Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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調和から考える、世界と生き方。
 風邪をひきながら、そして、川の流れと秋風にそよぐ枝を見ながら、調和についてつらつらと考えた。
 多くの人に読んでもらえるように、時間の制約内で可能な限り、分かりやすく書いたつもりです。 最後まで読んでくれたら幸いです。
 
 現代を知る上で、また、よりよく生きる上で、調和というのはとても重要なものの考え方だと思う。 
 (調和の定義は難しいのですが、ここでは、調和は、「うまく釣り合い、全体がととのっていること」という広辞苑の定義に従うことにします。) 


 1.現代を知る上で

 -音楽と調和
  近代までは、音楽は調和を旨としていたと思う。 クラシック音楽は、調和の典型である。 しかし、現代音楽は、この調和をある程度崩しているものが多い。 ブルーノートという不協和音を導入しているジャズなどがその典型か。 不協和音のみならず、即興演奏も、調和を崩すものと考えられるだろう。 
 
 -美術と調和
  宗教画(タイトル忘れた、、)の黄金比をはじめとして、これまた、現代以前の美術作品は調和を旨としている。 
 しかし、現代アートは、例えば90年代のアートは「分裂症の時代」(椹木野衣の『日本・現代・美術』より)という風に表現されるように、不調和を内包している。 
 六本木ヒルズのキャラクターのデザインもしている、日本で最も評価の高い現代アーティストの一人、村上隆の94年の作品に「ズ・ザザザザザ」というタイトルのものがあるが、これも、ズ・ザザザザの語呂の良さを、あえて、「ザ」を一音付け足すことによって崩している。 


 -文学と調和
 ソフォクレスの戯曲「オイディプス王」にて、神託(神様のお告げ。劇中では、オイディプスが父を殺し、母と結婚することになると言うのが、そのお告げの内容だった)が最後には達成されるように、現代以前の文学はほとんどが調和的なものであった。 反面、現代文学はそうでないと思われる。 個人的な見解で恐縮だが、自分は吐き気を催しながら読んだカミュの異邦人からは調和のちょの字も感じることは出来なかった。 
 また、文学とはすこし離れるが、現代演劇においても、予定調和的な演技というのは、最悪のものであることを、演劇の練習を通じて最近知るようになった。


 -哲学と調和
 現代以前の哲学は、プラトンの「真善美(~普遍妥当な価値としての、認識上の真と、倫理上の善、審美上の美)」に代表されるように、調和を基本としていた。 しかし、現代哲学は違う。 構築された議論を一度粉々に崩そうとする脱構築などは、その典型ではないかと思う。

 また、余談だが、哲学者ミシェル・フーコーが「監獄の歴史」にて明らかにしているように、現代以前までは今で言う精神病患者は聖人として、社会の中で隔離されずに生活を営んでいたのだと言う。 調和である。 
 反面、現代になり、これらの人々は、「狂人」とされ隔離されることになる。 不調和である。


 というように、現代においては、社会の多くの場において不調和が含まれている。  何故か? その考察は最後にしようと思う。



 2.よく生きるうえでの調和の考察
 調和の取れた状態について考えることは、よりよく生きるうえでとても貴重なことだと思う。
 

 -自然と調和
 例えば、今日見た秋風にそよぐ枝。 風が吹かなければ、そのままの状態でとどまったままである。 風が吹くと、枝は揺れ動く。 しかし、よほどの事がないと折れたりはせず、結果として、もとの枝の角度へと戻る。
 自然に身を置きながら、その調和の美しさに嘆声を上げた記憶は、誰にでもあると思う。 また、自然災害を目の当たりにし、人類が地球にかけてきた負担について考える人も少なくないと思う。 自然に身を置く人間として、自然について調和の観点から考察することはとても重要なことと思う。
 傍論だが、漫画、「ARMS(おすすめです)」でも取り上げられている、ガイア仮説(地球を一つの生きたシステムと考えた)の提唱者であるジェイムズ・ラグロックは、次のように語っている。 
 
 我々の惑星を構成している全てのものは―物理的なものであれ、生物的なものであれ―あたかも単一の生きたシステム、すなわち、全体を並行に保つべく、変化や損傷を自らの内部で補償できるような自己調節をする存在とみなすことが出来る。

 

 そして、この自然の調和に対する考えから、いろいろな事を考えられると思う。


 -経済と調和
 経済学全般において最も重要な考え方の一つは、均衡である。 経済学では、釣り合いが取れている状態をもととして、時には前提として、議論を進めていく。 均衡の概念がないと、多くの経済学的考え方はなりたたないのである。 たとえ、均衡が実質的には成立していないとしても。
 ちなみに、ファイナンスの分野においては、均衡を想定し、市場にある資産の組み合わせを模した投資を行い得るリターンをレラティブリターンといい、伝統的な投資手法とされている。 反面、均衡時の価格からの乖離を探しだし、それを利用する(裁定行為という)ことにより得られるリターンをアブソリュートリターンと言う。
 
 
 -人と調和
 まず、身体。 人体はつねに己を調和の状態、すなわち健康状態へ戻そうと常に働きかけている。 
 次に、精神。 時に揺れ動くこともあるが、やはり、人間の精神は内的な調和を目指しているのだと思う。 そのために、人類はいままで色々な精神の調和のための手段を考えてきた。 宗教儀式などがその最たるものだと思う。
 
 よりよい心身を考える際に、やはり、調和の概念は貴重な洞察を与えてくれると思う。

 
 さて、結論。 

 第一に。 先に述べた、「なぜ、現代において不調和が現れ始めたか?」に対する答えでもある。

 不調和は、調和の貴重さをより強く感じさせてくれるものであり、それゆえに、人々はかりそめの不調和を探すようになったのではないか。

 と、自分は考える。
 音楽において、もとはタブーであった変終始を味わうことにより、全終始の美しさをより強く感じることができる。 不健康であるからこそ健康のありがたみを知る。 孤独を感じるからこそ、人の世の温かみを時に知る。 調和の取れていない状態にあるからこそ、調和のありがたさを人は感じるのである。
 
 哲学者吉野源三郎は、『君たちはどう生きるか』で次のように語っている:
 
 人間が本来、人間どうし調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることが出来よう。 お互いに愛し合い、お互いに好意を尽くしあって生きてゆくべきものなのに、憎みあったり、敵対しあったりしなければいられないから、人間はそのことを不幸と感じ、そのために苦しむのだ。

 だから、現代の脱構築美術に対して、脱構築を提唱した哲学者であるジャック・デリダは憤慨している。 デリダの脱構築は、脱構築をすることにより、ものの本質に迫るための方法であったのに(不調和による、調和のより深い理解と解釈できると思う)、現代の多くの脱構築美術家たちは、ただ、現状においてあるものを崩して終わりだからだ。 同様の憤りを、自分自身、六本木ヒルズの森美術館でのアーキラボ展示会を見ながら感じていた。 デリダが憤慨しているのは、その後に知った(といっても、信じてもらえそうに無いが、同行していた後輩が証人である)。
 一時的にとられる不調和は、調和を探すものとして、その意義を見出すべきだと自分は思う。


 もう一つ、上の事柄からの帰結ともなるかもしれないが、

 今、人々がすべきは、単なる調和のみではなく、もちろん、不調和のみでもなく、一時的な不調和から調和へと移行する際の過程に対する考察にあると思う。
 
 物理の世界ではもうこれは進んでいて、アインシュタインやウィーナーらのブラウン運動に関する考察などがそれにあたる。 彼らは、不規則な運動について一定の傾向を見出しつつ、それが時間が経過するごとにどのように変化していくかを数学モデル化した。 この考え方は、現代のファイナンス理論において、かなり重要な役割を担っている。 ブラックショールズ式なども、この考え方を重要な理論的前提としている。

 投資の世界におけるアブソリュートリターンを得るにも、上で述べた、不調和と調和の間の関係についての考察が必要不可欠である。すなわち、自分がこれから成功を収めるために必要なのである。

 自分の人生の目標の一つが、人格の完成にあるのだが(といいつつ、未熟なことばかりだが)、そんな自分がにとって、人は不調和の状態からいかにして調和のとれた精神状態へと移行していくかについての考察と言うのは、重要な事柄である。



 そのために、何をすればいいか。 色々考えている。 類推の誤謬、合成の誤謬を恐れつつも、自然観察をしようかと思っている。 水の動きや風の流れなどを、ちょっと観察しながら、何かが見つかるのかもしれない。

 子供の頃に見たドラえもんの映画(確か、海底旅行のやつ)で、「地球の全ては解明されてしまって退屈なことばかりだ」、と言っていたジャイアン君、まだまだ地球には不思議がいっぱいだよ。
 また、何かを発見できることを考えると、明日朝起きるのが楽しみでしょうがない今の自分は、とても幸せなのだろうと思う。
Comment
≪この記事へのコメント≫
長い!!
2005/09/26(月) 19:01:43 | URL | ひろ #-[ 編集]
 ごめんなさい^^;
 今日(26日)のエントリーを見られよ。
2005/09/26(月) 22:04:13 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
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