一歩を踏み出すときの動機は、それまでの人生の色々な要因が複雑に絡まり合った結果だからかもしれない。個別の出来事一つ一つじゃなくて、それら個別事象が全体として調和したものがその人の思想になっているとしたら、それをうまく紐解いて説明するのは、なかなか骨の折れる作業だろう。

自分の動機を突き詰めるのが難しいからといって、それを放棄するのは勿体無いと思う。自分のアクションの理由をちゃんと言語に落とす努力を続けることで、もっと自分を深く理解し、意志は強固になっていくと思うから。

そのためにも、一番気をつけたいと思っているのは、自分を騙さないこと。ドストエフスキーは、人間は自分の嘘を信じてしまいがちであると喝破していたけど、自分の動機を分かりやすい物語に落としこむことにも、似たような陥穽がある気がする。分かりやすい説明に逃げてしまうと、自分の内なる広大な物語を見つけられないままに人生が終わってしまう。
Comment
≪この記事へのコメント≫
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する
 
Trackback
この記事のトラックバックURL
≪この記事へのトラックバック≫
Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。