Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
体罰の合理性について考える
体罰批判がすごいことになっている。一つの問題が起こると、至る所で問題が告発されるという構図はいつも不思議なのだけど、それはさておき、体罰について考えることを少し書いておきたい。

予め言っておくけれど、僕は決して体罰容認派ではない。けれど、無批判に体罰は絶対に悪いことであるとするのは短絡思考なので、ちょっと丁寧に考えたい。


体罰が絶対的に必要とされている組織がある。それは軍隊だ。

軍隊の組織構造は、多分とても理にかなったものになっているはずだ。というのも、命がかかっている人々は、概ね理にかなった行動様式をとると考えるのが妥当だからだ。

その軍隊で、体罰は当面のところ無くなりそうにない。それはなぜなのだろう。

一つの説明としてあげられるのが、ソマティック・マーカー仮説だ。アントニオ・ダマシオによって提起されたこの仮説においては、体験の積み重ねに基づく無意識のうちの自動選別機能(ソマティック・マーカー)が、人間の判断の精度を上げていると主張する。判断力が体験(インプット)の多さに根付くというのは多くの人が共通して指摘していることだが、ダマシオは脳科学の分野からこれを主張した。


ソマティック・マーカー仮説に基づけば、軍隊で体罰があるのは、集団が命を落とす可能性のある行為を行わないことを身体に叩きこむためだ、といえる。

例えば、個人が命令違反をすることで周りの人々の命が危険にさらされることは避ける必要がある。だからこそ、普段から規律を絶対視して、それに対する違反には苛烈な罰を与える。結果として、兵士たちは戦場でも、ほぼ条件反射的に様々な意思決定を規律通りに行えるようになり、それは集団の生存確率を高めるようになる。

確かめた訳でもないけれど、軍隊では、体罰による暴力と部隊の生存確率の上昇分を秤にかけ、結果として体罰が採用されているのだろう。少なくとも、個人的には理にかなった意志決定であるように見える。


さて、話をそれ以外の組織に移してみよう。

仮に生徒への体罰が生徒の将来における意思決定の精度を上げる可能性があるとして、それは許容されるのだろうか。これは疑わしい。大抵の体罰は何らかの規律に基づいてなされるが(僕は子どものころ、忘れ物をしたのでよく先生に殴られた)、その規律を無批判に守ることが本当に生徒のより良い未来につながるか、分からないからだ。

では、事前に体罰の存在を予め掲げている組織(例えば厳しいことで知られているボクシングジム)に、自らの意思で入った場合にはどうか。ここはかなり議論の余地があるだろう。本人はそれを知っていて入ったのだから。もちろん、他に選択肢がない状況、たとえば「ボクシングで強くなりたいのならこのジムに入らざるをえない」というような状況があるかもしれないが。

会社でも同様だ。本田宗一郎は鉄拳制裁で有名だった。それを知りながらホンダに入った人々が本田宗一郎に殴られることは、どう考えるべきなのだろう。


長く続いてきた習慣にはそれなりの存在意義があったはずだし、それを可能な限りきちんと理解してからものを考えないと、発想が短絡的になる。体罰=ダメ、と思考停止するんじゃなくて、ちゃんと考えてから一つ一つ判断したほうが良いのじゃないか。僕は、人の意思決定の精度を上げるためには身体性はとても大切なものだと思っているから、体罰でないにせよ、身体で覚える教育は何らかの形で維持したほうが良いのではないかと思っている。

それがどういうものになるかは分からない。ただ、人間(特に子ども)は間違いを犯す生き物で、間違った行動を正すためには、何らかの不快な思いをすることは避けられないはずだ。

Comment
≪この記事へのコメント≫
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013/02/08(金) 22:51:43 | | #[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する
 
Trackback
この記事のトラックバックURL
≪この記事へのトラックバック≫
Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。