Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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信じるもの。
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 小説「氷点」を読んで、とても気だるい今日この頃。
 娘を殺した犯人の子供を育てるお話。

 人間の負の部分に対する心理描写に関しては、古典小説に少し劣る部分があるが、それでも、テーマ―原罪―が明確であるため、なかなか読ませる作品であった。
 続・氷点があるらしく、それのテーマは「赦し」である。 
 
 ふと気付いたが、このごろ読んだ小説は、信仰心を土台にしたものばかり。 カラマーゾフの兄弟、若きウェルテルの悩み、復活、白痴、そして、氷点と。

 神が存在するか否かについては別にどうでもいいことと思うが、このごろは、人間には神が必要だとは思うようになってきた。 
 無神論者的なご都合主義で、敬虔な人たちから怒られるかもしれないが、神は、別に誰・何でもいい。 キリストでもブッダでもモハメッドでも、自然科学でも、共産主義でも、民主主義でも、家の近くにある巨木でも、今けたたましく鳴いているセミでも、友でも。 神が必要だというよりも、信じるもの、すがるものが必要だと言った方がいいのかもしれない。

 人間は弱いもので、時には、信じたり、すがったり、それを行動の規範とするような何かがまだまだ必要なのだと思う。 自分たちは、ツァラトストラ(哲学者ニーチェの描いた強い人間)にはまだ遠い。 


 「宗教は体系化された迷信である」という耳慣れた言葉が、一面でとても虚しいものに思える今日この頃である。 自らの科学性を主張したところで、多くの人たちは、その科学性に対する認識を土台にそれを信奉するのではなくて、精神的支柱の必要から信奉する場合が多いのだから。 大衆運動における主義思想をみればよい。 例えば、マルクスの言うことを理解していた、いや、彼の基本著作を読んでいたマルクス主義者がどれだけいただろう。 理論や教義の正しさを競うところに、どれだけの意味があるのだろう。 虚無主義なのだろうか? わからない。
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