Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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慣れと成長
やることがたくさんあって疲れることとか、嫌気が差す人は結構いると思うのだけれど、こういった「大変さ」というのは常に相対的なものだ。実のところ、絶対的に大変なことというのははそう多くはない。例えば、今の僕の生活は相応に予定が詰まっていて、ここ2ヶ月くらい一日も休日がないのだけれど(仕事と執筆とNPOを合わせたらコンスタントに週に100時間以上は働いている)、多分アメリカの大統領とかが僕の代わりをしたら退屈するくらい楽だろうと思う。

何が「大変さ」を感じさせるかというと、それは現在の経験が習慣から外れているかどうかによる。自分の習慣の外にあるものを人は辛いと思うし、その中にあるものは大してつらいとは思わない。他の見方をすると、こういった「慣れ」の範囲を拡げることが、人の成長と言えるのだろう。

慣れの幅は、意外と簡単に広がる。ドストエフスキーは、自身の収容所での体験を語った「死の家の記録」で人は何にでも慣れる存在だと喝破した。収容所の生活でも、戦場での生活でも、なんでも、個人差はあるがすぐに慣れる。

何かに慣れると、今まで大変だと思っていたことがそうでもなくなって、息継ぎができるようになる。そのタイミングでまた自分の慣れの外に身を置くように何か新しいことを始めて、またその状況にも慣れるように取り組む。

千日回峰行という、往復48kmの山を1000回連続で上り下りする修行がある。一度でも失敗したら自殺しなければいけない、大変な修行だ。これをやり遂げた塩沼亮潤大阿闍梨は、苦しい時には「これが自分にとっての日常なのだ」と自分に言い聞かせていたという。これは個人的にはとても納得のいく説明だ。辛いことを日常と思うというのは、すなわち、現在の経験を「慣れ」の枠内に入れてしまうことを意味するから。


このように書いてみても、これがどれくらい伝わるかは分からない。最近つくづく思うのだけれど、人が生きていく上で一番大切な知恵は体験を通じて身に付けるものであって、その体験は意識的に色々なものにチャレンジをしていかないとなかなか巡り合えない。このことを痛感したのは二年前に200kmを走ったときで、あの時の気分はやってみないと多分伝わらないんだと思う。アホみたいに仕事をしたり、全く走ったこともないような距離を走ってみたりしてこそ見えるもの、分かることっていうのは、確かに存在するのだろう。そうして僕達が経験したことをベースにした知恵が、世の中を大なり小なり変えていくのだと思う。




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