Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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歩く死刑囚。
  Dead man walking。 ちょっと前に有名になった映画らしい。 芸能関係は、己の興味のある分野以外は、ほとほと弱い。今日、先輩たちの話題に上った、たけうちようこ、という人も、いったい誰だかわからない。 
 この映画を借りた理由も、TSUTAYAがレンタル半額中で、音楽CDを借りるついでに、何かDVDを借りてみようとしたところ、たまたま目に引っかかっただけのことである。

 感想。 一言で言うと、へこんだ。

 なぜ、こんなに、へこんだのだろう。 それもよくわからない。 寝室を暗くしてヘッドフォンをかけて一人で見たのちに、勉強部屋に帰る足取りがとても重たかった。 
 印象的なのは、最後のシーンか。 薬物処刑される死刑囚と、その犯罪者が行ったレイプ殺人の映像が交互に流れる。 死刑囚が死ぬ前に言った、「人を殺すのは悪い。 それが俺でも、あなたたちでも、政府でも。」という言葉の、反芻なのであろう。
 
 調子に乗って、字幕なしで見たのだが、内容の半分くらいしか理解できなかった。 見終わってから、また、字幕つきで見直す。 TOEFLのリスニングで90%以上正解できても、所詮こんなもの。 それも少しへこんだ。

 死刑が最後まで執行される映画で、近年の映画といったら、ダンサーインザダークか。 これは、主演がビョークだったのですぐに見た。 これも、へこんだ。 しかし、映画からは、泣き喚きながらも死を自ら選ぶことができる人間の強さを感じることができた。 ただし、へこんだことにかわりはない。
 
 大学生時代、友達とした死刑制度についての議論。刑罰は、応報刑であるべきか、教育刑であるべきか。現代の刑罰のほとんどは、教育刑である。ならば、死刑は、教育刑なのか。 それらが、かなり薄っぺらに感じられた。 死刑囚の苦悩は、死刑囚にしかわからない。 想像力を限界まで働かせて見ても、限界がある。 その苦悩が、死刑制度の是非に関して、強い影響を持つのか、それもわからない。

 こんな制度を作ってみてはどうか。 まず、死刑は、完全に薬物によるものとする。 死刑囚は、最後まで苦悩する。 薬物による処刑が行われる。と、それは、おもてむきで、実際に打ち込まれるのは、ただの睡眠薬。 周囲の人間には、絶対に極秘。
 数日後、死刑囚は目覚める。 そして、完全に書き換えられた名義と、本人とわからぬほどに整形された身体をもって、新しい生活を送る。 ルールは2つ。1つはあらかじめ知らされる:以前社会関係にあるものと故意に接触をしたら、処刑。 その生活の様子を、関係者たちは、常に監視する。 行動に改善が見られないようであったら(第二のルール)、そこで、処刑する。
 また、うわさでしかないが、死刑囚が、命を救ってもらうことを前提に、スパイになるということがあるらしい。 ニキータという映画は、それが題材である。 
 ここまで、妄想を働かせておいてなんだが、これは、普段行われている死刑制度以上に、日本の憲法で禁じられている「残虐な刑罰」に該当するかもしれない。 国家が、人の命をもてあそんでいるように解釈できるだから。

 ふう。 収拾がつかない。。 まあ、収拾がつくような議論であったら、今のような社会ではないはずである。
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