Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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感性の砥ぎ方。  ―成功のために必要なものその2
 何かを開拓したり創造する人の成功のために一番重要なものは、感性だと思っている。 そして、僕は、この感性を磨くために色々なことをしてきた。 参考になるとは思うので、最後まで読んでくれたらありがたいです。

 まず、僕にとっての、感性とは何か、について。
 二つである。
 一つ、ものの流れを感じる力。
 一つ、ものの本質をつかむ力。

 ものの流れとは、色々なものを含む。 社会の流れもそうだし、自然の動きや、人の心などもそれに含まれる。 それらに対し、敏感であること。 それが、僕にとっての感性の内容の一つである。 感受性としての感性。
 物事に対して、ふと、「ん? 何か違うな?」とか、「これから先は、こんな風になるんだろうなあ」と、感じられるような能力。 世の動きや、人の心の機微まで、そう感じられるようになりたい対象はさまざま。
  
 ものの本質をつかむ力とは、「これは、要するに、こういうことなのだろう。」と、理解できる力。 感覚としての感性である。 よく、「勘がいい」とか言われる人は、この本質をつかむ力に秀でていると思う。 要約能力と言い換えてもいい。 
  
  
 流れを読み、本質を見抜く力。 感受性と感覚。 それさえあれば、どのような状況にでも対応ができると思う。 僕は、これを研ぎ澄ましたかった。

 感性を研ぎ澄まそうと考えたのは、大学3年生くらいの頃に、自分を色々と振り返ってみたときだった。 僕より頭のいい人間、運動神経のいい人間、人付き合いのうまい人間、人格的に高尚な人間、容姿端麗な人間…いや、もうやめておこう、そんな人間は、いくらでもいる。 そんな人たちに溢れているこの世の中で自分がやっていくのに、一番大切なもの、一番勝負できるものは、なんなんだろう。 と、考えていた。
 その結果、いたった答えが、感性。 特殊なバックグラウンドで育ってきた自分の感性は、努力すればもっと光らせることが出来ると思った。
 
 
 そして、何を始めたか。
 色々な分野に足を入れて、そこで学ぶこと。
 これが、僕の結論だった。

 
 色々な分野といっても、ただ闇雲にその分野を決めるわけではない。 基準を持っていた:
 ・何らかの形で世界の核心に密接に触れていると感じた分野
 ・必要を感じているのに、今の自分には不足している感じている分野
 ・やっていて楽しいと思える分野
 
 である。

 
 ・核心に触れていると感じた分野
 どの分野であっても、世界の核心には触れられるものだと思うが、その程度が強いと感じた分野には、真っ先に手を出している。 学問で言えば、哲学が最たるものだと感じたので、哲学の古典は殆ど読んだ(理解できたかは別)。 そのほかに、音楽、古典文学、美術、歴史、など、それをもって何かの核心に触れることができると感じる分野には手をつけることにしている。 最近演劇を出来たのは僥倖だった。 もちろん自然科学も。 子供の頃から雑誌のニュートンは愛読していた。


 ・必要なのに、自分には不足していると感じた分野。
 英語や統計学など。 最近で言えば、会計などもそれに含まれると思う。 
 
 
 ・楽しいと感じられる分野。
 僕の考える上達の秘訣は、使命感と楽しさと自信。 楽しさが無いと、上達は遅くなる。 子供の時習っていた囲碁がいい例である。 楽しさをあまり感じられなかったので、9年間やって、6段にしかなれなかった。 当時ゲームに費やしていた楽しさを囲碁にこめれば、プロになってもいい年月である。  
 世の中には、やらなければいけないこと、できることが数多くあるのだから、楽しくないものは、特別の必要性を感じない限り、後回しにしたい。 

 
 
 さらに、分野を選択した後に、一定の基準に従って行動をしている。
 ・一生懸命に楽しむこと。
 ・感動をしやすい心の状態を作っておくこと。疑問はすぐにぶつけること。
 ・その分野で真剣にやっている人たちに多く接すること。
 ・本物といわれるものに多く触れること。
 ・その分野は、他の分野に対してどのように応用できるかを考えること。


 楽しいだけでなく、一生懸命というところがポイント。 一生懸命にやる事によってのみ、見えてくるものがあるものである。 適度とか、適当とかいう言葉は、僕は好きでない。 やるからには必死にやる。 もともと負けず嫌いでもあるので、できるだけ、自分より遥かにレベルの高い人と接して、その負けず嫌いに火をつけ、一生懸命にやりたい意欲を高めようとしている。

 感動をしやすい状態とは、何事からも学ぼうとしている状態なのだと僕は思う。 草木からも人間は学べるのだから、人間が歴史をかけて作り上げてきた諸分野から学べないわけが無い。 学ぶつもりで過ごしていると、本当に多くのものから感動を得ることが出来る。 その感動が、物事の流れをつかむことにつながるのだ。 そのような感動を得られるための心作りをしながら、その機会を増やすために、疑問に感じたことはすぐに質問にするようにしている。 疑問こそ、感動の出発点。

 その分野で真剣に、しかも長い間やってきた人たちは、なんらかの真理に到達しているはずである、と、僕は考えている。 だから、そういう人たちに出来るだけ多く会うようにしているし、会えたら、その人たちから少しでも何かを引き出そうと考えながら話をするようにしている。 

 鑑定家を例にとろう。 いい鑑定家になるために、一番大切なことは、本物に数多く触れることなのだという。 鑑定家志望者だけでなくても、話は同じだと思う。 本物といわれるものは、何らかの意味で、核心部分に触れているから本物とよばれるのである。 だから、僕は、ブルーノートに足を運ぶし、美術展はちょくちょく見に行く。 文学作品は古典文学から読むなど、なんでも古典とよばれるものから手をつけるようにしている。 古典が古典である理由は、それが人や世界の核心に、ある程度は触れているからなのだから。 本一つとっても世の中には無数の本があるのだし、一生のうちに読みきれるものでない。 だから、専門書籍以外で本を読む場合、優先順位も、当然のごとく古典優先となるわけだ。 

 そして、その分野で得たものが、他の分野に、どのように応用を出来るのかを考えることにしている。 前の演劇関連のエントリーを見てくれれば、理解をしてくれると思う。 「一を知って十を知る」というのは、僕にとっては、「一を知り、十に活かす」である。 今まで色々な分野で得てきたものは、僕の頭の中で、他の分野と複合的にからみついている。 この複合的なネットワークをひろげるほど、新しいものに遭遇した時に、それをすばやくパターン認識(=本質をつかむこと)できるようになるのだと思う。
 

 
 今まで、上で述べたことを実行してきた。
 実行するうちに、新分野に足を踏み込んだときに、一定の「悟り」のようなもの(本物の悟りには程遠いけれど)を発見するスピードがどんどん早くなっているのに、このごろ気付いた。 何かをふと感じ、投げかける質問も、より核心を突いたものになってきた気がする。

 世の流れはどんどんスピードアップしている。 ビジネスの世界などは、もっとも流れが速いもののうちのひとつ。 その分野でやっていくために、あと、自分の精神的な生活をより豊かなものにするために、これからも、感性を研ぎ澄ます努力をしてきたいと思う。

 りんちゃんのアドバイスに従い、新たに手をつけようと思っている分野は二つ。
 一つは、数学。 それも、世界の本質に迫れるような類の哲学的な数学。
 一つは、ヨガ、もしくはダンス。 身体性、それと同時に、精神性を向上させたい。 


 よくいえば「多才」、悪くいえば「器用貧乏」というような状態になるかもしれないが、それは、単なる結果であって目的ではない。 目的は、これから目指すものを達成するために必要な感性を身につけることなのだから。 ギリシャの哲学者たちは、その愛智学を究めるために、結果的に万能となったのである。
 だから、よく人から言われる、「お前は、本当に色々なことに手をつけて浮気なヤツだ。」とか、「お前は一体将来に何をしたいのだ。」とかいう皮肉は、引き続き、笑ってしのごうと思う。


 世の中の人は何ともいわば言え、わがなすことは、われのみぞ知る。
 
                               坂本竜馬


 読んでくれた方、ありがとうございました。
 感想、コメント、アドバイスなど下さったら光栄です。
 あ、「世の中の人は何とも~」とか言いながら、コメントくださいって、ちょっと矛盾しているかな。。。

 けど、たしか、マルクスも、資本論の序文で、片方で「科学的な批判は歓迎する」とか言いながら、最後にダンテの言葉を引用しているんですよね。「汝の道を行け、人々をもってその言うにまかせよ」って。 本が手元に無いので記憶は曖昧ですが。
Comment
≪この記事へのコメント≫
プラスになる人の言葉、道を応援する人の言葉にだけ耳を傾けよ、という事じゃないですか。

… 古典が古典である理由は、それが人や世界の核心に、ある程度は触れているからなのだから。 

同感。
コピーのコピーのコピーのコピーの…
そういうエキスの薄まったものを吸収しても…

真理に近づきたいですね。

手順さん、ただいまクロック数あがってます。
ウウィーンっぐんぐん!

2005/10/07(金) 01:09:50 | URL | GYU #-[ 編集]
>コピーのコピーのコピーのコピーの…
そういうエキスの薄まったものを吸収しても…

まったくそうですよね。
だから、ハウツー(how to)本は怖くて読めません。。 読む場合は、関連分野のハウツー本を10冊くらいは読んでいます。。

実際、この頃、なんか頭が冴えている気がします。 秋のおかげでしょうか。 はたまた、単なる気のせいか。
2005/10/07(金) 12:37:22 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
ども、そんじゅです。

>世の中の人は何ともいわば言え、わがなすことは、われのみぞ知る。

龍馬のあまりに有名なこの言葉、
自分も、めっちゃ気に入ってる言葉の中なんです。

“我のみぞ知る我が成す事”、共々必ず成し遂げましょう。
頑張ります。
2005/11/05(土) 12:22:47 | URL | そんじゅ #-[ 編集]
 おお、さすが。
 絶対やり遂げような。 
2005/11/06(日) 22:32:54 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
お邪魔します。
調べ物をしていて偶然行き当たりました。

非常に共感を覚えたエントリでした。
自分も似たような姿勢で色々やってきた
口なので。

(何やら突然で意味不明ですが)応援しています。
これをご縁にブログ拝読します。
2005/12/08(木) 20:12:33 | URL | taka #-[ 編集]
 takaさん、
 
 コメントありがとうございます。
 そういっていただけると、本当に元気が出ます。 目標の達成のため、頑張って行きたいと思います。
2005/12/08(木) 21:18:32 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
余計なことですが、、、
本文最後の3行、繋がりがもうひとつ理解できませんが、念のため正確に引用しときますね(長谷部訳)。

学問的な批判のあらゆる判断を私は歓迎する。私がかつて譲歩したことのないいわゆる世論なるものの偏見にたいしては、かの偉大なフロレンス人のつぎの標語が従来どおり私に当てはまる。

  汝の道を進め、そして人々をして語るに任せよ![ダンテ]
2006/02/08(水) 06:43:30 | URL | 黒岩 #-[ 編集]
 有難うございます!

 最後の3行のつながりは、世の中の人の言うことを過度に気に留めないという竜馬的な考え方を肯定しているくせに、コメントやアドバイスを求めるのはおかしいかな、と感じた自分に対する弁護です^^ こんがらがっていて申し訳ありません。
2006/02/08(水) 10:23:15 | URL | Taejun #-[ 編集]
よ、元気?

先日紹介してもらった本(「知識人とは何か」)についてググってみたら、久しぶりにこちらにたどりつきました(・・というか、リンク2つ目だったもん。すごいね)。

すごいマルチに改めて感服しました。ところで「本質に及ぶために歴史」というのは大賛成。歴史は完璧には「繰り返」さないかもしれないけど、「流れ」はあるもんね。でも、哲学が「本質に及ぶ」感覚って、分かったようでピンと来ない。今度、機会があったら教えてね。
2011/04/30(土) 14:38:51 | URL | 黒はげ危機一髪 #-[ 編集]
ダンス
最近はヨガが流行りですが、ダンスももともとは宗教的というか、あの世とこの世を繋ぐものだったので、世界の本質に迫るにはお勧めです。子どものころロシアに留学した程度には真面目にバレエをやってたのですが、初めて瞑想をしたときにいくつかのチャクラは身体がすでに知ってました。
もともと音楽がお好きなら、音楽が助けてくれるダンスのほうがヨガより入りやすいんじゃないかな~。
2011/12/16(金) 01:10:04 | URL | kana_chika #3un.pJ2M[ 編集]
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読んでいたんだけど、エントリーには載せていなかった作家。 岩井志麻子。 この作家はすごい。...
2005/10/05(水) 23:51:39 | お気楽極楽ブログ
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