Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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デリダへ捧ぐ。
相変わらず低空飛行の体調。 頭が重い。

 しかし、今日は書かねば。
 
 現代における最も偉大な知識人の一人である、フランスの哲学者ジャック・デリダが逝去した。 
  
 自分自身、彼の著作を読みあさったというわけではない。 しかし、彼の学説の最たるものが脱構築(解体構築ということも)であることは間違いないと思う。 

 脱構築。 英語では、deconstruction。フランス語でもスペルは大体このような感じだったと思う。 de→否定、construction→構築である。
 脱構築というと、少しとっつきにくい感じは否めないが、かれが言わんとしている事を理解するのは、さほど難しくはない。 少なくとも、基本的な原理に関しては。 

 構築とはこの場合、理論家たちが、自分が抱いた真理に基づいて、その理論体系を作り上げることである。 真理が土台で、その上にビルを建てるようなイメージか。 たとえば、「現実の世界は真理であるイデアの反映である」という真理に基づいてプラトンの理論体系はなっているし、自分たちのよく知る理論体系は「人が全てのものの主人であり、人が全てのものを決定する」という真理に基づいている。
 デリダが考えたことは、この真理が多くの場合妥当性を持つのだとしても、それを土台として体系を構築する際に、欠陥が出来てきてしまうということであった。 そこで、彼は、この構築されたものを一度崩して、その崩された理論体系の中から、土台にあった一番のエッセンスを取り出そうと考えた。 
 専門的に研究している人から非難されるかもしれないが、平たく言えば、これが脱構築の根本的な内容だと思う。 これは、日常の自分たちの生活の中にも生きている考えである。 たとえば、議論の場でのすこし突飛な発言に対して、その意を汲み取り、議論を発展させる場合などがそうである。 

 これでわかるように、脱構築は単なる破壊ではなく、生産的な破壊である。 すべてなし崩しにしてしまうようなわけではない。 現代の思想状況が、社会における価値などを全てをなし崩しにして、それでおしまいとしている感が強いことに辟易している自分にとっては、かなり魅力のある議論である。
 自分も含め、自分の周囲も脱構築が必要と考える今日この頃である。


 知識人の社会的影響力が弱くなっている現代において、強い影響力を放っていた数少ない一人であった。 これでまた、現代における知の力が弱まるのは間違いない。 自分の尊敬するサイードも、去年白血病で亡くなり、魅力のある知識人がどんどん少なくなっていく感がある。 

 ここで、知識人の魅力について話が及んだので、明日はこのテーマに関する自分の考えを書くことにする。
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