Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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6年前の同じ日に。
 机を整理していたら懐かしい写真がひらりと僕の前に落ちてきた。
 そういえば、あさっては母校の高校の運動会。
 あれから、もう、6年が経つ。 けれど、思い出は色あせることを知らない。
 
 20051008204900.jpg

 僕のいた高校は、20世紀末なのにもかかわらず、少なからぬ生徒がアイロンパーマ(アイパー)をかけていた。 校則も、「パンチパーマと長髪は禁止するが、アイパーは許容する」という、とてもユニークなものだった。
 運動会を盛り上げるために、高3の間でいつのまにかアイパー旋風が起こった。 僕は生徒会長。 やらないわけにはいかなかった。 髪の毛に焼きごてをあてる経験は、もう一生しないのだろうな。 アイパーをかけた日の帰り、電車にのるや、多くの人々が僕の席の周りから離れていくのを見て、その威力に驚いたのは今でも覚えている。
 
 
 アイパーをかけて臨んだ高校最後の運動会。
 僕のいた学校では、運動会は年中の最大行事の一つで、全校生徒がその成功のために熱を上げた。 僕たちにとって大切だったのは、「何をするか」よりも、「誰とするか、誰のためにするか、どのようにするか」だった。 かけがえの無い友達とともに、今まで育ててくれた父母に元気をあげるために、一致団結の心地よさを感じながら、僕たちは運動会に臨んでいた。 

 この写真は、入場の行進の時に撮ったもの。 
 けれど、この30分後、僕は医療室に担ぎ込まれることになる。


 
 看護士の先生によると、理由は、「疲労」だった。

 この運動会の期間は、本当にいろいろなことが重なっていた。その疲労だったのだろう。 体育会系バリバリの僕だったから、疲労は、肉体的と言うよりも、精神的な疲労だったと思う。 精神的な疲労は、運動会のみならず、それと並行していた生徒会の活動に起因しているのだった。


 生徒会長だった僕には、一年間をかけてやり遂げたいことがあった。
 それは、先輩が後輩を支配するという悪習を無くすことだった。 僕の一つ上の学年までは、先輩たちは挨拶の強要(それも、言葉でよく説明できないような奇妙な挨拶の仕方)や、食堂での割り込みのみならず、ここではとても書けないような、ひどいことを後輩たちにすることができた。
 たった一人の後輩が反抗すると、同じ中学の出身者すべてが連座でヤキをいれられた。 だから、反抗心を持つ人も、なかなか先輩に反抗することは出来なかった。 高2までの僕も、恥ずかしいけれど、そのうちの一人だった。

 けれど、僕はこれを許すことが出来なかった。 僕は、この歪んだ先輩後輩関係に、かなりの年月をかき乱された人間だったのだから。 中学生の頃などは、先輩を差し置いて試合に出るだけで、僕は次の日にはトイレでヤキをくらっていた。 中学1,2年生の頃のサッカーの練習は、陰険ないじめ以外にあまり覚えていない。 

 僕よりも人望がある人がたくさんいるのに、僕が委員長になるのは本当に嫌だった。 みじめな思いをすることになるだろうと思っていた幼い魂が、当時の僕だった。 けれど、そんな僕が委員長をやろうと決心したのも、この憎むべき悪習を何とか無くしたかったからだった。

 生徒会の友達とともに、僕はそれを始めた。
 僕の年代の友達は本当にすばらしい人々だったと思う。 受けてきたつらいことをまたやり返すよりも、それを自分たちの代で止めることに、少なくない人が賛成してくれた。 問題となっていた悪習のうちのいくつかは、比較的簡単に解決することが出来た。 ただ、それを話し合う全男子生徒の集まりにおいて、集まりを主導するはずの僕ではなく、他の人望のある友達が皆をまとめているのを脇で見ながら、僕は幾度と無くみじめな思いをしたわけだが。

 運動会の練習の真っ最中だった9月の末から10月までが、一番厳しい時期だった。 練習の疲れからか、「これくらいいいじゃないか」と、食堂で割り込む上級生が出てきていた。
 運動会の本番の3日前にも、高三の男子生徒で集まりを開いて、この事を何とかやめようと言う話をした。 このときのことは、まだはっきりと覚えている。
 「俺らは頑張ってるんだ。 これまでも色々と譲歩してきた。 これくらいいいじゃないか!」
 という友達についかっとなってしまった僕は、
 「こんなことって、こんな人間的におかしい事をしていいはずがない!」
 と言ってしまった。 場の空気がとても険悪になり、よもや殴りあいになりそうだったところを、見かねた恩師の先生が間に入って話をしてくれたのが、3日前だった。 それにしても、いまだに、「お前は、言うことは正しいけど、伝え方がうまくない」といわれる僕の進歩の無さに、本当に嫌になる。

 
 疲労は、はっきりとたまっていた。 精神的な疲労が、身体にもきていた。 長時間の眠りから起きた直後の、あの体のだるさが、一日中続いていた。
 
 そんな運動会の前日の夜。 

 僕の学校にはこれまた変な風習が当時まではあった。 運動会が終わった後に、高3の学生たちが池に先生を落とすのである。 一応、「先生たちの汚れた身体をきれいにするために」、という趣旨で、その前日にしっかりと池をきれいにするのだが、その趣旨の信憑性は高くないと思う。  
 新しい校舎とともに池はなくなったのだが、僕たちは代々、池というか、水を溜め込む巨大な風呂のようなものを運動場の片隅に作って、それに先生たちを落とすということをしていた。

 夜、ふと、その人工池を見ると、水がかなりの勢いで漏れていた。
 明日になったら、水は全てなくなってしまうかもしれない。
 肌寒い10月初旬の夜、僕は、生徒会の何人かのみが残っていた静かな運動場の片隅で、30分くらい、その池の漏れをとめる作業をしていた。 若かったなあ。 そして、お決まりのように、次の日には疲れの上に体がとても熱っぽくなっていた。


 
 やっと、話が運動会の当日に戻る。

 入場行進を終え、最初の種目となった。 これは、どこの学校でも同じであろう、100m走。
 僕は、3位だった。
 走り終えた人たちが行く場所に座る僕に、友達が、
 「お前、どうしたんだ?」
 と声をかけた。 体育会系バリバリだった当事の僕は、走りはかなり早かったからだ。 
 「別に。 ああ、今日入場行進に気合入れて足上げ過ぎたからだよ。」
 と答える僕。 このときには、相当顔色が悪かったと思う。

 競技参加者みなが走り終えて退場をした後、僕はふらふらと校舎側の日陰にいき、座っていた。 
 からだが動かない、めまいがする。
 気が付いたら、そこに僕は伏していた。

 それを見つけた友達が来て、騒ぎになる。
 僕は、そのまま医療室のベッドに運ばれた。

 
 濡れタオルを顔に当てられ、悔しさから涙を流していた僕のところに、たくさんの友達が見舞い(?)に駆けつけてくれた。 ただただ、自分が不甲斐なかった。

 けれど、僕は立たなければいけなかった。
 運動会のハイライトである集団体操、その中で盛り上がりがクライマックスになる五段の人間の塔。 支える人達を含め、50人くらいで作られるその塔の、最下段の一人が、僕だったのだ。
 
 医療室を出た僕に、恩師の先生が一言。
 「・・・いけるか?」
 「いきます。」
 「わかった。いってこい。」

 そして、集団体操を控え、整列している高三の生徒たちのところへ、僕は向かった。
 僕が医療室にいたことは、みなが知っていたみたいで、僕が行くと、皆が様々な表情を顔に浮かべていた。 スピーカーを手にして、300人の高三の友達の前で、一言。
 「僕たちのためにも、そして、見に来てくれた、僕たちを育ててくれた人のためにも、絶対に、成功させよう。」
 「オーッ!!」と、力強い応えが皆から返ってきた。 僕は、この力強さを、生まれて初めて、目にした。

 準備の5分前、配置に着く前の僕に向かって、生徒会の副会長だった子が一言。
 「だいじょうぶでしょ?」 
 「もちろん。」
 あのときの、彼女の笑顔のさわやかさは、まだ鮮烈に覚えている。
    

 そして、集団体操が始まった。
 どんどん、演目が過ぎていき、ついに、クライマックスの塔の組み立て。
 一回目、失敗。 正直、僕は足手まといだったと思う。 僕の足に力が入らない分、隣の友達に対する負担はすごかったのだろうと思う。

 
 2回目、


 成功。



 その後にも10分間くらいあった演目の事は、正直あまり覚えていない。 
 終わった後、僕は、友達と抱き合いながら、
 「やった、やった、やったんだ!!」と叫んでいた。
 そして、また、医療室のベッドへ。


 寝ている僕を、同校で教師をしている父が医療室に来て、たたき起こす。
 「何やってるんだ。 まだ終わって無いぞ。 立て。 行け。」
 6歳の僕を富士山に登らせ、日本で一番厳しい囲碁の道場へ通わせた、この父のおかげで、僕はどれくらい強い人間になれたのだろう。
 
 
 運動会も終わり、夜の池落としのイベントを、参加はせず、あたたかい服に包まりながら、遠目で僕は見ていた。 心は満足感でいっぱいだった。

 イベントも終わり、最後に高三の皆で集まった。
 僕が、締めの言葉をすることになる。 短い締めの言葉だった。 幾重の服に包まりながら、ふらふらと立ち尽くし語ったこの言葉は、まだ覚えている。

 「僕は、こんなにも弱い人間で、自分ひとりの力じゃ何も出来ないということを、本当に実感している。 でも、僕の周りには僕を支えてくれる友達がいるし、父母がいるし、先生がいる。 だから、僕は、これからもどんなことだってやっていけるだろうと思う。 これからも、力を貸して欲しい。 今日は本当にありがとう。」

 
 跡片付けを終え、生徒会の友達数人と、一番最後に学校を後にした僕たちに、校門で下校の指導をしていた、学校では有名な怖い先生が立っていた。 すこし、びくびくしている僕たちに、彼はこう言った。

 「君達に命令します。
 君たちは、今からこのお金をもって、近くのラーメン屋で、みんなでご飯を食べて、そして、家にまっすぐ帰ること。」

Comment
≪この記事へのコメント≫
そんな姿を知っているからみんな慕ったと思います。
ナーが一番記憶に残っているのは、、、、
テジュン委員長が全体モイムで前に出て演説していたときの事。
余談をしてた学生に対して当時高3の180度どう見渡しても恐いオーラが出てるおっぱが{なんか文句あっか?}って今にも口からでそうなその口で、

「お前らテジュンの話ちゃんときけー!」って叫んでたこと。

その時は衝撃的でした。
2005/10/08(土) 23:02:42 | URL | 権兵衛 #-[ 編集]
毎年毎年繰り返されるドラマ。
生徒一人一人には一度しかないかけがえの無いドラマ。

倒れるべくして倒れ、周りはそれを理解し、それに見合う価値あるものを手にしたんですね。

いつまでも一人一人ドラマが熱い事を祈ります。

(でも、雨で順延です!)
2005/10/09(日) 09:26:19 | URL | gyu #-[ 編集]
朝高の悪習は終わってないよ。

運動会の後にヤキくらった後輩もいたし。

悪習の根は深いから、そう簡単に無くならないよ。

その後も代々と続いたそうな。
2005/10/09(日) 09:47:21 | URL | aragan #-[ 編集]
>名無し さん
 ああ、あれは、小学校の頃から同じ学校にいた友達だったんですよ。 本当に嬉しかったなあ。 確か、その後に僕はマイクを地面に置くんですよね。笑

>GYUさん
 前に行ったときに、何人かと仲良くなれて、その子達とたまに連絡を取っています。 時間を見つけて見に行こうと思っています。
 順延って、明日じゃないんですか???

>araganさん
 そうだったんですか。
 色々と考えることがあるので、エントリーを新しく書きますね。
 
2005/10/09(日) 18:37:35 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
アンニョンハシンミカ。
昨日朝大では定期大会がありました。そこで一年間を振り返りながら、今朝大でたまたまintroductionとこの記事を読んでみて、なんかいろいろ考えさせられました。またtaejun兄の話を聞きたいです。
2006/12/10(日) 10:15:32 | URL | 敬柱 #-[ 編集]
アンニョンハセヨ。 年末には時間できるから、そのときにでもゆっくりね^^
2006/12/11(月) 09:12:31 | URL | Taejun #-[ 編集]
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2007/07/04(水) 20:50:23 | | #[ 編集]
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2010/02/02(火) 23:31:58 | | #[ 編集]
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